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*とつげき東北 [#f9c3d58e]
 
 
  ネット上等で行った「議論」や「ケンカ」などの記録の要旨をつづる。
 
  割と気軽に行っている議論も多いので、細かいところにつっこまないように。あくまでも実戦における論理の活用のネタ等として利用してください。
 
 
 **筆者の書籍『科学する麻雀』への批判における議論その1 [#w869597f]
 
 【相手】
 
 (とつげき東北は)麻雀というゲームそのものの本質を理解していないと言わざるを得ません。 
 統計に頼っている時点で麻雀に絶対戦術が無いことの証なのですが、それすら理解していませんね。 
 仮に東風ユーザーがこの本を買ってその通りに実戦すれば、東風荘の統計データは大幅に変わるでしょう。 
 するとその変化したデータに合わせて当然新たな検証をし、必然的に新たな戦術が生まれます。 
 そしてその新たな戦術が普及すればまた・・・という具合で無限に続くわけです。常に流動的な物なのです。 
 麻雀というゲームはそもそも解が一意に定まるゲームではないのです。 
  
 
 【とつげき東北】
  
 何が「麻雀というゲームそのものの本質」だか。
 「言わざるを得ません」て( ≧∇≦)ブハハハ!
 別に言わなくてもいいだろうが、こんな発言(笑)
 
 ヒント:不完全情報ゲームであり、相手の戦略や得点の取れ方は統計的にしか把握できないにもかかわらず、特定の戦略が最強の安定した戦略となり、他のどんな戦略もその戦略(しかも一定の打ち方)より得点期待値を高めることができないようなゲームを1つ
 定義せよ。
 
 こういう疑問を持った瞬間、当然これくらいの考察はするもんだと思うが、本を出した頃から、まぁ1年半ほどたった今でも、なおこの種の批判で満足する人がいるんだなぁ。すげーなー。
 
 もちろん、麻雀においてはさすがに「最強の1手」みたいなのはなかなか見つからないと思うけど、相手がどのような打ちかたをするのであれ「最強ではない1手」を一意に定めることが可能な状況はあるし、最強ではない1手が定められる以上、最強の1手を定めることができる可能性は(理論的な意味で)ある。
 そしてそれが「より強い打ち方」を許さない唯一のものである可能性もある。具体例は敢えて挙げない。考えて。
 
 何もかも理解せぬまま「本質」だけ語るのはやめて、個別具体論を論じてくだされ。
 実体なき「本質」は、実像を隠蔽するための虚構に過ぎないですよ。
 
 
 
 **筆者の書籍『科学する麻雀』への批判における議論その2 [#y0db5205]
 
 【相手】(麻雀プロ)
 
 「カンチャンよりシャンポンが有利」これを実戦の統計から構造を予想するのは間違い
 である。3と7のシャンポンでリーチする人はほとんどいないが、カン3や7はリーチを
 かける人が多い。カンチャンは19牌で待てないことが、和了率に差が出る原因ではない
 か?
 中張牌同士の場合はむしろ、相手がシュンツを作ると想定すると、シャンポンの当たり
 牌は相手の「欲しい牌」、カンチャンの当たり牌は「余り牌」になりやすいので出にくい
 という説もある。
 
 【とつげき東北】
 
 指摘を踏まえ、以下集計結果を示す。
 
 6〜11 順目における先制28カンチャン待ち
 有効局数1352 和了率44.4%
 6〜11 順目における先制37カンチャン待ち
 有効局数1484 和了率41.9%
 6〜11 順目における先制28と37のシャンポン待ち
 有効局数342 和了率52.6%
 6〜11 順目における先制37と456シャンポン待ち
 有効局数291 和了率44.3%
 
 実戦の統計と95 ページの考察とから、構造的にカンチャンよりシャンポンが有利と考え
 られる。
 
 あなたの指摘は思い込みに基づく誤解である。
 以上。
 
 
 **筆者の書籍『科学する麻雀』への批判における議論その3 [#a6d3d75d]
 
 【相手】
 「状況によって確率は変動する」という点を軽視しているのではないか心配になった。
 例えば、P.93 に6〜10 順目先制両面リーチの和了率は61%とあるが当然、常に61%では
 なく、51%だったり71%だったりするはずである。具体的には、染め手狙いと同じ色の待
 ちになった場合和了率は下がり、(本書では否定的な表現もあったが)場に出ている数も重要な要素であり、またフーロしている他家がいた場合、その人がアンパイに困って振り込んだり逆にその人に蹴られたりもし、それ以外にもいろいろ考えられる。
 
