■とつげき東北
 
 
  相手の主張が一貫していて強い場合に、その姿勢を揶揄するために用いる。
  ある宗教の教えを批判する相手に「あなたは常識だとか科学の考えに凝り固まっている」と批判することが無残なように、相手が相手の主張をどれほど強く出しても、そのこと自体が相手の主張の間違いの根拠となるわけではない。実際今の例では、逆にその言葉を発する方が宗教の考えに「凝り固まっている」のである。
 
  このような典型的な凡言を吐いてしまう前に、「盲目的に強く信じられた結論だけでなく、よく考えられ精査された結論ほど、当人に強く支持されがちである」という事実も一度考慮しておくべきである。単に「広い視点」などで見ているだけでは到底見えないものがこの世にはある。
  特に注意しなければならないのは、「凝り固まっている」かに見える相手の主張が、ある学問領域では常識であって、単に自分がそれを知らないというパターンである。自分の知識のなさを、相手の妄信にすりかえるようなみじめさを露呈しないように気をつけたい。
 
  それにしても、この種のしばしば「議論」において使われる凡言の数々が、なんとイメージに頼りすぎていることだろう。「凝り固まった」と表現される現象のうちに、人間に対して好都合な影響を与えるものがあるだろうか? ないだろう。「あなたはその考えを何度も主張している」と言っただけでは反論にならないが、イメージを作り出すことによってみせかけの「反論」とするのである。
  一般的な「議論」において、相手の状態や様子を比喩によって表現する場合に、それが何か具体的な論拠となっていることは非常に少ない。この形式で使われる他の同類後に「宗教的」などがある。
 
 →[[宗教]]
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 - ''[[ここまで読んだよ]]'' &new{2009-10-18 (日) 06:59:06};
 相手の美的感覚が自分に相容れない場合にもよく使われる
  
 
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