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 ■ヒトシンカ
 
  嫌いなものを賞賛する人に貼るレッテルに「[[信者]]」があるが、賞賛する人々と嫌いなものをセットにして宗教というレッテルを貼ることもある。いずれの場合も新興宗教の連想を意図している。もっとも多く使われる例は当然ながら「[[オウム>オウム真理教]]」である。
 #htmlinsert(google.txt)
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-19 (土) 02:16:42};
 神を信じるという行為を非知的だと証明する事は可能でしょうか?
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-05-19 (土) 03:17:00};
 質問の意味がわかりかねる。
 ~知的であるかどうかなど「決め事」なのだから、神がかりのものに対してすることではない。
 もししたいなら、別のより権力の高い神にそう示してもらうようお祈りすることだな。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-19 (土) 06:16:22};
 「神が人間のように愛したり怒ったりすると考えるのは、『狼星』と呼ぶからにはシリウスも吠えると考えるようなものだ」みたいなことをスピノザは言っている。大衆的な信仰のあり方を高みから笑ったわけで、こういうあり方はすごく「知的」だよね。
 ~ところがスピノザ自身は完全に神を信じていた。まぁこんな奴だったから無神論者と批判されたり破門されたりしたけど、彼自身は「人々は滑稽な信じ方してるけど、奴らに比べれば俺は間違いなく正しい神の観念を持っている」と確信していた。
 ~何かに対して批判的な態度を保つには、それとは別の「超越的な前提」が必要になる(「別のより権力の高い神」とはこのこと)。
 ~スピノザは「正しい神の観念」の確信によって、大衆の信仰を笑い飛ばしたり、従来の聖書解釈を批判して新たな聖書研究の方法論(現代でも基本はスピノザ式らしい)を提示できたりしたわけだ。
 ~というわけで、ウィキの定義を前提にした上でのスピノザ流「大衆的信仰批判」は可能だが、「全ての信仰を同時に批判できる」「全ての信仰が非知的であると証明できる」といった誤解はしないようにしておこう。
  
 - ''[[masa]]'' &new{2007-05-19 (土) 07:25:55};
 >神を信じるという行為を非知的だと証明する事は可能でしょうか?
 不可能。ただし、神とは、キリスト教(+イスラム教)の神とする。
 理由:欧米の科学者・数学者で無神論者は少数派であるため。
 ~まあ、せいぜい、「原理主義者」(聖書の一字一句まで間違っていないとするグループで、
 進化論を否定し、地球の年齢を約6000年と主張する人たち。)
 を非知的と非難できる程度であり、これだって、非科学的なのは確かにそうだろうけど、
 だからといって非知的といっていいかどうかには大いなる疑問は残るんだよね。
 はっきりしているのは、
 ・神を信じるという行為は非科学的行為とはいえない。
 ということ。
 ~なお、「神」という言葉は、日本語では「第一人者」という意味でもあるんだよね。
 神がこっちの意味なら、
 ・「第一人者」が言ったことについて(その分野なら)100%正しい
 というのは間違い。(たいていは正しいとしても100%ではない。)
 それじゃあ、「科学技術は日進月歩」を否定する行為となってしまう。
 ですので、神を(100%)信じるという行為はアホ行為。
  