 【とつげき東北】
 全体表として61%のものをP91 に掲載している。
 順目別、待ち形別、先制かどうか別の表またはグラフ(P152 から)、及び他家の攻める度合い別期待値グラフを、リーチの得点と形別に掲出(P156 から)している。また相手の食い仕掛けが染め手である確率表を、相手の捨て牌の半分の位置までに捨てられた「染め色」の数別に掲出(P140)するなどしている。
 「フーロしている他家が振り込みやすくなる」ことに関してもP109 で言及しており、当たり牌の場に出ている数による和了率の変化についても、P98 でデータとともに論じている(これにより、場に出ている枚数が3枚か6枚かという差は、そのリーチが2待ちカンチャンか2待ちシャンポンかという程度の差と大差ないことが確認できる)。
 いうまでもなく、さらに細かい状況分類は無限に可能であり、発展研究の余地はあると
 ころだが、「それ以外にもいろいろ考えられる」というのはいささか投げやりではないか。
 本書に「それ以外にもいろいろ考えられる」と記述しておけば納得されたのか、疑問であ
 る。
 以上。
 
 
 
 **筆者の書籍『科学する麻雀』への批判における議論その4 [#w7a3e303]
 
 ※掲示板からの垂れ流しですが。余分な第三者の発言は除去しました。
 ※「たそ」という人物とは、昔から何度か議論しており、思想的に対立している。
 ※彼は「[[知の原理主義者>(解説)知の原理主義者への批判]]」であり、筆者の著書に「原理的な観点からのみ」批判するブログをわざわざ公開しつつも、およそ科学的センスの欠如した仮説をばらまくという「センスのない麻雀プロ」である(と筆者は認識している)。
 ※彼は「[[知の原理主義者>(解説)知の原理主義への批判]]」であり、筆者の著書に「原理的な観点からのみ」批判するブログをわざわざ公開しつつも、およそ科学的センスの欠如した仮説をばらまくという「センスのない麻雀プロ」である(と筆者は認識している)。
 
 ●たそ  何度も言ってるけども
 
 科学する麻雀の3章は確かに実用的で面白いね。
 でもその元となっている2章の数理モデルの有用性の考察すら行われていない以上、
 3章の内容の正しさなどについては従来の麻雀戦術書と大差ないですよん。
 
 まほ公氏が似たようなことを述べておられるが少し異なり、
 モデル(2章の内容)を理解しているかどうかが問題ではない。
 有用であることが示されているモデルを理解していなくても、モデルから導かれる戦術を信じて利用することは、
 従来の有用であるかどうかがわからない戦術を信じて利用することと大きく異なる。 
 
 ●とつげき東北
 
 >たそ
 ちと、うざいので長々と反論させていただくよ。
 
 3章には、君の言う「有用性の考察すら行われていない」モデルとは無関係の、統計データに基づく戦術の記述も多くある。シミュレーションを利用してはいても、実際には「リーチした瞬間の有利さ」の実測値を計算に組み込むためだけに利用している部分もある。
 君の納得する厳密さを満たしていないことを理由に、「正しさ」において、迷信的・経験的なもの――例えばカンチャンよりリャンメンの方が2倍上がりやすいという観点から書かれているとか、ウラスジの危険性を盲目的に信じているようなもの――と「大差ない」とする君の考え方は、実にとち狂っている。(「大差」をどこに置くかのみに依存するが、君のそのイメージ論法は不実だ)
 
