*まほ公 [#h9237a7f]
 
 (ぷりっぷりのおしりが編集)
 
 **序章 [#rfdc2151]
 
  2007年4月14日開催の当wikiのオフ会の幹事をしていた本項目編者に、
 
 
  一通のメールが届いた―
 
 
 **尻の美学 〜オフ会参加希望の申請にかえて〜 [#vff65a33]
 
  「人という字は人と人とが支え合ってできている」――名言が名言たりうるひとつの要因に、偉大または偉大でない先人たちの、言われなき「美意識」があったのだとしたら、ハナクソレベルの彼らの意識とやらにほじりたてのハナクソを並べて戯れてみたり、あるいは少々真面目に揶揄してみるのが、諸賢らの知的態度であることは、重々承知しているつもりだ。だがここであえて、彼らの間抜けな「美意識」に則って、「支えあうことの美しさ」をもってひとつの賛美歌を唱してみよう、という私の我侭を許していただきたい。
  
  力でこそ、巨獣達に及びもつかない人間が、こうまで地球上の繁栄を寡占できたのは個々の力ゆえではなく、徒党を組み社会を形成したことに強く起因するという歴史的観点より、「支えあう美」の象徴として「人」が選ばれたのは、なるほど納得できる話である。そして、一つ一つでは為し得ないことを、複数の協力をもって為す「支え合い」が「美」であるとすれば、「人」そのもの、そう「人体」もまた数多くの美を内包する。
  
  「人体において支えあっている部位にはどのようなものがあるか?」と何の前触れもなく、急に問いかけられたとしよう。機知に乏しくとも、咄嗟に「足」と答えるのは容易かろう。やや見識のある者ならば「目」、「耳」、「鼻の穴」や「唇」と続くこともあると思われる。だが私は、一等大きな全長を有する「足」や、「人体のゴールデンスポット」とも言える「顔」に割り当てられた各種器官ではなく、普段スポットライトが当たらぬであろう、ある一器官について、「支えあう美」を語りたいと思う。
 その器官名――尻!
  
 「なぜ尻は2つあるのだろう」という素朴な疑問に狂気を感じ、有耶無耶にしてしまおう
 とする人は、危険である。なぜか?
 説明のため、まずは添付画像1(ketu1)を見ていただきたい。
 &ref(http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/ketu1.jpg);
  これは、1つの尻(乳房ではない)で体を支えようとしたときの模式図である。
 1つの尻で体を支える場合、支点が1点であるため不安定で、このままでは左右どちらかに倒れてしまう。また、本来守られるべきデリケートな器官である肛門が、尻1つで支える場合には面と接触してしまい非常に危険なのだ。つまり、「尻の一本化」になんの疑念も抱けない連中は、単独の尻による肛門及び不安定さの危険性に、徹底的に無自覚なのである。
  
  対して、尻2つによる支え画像(ketu2)をご覧いただきたい。
 &ref(http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/ketu2.jpg);
  2つの尻の支えによって、なんと支点が2つになり、力学的不安定さが解消されている。さらに、野晒しにされていた肛門までもが、2つの尻によって強固に保護されているではないか。1つだけでは単なるハリボテであった尻が、2つ合わさり支えあうことで鉄壁のガーディアンへと変貌するこの様こそ、「鼻の穴」や「唇」に引けをとらない「支えあい」の機能美なのだ。
 
  痴漢・痴女には愛されながらも、大多数に目を背けられつつある「尻」の美しさ。
 ある日ふと、片方の尻を失ってはじめて、右へ左へふらつく尻の不自由さと、肛門の激しい痔の痛みによって、人々は尻が2つあることの大切さを、そして「支えあいの美」に気づくだろう。
  「尻が1つになったら」は空絵事にすぎないが、もし仮にこの妄想が現実になったならば、私は尻の美しさにようやく後気づきした彼らの愚昧さを笑いの種にすることを誓いつつ、「尻の美」をいち早く察知し、自ら「ぷりっぷりのおしり」と名乗った氏に敬意を表すことをもって、氏とのオフ会参加希望の申請としたい。
 
 
 
 
                                         まほ公
 
 第一訂:2007-07-11 (水) 23:51:24
 第ニ訂:2007-07-12 (木) 00:07:16
 第三訂:2007-07-12 (木) 13:01:47
 
 #htmlinsert(google.txt)
 - ''[[Another World]]'' &new{2007-07-11 (水) 23:58:00};
 「人という字は人と人とが支え合ってできている」と言われる事もあるらしいが、支えているのは一方だけであるという事実から、明らかに間違いであると言える。したがって「支えあって生きていこう」と話かけられた時には、支える側に回らないよう注意する事が肝要だろう。しつこく「信じてくれ。君のた為なんだ」と言われても信じてはいけない。何故なら、人の為と書いて偽りという字になるからだ。
  
 - ''[[か]]'' &new{2007-07-12 (木) 00:42:27};
 >支えているのは一方だけであるという事実から、明らかに間違いであると言える
 差し支えなければこれの根拠を教えて頂きたい。
  
 - ''[[六分儀]]'' &new{2007-07-12 (木) 01:22:40};
 いや自明でしょうw
  
 - ''[[か]]'' &new{2007-07-12 (木) 03:43:27};
 >六分儀さん
 自明、ですか。
 ~確かに、「人という字は人と人とが支え合って出来ている」→「だから人間は○○である」と続く名言の形式は失笑ものであり、また明らかな間違いであると言える事でしょう。
 ~しかし、今我々がこうして見る『人』という文字は二つの線の長さ・高さが同程度であり、少なくとも片方が一方的に相手を支えているようには見えず、「明らかに間違いである」とは思えません。
 Another World さんには、是非この点説明願いたい。
 ~
 という意味での質問だったのですが、このWiki的には「明らかに」間違っていますかね?
  