 - ''[[うまい]]'' &new{2007-05-19 (土) 10:33:51};
 先日地鶏料理屋のランチで並んでいたら、前の女子大生グループの1人が「ここの親子丼は神」と評価していた。
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-05-19 (土) 13:19:28};
 科学やら科学者は、「より権力の高い神」の典型例ですな。
 どうやら多くの人々は一神教信者でありながら、多神教信者でもあるらしい。
 ~>うまい
 その発言が真であるか否かは、女子大生のかわいさというテクストによって一元的に決定される。
 ~
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-19 (土) 14:33:53};
 神の存在を否定出来ないのは理解していますが、否定出来ない=存在すると言う事にはなりませんよね?
 存在が確認出来ない、反証不可能、実証不可能な存在を信じるという行為を知的だと言えるのでしょうか?神の存在を(100%)信じるのと空飛ぶスパゲッティモンスターの存在を(100%)信じるのは同じような事では?
 原理主義者に関しても根拠が何も無い文章を科学的に証明されてる事を否定して妄信するのが知的だとは思えません。
 凸さんの「科学やら科学者は、「より権力の高い神」の典型例ですな。」と言う発言ですが、これは「科学者だから」と言う理由で盲目的に信じ込む事であって、実験や観測で確認でき、そうである可能性が非常に高い理論を信じるのとは別の事ですよね。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-19 (土) 15:27:03};
 科学:反証可能。実証可能。
 神:反証不可能。実証不可能。これらは全て「神は物理法則を超越した存在である」「神は超越した存在なので人間には知覚出来ない」等によって説明される。
 理神論的な神だろうとキリスト・イスラム・ユダヤ教的な神だろうと神道的な神だろうと実証不可能、反証不可能な存在を信じる事が知的だと言えるのでしょうか?
 神の存在を100%否定するのは不可能です。「もしかしたら」いるかもしれない。
 ですがそれは「もしかしたら」私の人生は全て夢で自分は全く別の人間なのかもしれないと言う様な確認不可能な憶測と同じ事でしょう。
 「もしかしたら神はいるかもしれない」程度ではなく「神は実在する」と信じる事は「私の人生は夢だ」「科学は100%正しい」と信じる事と同じレベルだと考えます。
 底の浅い考えかもしれませんが、こう言う結論に達しました。しかし何分浅学なもので致命的な間違いを犯してるかもしれません。
 その場合は思う存分滅茶苦茶にしてください。
 ~
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-19 (土) 16:34:59};
 >反証不可能、実証不可能な存在を信じるという行為を知的だと言えるのでしょうか?
 ~信じる目的というか、「信じてどうしたか」という部分が問題だね。
 スピノザのように「凡庸化に対する戦略的な知の行使」のために役立ててれば、反証不可能なものを信じていても、それはウィキの定義上の「知的」に該当するだろう。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-19 (土) 16:52:21};
 >「科学者だから」と言う理由で盲目的に信じ込む事であって、
 >実験や観測で確認でき、そうである可能性が非常に高い理論を
 >信じるのとは別の事ですよね。
 ~別ではないよ。
 ~科学のある理論を実験や観測で反証するには、そのためのいくつかの補助仮説に対して無批判にならざるをえないんだ(「批判的な態度を保つには、超越的な前提が必要」)。「補助仮説も間違ってるかも」とか考え出したらもうなにも話が進まない。だからといって、補助仮説の正しさを調べようとしても、また別の実験が必要になって・・・以下、無限後退する。
 ~こういう構造的な問題があるので、仮にある理論の間違いを示すような実験結果が出たとしても、「ああ、これは補助仮説が間違ってたんだな」と解釈して補助仮説の方を修正してやれば、その理論は反証されないままに実験結果を上手く説明できてしまう。
 ~なーんだ、科学だって実験や観測によって反証できないじゃん
 だったら聖書はかなり高い確率で正しいと信じてるのと変わらないじゃん
 ~と原理主義者に言われたらそれまで。
 ~実際のところ原理主義のロジックって強いから、日本人の常識的な感覚からすればどれだけアホに見えても、決定的に論破するのは不可能に近い。
 ~「科学よりも原理主義の方が正しいのかもしれない」と真摯に疑う態度を保ち続けるというその一点「のみ」が科学と宗教を区別するポイントだし、そういう態度をとったら原理主義を無下に否定すること自体ができなくなっちゃうからね。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-19 (土) 18:14:48};
 「科学のある理論を実験や観測で反証するには、そのためのいくつかの補助仮説に対して無批判にならざるをえないんだ(「批判的な態度を保つには、超越的な前提が必要」)。「補助仮説も間違ってるかも」とか考え出したらもうなにも話が進まない。だからといって、補助仮説の正しさを調べようとしても、また別の実験が必要になって・・・以下、無限後退する。」
 こう言う論説は前にも聞いた事がありますが、いまいち納得出来ないんです。
 例えば原子爆弾は科学者の理論によって作られ、理論が示す通りに放射線を撒き散らし大爆発を起こします。
 そもそもこのウィキが存在する理由であるコンピュータも科学によって作られた物です。
 つまり科学は実際に理論通りに作用しこの世界に影響を及ぼしていると言う事ですよね。
 神について同じ事が言えますか?
  
