■とつげき東北


 議論の最中に、相手が用いた用語が、「辞書の定義」と一致するかどうかをしきりに確認したがる連中がいる。
 確かに、相手の用いた語の文脈上の意味が、自分や他の一般的な人々のそれと異なっていて、意味の「ずれ」によって議論が変化するような場合はそうすべきだろう。
 だが、既に互いに意味を共有しながら議論が進行しているにもかかわらず、窮地に立たされたがために苦し紛れに「意味の確認」をし始める場合はこの限りではない。

 ある法律によってある特殊法人に税金が投入されたとして、それが無駄かどうかの議論をしていたとしよう。この際、「政府が作った法律」と言おうと、「内閣が作った法律」と言おうと、「行政が作った法律」と言おうと、――それらのうちどれがどの程度辞書的に「誤った」表現であろうとなかろうと――税金の無駄遣いであるかどうかとは関係あるまい。

「意味の確認」が必要なら、互いの理解の上で行なえば良い。
 行政府は形式上(つまり「辞書的な意味では」)、立法を行うことはないが、文脈によっては(または実質上)「行政が作った法律」という表現も、必ずしも間違いではない。
 その部分の共通理解が得られれば事足りるのであって、その用い方が「辞書」とやらの「定義」と違うかどうかは、瑣末な事柄である。

 ちなみに、「赤」を辞書で調べると、
「 (1)色の名。
  (ア)三原色の一。血のような色。
  (イ)桃色・橙(だいだい)色・あずき色・茶色など、赤系統の色の総称。 」
とあり、苦労の跡が見られる(三省堂「大辞林 第二版」より一部引用)。
 辞書の定義に厳密に従うことが求められるのだとすれば、「赤信号を無視することは悪いことか」さえも議論できまい。
 信号機の「赤」の色は、往々にして私たちが日常で目にする「血のような色」とは異なるし、「赤」を「赤系統の色」と定義するのはトートロジーである。辞書も[[万能]]ではない。
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