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  • 機械のよう へ行く。

 *とつげき東北 [#c2418e25]
 
 「感情」や「失敗」なしで、合目的的に物事を処理することが可能である、という優れた状態に対する大衆の反抗的なイメージ。
 
  カラーコピー機ほど正確に画像を模写できる技術を持った人はいないだろうし、DVDほど上手に「本人の歌」を真似ることができる歌手はいない。それはあくまでも機械が「機械のような正確さで」行っているからこそ可能なことなのだ。
  感情論はひとまずおいておくとして、技術的側面から言えば、機械が人間に「勝つ」領域は数多くあり、ますます広がりつつある。
 
  大衆は「機能美」という概念に疎い。彼らはあまりうまく機能しないため、そのことに対して「美」を感じたくないからである。だから「数学は芸術である」ということさえわからない。
 
 #htmlinsert(google.txt)
 - ''[[名無し]]'' &new{2007-03-18 (日) 17:18:24};
 私の彼氏、機械みたいでかっこいいのよ〜
  
 - ''[[gasorina]]'' &new{2007-03-23 (金) 14:07:06};
 麻雀のルールを知らない人間が安全にとれる形テンを取ることに機能美を感じる事は有り得ないが、バスケットボールのルールを知らないのにコービー・ブライアントの動きに美を感じる人は少なくない。大衆の代表的存在としての女子中学生は、自身が野球に関してうまく機能しなくても、しばしば野球少年に恋をする。(彼女たちは同時に、こうした議論をする男子生徒を同じ頻度でキモイと表現することも忘れない。)三段目は『悪魔の辞典』的なこのウィキでは必要なスパイスだが、論理的ではない。とりわけ美しくもないのにキモイというやつの態度を助長しそうで嫌だ。かわいかったら許す。(←これが論理的な態度であることを説明できるだろうか?統計的にはそうした傾向は顕著だが。。)
 
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-03-24 (土) 03:28:46};
 直接の返答ではないが、他で書いた文章を引用。
 ~【
 サッカーでは、しろうと目にさえ見える技術が「強度」として消費される。
 スキーやスノーボードでもそうだ。一方でカーリングはいまいち強度がわからないから「視聴者向け」ではない。
 ~将棋やオセロでもかなり見た目でわかる。
 1手先を考えてみて、おお、これはいい手だ、というものが。
 ~ところが麻雀の上級者同士になると、非常にわかりにくい。
 結局正しかったのか、どうなのか、というのが非常に遅れてやってくるか、ずっとやってこない。
 「いま、ここ」で楽しまれるのはまさに「偶然どうなったか」なのである。
 ~つまり麻雀は強度的なゲームというよりは、本来は意味的なゲームなのだ。ここで無理に強度を出そう=効果の遅延を防ごうとすると、「すべてを読みきっていた」とか「流れを看取した」などの実況を添えざるを得なくなる。
 無理に麻雀に強度を付与しようとした試みが、「物語的な」麻雀の世界の構築であり、さらには賭博というシステムであり、現在ではギャル雀なのだ。
 ~ただ、スポーツやゲームで、強度的側面ばかりが重要というわけでもない。
 イチローの「打率」は、たいていは「意味」をもって初めて視聴者に実感される。その「意味」があるからこそ、イチローの動きのひとつひとつが完成されて見えるという側面もある。
 麻雀というゲームには、強度がはなから欠落していた。そして意味もまた、求められてこなかった。
 ~ワールドカップで、ブラジルが負けると「ええぇ?」となる。
 なるのは、ブラジルが強いことが周知の事実となっているからこそだ。
 麻雀で、名前の伏せられたとあるプロが負けて「ええ!? この打牌の人が?」とはなりようがない。
 日本一を銘打って何かを行えば、人気がある程度出るというのはわかる。しかし「日本一」に対する賞金等ということを考えた場合、それが「運ゲーム」だと良い人材は集まらない。
 ちなみに、歴史はずっと浅い「マジックザギャザリング」というゲームは賞金1000万レベルの世界大会が開かれている。なぜそんなに人が集まったかといえば、金の集まりどころを一元管理し、そしてそれゆえに賞金額が大きくでき、プロが存在し、トップレベルになれば賞金で生きていける世界だというのもある。
 】
 ~3段落目は本ウィキの趣旨として妥当と思う。
 本ウィキの解説が全称命題ではないことはトップで解説済み。
  
 - '''' &new{2007-03-24 (土) 06:31:19};
 『3段落目は本ウィキの趣旨として妥当』なことは上の文章でも認めてるよ。【】の中は、本当に『直接の返答ではない』ねーw意味と強度という観点の導入は面白いけど、直感的にも分かる差に優位性を保てるものではないね。間接的にせよ返答として持ち出すなら、意味と強度にきちんと定義を与える必要があるかな。さて本題ww先の文章が『本ウィキの解説が全称命題ではないことはトップで解説済み』という言葉を引き出す目的で書かれたものであることはもうお分かりのことと思うが、この一言が付け足されるとき、『だから「数学は芸術である」ということさえわからない。』という一見きれいなまとめがそれ自体としてすでに名言的であることに無意識なままコメントしている人間が多すぎる。このページが、それ自体はとても面白い試みであるにもかかわらず、不必要なこき下ろしととつげき東北さんに対する礼讃ばかりがコメントとして挿入されることが残念でならない。ここの住人たちは本当に頭が良くなっているのか?いや、かわいかったら頭良くなくても許す。
 
