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 *とつげき東北 [#o4ac55bf]
 
 ※「痩せたら美人」と同義として記述する
 
  事実であるとすれば宛てられた者の努力不足が露呈され、逆に事実でないとすれば宛てられた者の残念さが際立つだけにとどまらず、いずれにしても現在の当人の不美人性を明証化する悲惨な侮辱語。ふとした拍子で、容姿に難がある女友達の容姿の話題が出てしまった場合などに、取り繕うために利用されることもあるが、この言葉の意味するところを考慮すれば、救われまい。
 
  確かに「目が大きくなれば美人」とか、ましてや「口以外の全てが良くなれば美人」という状況よりも、「痩せたら美人」という状況の方が望みはありそうだ。筆者などは、どこをどういじくってもイケメンにはなり得ないわけであり、いっそ分子レベルまで分解し、1から作り直した方が早いほどだからだ。
  その意味において「痩せたら美人になる女性」は、ある種の特権を保有していると言えよう。しかし、当該特権が確固たるものと信じられていればいるほど、特権を活用しない当人の「努力不足」は際立つだろう。
 「毎日10時間ずつ3年間勉強すれば必ず東大に入れる」が真であるとしても、多くの者は脱落するはずであるし、脱落者が多い以上、各人は安心できる。だが、「毎日10分ずつ、1週間勉強で必ず合格」という条件でならどうだろう。これで落ちたら、当人の「努力不足」が大いに批判される状況が容易に想像できる。
 
  さて、体重を減らすことは(無論程度にもよるのだろうが)、時間的・強度的な観点から、上の例で言えば後者の条件に近いと考えられる。毎日1食分ずつ抜いて、1週間もすれば確実に痩せる(ダイエットの成否にもっとも寄与するのは摂取カロリーの大小だからだ)。これは大学受験に比べれば、驚くほど簡単なことである。
  ダイエットがそれなりに「簡単」である事実に加え、現代日本における、女性が「美人であること」から得られる効用の高さ(就職における圧倒的な有利さ、結婚相手等の年収の圧倒的高さ……等々)を加味すれば、「痩せたら美人」と言われる女性が痩せようとしないのは、あまりにも不合理に思える。
 この不合理はなぜ生じるのか。
 
  もっとも妥当そうな理由は、「痩せたら美人」という前提が、かなり多くの太った女性にとって偽であり、またごく少数の特権的な太った女性(痩せたら本当に美人になる人)からも偽であると誤認されている、ということである。もし5キロ痩せたら、本当にまるで浜崎あゆみのように綺麗になることが保証されていたとすれば、若くふくよかな女性のうち、誰が一体痩せずにいるというのか。
  太った女性は、そのような奇跡を最初から信じておらず、痩せるための努力に付随する快楽の制限――自由にスナック菓子やチョコレートに手を伸ばせないこと――こそが、損失に当たると判断する。その判断はしばしば適切だ。実際、太った状態においてそれなりの調和を演出していた顔面の各パーツが、痩せた状態においても保持される保証はないし(痩せてクマができてしまうとか、エラが張っていたとか)、残念ながら「痩せてみて美人にならなかった時のための保険制度」も現代日本には存在しないのである。
 
  また、「痩せたら美人」という文言が、仮定法未来形の文法に従っていることを考慮すれば、この言葉を宛てられた者は間違いなく「現在は美人とは言えない」状況にあるということにもなってしまう。そうしたわけで、往々にしてこの言葉を宛てられることは、当人にとって望ましくない。
  軽率にも「あの子、痩せたら美人だと思う」とフォローしてしまった者が、この不都合な推論を防ぐために「痩せたらものすごく美人」と言い換え、「現在はものすごく美人とまでは言えない」程度に表現を緩和したとしても、もう遅い――「ものすごく美人になるとすれば、彼女はなぜ痩せようとしないのか」という過酷で陰湿な問い(と、それに対する合理的な「答え」)が、聞き手の心の中に自然と浮かび上がるのを止める術を持ち得ないからだ。
 
  そういえば、筆者はかつて、「痩せたら美人」と自称する恐るべき女性から好意を持たれたことがある。言うまでもなく、彼女がすべきだった最善の行為は、そのような発言を巨体から繰り出すことではなく、一刻も早く、筆者に相当疑われている当該命題の真理性を証明することであった。
 
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