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 ■とつげき東北
 
 
 稚拙な成果を美化する口実。
 「―考えた」→[[自分で考える]]
 「―精一杯やった」
 #htmlinsert(google.txt)
 - ''[[仙人]]'' &new{2010-10-28 (木) 01:57:26};
 サーセンw
  
 - '''' &new{2010-10-28 (木) 17:36:03};
 確かに成果に自信があるときには
 「自分なりに」という言葉は使わないな。
 「自分なりに精一杯やりました」=「出来が悪いのは解ってる、許せ」
 と言うことか。
  
 - '''' &new{2010-10-28 (木) 20:27:18};
 もうちょい考えてみると、自分の成果について「出来が悪い」と評価を下す他者が存在し(または存在する可能性があり)、かつその評価が正当な場合に、「自分なりに精一杯〜」が使われる。出来が「そこそこ」だったとしても、周囲が明らかに自分よりダメな連中だけならば「美化」する必要はないため「自分なりに精一杯〜」とはいわれないだろう。
 逆に、自分的には最高の出来でも周囲が自分より上のやつばかりなら、評価軸をシフトせざるをえなくなるため、「いかにがんばったか」などの基準に変えた上で「自分なりに精一杯〜」となる。
 同じ成果を出すにもダメなやつほどがんばらなければならないため、「いかにがんばったか」で勝てるのは当然であるが、道徳的優秀性を示すためにあえて「でもみんながんばったしそれは評価できないものだ」と曖昧になる場合もある。「評価できない」と混ぜっ返す手法は、本来「いかにがんばったか」勝負で負けそうになってから用いるものであるが(ダメ側はその基準でさえ負けることがある)、先手を打って勝負を回避してしまうところに知性を感じさせる。そもそも、「自分なりに〜」と言ったのであるから、他者と比べる行為自体が不要、いや、不可能なはずだ。「自分なりに〜」と言いながら「あなたは『自分なりに』どのくらいがんばりましたか」と詰問して、その「がんばり」の度合いを比べ勝った負けたをいうのは矛盾している。「自分なりに精一杯〜」と発言したのなら、同時に全ての「がんばり」は独立したものとし、したがって自分自身の「がんばり」にも相対的評価を与えない姿勢が一貫性を保っているものといえる。論理的一貫性を保ちつつマイナス評価を除去ししかも道徳的優秀性をも示せるのであるから、「自分なりに精一杯やった」→「でもみんながんばったしそれは評価できないものだ」のコンボは汎用性に秀でた言説であることが推察される。
 当該発話者の意図は、評価の逆転の場合も、マイナス評価の除去までの場合もあるだろう。それは一概にはいえないが、ただその方法に「自分なりに〜」を選択してしまったのはいくらかセンスが悪いというささやかな反撃はできるかもしれない。
 ~「自分なりに考えた」の方は、「いかにがんばって考えたか」ではなく「自分で考えた」という方に重きがありニュアンスが少々異なる。そのへんは「自分で考える」とか「個性」とかの項目で。
  
 - ''[[ここまで読んだよ]]'' &new{2010-10-29 (金) 13:13:05};
 >「自分なりに考えた」の方は、「いかにがんばって考えたか」ではなく「自分で考えた」という方に重きがありニュアンスが少々異なる。
 ~いずれにしても、自らがもたらした
 >稚拙な成果を美化する口実。
 である事にかわりは無い
  
 
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