とつげき東北

 大衆が生み出す架空の概念の一つ。

 頭が良くもない人がなぜ「本当の頭の良さ」をしゃあしゃあと語れるのかはともかく、「本当に頭の良い人」にどのような性質が付与されているかを把握することを目的として、07/05/03 22:00、Googleで「"本当に頭の良い"」を検索し、膨大ににヒットした16,000件のうち上位200位中から、性質等を表すフレーズを以下にピックアップしてみた。

【大衆に理解できるようにしてくれる系】
 「すごく難しいことを誰にでも解りやすく伝えることができる」
 「イメージを的確に表現し、周囲にそれを伝えることができる」
 「難しい物事を難しい言葉を使わずに話せる」
 「誰にでもわかるように説明できる」
【大衆の劣等感を煽らない系】
 「自分と他人を比較しない」
 「自分の頭の良さに気づいていない」
 「頭の良さを隠そうとする」(※上と矛盾
 「(頭の良さを)必要以上にかくす事もせず、実際以上に大きく見せかけたりもしない」 (※上と矛盾
 「必要のない場面で自分の知識をひけらかしたりしない」
【大衆の無能さを指摘してこない系】
 「他人をバカにしない」
 「皮肉などを言わない(敵を作らないために)」
【大衆の居心地を良くしてくれる系】
 「他人を幸せにできる人間
 「自分の意見と相容れない意見を受け止める許容さを持っている」(※原文ママ)
 「一緒にいて疲れない(空気が読めるから)」

 一方で、実際の能力と関係する記述としては、
「知識が多い」
「発想力・アイデアが豊か、創造力に富む」
「連想力が高い、学習能力が高い」
「勉強をしなくても勉強ができる」
「数学や物理ができる」
等や、個別具体的に特定の人物や種々の結果を出している対象に対する使用が見られた。

 その他、
「幼児期の学習・発育が早い」
とか、逆に
「幼児期の学習・発育は遅い」(※上と矛盾
などもあった。

 これらから考察できることは、知識が多く発想力が高く数学が強いことなど、ごく普通の意味で能力的に優れた人のうちで、大衆に劣等感を与えず、彼らの無能さを暴くことなく、それどころか彼らを気分よくさせる存在が「本当に頭の良い」人であると認定されることがわかる。
 お気づきかと思うが、能力の高さを表すにはこの条件のうち前半部分だけで充分なのであって、バカがとってつけた後半の諸条件は頭の良さとは何の関係もない。バカどもを気持ちよくさせるかどうかなど、能力の高い人物の趣味や気分で好きにしてよいのである。

 さて、各論に入ろう。

 大衆の認識する「本当の頭の良い人」には、「高度なことを、誰にでもわかりやすく伝える」能力がある、という幻想が根強い。だが、そんなことは不可能だ。
 筆者とて、簡単な計算さえおぼつかなかった人たちに、「積分というのは、全体を『とても小さい部分』に分割して、それぞれの部分を計算し、それらを足し合わせることで、全体の面積や体積を求めたりするための計算方法だ」と教えることはできる。レベルを下げることなどいとも簡単だ。
 しかし、「では、なぜ 2x を積分すると、xの二乗+積分定数になるのか」「どのように求積するのか」まで理解させようとすると、相手にそれなりの(高校レベル等の)知識が必要になる。
 ところが、大衆に限っては、最初の「簡単な説明」で「なんとなく理解したつもり」になってしまう。その程度しか要求しないからこそ「高度なことを、誰にでもわかりやすく」説明されたように見えるだけであって、「頭の良い人(たとえば優秀な中学生)」がその程度の子供だましの説明で納得するわけがない。
「高度なことを、レベルを落とすことなく高度なまま身につけさせる」には、相手にもやはり高度な知識が必要になるのだ。当然ではないか。

