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 *とつげき東北 [#g8d06a3d]
  その日に余っている食材を、もっともらしく客に高値で売りつけるためのメニュー。さらに進めて、ダイコンなど、より安い食材を調達しておいて、気まぐれサラダとすることも可能。サラダにとどまらず、パスタ等にも使われることがあるが、ラーメンに使われることは絶対にない。
 
  ラーメン屋において、「店主の気まぐれラーメン」を注文する気になるだろうか? 今日はとんこつが食べたいのに、魚介系の塩ラーメンが出てくるリスクを敢えて取りたい者がどこにいようか。サラダにしても、本来は同じはずである。シーザーサラダを食べたい時もあれば、醤油ベースのシーフードサラダが良い時もある。なぜ、「気まぐれサラダ(や、パスタ)」だけが堂々とメニューを構えていられるのだろうか。
  サラダには、味のバリエーション(またはボラティリティ)がラーメンほどは多く(大きく)ない、という理由がひとつ挙げられる。気まぐれパスタは頼むのに勇気がいるが、サラダであればそれほどでもない。まさか「濃厚とんこつ魚介サラダ、パイナップルとアンチョビ添え」が出るわけでもないわけだから、「気まぐれ」であっても許されるわけだ。
  次に、サラダは個人ではなく多人数で食べられることが多いことも理由となる。自分がシーザーサラダを食べたくても、他のサラダが好みの者もいよう。責任逃れついでとして、たかだか飲み会の席で頼むサラダなら、そんな面倒なことを気にせず「気まぐれサラダ」を頼むことにも少しの合理性はあるわけだ(大皿に乗ったパスタも同様)。
  その点、ラーメンは「自分専用」だから、「気まぐれ」にする意味がない。これが、ラーメンに「気まぐれ」がない明白な理由である。
 
  しかし、商売は商売である。
  よほど良心的な店でない限り、わざわざ原価ギリギリの素晴らしい食材や、手の込んだ味付けをするよりは、容易に提供できる材料で、出来合いのドレッシングを使った方が安上がりになる、という確たるインセンティブがある。とすれば、何か特別な事情がなければ、―を頼むよりは、自分の好きなサラダを頼む方が良いだろう。さもなければ、いつか「クソまずい食材をいい加減に味付けしたパスタ〜ミラノ風」を出されても文句が言えない。「それこそが私の今の気まぐれなんです」というシェフの言葉は、この上なく重いのだ。
 
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