  
 - ''[[gasorina]]'' &new{2007-03-24 (土) 06:32:15};
 名前入れ忘れちゃったー。
  
 - ''[[gasorina]]'' &new{2007-03-24 (土) 06:32:15};
 名前入れ忘れちゃったー。
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-03-24 (土) 14:06:38};
 すんません、ディープユーザではなかったのですな(笑)
 意味と強度についてはこちら → (解説)意味と強度
 ~一般に、観衆に強度的な美意識を感じさせるモノ(ようするにわかりやすいもの)は、「誰もが」すげー、と思う。
 ところが数学だとか、麻雀の強さといったものは、その「すごさ」がやってこないか、遅延してやってくる。つまり意味的な美がある。意味的な美には、それに敏感な人しか反応できない。
 そこの書き分けをしなかったため、1つめのレスが来たんだろーな、と。
 ~で、読者への批判があるのであればそれを「問題提起」に終わらせずに、ある程度理詰めで構造を書くというのがここの「ならわし」(笑)
 まあ、実践できてる人がどのくらいいるのかはともかく。
 でもいい人集まってるよ、ほんと。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-03-24 (土) 20:01:45};
 <gasorina
 ~名言ウィキで名言的になりつつある事象や単語が存在していて、それに対して皆々スルーしていると。
 項目依頼用でも『大衆』という単語が何度か依頼されてきたが、これを名言とする為には、その背景が不透明であり、且つ多くの人間が支持していなければならない。
 しかし、大衆という単語は定義されている。従って名言ではない。
 ~凸が賛同されている事が多いのは、凸が実際、面白い事を多く書いているからだし、不必要にこき下ろしているのは、(まぁ、そのほとんどが俺の仕業だと思うが)練習しているから。
 ~まぁ、読者が本当に頭が良くなっているのかどうか、試してみたいのなら、凸に(凸自身じゃなくても構わないが)論理的に破綻したもっともらしい文章をランダムな時期に書かせて、読者が賛同するかどうか見てみるのも面白いかもしれん。
  
 - ''[[gasorina]]'' &new{2007-03-26 (月) 10:49:11};
 <とつげき東北
 すんません、ディープユーザではなかったのです。「ならわし」は知らなくて。マナー違反だった?ら、ごめんなさい。なんせ、『科学する麻雀』(現代新書の方)を買ったのが昨日なくらい。これから時々書きこませてもらうかも。
 <M
 出てきたw『そのほとんどが俺の仕業』ww_『いい人集まってるよ、ほんと。』
 名前挙げなくても誰宛に書かれてるかわかってくれんだから。大衆のくだりは一例として?それとも、それに限らずスルーしているつもりはない、ってこと?
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-03-26 (月) 18:11:20};
 うん。好きなように崩していって下さいまし。
  
 - ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-03-26 (月) 23:54:10};
 なるべくマナーが問われることがないよう取り計らってます。私以外の人の発言がどう解釈されようが知ったことではありませんが。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-03-27 (火) 22:02:55};
 風呂敷を広げられても商品が陳列されないんだが…まだかな?まぁどっちにせよ、後出しで『この言葉をこう引き出したかった』とか、『この人に意見を言わせたかった』とか言うのは、あんまりかっこよくないなぁ。
 意見させたらどう展開するのか考えてなければ尚更だ。黙って罠に掛かった獲物を食らえば良いのに。
  
 - ''[[原田]]'' &new{2007-07-01 (日) 04:36:57};
 野球やサッカーが果たしてどんな『意味』を含みどれほどの『強度』を感じさせてくれるというのか。甲子園では18にもなる青年が棒に玉が当たったとか当たらないとかで泣いたり喚いたりしている。サッカーではゴール前で体をぶつけ合うものの何故か殴り合いにはならない。競い争うのならば究極的には殺し合うはずであり、そこには濃密な『強度』が存在する。そしてそれをこの世の縮図として俯瞰することを『意味』とすれば、格闘技こそ『意味』と『強度』を限りなく濃厚に予感することの出来る唯一のスポーツであると言えよう。
  
 - ''[[あ]]'' &new{2007-07-29 (日) 15:46:54};
 機械のようだなとか完全に褒め言葉だろ・・・俺的常識的に考えて・・・
  
 - ''[[ここまで読んだよ]]'' &new{2009-10-20 (火) 21:25:12};
 1+1=2:算数
 5=1+1:ユーモア
 1+1=0:馬鹿
 1+1=100:哲学
 1+1=X:代数学
 1+1=田:幾何学
 1+1=√4:ひねくれもの
 1+1=「」:無益な質問には無駄に答えない人生の正解者
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 1∧1=1:論理学・統計学
  
 - ''[[やけ]]'' &new{2015-06-09 (火) 20:12:25};
 K.I械、熟練したソバ職人、熟練した○○、…
 ~大体熟練した人間は半ば機械になる。
  
 
 #comment

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