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 *とつげき東北 [#e61aca1b]
 
 
  大きいか小さいか、重いか軽いか、「良い」か「悪い」か、といったものを、少なくとも1つ以上の比較対象と比較しないでどのように判断すればよいのか、という原理的な考察を平均的な人間に求めるのは、いわばサッカーのワールドカップにおいて日本がブラジルに2点差以上をつけて勝つことを期待する場合と同様の無益さを潜在的にはらんでいるにせよ、「比べないで! 私自身を見て!」などと真正面から言われた際には、どうしても自分と相手との知性・センスの差について比べざるを得ない。
 
 「他人と比べず、自分自身を見る」ことを要請するには、当該人物が他の様々な他人や物事とは独立に、自己定立していることを必要とする。もちろんその水準にはいくつかの段階があって、「何事からも完全に独立に自己定立している」ことまでを条件に課すつもりはない。ある程度「自分」というものを持っているというなら、それはそれで良いかもしれない。
  しかしながら、テレビドラマで見た「みんなが言っていそうな」名言を、さも自分自身の言葉であるように吐き散らかしながら「比べないで」もあるまいに……。
 
 
  ところで、どのような場面において、人は「比べられる」ことを嫌がるのだろうか。
  ことは単純である。比べられると困る時である。実際、「君は〜〜さんよりもかわいいね」といわれて、「比べないで!」と怒り出す場面など、およそ想像できまい。つまり、この名言の根底にある「はずの」、「比べてはならない」という思想は、そもそもこの名言の発話者によってさえ信頼されていないのである。
 
  兄に対する弟の成績の悪さを親に指摘されたとき、子(弟)はどうするか。「比べてはならない」が名言的思想として流布されていなければ、「確かにそうだ、兄のように頑張ろう」と発奮するか、あるいはただただ悲しみに耐えるしかない。ところがこの名言の開発によって、比べられると困るような人物は、「比べられた」際に、こともあろうに、攻撃に転ずることが可能となるのである。この浅はかな名言を武器として手にとりながら。
 
  自らの無能さを武器に強い者に反抗するのは、「道徳」の基本構造だが、それを示す具体例の一つとして、本名言はきわめて典型的である。
 
 #htmlinsert(google.txt)
 - 「兄と弟」というと、旧約聖書のカインとアベルの話を思い出しちゃいます。あれは神様が兄よりも弟の捧げ物に「目を留めた」ので、怒った兄が弟を殺しちゃうんですが。「比べてはならない」という思想がなくても、人は自分より他人が認められることが我慢ならないんじゃないかなあ・・・ -- [[月]] &new{2006-06-28 (水) 20:50:22};
 - うむ、そりゃそうだろうね。「比べないで!」の名言性がますます輝きますな(笑) -- [[とつげき東北]] &new{2006-06-28 (水) 20:55:04};
 - 弟かもね --  &new{2006-12-07 (木) 16:43:01};
 - 比べられる事を嫌がるのは大抵の場合、劣っているとされた側である。 -- [[ザーク]] &new{2006-12-07 (木) 16:45:19};
 - ''[[あ]]'' &new{2008-09-25 (木) 23:05:33};
 ちんぽの長さを比べないでエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!
 黒人・・・すごく・・・圧倒的です・・・
  
 - ''[[はいはい]]'' &new{2008-09-27 (土) 02:46:23};
 うるせーばか
  
 
 #comment

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