■とつげき東北


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- ''[[モルボル]]'' &new{2007-04-20 (金) 13:34:08};
項目もコメントも知的で感心しながら楽しみつつも、なんとなく釈然としない理由がわかった。大衆との対比による知的保身のサロン的な笑いもいいだろう。だが、レアな知的存在の分際で安全圏での遊びがすぎる。もっと炎上必至のトピックを大上段からぶった斬ってくれ。ここはそんな場所じゃないって?「愚行」もありでしょ?俺はもっと多くのファナティックを呼び寄せるウィキを期待する。
 
- ''[[M]]'' &new{2007-04-20 (金) 21:59:33};
その為にも、もっと人欲しいなぁ。宣伝しなさいw
 
- ''[[散切り頭]]'' &new{2007-04-20 (金) 23:41:22};
愚考・愚行は大衆(俺)にお任せ下さい。
 
- ''[[カエソ]]'' &new{2007-04-20 (金) 23:44:30};
私を忘れて貰っては困る。
 
- ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-04-21 (土) 00:24:14};
このウィキをインプットとして、読みやすいテーマにした形で、可能ならいずれ本にでもしたいのです(例えば「親をだます子、子をだます親」などといったタイトル、面白そうでしょ)。
その際の主な想定対象は、本ウィキの常連よりも思想水準が低い人たちになります。
~コメント欄を含めた形でウィキですけれど、私自身は、コメント欄はあくまでも項目をブラッシュアップしたり、新しい名言を生み出すためのネタの提供場所と考えています。だからサロンではなくて私にとっては独演場です。
 
- ''[[M]]'' &new{2007-04-21 (土) 20:51:15};
おお!?本にする気なのか!?メッチャ楽しみにしていますwでも出来れば毒舌は消して欲しくないw
凸には一般人を批判し、尚且つ一般人に支持されるだけの力があると思うからw
 
- ''[[ぷりっぷりおしり]]'' &new{2007-04-22 (日) 14:19:47};
>モルボル
つまり、あ?が恋しいと。
 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-05 (金) 04:21:12};
はじめまして、
友人のお気に入りとの事で、このwikiに辿り着いたのですが、
一方的で攻撃的な数々の記事に不快になると同時に、
記者の方々の知性に疑問を持ったので、批判的なコメントさせて頂きます。
(実は一部の記者の方とは某ネットゲームでご一緒したことがあります)
(考える麻雀を購入、データを貴重で有用なものであると評価すると同時に、
データを誇大解釈する凸さんの文章に疑問を感じてもおりました)
~wikiのトップにある「このウィキでは、名言を暴き(略)、理性的立場からの反論を記述し、(略)・・・」
にはある程度共感しましたが、現在のこのウィキが
理性的立場からの議論を行っているとは思えません。
例えば、現在一番上にある記事「本当にできる人は自慢しない 」の書き始めはこうなっております。
「 この種の妄言は、単に発話という儀式にともない、その場限りで相手の劣位を強調するために用いられるだけにとどまらず、こんにちではむしろ積極的に人の心を支配する単調な神話となっている。」
これが、理性的立場からの反論だと言えるのでしょうか?
「妄言」「神話」と、暗に「名言」が無意味であると主張していますが、
文を通してその根拠は何も語られていません。
(後の文にある凸さんの主張及び指摘は、あながち的外れとも思えませんが)
結論と同様(妄言≒神話)の主張を前提として用いているのは、非理性的であると思います。
~蛇足ですが、「本当に出切る人は自慢できない」は、
(優位にある人が劣位にある人に)「劣位を強調する」ために用いられるわけではないと思います。
本来劣位にある人が、優位に立とうとして、相手の非道徳性を指摘する際に用いられる名言だと思います。
 