 他に目につく点として、特に「頭の良さをひけらかさない」関係について大衆はナイーブだ。
「自分の頭の良さに気づいていない」ことは、「頭の良さを隠そうとするもの」と完全に矛盾する。隠そうとするということは、頭の良さに気づいているからだ。かと思えば、「(頭の良さを)必要以上にかくす事もせず、実際以上に大きく見せかけたりもしない」ということらしい。上記をすべて満たす人物はいない。つまり彼らはこうした名言的認識に頼ることで、どんな「頭の良い人」をも、「本当の頭の良さがない人」だと誤認できる。凡人は、自分にとって不愉快でさえあれば、定義を適宜変更するだけで相手を貶めることが可能な、醜く怠慢で一貫性のない自己保身的考えを持ち歩いているのである。

 冒頭で、「頭が良くもない人がなぜ『本当の頭の良さ』をしゃあしゃあと語れるのか」と述べたが、その答えは既に出ている。凡人たち自身は決して「頭の良い人」にならないため、彼らは自分にとって都合の良い人物が自分たちのために色々な能力を使ってくれるよう、そしてそうすることで初めて自分たちに「認められる存在」となるよう、好き放題要求するのである。

本当に頭の良い人はわかりやすく書く
勉強ができるという意味ではない頭の良さ

  • '''' 2007-05-05 (土) 13:37:08
    ヒルベルト
    「物理学は物理学者には難しすぎる」

 

  • 2007-05-19 (土) 02:54:20
    東風で東北にチケットの当たる確率計算させたりしたな
    専用のツールまで作ってもらったし
    頭の良い奴を乗せて誘導すれば良いツールになるって事だなwww
    おかげで1万当たるわ懸賞問題のプレゼントとして更に1万当たるわで最高だったぜ。
     
  • 原田 2007-07-05 (木) 06:05:34
    記憶力、想像力、判断力、論理的思考能力、共感力、直感力、これら全てに関連しており、時代、国、年齢不問の絶対的な『頭の良さ』を計れる問題がある。ずばり『女が百人いたら何人オナニーしてると思う?』と聞いてみて、その回答がそのままその指標となる。『全員してるだろうな』と答えられれば100点満点で『半分くらいかなぁ』と答えれば50点、『女はしないだろ』と答えれば0点といった具合である。これは真実に基づく絶対指数なので平均点も標準偏差も必要ない。全員が満点を取れるようになればそこの教育は最高水準に達した事を意味する。
     
  • にんじん 2007-07-05 (木) 20:02:23
    「○○は頭いいからな〜。あんなテスト楽勝やったやろ?」
    という問いに対して現役の「頭のいい」学生はどう答えるんだろう。

    a.「まあそうやね」
    b.「そんなこと無いって」
    c.「俺が頭良いというよりお前がアホなんだろ」
     

  • ゆき 2007-07-05 (木) 21:39:56
    >にんじん

    東大にも謙虚さを美徳とする風潮はあり、能力を誇示した人は不当な評価がされやすい。

    ただし、学生の多くは努力すればある程度の結果が出せるゆえに、単純に勉強量で差がついた場合には下位の者をバカにするような言動が許される。
    「良い結果は自分の頑張りによって生じた⇔悪い結果は勉強不足によって生じた」という見解が、お互いにとって好ましいから。
    バカという言葉は「君には能力が無い」という使い方では場合によっては友達を失うが、「君は能力はあるのに勉強を怠った愚か者だ」という使い方では好ましく受け入れられる。

    結果に能力が大きく影響する場合は謙虚に、簡単な努力が大きく影響する場合は高慢かつ攻撃的に振る舞うのが基本となる。

 

  • うまい 2007-07-06 (金) 00:47:31
    >ゆき
    たぶんそれが実態だろうと思うが、能力の影響か努力の影響かの判断を要するので疲れるね。不健康な印象。もっとスカッと生きていけると思う。
     
