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  • 正々堂々 へ行く。

 *ろくでなしろくぞう(項目投稿に加筆修正) [#y26f48ed]
  
  本来の字義は「態度や手段が正しく立派なさま(平明四字熟語辞典より)」ということになっているが、字義そのものに曖昧さがあるため、大衆にかかれば自分の好きなように定義し直すことができる残念な概念。
 
  スポーツ批評において使われることが多く、大衆は「勇気と興奮、感動」を求めていることから、彼らの気に食わないプレーに対し、「―としていない」、「姑息だ」などと好き勝手に揶揄することができる。
  殊に高校野球の世界ではその傾向が顕著であり、その最もわかりやすい例が、1992年夏の甲子園3回戦で行われた、明徳義塾(高知)VS星陵(石川)戦である。明徳義塾の馬淵史郎監督は、星陵の松井秀喜選手相手に5打席連続敬遠を指示し、明徳義塾が勝利したが、試合会場は騒然、ブーイングの嵐、スタンドからメガホンやら瓶やら投げ込まれる始末。マスコミ各社は競って明徳義塾の批判報道を開始、社会問題にまで発展した。
  この件については現在でも賛否両論、議論が続いているが、否定派にかかると、たとえ「ルールの範囲内で工夫を凝らした作戦」も、「ルールに反してなければ何をやってもよいのか?」という解釈になってしまうようである。
 
  大衆の考える「正々堂々」とは、「負けてもいいから力勝負でぶつかっていけ」ということらしいが、それはただの無策である。彼らの思考は先の大戦の歴史から何ら教訓を得ず、何も進歩していないということなのかもしれない。
  選手達からすれば大衆の要望に応える義理などないだろうし、とんだ思い上がりである。何より高見の安全圏から無責任に文句を言い放つ大衆精神こそ「正々堂々としていない」のではないだろうか。
 
 ※なお、筆者はこの件について「怪物を擁したチームに勝つために死中に活を求めた作戦である」と解釈している。
 「高校野球は教育の場であるから勝利至上主義は良くない」という意見もあるが、「諦めずに工夫・模索を続けること」を教えるのもまた立派な教育である。
 
 →(議論テク)思考に慣れていないことの露呈
 
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 - '''' &new{2017-11-20 (月) 19:09:53};
 〜勝負しろ
 この舞台なら多分俺が勝つからお前こっちの土俵に来い、を丁寧に言い換えたもの
  
 
 #comment

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