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 ■ヒトシンカ
 
 *ヒトシンカ [#a6233c13]
  経験の重要性の強調において、オーソドックスなものは次の2種類である。ひとつは凡庸な年長者が、平凡な人生において行われる経験を盾に取り、未経験者に優越を示そうとするタイプである。例えば「自分で働いて金を稼いでみろ!」「子どもを持って初めて分かる」などである。これらは、表面上同じ様に見える経験が、経験者の知能によって全く異なって見えるのだということを無視している。また職業経験においては、知能の高い者と低い者では作業の質も難易度もまったく異なる職種に就く傾向が大きいという事実をも無視している。「いくら勉強ができても自分で金を稼ぐことの苦労には敵わない」と得意気に語る人々は、学業と生業との間に神聖な断絶があるように錯覚している。しかし、科学者や医師や弁護士になるべき人がもし八百屋になったとしたら、その仕事を自分がやってきた学業よりも困難だと思うだろうか?  
 もうひとつのタイプは、普通は経験されないような事象を、経験されていないのを良い事に「経験されればこうなるのだ」と都合の良い空想を述べるというものだ。「宇宙飛行を経験すれば神の存在を確信する」というような。しかしながら、最も極端なこの例においてさえも反証が存在する。世界最初の宇宙飛行士ガガーリンは無神論を理念とするソ連の飛行士であったが、有名な科白「地球は青かった」の前に「宇宙に神はいなかった」と発言して、キリスト教徒が主体のアメリカを挑発したのだ。
 
 →子どもを持って初めて分かる
 →[[人生経験]]
 
 ■とつげき東北
 
 *とつげき東北 [#m8fdeaf8]
  原理的に言えば、全ての事象は固有である。
  Aさんがサッカーをすることと、Bさんがサッカーをすることは別であり、その中で個々人が感じることや経験すること、サッカーへの適正、周囲の仲間の性格なども違うだろう。つまり、同じ「サッカーをする経験」などという一言にまとめられることでも、実際には千差万別の経験がなされているはずである。
 「サッカーをする」よりもさらに多様な「働くこと」などになると、もはや「経験してみること」などといった言葉が具体的に何を表すのか不明である。経験主義者は「実際に働いてみればわかる」などと言うが、ある人が働いたときにどう感じるか、仕事についてどう理解するかは、人や職業によって異なるのである。政治家の仕事、弁護士の仕事、八百屋の仕事、そのどれをも「実際に経験」していない経験主義者が、いくら「経験主義理論」に基づいて「実際に働いてみること」のイロハを語ろうとも、説得力はでまい。すなわち、経験主義とは、経験をその根本に置こうとするにもかかわらず、その根本原理を必然的に放棄せざるを得ない立場なのである。
 
  しばしば経験主義は科学主義に反抗するが、実証主義科学とは、人間の長い経験と知識を一般化するための「究極の経験主義」であることを忘れてはならない。
 
 
 ●経験主義批判について
 
 **経験主義批判について [#x7bd2420]
  しかしながら経験主義は、必ずしも経験主義であるという理由で退けられるべきではない側面も持つ。
  なるほど経験主義の多くは、経験以外に正当性をアピールすることができないような、くだらない主張の「論拠」として乱用されはしよう。
  だが、経験以外にも正当性を保証する論拠があるにもかかわらず、各種の理由でそれをその場で示すことが不適切あるいは必要ないと判断されている場合や、実際に経験が重要である場合にも、経験主義的な言葉は用いられうるだろう。
 
  前者の例としては、ある政治学者が政治について語っていて、中学生がそれに反抗している場面を考えればよい。学者がことこまかに証明したり論文を引用してみせなくとも、どうやら学者の方が正しいらしいとわれわれは思うだろうし、ほとんどの場合は実際にそうである。この場合に判断されているものは、政治的議論の内容ではなくて、あくまでもそれに携わっている人のいわば「経験」的なもの、権威的なものである。この種の判断の効率化が常に不当であるとはいえまい。
 
  後者は若干本質的な問題である。
  一般的な八百屋の仕事は、たしかに大して知的能力を要求される仕事ではない。
  かといって八百屋と何のかかわりもない人が、八百屋の仕事中に生ずる諸問題をあらかじめ全て想定し、正しい対処策を練っておくこともまた現実的ではない。実際に仕事をしていく上で、初めてある種の問題が生じることを知り、その場その場で判断する必要が生じてくる場合がある。
  八百屋にごきぶりが出ないように留意するくらいのことはあらかじめ想定できていても、あるときふと街に赤アリが大量発生することを想定し、八百屋としての適切な対処を考えておくことは難しい。実際に赤アリが発生したときようやくその問題への取り組み方を考えることができ、そうした「経験」のもと、次回以降に赤アリが発生した場合への対処法がわかるわけである。
  各種の経験の積み重ねの結果、事案にすばやく適切な対処をできる力がついてゆく側面はある。問題は、「長年の経験」とやらが、しばしばそうであるが故に検証不可能な思い込みに陥っていることがあることである。面接官あたりの「人を見る目」などになると、怪しい。経験から正しい判断ができるようになることと、経験のせいで正しい判断から遠ざかることがある、という事実を忘れてはならない。
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