 - ''[[亡国]]'' &new{2007-05-19 (土) 19:40:41};
 なぜ神だけを持ち出す。
 ドラえもんを持ち出さない理由を述べよ。
  
 - '''' &new{2007-05-19 (土) 19:42:28};
 あなたの足りない所に私の余ってるモノで塞ごうじゃないかwwwwww
  
 - '''' &new{2007-05-19 (土) 19:45:44};
 あなたの足りない所に私の余ってるモノで塞ごうじゃないかwwwwww
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-19 (土) 22:00:16};
 なんというか、自分の文を読み返してみたら
 「例えば地球は神によって作られ、聖書が示す通りに存在します。そもそもこのウィキが存在する理由であるコンピュータも神によって作られた物です。
 つまり神は実際に聖書通りに作用しこの世界に影響を及ぼしていると言う事ですよね」
 と同じに見える。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-19 (土) 22:08:00};
 現代だって、イスラムの原理主義者が随分と奮闘してるじゃない。彼らにとって、神は居るし、実際に彼らの行動を規定していると言える。
 ~こと思想に於いて、重要なのは、神の存在ではなく、神が居ると、自分が信じ、尚且つ、そこから何を為したか?だろう。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-19 (土) 22:29:45};
 「科学の反証可能性」についてはヒントを出すから後は自分で考えて。
 ~小中学校の理科で実験とかしたと思うけど、明らかにおかしな結果が出ることもあったでしょう。だからといって「教科書が間違っていた!」とは普通考えない「実験のどこかにミスがあったせいで結果がおかしくなったんだろう」などと考える(補助仮説に原因を求める)。
 で、教科書と合う結果が出るまでやり直したり、ひどいときにはちょっと手心を加えて無理やり帳尻あわせたりもする。
 ~これと似たようなことを科学者も頻繁にしている。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-19 (土) 22:33:22};
 「科学は実績をあげてるから信用できる」系に対しては、同じような形でそのまま返されるね。「医学がさじを投げた病人を聖者さまが治した例は無数にある」とか。・・・何かバカバカしくなってくるけど、論理では追い詰められない。
 ~まぁ実際形式的には完全に対等だから、まともにやるのは諦めて、相手の信念のバカバカしさを笑い飛ばす方向に行くしかない。まぁこれもやり返されたらそれまでなんで、「いかに上手に笑うか」という勝負になるね。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-20 (日) 01:11:14};
 「医学がさじを投げた病人を聖人が治した」類の話は証明が不可能。
 聖人がどの様な方法で治したのかが解らない。治療方法がどの様に病人の体に作用したのか解らない。聖人の「治療」と病人の回復の因果関係が不明。
 医学による治療はそれが説明出来る。
 教科書云々は教科書自体を疑う事が出来るのが科学と宗教の違いじゃ?
 教科書を疑ってはならないなら今でも地球は宇宙の中心で宇宙はエーテルに満ちている事になる。
 ただし教科書を疑うのなら相応の根拠を示し実際に証明しなくてはならない、と言う事だと思ってました。
 補助仮説と言う前提があろうとも実際にコンピュータは動き、核爆弾は爆発し、電子レンジは水分を振動させる。これは科学によって構成された理論を正しさを保証する物ではないか。いやだがそれはやはり「聖書にあるとおりに神がやったのだ」でしかないのか。だが神がやった云々とは違い具体的に仮定や方法があり誰が何回観測しようとも間違いなく光は太陽の近くにある時屈折する。だがそれも「全部神がやった」とされればお終いじゃないか。だが神の存在には根拠が無い。科学にはある。だがそれもやはり補助仮説の無条件の信仰を前提としておりあああああああと混乱している状態になりました。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-20 (日) 01:21:26};
 デカルト曰く、「我思う、故に我有り」。
 ~そもそも、自分の存在を証明出来ない。
 如何なる思想も自分が存在している事を前提として展開されているのに、自分自身の存在さえ、実は無根拠な前提に拠って成り立っている。
 ~生きる事、それ自体が無条件の信仰を前提としているし、それが論理の限界である。
 ~だからこそ、砂上の楼閣ごっこを楽しむのだ。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-20 (日) 07:17:36};
 オウム真理教と相対性理論が同レベルだと言う事実に強い衝撃を受けました。
 それにこの手の議論は最終的に認識論とか独我論とかになっちゃうんですね。
 やはりこのウィキは違うという事を思い知らされました。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-20 (日) 09:17:10};
 理論の反証可能性は補助仮説の修正によって容易に失われうる。科学者集団の自己批判的な態度によってしか反証可能性は担保されえない。
 ~では、どうして君は彼らのそうした態度を信じるのか。ここまでくると、宗教と科学を信念の体系・説明の体系として「合理的に」区別することはできなくなる。
 ~目に見える説得力や歴史的権威性、壮大な体系性という点において、一部の宗教は非常に優れている。コンピュータなどの成果の「分かりやすさ」によって科学を信じる者は、時代や環境が変われば、同様にして奇跡等の「分かりやすさ」によって宗教を信じることだろう。
 ~「科学には反証可能性があるから宗教とは違う」は、「キリスト教には聖書があるから他の宗教とは違う」に等しい。科学理論の反証可能性がどんな危うい前提の上に成り立っているかに自覚的でなければ、聖書を根拠に他宗教を攻撃する輩と同レベルに堕することもありうる。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-20 (日) 14:28:48};
 「そもそも、自分の存在を証明出来ない。」
 ~自分の存在以外の証明は不可能でも、自分の存在に関しては「私は自分の存在を証明出来る」と言うだけで終わりじゃ?
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-20 (日) 14:31:14};
 うん?出来ると思う?恐らく、カエソはこの世が俺の夢である事を反証出来ないよw
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-05-20 (日) 17:07:10};
 信じれば証明完。
 また、証明が必要ないと信じればそれはそれで完。
 ~デカルトは自らの証明を信じることで、証明完になったと信じた。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-20 (日) 17:56:21};
 にわかにはホーキングと麻原彰晃の信頼性が同レベルとは信じられないんでもっと詳しく調べてみたい。
 このまま自分が考えてもロクな結論にはならんだろうから、宗教・科学・科学の反証性などを解説しているいい本・ウェブサイトはありますか?
 >M
 なんでこんな事を見過ごしたんだorz
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-20 (日) 19:55:22};
 wikipediaで「デュエム・クワインテーゼ」(俺が説明したやつ)を調べて、そこからリンクたどっていろいろ読んでいけばいいんじゃないかな。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-22 (火) 21:12:31};
 見苦しいかもしれんけど、一応反論。
 >マネ氏
 デュエム・クワインテーゼやそれに対する反論などについて読み、思い浮かんだ疑問があります。
 「科学は決して理論を救う為に補助仮説を変更しない。
 科学は理論を変更するか破棄すらする。
 科学の目的自体の一つが自己を論破する事で、その為に自己を批判せざるをえない。」
 この様な文を読み、実際に科学はそうしてきたのではと。
 またマネさんは科学者が宗教家以上に信頼出来ないのは科学には科学者の「誠実さ」以上の基準やコントロールが存在しないから、と言っているんですよね(では、どうして君は彼らのそうした態度を信じるのか、より)?
 今までにも何回も機能しなくなった説や理論は破棄されてきましたし(でなければ未だに地球は宇宙の中心で宇宙はエーテルに満ち物体は燃素によって燃える事になる)査読と言う制度もあります。
 確かにアドホックな修正で理論を救う事は出来ますが、それは(フロギストン説にアドホックな修正を加えた人の様な)は科学と言えないんじゃないですか(本当の〜に抵触するか?)。
 そしてデュエム・クワインテーゼはカール・ポパーに「論理的には反証は成り立たなくとも、アド・ホックな改訂をしない、という態度をとることによって仮説の反証は可能となる」と反論されてるようですが、これが「科学者集団の自己批判的な態度によってしか反証可能性は担保されえない。」と言う事ですか?
 また学校での実験云々ですが教科書通りの結果を出す事が目的の実験と科学者による実験は別では?
 >うん?出来ると思う?恐らく、カエソはこの世が俺の夢である事を反証出来ないよw
 一回はそれで納得したが、一度考えてみて、この様な反論が浮かんだ。
 もし私が思考出来るなら、私は存在せざるを得ない(思考する為に)。
 また私の思考を完全に偽造する事は不可能。例えこれがMの夢であろうと確かに私は思考している。
 ただし、何が「私」で私が何時何処に存在するかは別の問題。
 だが私が「私」と呼ぶ何かが存在する事は紛れもない。
 こう考えましたが、どうですか?
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-05-23 (水) 01:12:56};
 >カエソ
 とりあえず、デカルトにならないように。
 なぜ「コギト・エルゴ・スム」、などと易々と信じられるか非常に疑問。
 ~クーンあたりは非理系的哲学者的な救いがたさを持っていて(当人は物理学畑出身だが)、自然科学(もちろん社会科学や人文科学は含まない)の構造にいやらしい感じで疑問を投げかけたが、マネ含めて別に「宗教の構造と科学の構造は結局同じ」ということをことさら言いたいわけではない。
 ~科学が宗教がかるのは、唯一、「科学は〜〜という理由で宗教よりも合理的だ」「反証可能性があるため〜〜だ」「論理実証主義に基づいてうんぬん」といったように科学の正当性が宗教のそれを超える、そう、私は科学を信頼している、などと表明される瞬間である。「スーパーマリオよりクソです、科学って。」と言い切って笑えない人が現れる瞬間である。
 ~物質的・日常的・共同体的な色々な制約があって、原子爆弾等こそ作れはしなかったが、現代物理学を一人極めた「バ・ゴーン」という未開民族の青年がいたとしよう。彼の主張は共同体において真理とされただろうか。長老の言葉よりも重みがあっただろうか。何もできず、何の結果も残せず、ただただ頭の中で完璧な公理系と理論を組み立てた偉大で浅はかなバゴーンの発話は。
 ~私たちにとって、科学が宗教よりも正しいらしいことは疑いの余地なく自明であり、それに対するあらゆる「論拠」を用意することが可能だ。
 一方で、逆もまたしかり、なのである。
 あなたが何を信ずるかなど誰にとっても問題ではなくて、もしもあなたにとってそれが問題であるとするならば、あなたが信ずる何かがあなたの信じない何かと同じ構造によって排撃された際に、あなたに何ができるかということが重要なのではないか。
 こと、本ウィキにおいて、「科学はこんな実績があります。こういう風に論拠が出せます。方法論も確立されています」ではぶざまだと思われる。あなたがバゴーンと同じ末路を辿りたいのなら別だが。
 ~で、マネは、科学がけっこう危ない橋を渡ったりしていることも多いという観点から、そこをつついてみているわけです。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-23 (水) 08:45:46};
 >マネさんは科学者が宗教家以上に信頼出来ないのは
 >科学には科学者の「誠実さ」以上の基準やコントロールが存在しないから
 >と言っているんですよね
 ~そこまでは言ってないよ。
 科学を信頼する根拠は、その成果や「実証性」「反証可能性」という部分がクリティカルなのではなくて(そう考えるのは大衆的)、科学に携わる人々の自己批判的な態度にあるというのが趣旨。
 ~とつの研究をけなす人にも多いけど、こうした基礎論点も知らず、科学の実践になにか理想的なイメージを持ってる人っているんだよね。カエソにもそういう気配が見られたから解説しただけで、結論は既に書いたように「信じてどうしたかというところが問題」。
 ~何を信じてたってすごいことやってりゃすごいんだよw
  