  • とつげき東北 2007-07-06 (金) 01:56:29
    バカなことをするための知的作法も身につけておきたいですなぁ。

    東大法等→財務官僚(その他「一流企業」にも代替可能) などのレールは、現代ではむしろ悲壮でさえあるからなぁ……
     

  • 2007-07-29 (日) 12:43:38
    専門用語の羅列による説明では分からない。それを伝えたら、見下したような目で見られた。専門用語を多用するインテリは、なぜか偉そうな態度の人が多い。
     
  • ここまで読んだが 2009-10-17 (土) 04:27:31
    いまさら掘り起こして悪いが
    ただ単に応用力と発想の転換がないだけである

    バカなことをするための知的作法を身につけたばかりに理論や統計を背景にした脊髄反射的な回答が多くなるのも、頭の良い人間が陥りやすい傾向
    大学の教授や政治家・国家官僚に多いと思われるが定かではない

    凸もその傾向はないか?自問自答してみるのもいいと思うぞ
     

  • シンジ 2012-08-03 (金) 02:46:10
    頭のいい人は「頭の良さ」をどう定義するのだろうか
     
  • ここまで読んだよ 2012-08-03 (金) 23:48:56
    自分の知り合いを何人も思い浮かべて、こいつより俺は頭がいいと思う対象が過半数あれば自分は頭がいいと思う
    国家公務員になれる人なれない人という切り分けでもいいだろう
    自分より頭がいいと思える状況を想定し、それを統計で否定することで自分は頭がいいことを立証する
    頭が良いかどうかは、単にその偏差がどうなってるか

    掲題の説明にある「好き放題要求する」人(註:それに成功している大衆に限定)というのも、頭が良いということになる

    何を基準にしたか、結局はそれに尽きる

    >>シンジ
    シンジにとっての頭の良い人がどのような基準で決まるか、その基準がずばりシンジにとっての「頭の良さ」の定義そのものとなる
     

  • りおし 2014-09-16 (火) 13:02:57
    とつげきが言っているのは「中途半端に頭が良い」人の僻みであって「本当に頭の良い」人による評価ではないですよ?
    大体なんで「"本当に"頭が良くもない人がなぜ『本当の頭の良さ』をしゃあしゃあと語れるのか」ね。ただの勘違い君なだけだろう。
     
  • ここまで読んだよ 2014-09-16 (火) 21:28:04
    >「"本当に"頭が良くもない人がなぜ『本当の頭の良さ』をしゃあしゃあと語れるのか」
    りおしが勝手に脳内から捻出した「"本当に"」がわざわざ”マークで囲ってある

    >「中途半端に頭が良い」人
    ・・・・は、上記のような「勝手に脳内から捻出」は行わない(行う頻度がりおしの様な「馬鹿」よりは圧倒的に少ない)

 

  • りおし 2014-09-17 (水) 03:16:34
    "中途半端に頭が良い"が否定されたったよwwww
    おれが本当に頭が良い人って意味ですねwwwwwwwwwwwwwww
     
  • 宇宙人まさちゅー 2016-07-10 (日) 19:09:59
    知識量と発想力が100と評価される人物A,Bが存在するとする。
    Aはそれが50と評価されるの人への説明が下手くそ
    Bは得意
    としてもA,Bは同じように評価されるのか。
    説明の上手さも知識量と発想力の評価へ加えても良いと思われる。
    これが間違いだとしたら、そもそもの頭が良い人の定義を自ら作りそっちの方が頭が良いと言っているだけのようにも思える。

    初投稿です。
    ここのwikiが面白いと思ったのでコメントしました。
    ご指導は大歓迎で感謝いたします。
     

  • '''' 2016-07-10 (日) 21:27:09
    >A,Bは同じように評価されるのか
    両者を評価する観点を「知識量」「発想力」「説明力」の三つに限定した場合においては、大多数の人がBを高く評価するだろうね。
    そうでなくとも、一般に説明力の低い人より高い人の方が頭が良いと評価されやすいのも、概ね異論は無いだろう。

