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 ■とつげき東北
 
 
 「[[なぜ人を殺してはいけないか>〜してはいけないの?]]」といった論題の議論でほとんど確実に飛び出す珍説。
  もちろん、このような論題が掲げられている以上、人類の戦争の歴史や、各国の各種法律等、哲学、死刑制度、避妊や中絶、遺伝子操作の是非、などといった問題に関して何事かが述べられるということになるのだろうが、「人を殺してはいけない」という制度的な欺瞞を心底から信じている人は、それに反対されるばかりか疑問を呈されただけで掲題のような言葉を吐いてしまう。
 
  ここには彼らなりの「論理」のつながりがある。
 「もし人を殺しても良いのだとすれば」→「あなたを殺しても良いはずだ」→「だが、あなたは殺されるのは嫌なはずだ」→「ゆえに、仮定は矛盾する」といったものだ。
  だがこの論理には飛躍がある。「人を殺しても良い」がある場面で成立するからといって、自分が殺されるとは限らない。「ブスは殺しても良い」であれば、美人は殺されずにすむ。そもそも、死刑制度の存在は、ある特定の人を殺しても「良い」ことを暗示している。今すぐ殺されても別に良い、という人もいなくはなかろう。
 
  現在の制度の「実益」が、現在の制度の「理論的正しさ」を保障するわけではない。実利と正誤の問題との混同はしばしば見られるが、理論的に物事を考える上で、誤謬を生む最大の原因の一つである。
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