■とつげき東北


細かい部分の積み重ねによって結果が大きく変わる、という一つの理想がある。
このような凡言は検証されることがない。

一方でプログラミングの世界では、その従事者が合理的であるがゆえに、「コードのうち1割の部分が、処理時間の9割を占める」といった経験的な「法則」が認識されている。クリティカルな部分を効率化することは、瑣末な部分をどんなに効率化することよりも圧倒的に全体を効率化するということである。プログラムを日常的に組む人なら、これは大いに実感することであろう。
勉強においてもそうで、例えばセンター試験の英語で高得点を取るためには単語を覚えて読解力を身につけることが大切であり、SVOCなどという文法の知識を身に着けることは全く必要ではない(私はSVOCが未だによくわからない)。

特定の目的に対して、どの部分に力を注げばどの程度結果が変化するか、ということを把握するのは大切である。無意識のうちに「細かい部分」を積み重ねるのは愚行の典型である。
私の母親が、小銭を浮かせるためにトイレットペーパーやタオルの使い方などを厳しく咎めては家族の関係を頻繁に悪化させていたにもかかわらず、その対価を、高価な健康グッズやオカルト器具の購入に充てていたことを思い出すたびに、このことは私の心に強く実感されるのである。とりわけ、人間にとって機微な部位である臀部を拭くにはあまりにも安すぎる粗悪なトイレットペーパーを使い続けたために、母親が「切れ痔」を患い入院・手術してしまった際には愕然としたものである(要した費用は、およそ彼女が当該の粗悪なトイレットペーパーを使い続けた年月における、代金の差額をまかなって余りあるものであった)。

人生の各局面において、誤った戦略に基づく地道な作業の繰り返しは、ある程度戦略的だがいいかげんな行為にきわめてしばしば劣り、さらにそれらは偶発的に生ずる「良い結果」に圧倒的に劣る。なぜなら、方向を間違うと、地道に進めば進むほど目的地から離れるものだし、目的地への最短路が明確になっていない段階では、「運(結果)」に勝るものはないからである。
神の寵愛を受け損ねた者(または神によって切れ痔にさせられた者)は、彼らがほとんど気を紛らわすために続けざるを得ない「地道な作業の繰り返し」をひたむきに美化するだけでは飽き足らず、その種の野蛮な行為自体を目的とするための「制度」を作ろうと、偽者の「神」をも捏造しようとする。

彼らは呪詛の言葉を吐くだろう。
「ニートは、今は楽しくても後で必ず後悔する」
「若いうちに苦労するべきだ」
「私が、君がやっている方面で君と同じだけやれば、君よりもできただろう」
だが、それらは「民主主義的な」思い上がりであると同時に、永遠に達成されないか、達成されることを彼らが望んでいるに過ぎない仮定の設置(「神」への性欲)に他ならない。
人生はそれほど「平等に、合理的に」は進まないのである。
#htmlinsert(google.txt)
#comment


トップ   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS