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  • 子ども へ行く。

 ■ヒトシンカ
 
  子供と書いてはならないのは、「子供」の「供」という字には“そなえる”“付き従う”等の意味を持ち、「子供」とすると「大人の持ち物・そなえもの」という意味になってしまうからだと言われている。しばしば社会運動は、子どもにスピーチをさせる。また、子どもの保護そのものを運動目的にしている社会運動は人気を博しやすい。賛同者が己の道徳性をアピールしやすい性質があるからだが、いかなる政策が本当に児童にとって利益かはしばしば明白ではないため、賛成派と反対派の間で、子どもを守るという大義名分の奪い合いが発生する。例えば、少年犯罪の厳罰化の問題、有害情報からの保護VS子どもの知る権利、児童の性的自己決定権などの問題においてこの現象が確認される。
 
 ――にどう説明すればいいのか:
 
  いわゆる清廉潔白であるべき職業の者の不祥事が報道された時、インタビューされた凡人がよく言う言葉。そのような職業とは教師や警察官など。ウルトラマンコスモスの変身前を演じた役者が捕まった時もこのように語られた。
 
 ――に見せられない:
 
  気に食わない表現にクレームを付ける時の口実。北原みのり『フェミの嫌われ方』によれば、“嫌ポルノ権”を主張する弁護士の田中早苗は、電車のピンク広告にクレームを付けた時の戦術を著者に語っている。「ポルノ表現が女性差別である、という風に訴えていたら、きっと時間がかかったでしょうね。今回の規制をかける時に、私は意図的に子供に見せることができない、という風にしたの。そうでなければ、なかなか変わらない。」  
 
 ――を持つ親:
 
  「馬から落馬」や「愚かな愚民」のようなトートロジー(同義反復語)のうちで、最高に神聖視されている言葉。また理性的指摘を無視しようとする経験信仰の一形態でもある。この語が聖化しているのは子どもそのものではなく、崇高なる「親の愛情」なるものであるため、子どもが最大の苦痛を受けているような現象について語っている場合にさえも、親の悲しみにだけ言及されて終わるという茶番劇が頻発している。世の中には親としての立場を、気に食わない意見を封殺するための殺人許可証程度にしか思っていない「子どもを持つ親」が多いようだ。
 
 →[[地方ローカル]]  
 
 ――を持って初めて分かる:
 
  「子どもを持つ親」が、そうでない人から発言権を奪うことによって論理的批判を躱そうとするための常套句。
 
 →[[経験]]
 #htmlinsert(google.txt)
 - いかなる時も大人と子供を線引きすることはなんら必要性を帯びない。大人はかつて子供であり子供はいずれ大人になるからだ。どこで線を引くかだけの不毛な議論が延々続くのは生産的でない。世界共通の明確な線引きは男女間にだけ存在する。 -- [[原田]] &new{2006-12-11 (月) 23:35:16};
 - >原田  いや、そんな話ではないだろう。装置としての「子ども」の話であって、線引き云々についてはどうでもよろしい。むしろ君が語ってしまったことによって、君の中での「不毛な思考」が露呈されてしまった。「生産性」的にどうだろう? --  &new{2006-12-12 (火) 17:40:25};
 - 多少内容がずれても言ってる事が正しければいいんじゃない? -- [[通りすがり]] &new{2006-12-24 (日) 10:59:35};
 - 正しければ、な。 -- [[マネ]] &new{2006-12-24 (日) 14:38:15};
 - 内容をずらすなカス -- [[あ]] &new{2006-12-28 (木) 04:29:28};
 
 #comment

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