- ''[[ぷりっぷりのおしり]]'' &new{2007-10-05 (金) 13:07:07};
非理性的立場(において観察される事象)
~(貶めるために)本当にできる人は自慢しないと発言する。・・・
「本当にできる人は自慢しない(従って自慢しないようにしよう等)」と信じ込んでいる。・・・
~理性的立場(による上記に対する反論・分析)
~>(貶めるために)本当にできる人は自慢しないと発言する
前提→フォンノイマンの例のように、本当にできる人はしばしば傲慢である。
結論→したがって、本当にできる人は自慢しないという命題は容易に崩れる・・・
~>「本当にできる人は自慢しない(従って自慢しないようにしよう等)」と思っている。
前提→なのにも関わらず非理性的立場において△成立する例や、流説によって日本軍が解放軍とされた例や、勉強に纏わる流説によって勉強をしない方が健康的というイメージが構築された例が存在する。
結論→名言が、悲劇的な関係性を保持するための積極的な力学として、神話的に機能してしまうという構造が存在する。・・・
~
上記の事柄を踏まえた上で。
~>「この種の妄言は、単に発話という儀式にともない、その場限りで相手の劣位を強調するために用いられるだけにとどまらず、こんにちではむしろ積極的に人の心を支配する単調な神話となっている。」
~この発言は,鉢△魍稜Г靴弔帖結論とい鯑睚颪靴身言。
,鉢△亡悗垢詒言は、非理性的立場において観察される事象をただ述べただけであるため、反論の余地がない。
とい呂修譴召譴砲いて、充分な根拠となる前提が存在するため、反論ができない。
において、低い知見からすると「本当にできる人」の定義ずらしによる反論がありそうだが、それも※挿話においてつぶされている。
い砲いては、い陵彖任存在するために、い存在するということは反論されない。
~※い「存在する」にしたのはちょっとずるいかもしれないがまぁよいでしょう。
~>これが、理性的立場からの反論だと言えるのでしょうか?
論理的な記述という意味において、理性的。
はともかく、い了愿Δ六多靴任△蝓◆崔療」。
総じて、理性的。
~>文を通してその根拠は何も語られていません。
~もっとがんばろう。
~
>蛇足ですが、「本当に出切る人は自慢できない」は、
>(優位にある人が劣位にある人に)「劣位を強調する」ために用いられるわけではないと思います。
>本来劣位にある人が、優位に立とうとして、相手の非道徳性を指摘する際に用いられる名言だと思います。
~おしりさんのたいへん慈悲深い心により、執行猶予を与える。
ここの鬼畜共にいじめられる前に自分で気付くこと。
 
- ''[[散切り頭]]'' &new{2007-10-05 (金) 16:16:15};
>fractal
>現在のこのウィキが理性的立場からの議論を行っているとは思えません。
「攻撃的(批判的)であること」と「感情的(非理性的)であること」は違いますよ。
凸さん(を含む著者)は理屈によって大衆を批判しているのだから極めて理性的ですね。
~>蛇足ですが、「本当に出切る人は自慢できない」は、
>(優位にある人が劣位にある人に)「劣位を強調する」ために用いられるわけではないと思います。
>本来劣位にある人が、優位に立とうとして、相手の非道徳性を指摘する際に用いられる名言だと思います。
もう一度よく読んでみては?これからは誤読に注意して下さいね。
 
- ''[[Revin]]'' &new{2007-10-05 (金) 20:11:03};
※なお、本ウィキは、項目で取り上げる言葉・行為の全ての意味や使用法を列挙することを目的とする「辞書」ではない。あくまでもその言葉・行為が「名言的に用いられる」側面や状況を取り上げて光をあて、解説を加えるものである。この種の取捨選択は、前掲した目的を達するために不可欠であり、意図的になされるものである。したがって「この言葉にはこういう別の意味もある」「その見方は一面的である」といった類の反論は不要である。
(FrontPageより)
~これも参考にされてください。
 
- ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-10-05 (金) 22:06:09};
ここは理性的な対話(批判及び反論等)をする場所ですので、私から申し上げることは特に何もありません。
~「カメラのシャッターを押すにもこの程度の(日大芸術学部程度の)知性は必要」(栗本慎一郎元衆議院議員)なる至言がありますが、知性について何か語るには、それなりの知性がいるという事実について、想起していただくよう願うのみです。
~※ところで、『考える麻雀』というのは書籍か何かでしょうか?