 データやらモデルには、厳密さや精度に色々な段階がある。
 前を歩く人がいないのだから、君の思うような厳密性や精密さを持った理論がいきなりできあがってくるわけがない。
 コンピュータ将棋を研究していらっしゃる電気通信大学の先生と交流があるが(情報処理学会 ゲーム情報学研究会のワークショップ講演に推薦してくれた方)、かなり大胆な方法で色々試していらっしゃる(今は全数探索を一切つかわずに、上級者の「セオリー」に基づいた直感的な打ち方をさせることに挑戦されているようだ)。コンピュータ将棋の世界の話を聞いていると、試論も含めて実に「刺激的」な世界である。
 麻雀にもどって、上のkだって、試行錯誤してパラメータを決定しながら面白い試みをやってるじゃないか。例えばkの試みから得られた一つの「リーチすべきかどうか」の判断を見て、「パラメータの決定が恣意的で、相手の打ち方にも依存する。特定の打ち方に対するそれなりの解を1つ求めただけでは、ゲーム理論の世界では認められない」とか、「正しさは大差ない」とか評論してる人がいたなら、死んだらいい。
 
 ・余談1
 
 ところで私の方法の一つの特徴は、「リーチした瞬間(手がわりしないテンパイをした瞬間)」の有利さの部分を基本的に実測して、それもとに様々の有利さを計算する(その計算部分のためにシミュレーションを使う)というものだ。リーチした瞬間の有利さが実測できない色々な要素を、シミュレーションによって補いつつ、それ以前の状況から「リーチした瞬間の状況」までの過程を計算に押し込むことで状況を判断する。
 誰も指摘してくれないが(笑)、「リーチした瞬間」を計算の根拠にするという方法論が、コンピュータ麻雀において斬新で有効な(だと確信している)ものだ。
 そもそも、コンピュータを使うといっても、麻雀であり得る全ての場合を場合わけすると計算量が爆発する。つまり和了までのツモや他家の食いなどのパターンを全部計算するわけにはいかない。
 かといって安易に「自分の手の評価点」などを作ってしまうと現実から乖離する。
 そこで、ある程度明確な形でデータがとれる「リーチした瞬間の良さ」を出して、そこにつながる一連の変化を計算することで、評価をするわけだ(リーチした瞬間の良さは、より細かい場合わけなどで精密化していく余地がある)。
 こうするともっとも重要な「テンパイ時の判断」がそのデータの正確性に応じて正確にできるだけでなく、手代わりの形がある程度限定される1シャンテンや2シャンテンまで、不可能だった「計算=評価」を行うことができる。実測のデータだけだと細かい差を追えない(組み合わせが多くデータが足りないなどの理由で)ので、シミュレーションや計算に落とし込んで計算可能にしていこう、というのが私のやっている試みだ。
 私がこの手法を使ってからは、なにやらこれは当然のことのように話が進んでいくが、明示的にこの手法を取り入れた一貫した記述は見たことがない。
 
 またそれとは別に、序順で重要になる「役の狙い方」の指標を作ろうと、ホンイツのできやすさなどのデータも取っているところだ。
 
 将棋でもそうだが、全数探索をすれば「理論上は」完全な解が求まる。それが現実時間で計算不可能だから、複雑で未だ解明されていないゲームにおいては、どのように計算量を減らし、実装に落とし込んでいくかのアイデア、またそれをどのように現実の判断に適用していけるかというところがキモになる。細かい部分はあとからどんどん補正してゆけばよい(もちろん、補正する土台を作っていればだが)。
 それに対して、自分が知っている世界の教科書を読みながら、ああここが違いますねなどと評論してみせたり、試行錯誤の末出てきた式にちょこっと変形を加えて「こうした方が正確」などというのは(それが本当に有益でない限り)、実に刺激のない行為である。
 それならまだしも「流れ理論」に基づいた麻雀戦術を体系化してくれる方が楽しめるというものだ。
 
 ・余談2
 
 私の書いている「思想」系の文章を見て、「自分が漠然と思っていたことを文章にしてくれた」と評論する人がいるが、私はそれも疑う。東大入試数学の模範解答を見ながら、ああそうだ、これが正しいのだよ、と感じることは東大には全く及ばない生徒にもできる。
 彼が模範解答を見ずには「解答」を出せなかったとすれば、「これが自分の思っていた考え」などと、なぜ言えるのだろうか。
 各々の論理がごく断片的に一致することや、一致した全体を見て賛同できることと、実際にその全体を構成することとの間には大きな差がある。
 同様に、各々の論理の破片の一部のミスを指摘したからといって、全体を丸ごと否定できる(あるいは、その全体は価値がない)と考えるのは間違いである。計算間違いをいくつか含む、筋道の正しい答案の全体を作ることは、入試の数学においても、単にその計算間違いを指摘できるだけよりも高得点が得られるし、圧倒的に困難なことである。
 麻雀を体系化する作業を試みない者には(もちろんそれは長くて遠い作業だが、「状況や相手による」などと逃げ出さずに取り組まない者には)、麻雀を愛しているとは言わせない ← 
 
