■とつげき東北


低俗主義者の言い草。

知識や知性には段階がある。
誰も生まれたてで掛け算などできないのと同様、掛け算ができなければ高校の微分積分はできないだろうし、高校の微分積分ができなければ大学の解析学はできない。
少しずつステップアップすることによって、高度なものを「難しい」と感じることなく理解することができるようになっていく。

ところが、このステップに乗り遅れる者もいる。
脱落してしまった彼らは口々にこう叫ぶ。
「本当に頭の良い人は、誰にでもわかる言葉を使う」
「頭の悪い人に限って、知識を見せびらかそうとして難しい言葉を使う」

だが、そのすべてが誤りである。

「xとyが比例するとは、どういう関係?」
と聞かれて、もっとも簡潔に答えるなら、
「y=ax(aは定数)が成立するようなxとyの関係。」
と答えるのが一番「わかりやすく」、明示的である。
ただ、この際、中学校の数学レベルについてきていない者は「もっと具体的に」などと言い出すわけである。そこでグラフを描いて見せたり、購入したりんごの数と値段との間に成立するある種の関係について解説してみせたりなどすると、「最初からそういえばいいのに」といった態度を取る。ひどい場合には「わざと難しく言った」といった被害者意識まで持つのだ。

そのすべてが誤りである。

この言葉の使用は、「本当に頭の良い人」という架空の概念を用いることで、「わからない」という避けがたい事態の原因を、「自分の能力の低さ」から「相手の能力の低さ」へと移行させるための、よく用いられる手続きに他ならない。
高校教師や予備校教師が「あの先生の授業、わからない!」と言われる場合にもしばしば該当する。

彼らが漠然とイメージする「本当に頭の良い人」とは、せいぜい彼らに日常的な算数(おつりの工夫のしかた)や、たかが知れた四字熟語(『同語反復』など)を、彼らにもわかりやすく教えられるような程度の人物にしか過ぎない。
彼らに忠告したいことは、「自分が理解できる範囲だけが真実なのではない。常に自分に様々なことを評価する権利があるわけではない」ということである。
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