*とつげき東北 [#s2208032]
  価値観を参照のこと。
  自分で考えることへの批判では、大衆が「自分の価値観」だなどと自称して守ろうとするものがいかに脆く儚いものであるかについて言及したのでこちらも参考にされたい。
 
  強い論敵(その領域において知識があり、訓練されている相手)と議論をして、その結果意見の違いが生じた場合に、「これは自分の知識のなさや事実誤認によって生じているわけではなく、”価値観”、そう、”価値観”が違うのだ!」と強弁することは、なるほど今日の日本においては、大衆の間での当然の権利として認められているかに見える。
  だが実際には、そういった発想はいささかも「互いの価値観の尊重」につながらないばかりか、単に、無知な人間の「価値観」とやらの粗野さや雑さ、奇形さといったものが、これ以上になく鮮明に浮かび上がってしまうだけに終始するものだ。
 
 →(議論テク)大衆論法:思想的ヒキコモリ
 #htmlinsert(google.txt)
 - ''[[あ]]'' &new{2008-01-28 (月) 23:54:35};
 極論言い出して見解の相違だなとか価値観の違いだなとか人それぞれとかほざかれても(ノ∀`) アチャーってなるだけなのは俺でもわかるぜ。
  
 - ''[[ここまで読んだよ]]'' &new{2009-10-17 (土) 18:18:48};
 グループ分けの違いと、各グループに対する美的感覚の違い
 個々の持ちうる良くも悪くもポテンシャルであり、大衆とは無関係
  
 - ''[[文化相対主義者]]'' &new{2017-01-14 (土) 00:31:46};
 その価値観がどのような基準に基づいていて、その基準が「一般的な基準」や「法令」と照らし合わせて如何に逸脱しているかを論じて反駁すればよい。のかな?
  
 
 #comment

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