 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-08 (月) 15:39:05};
早いレスありがとうございます。
能力・環境の違う人間と話すのには、苦労が必要だと思いますが、
これも良い経験に成りうると思うので、続けていきます。
~>おしりさん・散切り頭さん
~>>文を通してその根拠は何も語られていません。
>もっとがんばろう。
とありますが、私は第一文の事を文と表現したつもりでした。
おしりさんのやられたように´↓→い箸笋譴弌
(少なくとも議論の土台となる程度は)理性的だと評価します。
逆に言えば、「い任△襦なぜならば´↓だからである。」
は理性的ではないです。せめて、
「い伴臘イ垢襦なぜならば´↓だからである。」
としてくだされば、文章としておかしくはないです。
(この流れでも十分に理性的とは評価できませんが)
~折角書いてくださったので、命題に関しての議論もしてみます。
´△魯ッコが余計ですが、観察される事柄なので真でしょう。
も「容易に」と副詞が、何処からか出てきていますが、真でしょう。
(表現の揺れを抑えるために、記号論理学を見直して頂くと良いかも知れません。
私には気紛れで修飾句が追加される文章が、
十分に理性的とも論理的だとも思えません。)
い亙拔不足の為か、理解できません。
「悲劇的な関係(性)」「積極的な力学」とは何なのでしょうか。
何処が悲劇的であるのか。力学に積極性などがあるのか。
等を具体的に指摘していただきたいです。
~仮に私が受け入れられる表現として、
「名言は正しさが検証されていないにも関わらず、発声者の都合により、
反論を許されないものとして、しばしば用いられている」
等の命題であったとしても、そもそもの「本当に出切る人は自慢しない」
を一般化しすぎていて、ほとんど意味が無いものになっていると感じます。
(ちょっとずるいと自身で仰っていられたので、気づいていらっしゃるとは思いますが)
~>誤読である
頭が固いのか、読み直してみても、どう誤読しているのか分かりません。
優位・劣位等の表現を、使ったことが無いために、
おかしな表現になっているかもしれませんので、
具体的に指摘して下さると助かります。
~>とつげき東北さん
理性的な対話は苦手なようですね。
~「考える麻雀」は「科学する麻雀」の誤りです。失礼いたしました。
 
- ''[[robert]]'' &new{2007-10-08 (月) 16:32:12};
>fractal
本当にできる人は自慢しないの項目は、fractalさんの書き方でいくと「あ´↓」で書かれているね。
結論を先に持ってきて、
・読者に「おや」と思わせた後に理由を書く
・文章の主題を明確にする
という効果を狙ったかなりオーソドックスなやり方でしょう。
~>「い任△襦なぜならば´↓だからである。」
>は理性的ではないです。
~ここのところ、何故そう思われるのか説明をお願いしたい。
~>りせい−てき 0 【理性的】 
>(形動)
>感情に走ることなく、理性に基づいて判断し行動するさま。
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
~倒置を使ったからと言ってそれが理性的でない、と主張する意味が分からん。
(そもそも、「い任△襦なぜならば´↓だからである。」と「い伴臘イ垢襦なぜならば´↓だからである。」の違いが分からないのだが・・・)
記号論理学なんて持ち出してる辺り、fractalさんは理由が先に書かれていないと即座に「筆者は理性的でない」と判断してしまう理性的でない人なのかな?
~本当にできる人は自慢しないの項目を、『優位にある人が劣位にある人に「劣位を強調する」ために用いている』と凸さんが主張している、と読んでるのならそれは誤読だと思うよ。
ノイマンが「本当にできる人は自慢しない」と語る、と凸さんが主張しているかね?
 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-08 (月) 18:31:17};
>robertさん
~1.理性的に関して
~重要な指摘ありがとうございます。
理性的について、私が誤解していました。(大辞林と異なっていました)
一般的には、理性的≒論理的・知的 といった意味合いではなく、
理性的≒非感情的なのですね。
でしたら、皆様が理性的であるかどうかは、内面に依存することですので、
判断できず、議論すべき事でないかもしれませんね。
(
・余り賢くない、いわゆる馬鹿な人も、冷静だったら理性的と言える。
・頭に血が上っているように見える人も、本人自身が落ち着いていると
主張するならば、冷静であると言わざるを得ない。
・個人的には「妄言」「神話」などの言葉を、理性的に使ってるとしたら、関わりを持とうとしたのを後悔するほど、馬鹿だと思いますが)
~申し訳ないのですが、私の主張していた理性的は、
「理性」を持った様子もしくは論理的と読み替えて下さい。
以降は、論理的と表記いたします。
参考までに、理性は以下のニュアンスで用いております。
(皆様も、理性を持った様子と理性的が混同しているように感じます)
>り‐せい 【理性】 
>
>1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
>2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「―を失ってつっ走る」
 