    なので、説明力が知識量と発想力のみに依存するのかはさておくとして、
    >〜加えても良いと思われる。
    俺も良いと思うよ。
    (いやダメだ、と言われたらどうしようもないんだが)

    あくまで予想になるんだけど、君は本文の主張を「わかりやすく説明しない(説明がわかりやすくない)=頭が良い」と捉えているんじゃないかな?
    そうではなくて、ここでは「(馬鹿にとって)わかりやすい説明などできない。だから(馬鹿にとって)わかりやすい説明ができなくても、頭が良い人は頭が良い」
    という指摘をした上で、相手の説明が理解できないという不愉快な事実の原因を相手の説明力の低さ及び「頭の悪さ」に還元しようとし、ありもしない幻想的な「本当の頭の良さ」の存在にすがりついて心の平静を保とうとする大衆の醜さを笑う、というのが本項目の趣旨だと思うよ。
     

  • とつげき東北 2016-07-10 (日) 21:43:00
    >まさちう
    いらっしゃい。
    返答に関しては、「'''' 2016−07−10 (日) 21:27:09」でだいたい言い尽くされています。
    説明力もまた、「頭の良さ」に含めることにも完全に同意します。
    が、取り上げられているのはそれ以外の問題である、ということです。

    このページの数多の項目を読んで、ここ特有のコンテクストをぜひご理解いただければ幸いです。

 

  • 宇宙人まさちゅー 2016-07-10 (日) 22:10:06
    返信ありがとうございます。
    こういう議論?討論?大好きです。
    話は戻って

    >俺も良いと思うよ。
    わかりました。

    >あくまで予想になるんだけど、君は本文の主張を「わかりやすく説明しない(説明がわかりやすくない)=頭が良い」と捉えているんじゃないかな?
    ここは否定させていただきます。違います。

    >そうではなくて、ここでは「(馬鹿にとって)わかりやすい説明などできない。だから(馬鹿にとって)わかりやすい説明ができなくても、頭が良い人は頭が良い」
    >という指摘をした上で、相手の説明が理解できないという不愉快な事実の原因を相手の説明力の低さ及び「頭の悪さ」に還元しようとし、ありもしない幻想的な「本当の頭の良さ」の存在にすがりついて心の平静を保とうとする大衆の醜さを笑う、というのが本項目の趣旨だと思うよ。
    なるほど。

    趣旨を理解した上でさらに指摘させていただきます。
    大衆の醜さを笑おうとするのは把握しました。
    しかし使っている手法が間違っている場合、それこそ笑えないのではないかと思い以下を記述します。

    頭が良いの大衆の定義を笑っているように感じたのですが、自らの頭が良いの定義は何の根拠もなしに正しいとしているように思います。

    1:大衆の認識する「本当の頭の良い人」には、「高度なことを、誰にでもわかりやすく伝える」能力がある、という幻想が根強い。だが、そんなことは不可能だ。

    2:「では、なぜ 2x を積分すると、xの二乗+積分定数になるのか」「どのように求積するのか」まで理解させようとすると、相手にそれなりの(高校レベル等の)知識が必要になる。

    2という具体例から1が正しいことを導いているが、2は誤りだと考える。
    2は言い換えると
    2':「では、なぜ 2x を積分すると、xの二乗+積分定数になるのか」「どのように求積するのか」まで理解させることが私にはできない。
    ということを主張したまで。
    >相手にそれなりの(高校レベル等の)知識が必要になる。
    これは自らの能力が足りないという主張に過ぎない。
    そのような知識がなくても説明できる超人γが存在しないとは言い切れておらず1が正しいことの根拠に全くなっていない。

