*とつげき東北 [#i4e94b1a]

1+1

――は2以上にもなる
 1人と1人が力を合わせれば、2より大きくなるから協力をすべきである、として教育的な指導を行い、あるいはそれにより自らが低劣な快楽を得るための手垢のついた感動的セリフ。
 藤子・F・不二雄氏が逝去して以降のアニメ『ドラえもん』は、当然のように現代的道徳性満載の凡俗な大衆向けの駄作アニメとなってしまったわけだが、同様に映画の中では、のび太によってこの旨の主張がなされ、下品な感動の安売りが行われた。もはや「ドラえもん」生みの親への冒涜に近いと言える。
 なお筆者は、たとえば麻雀研究に関するプログラミングを行う際、そこらにいる正体不明の人間と組もうとは思わない。筆者が考え付く以上のアイデアが浮かぶことは断じてあり得ないためだ。このような場合において、1+1は常に1以下となる。

――は2とは限らない
 常識だと思われていることも必ずしも絶対ではないのだという主張をしたがる割に知性を持たない(=別の風潮や道徳に囚われている)哀れな人間が吐きがちな不気味な文句。
 当然、1+1=0となるような体系の数学も存在するのは大学卒程度の強要があれば常識だし、そうでなくとも1リットルの水と1リットルの米を混ぜ合わせて2リットルにならないのは当然なのであって、この名言が通用する相手はその意味で基本的に無知な人間である。

なぜ――は2になるの?
 知的に残念な親にとってきわめて過酷な、子供たちから向けられる問いの1つ。「なぜ人を殺してはいけないの?」と同様の効果を与える。つまり悲しき親はうろたえ、まごつき、苦痛を感じる。自らの知的な訓練の不足にのみ起因するその種の精神状態は、やがて権力の低い者への怒りと変化する。すなわち、子供を怒鳴りつけたり、機嫌を損ねたりするのである。
 1足す1が2になるのはなぜか。事実が先にあるのではなく、常に解釈が先にあるのだということに自覚的になれば、この種の質問には幅広い観点から容易に回答を与えることが可能となる。
 もしあなたが明晰かつ残虐な子供なら、まごまごしている親に向かって「なぜ135×4は545になるの?(この計算は間違いである)」などと追撃してみせることにより、親から「それもいっしょ! そんなこと考えても意味ない!」などという吐き捨てのセリフを引き出して見下してやるのもよろしかろう。

投稿日時:2008-01-28 (月) 23:27:32
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