2.倒置等に関して
>>「い任△襦なぜならば´↓だからである。」
>>は理性的ではないです。
~>ここのところ、何故そう思われるのか説明をお願いしたい。
~まず、理性的かどうかは、議論できないので、この命題は棄却させてください。
その上で、「い蓮繊廚枠麩斥的である、
即ち「筋道を立てて考えてはいない・筋道に従って説明していない」と主張いたします。
~まず、誤解について。
>倒置を使ったからと言って〜
一般的な意味での、「倒置」ではないです。
倒置は文(文章ではないです)の中の語句の順を入れ替えて、強調する手法です。
今回の場合は、頭括的論述か尾括的論述といた言葉使いが正しいようですね。
(参考wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%92%E7%BD%AE)
~そして、おそらく、理解して頂けないのは
>そもそも〜の違いが分からない
事に起因していると思うので、この違いを説明致します。
前者は、い鮖実として表現(断定)しています。
後者は、い魏樟發箸靴読集宗兵臘ァ砲靴討い泙后
命題い真であると断定するのならば、その前に論拠が必要ですが、
命題い魏樟發箸靴督鶲討垢襪里覆蕕弌∀正鬚聾緝佞韻嚢修い泙擦鵝
~3.「誤読」に関して
ノイマンが語ると凸さんは主張していませんし、そう考えていないでしょう。
そして、凸さんは、「優位にある人が〜用いている」は考えてはいないでしょう。
しかしながら、「(発話者が)相手の劣位を強調するために用いられる」とあります。
劣位を強調するためには、既に優位に立っている必要があります。
とすると、
>『優位にある人が劣位にある人に「劣位を強調する」ために用いている』と凸さんが主張している、と読んでる
のは論理的であると考えます。

 
- ''[[散切り頭]]'' &new{2007-10-08 (月) 19:53:07};
>fractal
■2.倒置等に関して
倒置法という表現が適切かどうかはともかく、robertさんはどちらもA→Bの構造は同じなのに、
「AだからBである」は理性的であり、「Bである。何故ならAだからだ」を非理性的と判断するのは何故か、と聞かれているんでしょう。
~■3.「誤読」に関して
>劣位を強調するためには、既に優位に立っている必要があります。
「本来劣位にある人が、(相手の劣位を強調することによって)まるで自分が相手より優位に立っているように見せる為に使用される」から、
本当にできる人は自慢しないは名言であり、あなたはこのことを理解していないので「誤読している」と指摘されてるんですよ。
 
- ''[[散切り頭]]'' &new{2007-10-08 (月) 19:55:57};
理性的、ではなく論理的でしたね。訂正します。
>「AだからBである」は論理的であり、「Bである。何故ならAだからだ」を非論理的と判断するのは何故か、と聞かれているんでしょう。 

 
- ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-10-08 (月) 21:17:45};
■倒置法に関して
~たまたま手元にあるいくつかの本の、とある文章の書き出しを見てみましょう。
~・「売春自体は少しもいけなくありません。」宮台真司『これが答えだ!』P26(朝日文庫)
・「この唯物論の認識論的動機はいわゆる心身関係にかかわる問題である。」山崎正一、市川浩編『現代哲学事典』(講談社現代新書)P615
・「水面の波や音は障害物があってもその裏側へまわり込む。」寺沢徳雄『振動と波動』(岩波書店)P165
・「美術作品というものは、ただみて自分なりにいいなとか、よくないとか感じればいいのだ、(中略)よくいわれます。でも、それはあくまでも俗説にすぎません。」本江邦夫『中・高校生のための現代美術入門』(平凡社)P23
~これらの記述の後に、当該記述についての理由や解説、説明等が初めて登場します。
当該記述までだけを読んでも(前提となる知識がない限り)、なぜなのかはわかりません。
~さて、この書きぶりは、
>「い任△襦なぜならば´↓だからである。」
の形式です。したがってfractal氏によれば、これらの文章は、論理的でないことになりますが、その理由は何でしょうか。
~私には、その「論理的か否か」の判断方法自体が誤りであるように思われます。
なぜならば、それだけをもって「論理的ではない」と判断すると、論理的だと思われる種々の書物(特に思想書においては、おそらくほとんどすべて)や、数学における定理証明の数々が「論理的ではない」と判断されてしまうからです。
数学の参考書の定理証明を読んでみてください。
~
■「誤読」に関して
~もう1点、こちらが重要ですが、fractal氏は私の記述を理解していないと考えられます。
たとえば、
>「妄言」「神話」と、暗に「名言」が無意味であると主張していますが、
と書かれていますが、違います。
「本当にできる人は自慢しない」の項目においては、「名言」が「無意味」であるだけならばともかく、ある種の悪い方向に働くための「意味」を持ち始めることの問題点が指摘されています。
~> ここにある真の問題は、安直な神話の創造による現実感の喪失でもなければ、
>功利的観点から見たそれらの無益さでもない。
(要約:無意味なのが真の問題ではない)
~> 名言=伝承として語り継がれる何かが、事態を隠蔽するのではなくて、悲劇的
>な関係性を保持するための積極的な力学として機能してしまうという構造が見
>抜かれなければならない。
(要約:無意味どころか、悪い方向に向けた意味を持ち始めることが真の問題だ)
~> すなわち、「勉強ばかりできてもダメ」といった名言が、勉強ができる人への
>あてつけを超えて「勉強よりも大切なものをするべき」に変化し、ついには「勉
>強などしないくらいのほうが健康的だ」といった(ごく一般的な)イメージと化
>すとき、「勉強をしないための力学」が構築され、その不自然があたかも自然で
>あるかのように生きられようになるのである。
(要約:名言が、無意味さを超えて悪い方向に向けた意味を持ち始める事例を提示)
~繰り返し説明しているのに、当該項目の記述を「名言は無意味である」という程度の主張に受け取ってしまったなら、
>ほとんど意味が無いものになっていると感じ
るのもしょうがないのかもしれません。
そして、以上を理解していなければ、
>「悲劇的な関係(性)」「積極的な力学」とは何なのでしょうか。
という質問が飛び出すのもわからなくはありません。
~今書いたとおり、名言が無意味なだけではなくて、愚行(または名言)の連鎖を起こさせるような意味を持ち始める状態を「(名言が)悲劇的な関係性を保持するための積極的な力学として機能してしまう」と表現しています(ちなみにこれは名言の「麻薬的側面」そのものです)。
~もちろん、思想系統の文章がたいていそうであるように、また本サイトを「読み物」とするために、内容に影響を与えない形容を入れてはいますが(理系の人は、しばしばこれを「冗長」と感じます)、それ以前の問題として、そもそも全体の理解を外している(誤読している)と思われたため、それに基づく批判を無視したわけです。
 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-08 (月) 21:20:41};
>散切り頭さん
2.倒置等に関して
Bであると述べる為には、Bである理由が
前になければ論理的ではないでしょう。
論理的とは、筋道に従った方法(考え方・説明)の事です。
~3.「誤読」に関して
理解していると認識しています。
どの辺りで、理解していないとお思いになられましたか?
 
