*とつげき東北 [#p26865f3]
 国家運営に関する様々な重要事項を、判断力・思考力偏差値平均50の連中の意志に沿って決めさせる、この世で最もキチガイじみた統治形態。衆愚政治、暴民政治とも。

 ある病気に罹患した患者の治療法を、医者でない「みんな」で相談して決めるだろうか。被疑者が本当に犯人であるかの事実認定はどうだろうか。そればかりか、八百屋の野菜の価格ですら、素人判断に任せることはなかろう。
 ところが、なんと、政治に関しては「有権者」と呼ばれる、平均的には判断力や思考力が極めて低い素人が中核を担う。彼らは、マスコミの偏った報道や近所での噂、どうでも良い感情、有権者の顔や自分の損得勘定等に基づき、投票先を決定する。では、投票される側は政治の能力を持っているのか――残念ながら、そのような例は稀である。柔道で金メダルを取った者や、元歌手、元経営者、元ニュースキャスター、元お笑い芸人など、政治とは一切関係ない人間の方が、むしろ圧倒的人気になる場合が多い。その結果、ゴミのような人々が政治家となり、恐ろしく無能な政権運営がなされることとなる。

 大衆の多くは「―は非常に大切なものだ」「―以外の統治形態は良くない」等の盲目的思考を、民主主義というシステムが当然に自らを正当化するために作った狂った教育によって植えつけられており、「―が嫌なら日本から出て行け」「―的に決まったのだから正しい」等と、これまた各種の低劣な名言を再生産し続ける。

 民主主義がいかに無責任で誤るか程度のことは、少し賢い小学校1年生なら経験的によく知っているはずである。筆者は、小学校1年生の算数の授業で次のような経験をした。足し算の概念と引き算の概念は既に習っていたが、それらを組み合わせた「3+4−2」という計算を初めて出題された時である。先生は「班ごとに答えを考えなさい」と言った。筆者は、3に4を加えて7となり、そこから2を引くのだから5が答えだと考え、それを班の全員に伝えた。ところが筆者の主張は理解されず、「3と4を加えるのだから7である」という見解で他の全員が一致し、「班の答え」となってしまった。結局、クラスのどの班も正解を提示できなかった。筆者は納得がいかず、先生に向かって直接手を挙げ、先の説明とともに、正解は「5」であると主張した。
 ――幸いなことに、そこには先生という「専門家」がいた。先生は筆者のことを褒め、授業は続行した。ではもし、「先生」という存在がいなかったらどうなっていたであろうか。恐らく、「3+4−2=7」こそが正しいこととされ、民主主義的数学は迷走の極みを迎えていただろう。たった6歳やそこらですら、ある程度の知性があれば、「みんなで考えること」の無意味さを得心し、後年になって「民主主義のダメさ」を心底から理解するものなのである。

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