*とつげき東北 [#u3d84f76]
 
  ある事柄の価値と別の事柄の価値とを比較するためには、両者の差を調べる必要があることは中学数学などで履修している「常識」のはずだが、それを無視して対象者に何かをさせたいとき、「よい影響」の部分だけを切り取って定性的に述べることによって、意見全体を正当化する試みとして悪用される語。
 
  何かをするためには当然コストがかかる。
 「お父さんがもっと頑張れば、少しでも生活がよくなる」はなるほど正しいかもしれない。だが、ではお父さんは毎月残業200時間すれば良いか、と言えば、これは必ずしもそうではなかろう。
 
 「みんなが環境問題に少しでも努力すればよくなる」も、結果的に正しくなるとは限らない。宮台真司氏は著書「これが答えだ!」(朝日文庫)において、牛乳パックのリサイクルにかかるコストが膨大すぎ、エネルギー資源のムダになることを指摘しつつ、非先進国が先進国化する際に生ずる環境問題等の現実的な深刻さに言及している(実際に今、中国が迎えている段階がこれである)。そして、この種の問題を「現実的に」回避するには、既に先進化した国々からの技術・資本の無償譲渡が不可欠であり、先進諸国の生活水準を最低限まで切り詰めるほかないとしている。
  少しでもよくなるからと、日本人であるわれわれは今すぐ生活水準を落とせるだろうか。環境問題にうるさい連中が、月々3万円ずつ環境団体に寄付をしているだろうか。宮台氏は当該問題について、「結局、背に腹は替えられないピンチになるまでどうにもならないでしょう」と述べている。
 
  とはいえ、ピンチにならなくともムダに動く者たちもいる。
  とはいえ、ピンチにならなくともムダな動きをする者たちもいる。
  環境省では、環境問題改善の取り組みの一貫として、平成18年の夏にエアコンの設定温度を30度にした。結果として、OA機器等から排出される熱により職務室の気温が36度等に達し(これは労働環境的に違法である)、職員が熱中症となり日本中から失笑を買っただけに終わった。
  1つの国のほんの1つの建物の温度調節をすることで、地球環境にどのようなすばらしい効果が出たかは置いておくとして、コスト意識を欠いた掲題語は常に名言である。
 
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