*とつげき東北 [#l6e138d8]


 凡俗な人間によってこの行為がなされる場合、往々にして何も生まないのが常なのに、極めて重要であると位置づけられがちな行為。

 筆者は国家公務員になる際、採用面接において、集団面接を受けた。面接官は「上司と意見が対立し、上司が間違っていると思った場合、どうしますか。あくまでも自分の意見を通しますか、それとも、折れますか。」という質問を、受験生たちに宛てた。他の受験生たちが(倍率が50倍程度の面接であるにもかかわらず)掲題の語とともに、「お互いが納得できる、正しい結論」を見つけていくための抽象的かつ理想的な意思交換の方法論について、熱くかつ曖昧に語るのを聞いて驚いた。
 彼らはいったい、これまで何を学んできたのだろうか? 何事にも積極的に取り組むあまり、大学の学問のみならず、社会の仕組みについての直感や洞察もし忘れていたのだろうか?

 筆者はさも真面目そうな、すなわち他の受験生の応対と同じような素振りで「私の場合でしたら、」と切り出しておきつつも、急に照れくさそうに顔をほころばせて「え〜〜……すみません、すぐ折れます、一瞬で折れます。」と言って面接官の笑いを取った。何十人といる周囲の受験生たちの、あまりの堅苦しさ、ギャグセンスの欠如、面接マニュアル通りの名言の上演ぶりに飽きているに違いなかった面接官たちは、一瞬、気が緩んだわけである。
 念のために、それに続けて、合理的理由(とその具体例)をいくつか提示しておいた。
・常に「正しい」ことを行うことが、組織にとって最善の結果を生むとは限らないこと
・一般的には、上司の判断の方が部下のそれよりも経験的・知識的側面から優れている可能性が高いこと
・最終的に「正しい答え」が不明あるいは予測不可能な問題は数多くあり、一つ一つを個人の納得レベルまでブレイクダウンしていると、意思決定が致命的に遅れることから、業務が遅延し、その結果自らの与えられた役割及び組織が与えられた使命をまっとうできない結果になる危険があること
等である。

→私の長所は何事にも積極的に取り組める
→納得できない
→認めない
→自分で考える

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