- ''[[ぷりっぷりのおしり]]'' &new{2007-10-08 (月) 21:45:12};
>fractal
~あなたは間違っている。
~理由は以下の事柄による。
~前提→なのにも関わらず非理性的立場において△成立する例や、流説によって日本軍が解放軍とされた例や、勉強に纏わる流説によって勉強をしない方が健康的というイメージが構築された例が存在する。
結論→名言が、悲劇的な関係性を保持するための積極的な力学として、神話的に機能してしまうという構造が存在する。・・・
~前提→13、17、23は素数である。
結論→10より大きい素数は存在する。・・・ぁ
~
い鉢ぁは同じ構造。
~素数というのはわかりやすいからわかるよね。
上の方においては、悲劇的な関係性と積極的な力学と神話がわかりにくいだろうけど、それぞれ対応箇所を拾ってけば読める。
こんがらがるときは紙に書くといい。
~>仮に私が受け入れられる表現として、
「名言は正しさが検証されていないにも関わらず、発声者の都合により、
反論を許されないものとして、しばしば用いられている」
等の命題であったとしても、そもそもの「本当に出切る人は自慢しない」を一般化しすぎていて、ほとんど意味が無いものになっていると感じます。
~
>発声者の都合により
い力静世弔い童世┐弌△海海ずれてる。あとは自分で考えよう。
 
- ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-10-08 (月) 22:00:23};
先にこっちだけは片付けておきます。
~■2.倒置等に関して
>Bであると述べる為には、Bである理由が前になければ論理的ではないでしょう。
~http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~ohwaki/students/sotsuron2002/lemmas/lemma1.html
では、この補題に関する記述は論理的ではないですか。
それはなぜですか。
~狭義には、「論理的」とは、推論(ある命題の真偽判定)を行うにあたり、論理学において指定される一定の推論手続き(記号変換)に沿っている(=「正しい論理を用いている」)様子を表します。
「記号論理学」という言葉を出したのですから、「筋道」などという、曖昧な定義はやめましょう。
「論理的か否か(正確には、論理学的に正しいか否か)」は、命題の証明方法が論理学的に適切か否かによって判断されるものであり、命題がどこに書かれているかによって判断されるべきものではありません。
~命題とその証明(論理)とを紙の上半分と下半分とに書いて、紙をハサミで半分に切り分け、順番を並べ替えるとします。このとき、この動作によって記述内容が論理学的に正しいか否かが変化することはあり得ません。みかけ上、「論理的っぽく見えるかどうか」は個人の心象によるものであり、論理学とは無関係です。
証明の紙をなくして、命題だけを提示する人がいたなら、「あんた、論理的でないよ」と評価されても致し方ないと思いますけれど。
~※完全に余談ですが、前提及び結論が間違っていたとしても、推論形式が正しければ、当該推論については、狭義には論理的な演繹です。「(前提)1+1=2である。(命題)1+1=3ならば、1+1=4である」とすれば、この命題「1+1=3ならば、1+1=4である」は真であり、論理的に示すことができます。