 - ''[[初心者]]'' &new{2007-05-24 (木) 08:53:41};
 ちょっとすいません。
 ~>「コギト・エルゴ・スム」について
 ~これが成立しないのは、「私」はMさんの夢の中に登場する架空の人物であり、「現実」には存在しないという可能性も考えられるから、ということでしょうか?「私」が「私は存在する」と考えているということも、Mさんが「初心者なる者が「私は存在する」と考えている」と夢の中で考え、そのように夢が展開しているから、というような捉え方でいいんでしょうか?
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-24 (木) 17:15:23};
 >初心者
 ~あい。そのような捉え方でも良いですw意思決定の主体が自分である事を決めるのは、現実世界のみでも難しいけど。
 ~>カエソ
 ~>もし私が思考出来るなら、私は存在せざるを得ない(思考する為に)。
 >また私の思考を完全に偽造する事は不可能。例えこれがMの夢であろうと確かに私は思考している。
 ~「私の思考を完全に偽造する事は不可能」か?を考えてみれば、そもそも、意思決定の主体が「M」である場合、成り立たない。
 この時、「私」は「私」の意思決定主体が私には無い事になる。
 「この世界が俺の夢」である事の反証にはならない。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-24 (木) 21:39:34};
 >初心者
 「私は思う」という判断には既に「私が存在する」という前提が含まれているので、「ゆえに」などとは言えない。というのがスピノザ−カント的な批判。「証明になってないぞ」ってことね。
 ~「私」の思考内容がMの夢に過ぎないとしても、そう疑っているその思考自体はMの夢からはみ出たところにある。「それもまたMの夢に過ぎない」と考えた瞬間、その思考は「夢の外部」にまたはみ出している(この無限後退はデカルトも考慮した形跡がある)。
 ~「現実」を含む全てを疑ってもまだ疑われていないある一点が常に存在する、ということを発見したのが例の言葉の意義だから、「『現実』には(私が)存在しない可能性も」などと気軽に言っちゃうのはまずいだろうな。デカルトの論証に対する無理解が見えてしまう。
 ~ちなみに、デカルトは自分の思考がMならぬ「神」の捏造である可能性は考慮してて、それを「神の善意」を根拠に否定している。このあたりが評判よくないところだね。
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-05-24 (木) 23:30:40};
 というか、小学生の頃とかに、「この世は、自分とまったく関係のない別の人が見ている夢かもしれない」とか考えなかったのかなぁ?
 健全な小学生ならそういう疑問を持ち、健全な大学生ならそれについて思想するものだと思うがなぁ。で、「コギト・エルゴ・スム」という言葉を初めて見たとき「なんでやねん 笑」とつっこめるものと思っていたが。
  