 ●キーパー
 
 >その元となっている2章の数理モデルの有用性の考察すら行われていない
 それは違うんじゃないでしょうか。2章ではその後の議論の根幹になる「平場では収支期待値と順位期待値がほぼ比例する」という事を詳細に検証しています。これは非常に重要で、この事により3章以降平場で局ごとに収支期待値のみを追って議論することの「有効性」は保証されているはずです。従ってその数理モデルが「正確」なら3章以降の議論での帰結は間違っていないということになります。このモデル、kさんが以前指摘したようにベタオリに関しては相当怪しいものがありますが、一方で(自分の)リーチのデータに関しては実測値との比較による検証がなされていますから十分な精度が見込めるものです。ですからその局単位の数理モデルもある程度の有効性はあると言えるので「内容の正しさなどについては従来の麻雀戦術書と大差ない」というのは外れていると思います(誤差がちょっと大きいけど、凸本自身にも「いずれこの理論など『誤差が大きすぎて』使えなくなることを望む」みたいなことが書いてありますし)。
 まあ終盤での押し引き判断に関しては本ではほとんど具体例が出て来ずに2章の表から判断するしかないから不親切っちゃ不親切ですね。実践編作るならやっぱこの辺ですか。
 
 ●たそ 
 
 >凸
 モデルが厳密でないからダメだと言っているのではない。
 複雑系を厳密に解くことやモデル化することが無理なのはわかりきっている。
 私が問題だとしているのは、そのモデルの有用性、大雑把に言うと、
 そのモデルで麻雀を打つとどの程度勝てるのかということ。
 例えば、凸の提案したモデルの自動打ちソフトで東風荘で自動対戦を行い好成績を収めたら、
 そのモデルは全体として(シミュレーション方法やパラメータ推定方法も含んで)有用であると判断できる。
 それを検証するテストが工学的には必要ではないだろうか?
 
 また、「強い人」が自身の経験に基づいた麻雀戦術書を書き、
 その人はその麻雀戦術書に従った麻雀を打っているのならば、
 その麻雀戦術書は有用であると判断できる。
 
 なお、k氏は自分で作られた麻雀ゲームを自身がテスト対戦することで、
 相対的にその強さを測ろうとしておられる。 
 
 ●とつげき東北
 
 >たそ
 モデルに基づけば、今まで全く計算できなかったものが、実測値と近い値で計算できるようになりました、とか、モデルに基づいて山読みをさせたら人間より好成績がでました、実測値によるとこうした方がこうするより良いです、というのではダメで、「実際の場で」打って「どの程度勝てるのか」検証する必要がどうしてもある、と考えるのは君の美学にしかすぎない。
 もちろんそうした方がいいことは当然だが、検証にも色々な段階がある。ある値の実測値を(複雑な条件については未知のまま)求め、それと合うかどうかで判断するのも一つの検証方法だ。
 君の言う「工学的に必要(最終的な部分でのみ検証に意味がある)」が工学としての必要条件なら、論文の多くがゴミになる(君がどんな分野にいてその世界ではどうなのかはしらんが)。
 
 そのくせ、その大半が実際の「実力」を計測できないと思われる「強い人」とやらを持ち出して、「戦術書に従った麻雀を打っているのならば」という得意の形而上学的前提を置いて、「麻雀戦術書は有用であると判断できる」とか、狂ってる。何が「判断できる」だ。ある局面でリーチすべきかどうかについて、ある本の筆者が必ず本のとおりうっていたかどうかなど、誰も検証してないだろうし、検証の方法は非常に難しい。
 君はブログで「本人は常に同じように打っていると思っていても、時間によって、ほんのわずかなとはいえ打ち方の違いが存在すると思われる。」などと書いていたではないか。わざわざ確率と統計の差を解説しながら、私のやり方にケチをつけていたではないか。
 それなのにその場合は(何か神がかりの方法を君が使って)「判断できる」わけか?
 あまりにもご都合主義的な原理主義が鬱陶しい。
 