 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-08 (月) 22:13:08};
>とつげき東北さん
・倒置等に関して
倒置ではないと主張していますので、参考にしてください。
例示された4つの文は全て論理的ではありませんし、論理性は求められていないものでしょう。
また、論理的な思想書などは聞いたこともありませんし、
私の手元にある数学の教科書にはそのような記述はありませんでした。
とはいえ、「Bである。なぜならばAだからである。」
と記述されている数学の教科書があってもおかしくはないと思います。
しかし、そのようなものでも、おそらく
「Bである。( 
なぜならばAだからBであるからだ。(◆法
となっていると思います。
その教科書において、,良分は、論理的ではないです。
△良分があるので、その教科書は論理的なものとなっているのです。
~(手元にある数学の教科書
http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%B8%E5%BE%AE%E5%88%86%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F−1981%E5%B9%B4−%E7%94%B0%E8%BE%BA−%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/B000J8136I)
~・「誤読」に関して
説明ありがとうございます。
理系で超能力の無い私にも、要約は分かりやすかったです。
その主張自身に反論はありませんし、何となく理解していました。
明記なされていない(表現が高尚過ぎて議論の土台とできない)ので、私の文章の中では用いたくなかったのです。
~そして、「誤読」の元となった私自身の主張に変更点はありません。
即ち、とつげき東北さんの文
>(この種の妄言は発話者が)相手の劣位を強調するために用いられるに留まらず・・・
は、誤りでしょう。優位にある人間が用いる名言ではないと考えます。
~本来劣位にある人が、優位に立とうとして、相手の非道徳性を指摘する際に用いられる名言だと思います。
」
~・「悲劇的な関係性」「積極的な力学」に関して
~>今書いたとおり、名言が無意味なだけではなくて、愚行(または名言)の連鎖を起こさせるような意味を持ち始める状態を「(名言が)悲劇的な関係性を保持するための積極的な力学として機能してしまう」と表現しています(ちなみにこれは名言の「麻薬的側面」そのものです)。
~要約は主張としては理解できるのですが、
この文章は、やはり、分かりません。論理が繋がっていないように感じます。以下、引っかかった点を列挙いたします。
・「連鎖」は何処から出てきたのでしょうか?
・「(保持される)悲劇的な関係性」とは何と何のどのような関係性なのでしょうか?
・力学に積極性などあるのでしょうか?
・力学は機能するものなのでしょうか?
・麻薬的側面とはどのようなことなのでしょうか?
主張を理解しているのだったら、空気読め!
との事でしたら、ここで引き下がりますが。
~また、これらの語句が内容に影響を与えない形容であると
考えてらっしゃるのでしたら、やはり引き下がります。
 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-08 (月) 22:31:10};
>おしりさん
何処が間違っているのか、(再度?)指摘して頂けますか?
~>とつげき東北さん
・補題の論理性に関して
先に述べたあってもおかしくない教科書の例と同様だと考えます。
~・命題と証明の順序に関して
事実の断定(完全に正しい)と仮説の提案(正しさが示されていない)
を混同されているように感じます。
命題を証明の前におく場合は、仮説の提案。
命題を証明の後におく場合は、事実の断定(確認)。
であって、性質が異なっているものと考えております。
(「事実」というのは数学や一部の自然科学のように、
正しいとみなせる前提から論理的に示されたものなので、
ここで使うのは不適当かもしれませんが)
~・完全な余談に関して
論理性が前提及び結論の正しさとは無関係なのは理解しております。
例は全く理解できませんでした。
 
- ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-10-08 (月) 23:16:33};
■2.倒置等に関して
~では、「命題」及び当該命題に係る「論理的に正しい証明」があったとして、ハサミで上下切り分けましょう。
fractal氏は「証明」「命題」という順に並べられたとき、その全体を「論理的だ」と感じ、「命題」「証明」の順に並べられたときには「論理的ではない」と感じるわけですね。「仮説」「証明」と明確に書いてあれば「論理的である」と。
気持ちは理解しました。
しかしそれは「論理学的な真偽」とは関係ない話です。
並べ順により、文章を「論理的だ」と感じるか否か――これは気持ちの問題である以上、非常に多種多様の前提を置かない限り、論理的な真偽判定の対象にはなり得ません。
データベースに「証明」「命題」が格納されていて、どちらから先にも参照できる状態になっていたら、論理的か否か、どちらですか?(そうそう、このウィキではいろいろな記述の「根拠」が、別の場所に転がっていたりします。決してそこに「順番」は存在しません。もし「論理的でない」なら、きっと見る順序が悪かっただけでしょう 笑)
fractal氏の当初主張(「(凸の記述は)論理的ではない」)には、少なくとも現状で証明を与えることができません。
もちろん、今から説明をしても無駄です。
なぜならば、論理的足りうるためには、fractal氏によると、先に説明しておくか、仮説であると言っておかなければならないはずだからです(「思います」「ですか?」のように表現を曖昧にしておきさえすれば「仮説」だからok、と言いたいならもう話すのはやめましょう。興味がありません)。
~
■誤読に関して
>本来劣位にある人が、優位に立とうとして、相手の非道徳性を指摘する際に用いられる名言だと思います。
~その通りです。
誤読の原因は以下にあります。
~>劣位を強調するためには、既に優位に立っている必要があります。
~これが誤りです。
【強調】(名)スル
(1)ある部分を特に調子を強めていうこと。また、意見・内容を強く主張すること。
(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B6%AF%C4%B4&kind=jn&mode=0&base=1&row=0)
劣位を【強調】するためには、「既に優位に立っている必要」は特にありません。
~
■「悲劇的な関係性」「積極的な力学」に関して
>・「連鎖」は何処から出てきたのでしょうか?
本サイトのいろいろな場面でそれについて述べていますが、簡単に説明しますと、「勉強しない方が健康的だ」と思い込むことは、当人に「勉強せずに済む」という快楽と、「勉強しているヤツより優位に立てる」という多重の快楽を与えます。
これは、単に「勉強面倒だなぁ」「遊びたいなぁ」という理由で勉強しない(勉強から逃げる快楽や遊ぶ快楽が与えられる)場合と、根本的に大きく異なります。
後者は「面倒だけど、そろそろ勉強しないとやばい!」「楽しいけど、我慢しないと」という契機があり得る、つまり「連鎖」にならないのに対して、「勉強しない方が健康的」的な信念に基づくと、当該信念が保持され(保持されるための快楽=「勉強しないで済む」が提供される)、保持されることによって信念が強化され(信念が強化されるための快楽=「勉強する人より優位に立てる」が提供される)……という、いわば負の「連鎖」が生じます。
あることを信じることが、それを信じること自体の価値をも内包しているということ、それが麻薬的側面であり、名言の連鎖です。
こういった事柄は、特定の項目で毎回事前説明される類のものではありません。
~>・「(保持される)悲劇的な関係性」とは何と何のどのような関係性なのでしょうか?
勉強の話で言えば、名言を信じる者と、「勉強すること」との間における、「勉強しないで済む」関係性です。
~>・力学に積極性などあるのでしょうか?
>・力学は機能するものなのでしょうか?
「力学」という語には、「状況が変化し始めると、新しいつり合いを求めて組織・集団・個人などにはたらく力」といった意味があります。
「積極的な力学」というのはもちろん形容にしか過ぎませんが、「積極的に働く力」という意味で解釈すればそれほど不自然ではないのではないですか。
例えば物理学で言う力学にしても、「動いている」ボールが「静止」しているボールにぶつかるとき、作用・反作用が各々に生じます。このとき、「ぶつかっていった側」のボールの力がより「積極的に働いた力」という風にイメージすることは、それほど不当ではないと思います。
~>・麻薬的側面とはどのようなことなのでしょうか?
本サイトをごらんください。
~本サイトが、個人に嫌われることはしょうがないですが、もう少し広い視点で判断してほしいですね。辞書の意味さえも調べずに「自分定義」で批判したり、「自分にとっての論理的と違うかどうか」を語ったりすることは、あまり有益とは思えません。市販されている書籍なども読んでみてください。いちいち「私の認める意味での『論理的』ではない」などとイチャモンをつけているなら、趣味が悪いだけです。

 
- ''[[fractal]]'' &new{2007-10-09 (火) 00:15:09};
>とつげき東北さん
・倒置等に関して
>しかし、それは「論理学的な真偽」とは関係ない話です。
論理学的な真偽はともかく、依然として、証明の論理性には関係あると考えます。
~>「仮説」だからok、と言いたいならもう話すのはやめましょう。
残念ながら、そのように考えております。
事実と仮説は区別されるべきでしょう。
~・誤読に関して
なるほど、「強調」の解釈が誤り(不正確)であったわけですね。
私が間違っておりました。
~・各言葉の説明
>連鎖
納得いたしました。
他のページを読まないと、理解しづらい(できない)作りになっているのは残念です。
~>悲劇的な関係性
>名言を信じる者と、「勉強すること」との間における、「勉強しないで済む」関係性
 この関係性が悲劇的なのでしょうか?
~>力学
力学を「・・・する力」と解釈すると、後者の疑問「力学は機能するものか」
は納得致しました。
前者も、そのようなイメージを持ってらっしゃるのなら、
共感できませんが、納得致します。
~全体を通して、文学的で分かりづらい文章ですが、
各言葉について掘り下げて説明できる点は尊敬いたします。
 