 - ''[[亡国]]'' &new{2007-05-25 (金) 00:29:25};
 迂闊だった。我が人生において、「デカルトを笑う」がすっぽり抜け落ちていた。白人ということで油断してしまったようだ。
  
 - ''[[masa]]'' &new{2007-05-25 (金) 02:06:30};
 >カエソさん
 >宗教・科学・科学の反証性などを解説しているいい本・ウェブサイト
 たとえば、アシモフの科学エッセイ(早川書房)。
 ただし、アシモフ本人は無神論者(キリスト教的無神論)ですが、宗教そのものは否定していない。
 そもそも、聖書(など)は、科学解説書ととらえなければそれでええねん。
 ちなみに、聖書の一字一句が正しいということに反論したければ、科学より数学に着目し、
 旧約聖書の列王記に、「円周率=3」と書かれていることを引っ張り出したほうがいいよ。
 ~
 >マネさん
 ~>「科学には反証可能性があるから宗教とは違う」は、
 >「キリスト教には聖書があるから他の宗教とは違う」に等しい。
 それは違います。
 確かに、仏教には「聖書」は無いけれど、
 ユダヤ教とイスラム教には「聖書」が存在することをどうお考えか?
 実際、この3つの違いとは、
 ユダヤ教:旧約聖書のみ
 キリスト教:旧約聖書+新約聖書
 イスラム教:旧約聖書+新約聖書+コーラン
 ですよ。(エホバの神とアラーの神は、呼び方が違うだけで同一神格。)
 別の表現をすれば、イエス−キリストの扱いが、
 ユダヤ教:ラビ(ユダヤ教の坊さん)の1人
 キリスト教:神の子。
 イスラム教:預言者の1人。(預言者=神の声を聞く者。アブラハムなど。イスラム教ではマホメットも預言者の一人。)
 ~一方、「科学には反証可能性がある」なんだけど、
 単に「反証可能性がある」だけではないです。
 誰かが、新しい理論を出すとすると、のこりの科学者がよってたかって粗探しをして、
 それに耐え切ったのだけが生き残る、という仕掛けが機能しているわけです。
 (まあ、常にとは言い切れない。でも、常温核融合がつぶれたのは非常に早かったよ。)
 で、反証する手段が無い場合(たとえば宇宙論)、理論ごとの相違点を整理しておいて、
 どういう観測をすれば決着がつくか、ということを互いに理解しているわけ。
 でも、宗教では、こいうった機能は全く作用していないという点がまるで違う。
 
