*とつげき東北 [#r219f6f2]


 ごく典型的な大衆論法として、あらゆる相手の主張に対して質問を投げ返すという方法がある。

 質問をすることは、彼らに次のいずれか1つ以上の効能をもたらす。
(1)相手が回答に困ることによって、「勝ち」を得る
 大衆間のやりとりにおいては、互いに粗末な見解を投げかけあうために、根拠がないことが多い。したがって、相手に根拠を問うことが即座に「勝ち」につながる場合がある。
(2)相手が説明することによって、さらに「なぜ?」を追加できる
 平均的な人間は語れば語るほど誤謬を撒き散らすがゆえに、より詳細に説明させればさせるほど、おのずと馬脚をあらわす。それをただただ待ち続けて「なぜ?」を連発するのは一つの有力な大衆論法である。
(3)相手が正しい説明をすることによって、ついていくことができる
 本当に理解できていない場合に発する「なぜ?」も、(1)や(2)に基づく「なぜ?」も、一見したところ同様に映る。彼らは相手の言うことが単純に理解できない場合にも「なぜ?」とつぶやく。もし相手が困れば自分に有利となるし、説明が受けられれば「それはそうですね」と流して別の部分に噛み付くことができる。

 筆者は過去にある議論において、善悪の議論をしている際に、次のやりとりをした。
凸:法令に基づくなら 悪いですね 当然。
相手:なんで悪いんですか?
凸:法令に書いてあるから。
 この実にシンプルなやりとりは、きわめて的確に事情をあらわしている。相手は「なぜ?」を使うことによって、「法令に基づくならば→法令に基づいた結論が得られる」という説が、どうやら正しいらしいことをようやく知ることができたのだ。

 彼らは、相手の主張に疑義をさしはさむことで、相手に「説明責任」などと称されるものを負わせることができ、そのように疑問を持つことが「論理的な態度」なのだと頑なに信じている。著しい場合、彼らは彼ら自身が既に認めていたはずの前提にまで「なぜ?」をさしはさむことによって、自ら崩壊する。
→「〜してはいけないの?」
→論理

 この大衆論法には一つの便利な返し技がある。
 愚鈍な「なぜ?」にいちいち解説をしてやらねばならない「義務」などというものは、はなから存在しない。ゆえに筆者は、名言的な「なぜ?」には、「自分で考えなさい」と返すこととしている。
 考えた結果がこちらの主張と一致すれば、彼らの思慮が足りなかったことが示されるし、一致しなかった際には美しくて正しい「正解」を教示しつつ「そんなこともわからなかったのか」といった態度で知性の差を明確に示すことができるからだ。


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