 有用な部分を見るやいなや、それより下の原理の部分に戻って「原理的な観点から」無効にしつつ、自分の認めたいものについては原理どころか何の厳密性も担保せずに「判断できる」と断言できてしまう神=君の、「大差ない」発言についての釈明はどうなのか。
 
 >けいすけ
 いや、「有用性」とかいう段階にとどまった上でも、彼の言っていることは偏っている。彼とは今まで何度か(麻雀を別にして)議論してきたんだが、どうもかみ合わない。
 原理的にできるわけもない、または環境的に困難な理想を掲げて、あなたのやり方は理想と違う、と言って叩く割に、実効性のある対案を出さない。
 出てきたものを横目で見ながら賛同したり(ああ、私もそう思っていたのさ)、反発したり(それはこの部分が違うね)はするんだが。
 わざわざ自らのブログにまで「科学してない麻雀w」などと題して書いてる始末。
 それはあんたの想い描いている理想の「科学」の世界だろうが。
 
 ●たそ
 
 指摘されている美学(最終的な部分でのみ検証に意味がある)を私は持っていない。
 個別の研究でも優れた結果は素晴らしい。(山読みのやつなんてむちゃむちゃすごいと思ってるよん。)
 今は手元に本が無いため定かではないが、2章の概容は「○○によって打牌選択を決める。
 その計算のためにはこのようなシミュレーションを使う。そのためのパラメータはこうやって推定する。」
 といった感じだった記憶がある。そのモデルの性能をちゃんと調べていましたっけ?
 私は2章を否定しているのではなく、2章の応用である3章に疑問を持っている。
 
 「強い人の麻雀戦術書」の例だと前提が成り立たないという指摘は認める。
 その例は変更して、「強い人の打牌選択そのもの」にする。
 強い人という語は漠然としているので、例えば東風荘R2100以上の人と読み替えてくれてもいい。 
 
 ●r
  
 > たそさん 最後の3行
 意味が分からないのでちょっと噛み砕いてもらえませんか?
 横から読んでいておもしろい議論だと思うのですが。 
 
 ●けいすけ
 
 だんだん軟化 
 
 ●あきら
 
 最初のとつげき関東氏の書き込み内容からこの議論内容への変化の激しさが素晴らしい
 凸氏が食いついたあたりで激化が促進されておるw 
 
 
 ※とつげき東北注
  ちなみに3章の「相手のリーチに対する押し引きの判断」において、2章に基づく筆者の理論・シミュレーション結論が、k氏の実装プログラム同士の対戦においておおむね正しいことが後に示された。「たそ」氏は、言葉の戦いにおいてほとんど負けただけでなく、最後に言い放った「私は2章を否定しているのではなく、2章の応用である3章に疑問を持っている。」という記述においても、「直感能力」における欠如を露呈したのである。
  もっとも、「数学的厳密さが足りず、結果が出ていない理論」を否定するかわりに、単に偶然優勝した麻雀プロの打ち方を「結果が出ているのだから統計的に正しい可能性が高い」などと考える彼の底なしの浅はかさ(「結果」の出方そのものが極めて大きな統計的誤差をはらむという事実に関する統計的洞察力及び検証の不足)から、それは予め想定されていたことだが。
 
 
 #htmlinsert(google.txt)
 - いいね。こうゆう項目。いままで黒とつ、クズ論研究掲示板、そして当ウィキと議論のノウハウそのものはいろいろ示されてきたけど、読んで面白い「実例」はあんまなかったと思う。名言そのものへの分析もさることながら、それを実際に使う相手をどのようにバカにしたらよいのか(笑)などを議論の形式で見るのはそれだけで面白いだろう。だからこのウィキにもどんどん「敵」がでてくると楽しい。ヒトシンカ氏のサイトにあった「衆愚の花園」みたいなコーナーを作ってくださるといいのでは。 -- [[井中蛙]] &new{2006-05-25 (木) 08:48:50};
 - たそとの議論を追加したのか。この現場には居合わせたが、たその最後の発言における3章批判が、当初の論拠と変わってるのが解るな。この議論集を見る限り、今の所、凸ほど麻雀において科学的な調査をした人間がいないってのが、麻雀界の現状って感じだな… -- [[M]] &new{2006-06-01 (木) 04:45:46};
 
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