  
 - ''[[亡国]]'' &new{2007-05-25 (金) 19:58:32};
 善意の鎮火行為ほど興をそぐものはありません。腕に覚えのある方々は、はやって居合いの技を繰り出すなどのやけを起こさないでください。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-25 (金) 20:11:38};
 「我思う、故にエロあり」いや、神様の善意ですよ、善意。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-25 (金) 20:41:13};
 >ユダヤ教とイスラム教には「聖書」が存在することをどうお考えか?
 ~まさにその事実が、「(正しい)聖書」を根拠にキリスト教の正しさを確信する者の愚かさを際立たせるという仕掛けだよ。そんなわかりにくいかなぁ。
 ~というか、「聖書」という言葉を適当に変えても元の文章の趣旨は全く変わらないんだから、そこをつっついても何にも出ないよ。
 ~>宗教ではこういった機能は全く作用していないという点がまるで違う。
 ~「超越的な前提」に反証方法が存在しないのは自然科学も同じ。そんなものは科学の対象ではないし、同様にトーラー自体の「正しさ」などもラビたちの研究対象ではない。
 公平に見れば、宗教においても制度的・理論的に反証可能性が厚く保証されている場面はいくらでも見つかるだろう。「全く作用していない」は明らかに言いすぎ。
 ~ところで、「現実的な」理由で偶然選ばれた信念の体系に「合理的な」理屈をつけにいくクソゲーに挑むのはそろそろやめにしないか。
 そういったものは、趣味の悪い哲学者や信者が減って困ってる宗教家にでも任せておけばいい。我々には関係ないことだよ。
  
 - ''[[亡国]]'' &new{2007-05-25 (金) 22:46:29};
 いきなり急所蹴りかよ。単なるジャブでしかないことを祈らずにはおれない。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-25 (金) 23:33:51};
 明らかにmasaの思考は科学信仰そのものだが。亡国は自分でmasaを弄くりたいのか?それともマネに嫉妬しているのか?w
  
 - ''[[亡国]]'' &new{2007-05-26 (土) 00:11:41};
 今は言えない。
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-05-26 (土) 02:35:17};
 >M
 「コギト・エルゴ・スム」は、「エロのみ。」に省略可能であることが証明されている。もっと具体的に言えば手錠の使用、複数のセーラー服の購入等である。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-26 (土) 20:22:56};
 >M氏
 ”「私の思考を完全に偽造する事は不可能」か?を考えてみれば、そもそも、意思決定の主体が「M」である場合、成り立たない。
 この時、「私」は「私」の意思決定主体が私には無い事になる。
 「この世界が俺の夢」である事の反証にはならない”
 ~他者の思考を偽造するのは不可能じゃないですか?
 他者の思考を偽造するなら、少なくとも一人称でやるならそいつ自身になってしまう。
 そして三人称で偽造された場合そもそも関係ない。
 私は私以外に、存在し思考する存在を知る事は出来ない。
 だが私は自分が行動出来るという事から自分が存在する事を知る事が出来る。
 ~>マネ氏
 ~”「私は思う」という判断には既に「私が存在する」という前提が含まれているので、「ゆえに」などとは言えない。というのがスピノザ−カント的な批判。「証明になってないぞ」ってことね。”
 これは演繹ではなく自己証明じゃ?
 「自己を私と呼ぶ何かが行動し、それは自己を私と呼ぶ何かが存在する事を意味する。故に私は存在する。これ以上の自己証明は難しいと思うんですが。
 