 - ''[[横槍]]'' &new{2007-07-12 (木) 08:30:54};
 >か氏
 ~思い出してみて欲しい。「人」という字は、ここでこそ「お互いが支えあっている」ように見えこそすれ、小学校のかきかたの授業で習ったときはそのような形ではなかった筈だ。私が記憶するに、まず一画目は上から大きく左へと曲線が描かれ、二画目はその弧の頂点辺り、即ち□(シカク)の中に「人」を書き取る場合、そのマスの中央やや右下よりの辺りから一画目に接していささか緩いカーブが右へ描かれたのではなったか。少なくとも、双方の曲線が左右対称形として描かれた筈はなかった。
 ~或いはここに、現代の悲痛な想いがこめられているのではないだろうか。
 「人」という字が実は「支えあい」でも何でもないことに気付いてしまったある聡明な一部の人間たちは、これを強者が弱者を食い物にして弱者がさらに虐げられていくという悲惨な現代社会と重ね合わせたのかもしれない。そして彼らは電子文字の普及に着目し、電子上の「人」だけでもせめて「支えあっている」ように見せ、それを目にする大勢の人間たちにいつかその想いが届くようにと画策し、あえて正確性よりも人間性の理想を優先し、このような改変を行ったのかもしれない。
 ~我々は字面の表層から無粋な突っ込みをするのではなく、彼らのこのような想いを汲み取っていける清らかなこころを持ち続けていかなければならないのではないだろうか。
  
 - ''[[にんじん]]'' &new{2007-07-12 (木) 19:50:12};
 ■ヒップがキュッと上がるよ■
 ミサイルヒップガードルで 憧れのラインを貴方もゲット
 ~googleアフィはなかなかわかってるねw
 ついつい凸さんの小遣い稼ぎに協力してしまった。
  
 - ''[[es]]'' &new{2007-07-12 (木) 19:54:29};
 残念ながら、尻2点だけでは安定に支持できない
 足を3点目にするか幅を広げて面にするかが求められる
 いずれにしろ尻1点+足2点or尻1面で事足りてしまい、身体の支持に関しては1点と比較して2点が殊更優れているとはいえまい
  
 - ''[[ジャケ]]'' &new{2007-07-12 (木) 21:16:44};
 もし仮に尻が一つであったとしても、肛門をヘソと一体化し、尻を縦長にして末端部分をゲル状にしたならば、座る時は座布団に座ったかのように心地よく、排泄時には「大便器」などという仰々しい物は必要なくなり、位置的にも大層後始末がしやすいであろう。
 やはり尻においても、「支え合い」を殊更に強調する輩に、我々は断じて騙され身を委ねてはなるまい。
 ~しかし、後気付きしてなお、「尻と尻は支えあわなくてはならなかったのだ」という水準で嘆かざるを得ないであろう彼らよりも、遥かに高い美を以って「尻と尻の支え合い」を論じた氏の「尻と尻」は、また彼らよりも遥かに「支え合い」の能力に長けていると言えよう。
 ~よって、まほ公はかなりいいケツをしている。
 少なくとも、かなり力学的にいいケツの使い方をしている。
  
 - ''[[ジャケ]]'' &new{2007-07-13 (金) 00:25:40};
 >支えているのは一方だけであるという事実から、明らかに間違いであると言える。
 ~あなたは一つ、重大な問題を見逃している。
 確かに「人」という字は一見、一方だけが支えているように見える。
 しかし、長い方の奴の胸部と短い方の奴の頭皮の間には、「摩擦」が生じており、それによって確かに短い方の奴は支えられているのだ。
 そして時に、短い方の奴の頭皮環境は、長い方の奴の胸部との間に生じる摩擦に負け、ズルムケになってしまうという悲劇が起きるのである。
 ~従って、「支える側に回らないよう注意する事が肝要だろう」は確かに正しい。
 しかし、そのような悲劇を、「明らか」という言葉で覆い隠してしまうのは、あまりにも「残酷」というものではなかろうか。
 ~短い方の奴の損がいかなるものかについて、我々は見逃してはなるまい。
  
 - ''[[Another World]]'' &new{2007-07-13 (金) 01:53:16};
 >しかし、そのような悲劇を、「明らか」という言葉で覆い隠してしまうのは、あまりにも「残酷」というものではなかろうか。
 ~「残酷」などではないということを、説明しておきたいと思う。
 頭部と背中の摩擦により支えられているケースについて考えたからこそ、頭部で支えるという悲劇が起こらないよう思慮を巡らし「明らか」という言葉で覆い隠したのだ。
 ~「明らか」という言葉で、頭皮にまつわる恐怖心を優しく「植えつけ」悲劇を未然に防ぐ。拙い策であることは認めよう。しかし、この考えは「残酷」などという低次元なところからきているのではなく「愛」という高次元、言い換えれば高いところ、頂上とも呼べる部分からキテるということをどうか分ってほしい。
 ~私は神への愛を忘れてなどいない。
  
 - ''[[ジャケ]]'' &new{2007-07-13 (金) 07:08:03};
 ここで「残酷」なのは、短い方の奴や短い方予備軍ではなく、観客である。
 もし「人」という字が、実は「単なる足の長いオッサン」や、「出来損ないのシャンプーハット」、「ケツ専用ドリル」などであって、またあなたがそれを用いてショーをするのであれば、私のショーの「残酷さ」を発見するのもまた、よいかも知れない。
 ~そしてそこには時に、「愛」が内包されキテいるのやも知れぬ。
  
 - ''[[あ]]'' &new{2007-07-29 (日) 13:07:25};
 ぷりっぷりのおしり
 ぷりっぷりのエビにしろボケ!
  
 
 #comment

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