*とつげき東北 [#p34ed116]
 
  自らの支持するAという概念やそれに関する思想が批判されたとき、大衆は直接反論することができない。そこで、自分が支持するものはA’であって、Aとは違うのだと強弁することで、批判の矛先をずらす論法が生まれる。AとA’は通常、その文脈において同義語である。
 
  たとえば「差別だ」と指摘されれば、「差別ではなく区別」だと言い張り、「意味がない」と言われれば「意味はないが意義はある」等の返しが可能である。
 
  言葉を言い換えているうちはまだましだが、この究極形態が「本当の〜〜」という形式になる。Aが論難されはじめると、「それは本当のAではない」とし、自分の好きなものであって相手の批判にさらされない範囲のみを「本当のA」だとする手法だ。
 「本当の」という一種のいびつな理想世界の捏造によって、彼らはジャイアンの強さを「本当の強さではない」としたり、偏差値の高い者を「本当の頭のよさ(勉強ができるという意味ではない頭の良さ)がない」と感じたりする。これによって、彼らのみが嘘の「本当の」ものを手にする権利を持つかのごとく錯覚できるのだ。
 
 #htmlinsert(google.txt)
 - ''[[マネ]]'' &new{2007-04-21 (土) 15:00:07};
 通りすがりが新項目のエサになれたかなw
 ~
 同義語言い換え論法のポイントは、「それぞれの概念が何を意味するか」を明示しないことである。
 ~「差別」とはなにか。「区別」とはどんなものか。
 これらを明確にしなければ解釈は読者側に委ねられるため、同意したい者は勝手に解釈して同意できるし、非同意者の反論に対しては、
 ~「それは『差別』です。私が言ってる『区別』とはもっと○○なものです。」
 (「本当のA」と同じ形式)
 ~といった後付けの言い逃れがいくらでもできる。さらに、
 ~「ということも読み取れないあなたは読解力がありませんね。」
 ~と、自らの思慮の浅さ・言葉の足りなさを相手の読解力不足に転嫁することもできる。
 ~大衆にとって「概念を明確にせずに語ること」のメリットは大きい。
 はっきり語ればボロが出る彼らの保身のためには、それが最上の手段なのだ。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-04-21 (土) 20:39:50};
 そう言えば、『本当の〜』があったなぁ。
 大衆の語る「本質的」もほぼ同義の意味で使われたりする。(通りすがりも言っていたが。その後名無しによって顕在化されるw)
  
 - ''[[ret]]'' &new{2007-04-23 (月) 11:56:57};
 「本質的には無意味」
 を連呼していた中学生の俺
 その先に進んで楽しめるようになるのに10年もかかった・・・
  
 - ''[[薔薇]]'' &new{2007-04-24 (火) 18:08:47};
 これは詭弁的に、無駄だとわかって使われるケースも多々あるような気がするけどな。
 ~>差別ではなく区別
 というのは、A(例:学校での習熟度別のクラス分け)という行為が差別に相当するのではないか!?
 という言いがかりへの、上手な返し方であるように思える。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-04-24 (火) 22:13:42};
 馬鹿を言いくるめるのには使えるけど、もっとましな方法があるし、糞論法に頼らざるを得ないようなら構造的に脆弱な理論だろう。
 ~反論を想定できていないような非批評的理論は人に見せるもんじゃないw
  
 - '''' &new{2007-04-25 (水) 08:22:32};
 >薔薇
 ~「無駄だとわかって使われる」のか「上手な返し方」なのかどっちだよw
 いまいちよく分からんw
 ~>M
 ~「言いくるめる」のならまさに名言が最適なツールだろ。それが定義でもあるし。「糞」をそれと自覚できないからこそ奴らは「馬鹿」なのであるし、またそれゆえに「ましな方法」を考えられないから、(我々にとって)それが「脆弱」だろうと「非批評的理論」だろうととにかく受け入れざるを得ないと感ずると思うのだが。
  
 - ''[[M]]'' &new{2007-04-25 (水) 20:44:35};
 そういう事。
 ~上手い返し方なのではなく、相手が馬鹿であり続けるが故に継続され続けただけ。
  
 
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