  
 - ''[[のぶ]]'' &new{2007-05-26 (土) 20:48:58};
 >M
 あいかわらず馬鹿を露呈しているなw
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-26 (土) 21:01:55};
 >カエソ
 「自己証明」ってなんだかよくわからんが、自明じゃないものを自明なものから導き出すんじゃなくて、自明じゃないものをそれ自体「自明であった」と言い切ることなのか?
 ~いや疑ったんなら最後まで疑えよw
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-26 (土) 21:07:52};
 >カエソ
 ~>だが私は自分が行動出来るという事から自分が存在する事を知る事が出来る。
 ~スピノザ−カント的な批判では、私の存在を証明するのに、既に私の存在を前提としている「私は思う」があるから、「故に」とは言えないわけですよ。
 この場合も一緒で、まず、私が行動出来るという、私の存在を前提とする根拠があって、そこから私の存在を証明している。これをトートロジーという。
 ~これが、デカルトの「我思う、故に我あり」の正体。
 ~自己証明なんてのは論理的に出来ないんですわ。論理的思考には、人の自明な事柄を扱う公理という概念があって、初めて演繹的思考が出来るし、これは形式的には宗教と変わらんのですよ。
 ~そこをマネが巧みに突いたり、凸が「エロのみ」にしているんですわw
 ~だから、科学が宗教より優れているというのは、形式的にスーパーマリオは科学や宗教より優れていると言うのと変わらない。
 ~科学や宗教を信仰するのに、スーパーマリオは信仰せず、スーパーマリオ信仰さえ認めたがらない。バスの床が落ちる事は疑わないにも関わらずだ。
 ~この転倒と倒錯の歴史が大衆的思考の典型であって、今、我々は、このような思考を笑う技術を手に入れるべきなのである。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-05-26 (土) 21:09:12};
 >のぶ
 ~誰、君w
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-27 (日) 19:14:20};
 他への反論と言うか足掻きは待ってて下さい。
 >マネ氏
 "科学を信頼する根拠は、その成果や「実証性」「反証可能性」という部分がクリティカルなのではなくて(そう考えるのは大衆的)、科学に携わる人々の自己批判的な態度にあるというのが趣旨"
 反証可能性が科学者の自己批判的な態度の基じゃ?
 >とつげき東北氏
 "私たちにとって、科学が宗教よりも正しいらしいことは疑いの余地なく自明であり、それに対するあらゆる「論拠」を用意することが可能だ。
 一方で、逆もまたしかり、なのである。"
 申し訳ありませんが、だから何?としか言えません。
 相手が論拠を用意出来るのとそれがクズ論か否かは別の話で、
 こう言う態度はまさしく黒とつにある「思想の守護者」じゃないですか?
 私の意見がとつさんより思想的に優れてるというのはほぼ有り得ないと思うので私がとんでもなく恥ずかしい間違いをしてると思いますが。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-27 (日) 22:08:17};
 >反証可能性が科学者の自己批判的な態度の基じゃ?
 ~そうだとすると、「科学の反証可能性のおかげで、科学者たちは都合の悪い例を無視したり、アドホックな修正をしたりしないのだ」ということになるな。
 ~本当にこれでいいの?
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-28 (月) 22:42:38};
 掲示板の方に適当にまとめておいたから、カエソは見ておくように
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-05-30 (水) 14:09:39};
 >M
 反論が出来ません。
 >マネ
 ”2007−05−26 (土) 21:01:55 New”
 反論が出来ません。
 "そうだとすると、「科学の反証可能性のおかげで、科学者たちは都合の悪い例を無視したり、アドホックな修正をしたりしないのだ」ということになるな。
 本当にこれでいいの?"
 ~科学は自己を反証する事が目的。
 よって反証しようとしない科学者は科学的とはいえないかと…
 あと、質問なんですが、科学の「超越的な前提」の一つに「この世の存在」は含まれますか?
 少し科学の具体的な「超越的な前提」を教えてくれませんか?
 ”掲示板の方に適当にまとめておいたから、カエソは見ておくように”
 行った。
 見た。
 こう感じた。
 http://www5a.biglobe.ne.jp/ ̄shinotan/cell.jpg
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-05-30 (水) 20:08:36};
 >反証しようとしない科学者は科学的とはいえない
 ~そうだとすると、実在する(自称)科学者のほぼ全員が権威的に反論を黙殺するようになっても「科学は反証可能なために、科学者は自己批判的である」が成立してしまうね。・・・こういうのを「アドホックな修正」っていうんじゃなかったっけか。
 ~>科学の「超越的な前提」の一つに「この世の存在」は含まれますか?
 ~含まれないだろうね。そんなものあってもなくても関係なく成立するように形式化できると思う。
 ~>科学の具体的な「超越的な前提」を教えてくれませんか?
 ~自然の斉一性 で調べてみ。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-06-01 (金) 18:11:30};
 ”実在する(自称)科学者のほぼ全員が権威的に反論を黙殺するようになっても”
 ?
 もしそうなればその自称科学者達は科学の原則に反するので科学者とは呼べないのでは?
 ”そんなものあってもなくても関係なく成立するように形式化できると思う”
 よく解りません…
 当然科学はこの世界が存在すると言う前提があり、だが世界が存在すると言う事は証明不可能。
 だから科学の超越的前提の一つは世界の存在と言う事だと思ったんですが…
 ”自然の斉一性 で調べてみ。”
 ありがとうございました。
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-06-02 (土) 00:43:52};
 >科学の原則に反するので科学者とは呼べない
 ~このような認識の問題点を指摘せよ。
 ~>科学の超越的前提の一つは「世界の存在」
 ~まぁ適当な話だから別にどっちでもいいんだが。
 ~もしこの世が「神様コンピュータ」内の仮想空間だったとしても、仮想空間内の現象と現象の関係を記述して法則を導き出したり、現象を予測したりすることはできるじゃん。そんな現象が本当に起こってるかどうかは知らないが、「そのように見える」ことについては記述や予測ができる。
 ~だから別に前提にする必要はないんじゃないの。
 「斉一性」は前提しないことには何も始まらないけどさ。
  
