*とつげき東北 [#hee6300e]
※別の場所に書いたものの転載


 現代社会なり、今の世の中なりを「矛盾を抱えた社会」「おかしな価値観に染まった社会」「孤独な社会」などと捉えたり、そこに生きる者が、まるで事前に申し合わせたかのように、孤独や不安や虚無感や弱さなどを噛みしめながら暮らしていると考える悲観主義が流通するのは、彼らがテレヴィジョンや雑誌からあふれ出すそうした「考え方」や「感性」にあまりにも過剰に触れすぎているからでしょうか。友達とやらとの会話には、そうした一連の感性でもって臨むことばかりが重視されがちだからでしょうか。
 誰に頼まれたわけでもないのに積極的に行われる他人の悲しみの代弁や、飽きるほど繰り返されている悲劇の上演は、羞恥心の欠如によるものでしょうか。

 尼崎JR脱線事故の約2週間後に、政治家が「事故現場から約30キロ離れた神戸市北区内のゴルフ場でゴルフ大会を開催していたこと」や、職員が休暇をとって韓国旅行に出かけていたことまでもが、遺憾な出来事であり問題であるとしてニュースとなってしまう笑われるべき事態を思い出してください。
 社会や人生の隅々を――他人のそれをも――掘り起こしてあれが問題だ、これが残念だと悲劇探しをするのは、感情の不自然な増幅によってしきい値の高まった者たちに新しい刺激を与え続ける麻薬的な方法(ジャーナリズムが多用する)です。
 現状に「否」を唱えるばかりか、「否」を述べるためにあらゆる手段で社会や人生のあら捜しを繰り返す者は、仮に別の環境に育ったとしても、同じように不平不満を口にしたのではないでしょうか。
 彼らが「社会をより良く」していこうとするとき、滑稽な事態が生じがちなのはそのためです。「不平不満のない社会」など、歴史の中ではいつも実現されてこなかったのです。

 人や社会や制度の良い面を見ずに悪い面ばかりをことさらに強調したがる習性が、実際には昔より平和で豊かになりつつある世の中を、どんどん「悪く」しているのだということを認識すべきです。 →[[センター失敗]]
 世界を安易に否定するのは愚か者のすることですが、だからといって「前向きに肯定する」といった奇妙な義務感を持つのではなく、何の感情も抜きに肯定できるための知識・センスを身につける必要があるでしょう。
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