*とつげき東北 [#a98cb783]
 
 
  相手の主張の内容ではなく、その主張の態度や言葉の「汚さ」、攻撃の辛らつさ、必死さ、大人げなさ等をののしる方法。論理的な意味はない。
 
  これを導き出すために、あらかじめ丁寧語を用い、相手が的確な反論をしてきた場合等には「失礼しました」などと言い、場合によっては「あなた」のことを「貴方」と表記するなど、自分の「態度」を「潔癖に保っておく」小細工も使われる。
 
  そして時が満ちるや否や、「あなたのは、単なる揚げ足取りにすぎません」「あなたと話してもしょうがありません」「あなたには何を言っても無駄」などという言葉とともに、相手の態度を批判することによって、論理的な優劣をうやむやにするのである。
  彼らの多くは、思想を持たない。その場限りの思いつきで、普段から物事を考察している人につっかかろうとすると、どうしても良い結果が得られないのである。その結果、こうした「態度」への批判に走る以外に逃げる方法がなくなるのだ。もちろん彼らは逃げる際に、それと気づかれぬように虚勢を張ることも忘れない。「もうあなたの戯言に付き合っている暇はありません」等がそうだ。
 
  防衛策としては、罵倒語等を用いないように留意することであるが、「態度」の良し悪しとは無関係に、誰の目にも既に勝敗が明らかになるほど的確に議論を進めることができればそれに越したことはない。「態度批判」をやる他なくなった相手に追撃しても良い。
 
 →押しつけ
 
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 - ''[[原田]]'' &new{2007-07-04 (水) 02:21:17};
 大衆批判という立場がある。しかし大衆それ自体が移ろいやすいが為にこの立場も移ろいやすいと言える。これは最悪の場合『大衆が大衆批判をし出したらどうなるか』というパラドックスの前で危機に瀕する。大衆批判を辞めずにこのパラドックスから抜け出すにはいかなる立場に身をおくべきか。『流れに棹さす』という意味での大衆に対して『歴史と伝統の寡黙なる担い手』としての庶民に帰する他なさそうである。
  
 - ''[[Kanta]]'' &new{2017-01-14 (土) 00:36:42};
 「今の態度批判は、私の意見に論理的に反論できない、と解釈してよろしいですね?」
  
 
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