 - ''[[スターチェ]]'' &new{2007-06-02 (土) 01:25:20};
 「検証不可能なこと(神)を信じるのは非知性的か」
 ~では、「赤色が見えている(赤のクオリア)」はどうですか?
 検証可能とは、『他人が』検証できるという意味です。
 そして、私が赤を赤と見ているかどうかを他人が検証することは出来ません。
 ~『だから、赤が見えていると信じるのは非知性的』ですか?
 ~これは言いすぎでしょう。
 「検証不可能は認め」かつ「私は100%赤いと感じていると信じる」は、
 成り立たないことではないと思います。
 ~神の信仰を、検証不可能性だけを理由に否定することはできません。
  
 - ''[[スターチェ]]'' &new{2007-06-02 (土) 01:31:40};
 「検証不可能なこと(神)を信じるのは非知性的か」
 ~では、「赤色が見えている(赤のクオリア)」はどうですか?
 検証可能とは、『他人が』検証できるという意味です。
 そして、私が赤を赤と見ているかどうかを他人が検証することは出来ません。
 ~『だから、赤が見えていると信じるのは非知性的』ですか?
 ~これは言いすぎでしょう。
 「検証不可能は認め」かつ「私は100%赤いと感じていると信じる」は、
 成り立たないことではないと思います。
 ~神の信仰を、検証不可能性だけを理由に否定することはできません。
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-06-02 (土) 01:43:59};
 いいこと言ったが、2回言った。
  
 - ''[[スターチェ]]'' &new{2007-06-02 (土) 10:19:14};
 ……2回言えば、2倍伝わると思って…………
 ~ていうか消してくださいよ。鬼か(笑)
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-06-05 (火) 21:25:00};
 
 >>マネ
 "このような認識の問題点を指摘せよ”
 「科学の原則」と言う物が強制性を持たず、根拠に乏しい事?
 また、「科学の原則」が永久不変だと言う根拠が存在しないこと?
 "だから別に前提にする必要はないんじゃないの。
 「斉一性」は前提しないことには何も始まらないけどさ"
 理解出来ました。ありがとうございます。
 >>スターチェ 
 >>これは言いすぎでしょう。
 そうでしょうか?
 私には結局の所「赤が見えている」と言う根拠は何も無いのだから「赤が見えている100%信じる」と言うのは知的とは思えないんですが。
 それに「私はサンタクロースが存在すると100%信じている」=「サンタクロースは存在する」ではないでしょう?
 神が100%存在すると感じているのが神の存在の証拠だと言う奴がいたらただの馬鹿だと思うんですが。
 いや、そもそも存在する云々は関係ないから上のは反論にならないか?
 ~
 
  
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-06-05 (火) 23:11:42};
 >カエソ
 ~・科学が反証可能なために、科学者は自己批判的である
 ・自己批判的でなければ科学者ではない(自己批判が科学の原則だから)
 ~おまえは何を言っているんだ(゜д゜)
  
 - ''[[にんじん]]'' &new{2007-06-06 (水) 00:46:37};
 オウム真理教について勉強するのは文学部じゃなくて社会学部なのかな。
  
 - ''[[カエソ]]'' &new{2007-06-06 (水) 15:28:13};
 自分でも何言ってるのかよく解らん。
 ~これ以上続けるのは醜態を晒し続けるだけだしもう反論不可能なので私の完全な敗北です。
 皆さんには間違いなく正しいと思っていた私の無神論というか反宗教論や自我論(論と言う程の物ではないが)が穴だらけだと、私の稚拙な反論に辛抱し指摘し続けたことに感謝しています。
 もしここで質問せずにずっとこのクズ論法を正しいと信じて慢心していたらと思うとゾッとしました。
  
 - ''[[原田]]'' &new{2007-06-30 (土) 07:29:33};
 パスカルは言った『神に賭けよう』。しかしニーチェが喝破する『神は死んだ!』。見るとヴィトゲンシュタインは下を向いている『語りえぬものについては沈黙せねばならない』。気まずい空気に俺は言った『もうジャンケンで決めろ』。そしてそれに誰が勝とうともその運命に神が顔を覗かせるのである。
  
 - ''[[あ]]'' &new{2007-07-29 (日) 15:34:50};
 のぶ 2007−05−26 (土) 20:48:58
 >M
 あいかわらず馬鹿を露呈しているなw
 ~俺の言葉パクってんじゃねー(苦笑)
 そう言いたい気持ちはすごくわかるが(笑)
  
 - ''[[名無し]]'' &new{2007-08-10 (金) 14:24:59};
 >>もしここで質問せずにずっとこのクズ論法を正しいと信じて慢心していたらと思うとゾッとしました。
 ~なにこのバッドエンド。
  
 
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