*とつげき東北 [#jf8a3ce4]
 
 ―能力:
 
  能力や地位の高さを、ほとんど無条件に道徳性の低さに置き換えるための「論理」は多い。
 「勉強ばかりしていては、人の気持ちがわからなくなる」とか、「お偉いさんには、庶民の感覚が理解できない」「[[弱きを助け強きをくじく]]」といったものがそうだ。
 
  だがそればかりではおさまりがつかないのだろう。そうした語の使用者は次に、「道徳性の低さ」を「能力の低さ」に不適切につなげることで、相手の能力の高さそのものを「なかったことに」する。その結果彼らは、自分よりも能力が高い人間を、自分以下の能力しか持たず、しかも自分より道徳性の劣った人間であるとして見下すことができるのだ(これが道徳の「信じる側」の目的である)。
 
  この言葉もその典型である。人の気持ちを考えない行動をするのは、人の気持ちを考える能力が足りないことや、人と上手にやるスキルが不足していることを意味している、というわけだ。
  ところが実情は必ずしもそうではない。人の気持ちを考えた上で、相手がもっとも嫌がるように行為する賢い人も当然いるだろう。筆者とて、好きな女性には相手が喜ぶことをしてあげるが、どうでもよい相手には普通に接するし、自分が嫌いな鬱陶しい男には冷酷に振舞う。「人の気持ちを考えない行動」は、当該行動の行為者の「思いやる能力」が低いことを一意に意味しない。単に、自分が嫌われているだけである可能性を考えるべきである。
 
  狡猾に悪意を突きつけてくる相手に対処するには、攻撃を受けないように反撃の姿勢を見せるべきなのか、攻撃が効いていないように見せて諦めさせるべきなのか、周囲に相手の悪意を見せ付けて孤立させるべきなのか、という判断が必要になる。そうした場合こそ、単に「あの人は―ことができないんだワッ」などと喚くのではなく、「相手の気持ちを考える」べきなのである。
 
  道徳性の低さを能力の低さに変換するおぞましい論理には、他に、「[[能ある鷹は爪を隠す]]」や「[[本当に頭の良い人はわかりやすく書く]](わかりやすく書かない人は、頭が良くない)」「[[本当にできる人は自慢しない]]」といったものがある。
 「能力が高い→能力が低い」という連結は困難だが、間に道徳的評価を挟むこと(「能力が高い→道徳性が低い→能力が低い」)によって、人々はこうした神話をいともたやすく受け容れる。
 
 →思いやり
 
 
 *みかん  [#u5a3a601]
 
  現代社会で最も好まれる名言の一つ。
  「気持ちを考える」をgoogleで検索した結果、ヒット数は10万件を超える。我が国はなんと思いやりに溢れ、人の気持ちを考える“立派な人”が多いことか。私も“立派な人”の一人となるために、人の気持ちを考えてみようと思う。私が考えるのは「人の気持ちを考える」大切さを説く、立派な彼らの気持ちである。
 
  「人の気持ちを考える」ことの重要性が遍く流布され、社会に蔓延したのは、実際に「人の気持ちを考える」ことが重要だからでは些かもなかろう。大事なのはその名言でなく、名言が名言としての効力を持つことであったはずだ。平時に名言を唱えることで感動的な自分を主張でき、いざ不快な思いをした時には「人の気持ちを考えろ」と月並みの言葉を吐くだけでよい。その名言が是認される土壌を得て、彼らは安住の地を生み出すに至ったのである。
 
  では彼らは人の気持ちを実際に考えているかというと、どうやらそうでもないらしい。「被害者遺族の気持ちを考えろ」と唱える彼らは、決して容疑者の気持ちを考えていないばかりか、事件を担当した弁護士や裁判官、悪い時には被害者遺族本人の気持ちすらも考えていない。こうした名言の発信源でもあるマスコミが、被害者遺族から抗議を受けることが珍しくないという事実がそれを物語っていよう。彼らが「Aの気持ちを考えろ」と叫ぶ時、彼らはAの気持ちを代弁しているかのように装いながら、実はAを標榜して自分の利害を代弁させているに過ぎないのである。
 
  さらに甚だしきは、相手の気持ちを考えた末、むかつかせる最良の手段として選んだ挑発的台詞に対してまで、相手の気持ちを考えろと吐く知的羞恥心の欠如である。自分の気持ちを熟知して上手に立ち回っている相手に対し、「人の気持ちを考えていない」とのたまってしまう残念さに、私たちは唖然とするほかない。彼は自ら「相手の気持ちを考える」能力の欠如を暴露してしまったのだ。
 
  さて、「人の気持ちを考える」ことを何より大切にする彼らの安住の地において、「人の気持ちを考えろ」と喧伝する立派な彼らの気持ちをここまで考えた私は、彼ら自身よりも遙かに優れた人間性を持つと言ってなんら支障はないだろう。
 
 
 #htmlinsert(google.txt)
 - この言葉って簡単に発することが出来るのに効果はかなり高いですよね。発している側は「大人、道徳上級者」、言われている側は「こども、ひとりよがりの人物」みたいなイメージを植えつけられますから。 -- [[いか]] &new{2006-05-21 (日) 18:51:46};
 - 権力もなく、他人の気持ちを考えず、好き勝手行動すれば、たいてい困る事になるがね( ゚Д゚)y─┛~~  こういうこと書いたら、「じゃあ俺の気持ちはどうなるの?」とか書いてくるかもしれんが、お前に勝手するほどの力はない。 --  &new{2006-06-15 (木) 14:44:11};
 - こっちもあげ -- [[マネ]] &new{2006-09-18 (月) 18:56:33};
 - あ --  &new{2006-10-02 (月) 22:11:23};
 - あ -- [[マネ]] &new{2006-12-10 (日) 11:40:09};
 - ''[[ここまで読んだよ]]'' &new{2009-10-19 (月) 19:10:54};
 なるほど、そういうみかんの書いているときの気持ちを考えた俺はさらにはるかに優れた人間性を兼ね備えるといっても支障ないわけだな
 そして、このレスを見た何人かが「こいつ馬鹿だ」と考えただけでみかんや俺よりはさらにはるかに優れた人間性を兼ね備える(と言うことに支障が無い)という無限のスパイラルに永遠に続いていくわけですね
  
 - ''[[てんどん]]'' &new{2015-03-10 (火) 23:54:19};
 その通り。従って現時点では俺が最も人間性が高い。
  
 - ''[[デブトルエン]]'' &new{2018-04-23 (月) 20:18:20};
 恐ろしく・・・そう・・・なにか・・・僕でなきゃ見逃しちゃうね。絶妙な返しで小気味良いやり取りに仕立てあげただけでも賞賛に値するけど、"てんどん"という名を用いることで無限のスパイラルの封殺をも成し遂げているんだ。どういうことかと言うと、「最も人間性が高いのはぼくぅ」と追従しようものなら「ご苦労。君がやったことはお笑いで言うところのてんどんだ。それを見越してこの名で書き込んだ俺の人間性の方が高い。」と返せるというわけさ。
  
 
 #comment

トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS