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 *とつげき東北 [#f774464d]
 
  口にするだけで、相手を論理的に追い詰めたかのように(主として第三者に)見せかけるための、大衆御用達の「議論」用語。議論の勝ち負けは、本来、当人が喧伝するものではなく、第三者が自然と決めてくれるもののはずだ。
 
  通常、まともな議論の場では、「論破した」等という言葉が使われることはない。なぜならば、いずれの論に妥当性があるかは、(頭の悪くない)第三者が議論の推移を見れば充分に伝わることだし、また、わざわざ「自分が勝った!」などと強調することは、かえって当該人物が「第三者に自然に伝わる形で勝っていない」ことを浮き彫りにするからである。将棋の勝負を考えてみよ。相手の王を取った人間が「今、王をとった」と言うだろうか。言うとすればそれは、何か並々ならぬ理由が――例えば第三者から見て王を取っていない者が、自らが取ったと述べ立てるような理由が――あったのではないかと自然に看取できるのである。
  ところが、大衆同士の議論ではこうはいかない。というのも、彼らは論理学を知らず、論理を使うのが著しく不得意又は完全に不可能で、論旨を定めることもままならず、ただいたずらに罵声や感情の吐露、邪推や無闇な反発を繰り返すのみであるばかりか、相手の文章や末節の瑣末なミスのみを指摘し続ける等、凡そ目にするのも情けない水準だからである。これはただの「ケンカ」であり、新たな知見を生んだり、第三者が知的に刺激されるような論理(ロジック)の構築もあり得ないものなのである。逆に、であるからこそ、大衆は「勝ったか、どうか」を、第三者に端的に説明しなければならないのであり、恐らくそこでは次のようなはしたないやりとりが成立するであろう。
 
 「はい、論破」「お前の方が完全論破されているよw」「どこか証明してみろよ」等。
 
 
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