*とつげき東北 [#i508161f]

 大衆が、自分の嫌いなものを好む人を「信者」と呼びたがる習性を持つことは、人生における各領域で観測可能だが、これを一般化すると「イメージ低下用語の濫用」という形式に普遍化できる。

 たとえば(議論記録5)で、相手が筆者を「鈴木宗男」「ネットオタク」などと呼んでいたのもそうだし、筆者の開発したソフトを「東風のオモチャ」と呼び、筆者に賛同する者が現れると「オウム」としたのもそうである。彼は他にも以下のような「イメージ低下用語」を用いている――
(以下引用)【チマチマしている、北朝鮮、心の狭さ、小学生、幼い、未熟、天狗になっている、ネットでガキ大将になりたいんだろ、大人になれ、そこらの子供と同じ、解釈の仕方が幼児と同じ、心の余裕を見せたらどうだい、もっとオトナの対応みせてみろ、2ちゃんと五十歩百歩、国語力がない、痛々しい、独りよがり、品がない、勘違いしている、感情的な言葉が多すぎ、マンガのような発言、口先だけ、何を語っても無駄、勝手に妄想して怒り出す、都合のいいようにしか解釈しない、中身のない例え話しか返ってこない、その程度の知性の奴と知って失望した、内容の乏しい反論しかできない】(以上引用)。

 上記のイメージ低下用語の「質」についてはここでは触れない。筆者も時にはイメージ低下用語を用いることがある。しかし驚くべきは、彼の発言から上記を取り除くと、発言がほとんど「無」になるということである。つまり、イメージ低下用語のみによってしか彼は語り得ていないのである。
 彼に限らず、最近も似たようなことがあった。筆者は麻雀にかかる統計データを取得し、麻雀戦術書を出版しているが、筆者の統計を「ネットで取ったアンケート」としきりに連呼する者がいた。麻雀ゲームの個別の利用履歴をプログラムによって吸い上げて統計処理することを「アンケート」と強弁するのはなかなかミステリアスだが、惜しむらくは、彼がそれ以上の発言をできなかったことである。アンケートであれ統計であれ、なされたことに違いはないのだが。

 さて、この種のイメージ低下用語が「必要以上に」使用されるのはなぜだろうか。
 特にこうした傾向が見られがちな、2ちゃんねる等のうち特にレベルの低い板を例にとって考えよう。
 濫用の原因は、彼らが構造的に、イメージを低下させる以外の戦略を使えない環境にあることにある。まずもって彼らにまっとうな理屈を作って相手を「批判」するということは困難である。下手な考えで「批判」などしてしまうと、逆に「その批判はアホだろ」と示されてしまう危険が充分にある。これは、彼らが一生背負っていかなければならないリスクの一つだ。
 そこで彼らは、最初から「自分は2ちゃんねらーである」という事実を受容する。すなわち「ネット上で素行が悪く、ネット上に限らず頭の悪い集団のうちの1人」に埋没することによって、イメージ低下用語を乱発しつつ、真面目なレスには「本人乙」「マジレスワロタ」等の返しを撃つことで、イメージ低下用語の頻繁な使用(のみ)が可能な「場」を構築するのだ。この場においては、イメージ低下用語以外の一切はほぼ不毛となる。

 しかしながら、これは何も、2ちゃんねるに限ったことではない。
 任意の誰かとまっとうな会話をしてみれば、いかに多くの人々がこの種の「イメージ」でしか物事を考えていないかがよくわかる。彼らの思考の原理は「よい/悪い」に代表される1元論的なイメージに塗り固められている。そして、そこからは「誰にとって」という視点が欠落している。
 あたかも自分の持つイメージは「善良な市民」が持つイメージと必ず見事に一致し、イメージであるにもかかわらず、むしろイメージであるからこそ「自分たちの感覚」は正しいのだと言わんばかりにである。彼らは「政治が悪い」とか「押し付けはよくない」といったゴミのようなイメージの数々を引きずりつつ、人生を歩んでみせる。
 それゆえ彼らは明晰な言葉を持たない。彼らにとって「全て」である「イメージ」を低下させることは、彼らにとって最善の策に他ならない。その証拠に、誰かが明晰な言葉を以て彼らの嫌がる事実等を突きつけると、彼らは当人に対して「理屈っぽい人」「極端」といったイメージを持つことになろう。彼らの印象の世界内部で、これらは「悪い」ことであるとされている。

#htmlinsert(google.txt)
- ''[[M]]'' &new{2007-02-04 (日) 22:20:46};
ワンミスの補強として投稿する。迷惑もこの種のイメージ低下用語である。
ああ・・・小心者と笑って下さい。
 

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