- ''[[とつげき東北]]'' &new{2007-10-09 (火) 01:00:41};
順序の問題は面白いですね。
~まず最初の整理です。
「,任△襦△覆爾覆薛△世らである。」
という書き方は、まっとうな学問書でも頻繁に登場するものであり、また数学の論文等でも散見されるものです。これは事実であり、それをもって「論理的ではない」と査読で落ちるようなことは(数学の世界でも)ありません。
ましてや本ウィキは数学ではありませんから、そのような書きぶりを批判されても「はぁ……」としかいえません。それをもって「論理的ではない」という判断をされることは、一般的には「ない」ことです。
~学問書等において、定理等の「証明」に際して、全て網羅的に「順序よく」並んでいることはまずありません。例えば別の論文の結果を引用したり、足し算や引き算の定義を書いていなかったり、使用している公理を網羅していなかったりすることはよくあることです。
「足し算の定義」や「当該書籍に用いられている日本語の各語の定義」を列挙することから論文が始まることが、それほど重要とは思いません。
それはfractal氏の求める論理性から外れるかもしれませんが、そういうものです。
~そこの話はつまらないので控えましょう。
~より面白いと感じるのは、「順序」という概念がない場合にどうなるか、ということです。
先に述べましたとおり、情報が、データベース上に転がっているような場合はどうでしょう。確かにデータベース上に、「証明」と「定理」が存在します。
ただしそこに「順序」が定義できないものとします(たとえばどちらの情報が先に書き込まれたかに着目するというならば、その情報をランダムにコピーしまくる装置を想定してください。結果的に同じ情報を持つデータベースがいくつもできますが、入った情報の順序はさまざまです)。
~それで、定理と証明の情報のうち、どちらが先に閲覧されるかは、閲覧者の好みなどで変化します。
そうすると、全体の「真理性」はどのように担保できるのでしょうか。
ある人(証明→定理の順に見た人)は当該データベースを、「論理的に厳密に正しい」と判断し、別の人(逆順で見た人)はそうでないと判断するでしょう。
まったく同じ情報を持つデータベースなのにです。
~あるいは、「定理」と「証明」をハガキに書いて、郵便で配達する場面を考えてもよろしいでしょう。
どちらのハガキが先につくのかによって、定理の真理性が変わるのでしょうか。それは直感的に何かおかしくないでしょうか。
同じ情報が、同時に真であり偽でもあると判断されることは、ある種の矛盾であり、ご存知のとおり矛盾からはどんな結論でも導けてしまいますから、とても困ったことになるのではないでしょうか。
そこにこだわるのは面白いですが、これについてどのように考えられるでしょうか。
また、とりあえず「これは仮説です。先に証明を読んでください」と書いておけば、安全性を保てますが、それは単純に、きわめて冗長ではないでしょうか。そうしたことを考慮した場合、ある種のサイトに、「順序よく」証明が盛り込まれていて結論が書かれている、または全ての項目に「仮説です」と断りがしてある様子は滑稽ではないでしょうか。
~現代、あらゆる情報はきわめて分散化され断片化されています。
まさにデータベース的な知の社会です。
定理が先に来るか、証明が先にくるかはその時の運次第、厳密性を求めれば求めるほど、「定理が先に」来てしまうことになるでしょう。
究極の厳密性を求めると、ゲーデルの不完全性定理に行き着いて、「実は仮説しかなかった!」という結果に突き当たることは目に見えています。
そのような中、「論理性」というものを何かしら求めるとすれば、どこかで「思考停止」するよりありません。しかも、すばやく思考停止して次の段階に進むことこそが、現代の知になり得るのです。
~「事実」と「仮説」に、根本的な区別などありません。
fractal氏がご存知かはわかりませんが、シミュレーション/シミュラークルという現代思想の概念によれば、「オリジナル」と「コピー」との根本的な差異さえもなくなっているのです。
fractal氏の想い描いていると思われる「論理性」というものは、現代社会には存在しない、あるいは存在する必要がないものだと私は考えています。
~残る細かい論点については割愛させていただきます。

 

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