    また、任意の頭が良いという定義α,βに対してαの真偽は定義βの真偽に依存するとは限らない。

    ここでいう頭が良いという定義は何個か出てくるが
    a:これらから考察できることは、知識が多く発想力が高く数学が強いことなど、ごく普通の意味で能力的に優れた人のうちで、大衆に劣等感を与えず、彼らの無能さを暴くことなく、それどころか彼らを気分よくさせる存在
    b:能力の高さを表すにはこの条件のうち前半部分だけで充分なのであって、バカがとってつけた後半の諸条件は頭の良さとは何の関係もない。
    c:「高度なことを、誰にでもわかりやすく伝える」能力がある

    bが真だからaが偽であるというのは偽で、bも真でaも真である。
    なぜならbが真である根拠bbは
    bb:バカどもを気持ちよくさせるかどうかなど、能力の高い人物の趣味や気分で好きにしてよいのである。
    という主張者の趣味や気分で好きにしてよいからである。

    つまりaの根拠aaは
    aa:大衆の趣味や気分から知識が多く発想力が高く数学が強いことなど、ごく普通の意味で能力的に優れた人のうちで、大衆に劣等感を与えず、我々の無能さを暴くことなく、それどころか我々を気分よくさせることが大切。
    という大衆の趣味や気分で好きにしてよいこととなる。

    大衆 VS 主

    お互い定義を述べ、それが特段根拠もなく正しいとし、自らの定義が正しいから相手の定義が間違いであると指摘している。

    大衆も主もさほどかわらないのではないだろうか?
     

  • 宇宙人まさちゅー 2016-07-10 (日) 22:15:22
    >とつさん
    自分で主張を否定しながらいうのも変な話ですが、ここの主張が誤りだと格好がつかないので論破されたいです。
     
  • '''' 2016-07-11 (月) 00:12:54
    >まさちう
    >大衆も主もさほどかわらないのではないだろうか?
    に集約される一連の問いかけに、俺はあまり興味がない。
    時間的余裕もあまり無いので、さらに続けるなら誰か別の人に譲りたい。
    それに君が求めるような厳密な議論は俺にはできないので。

    と言って終わらせたいところではあるが、自分から食いついておいてしっかり反論が来ると他人に丸投げというのも気が引けるので思ったことを。

    まず、頭の良さについての普遍的な定義が存在しないという認識があるかの確認はしておきたい。頭が良いと思う基準は人によって異なるので、当該定義に正当性の類を求めてもおよそ無駄である。
    したがって、
    >お互い定義を述べ、それが特段根拠もなく正しいとし、
    という記述に関して、改善すべき何かを見出すことができない。

    それと
    >頭が良いの大衆の定義を笑っているように感じたのですが、
    それそのものを笑うというより、頭の良い人という定義を自由自在に都合よく変更することで、相手を貶めたり、相対的に自分を高めたりする様子のみっともなさを笑うという意味合いの方が強いので、
    >相手の定義が間違いであると指摘している。
    というわけでもない。別に人間性が高い人を頭が良いと思ったって、それが間違いだとは言えないでしょ。(これが笑われるのは、人間性という概念が弱者のために用意された部分があり、それに頼るのが弱者的であるというこのウィキ特有?の文脈があるから。間違いだから笑われているのとは違う)


    あとはやはり、君が求めてるのは俺のこういうレスではないと思うので、誰か他の人がいればそちらに。「高度なことを誰にでもわかりやすく伝えることは可能である」という命題の真偽に関するところとかは議論の余地があるしね。
    いずれにせよ君のような人がレスしてくれると盛り上がるので、これからも色々と書き込んで欲しい。

    引き継ぎたい人、ここは普段あまり活発じゃないので、チャンスは今くらいしかないぞ!
     

  • とつげき東北 2016-07-11 (月) 01:20:50
    >まさちう

    なるほどなるほど。

    しかし、何がしかが正しいだとか妥当だとか、そういった判断というものは、権威、もっと最終的には暴力によって決定されるわけなので、論理学的に詰めてもしょうがない部分がある。

    論理学的にアメリカのイラク侵略戦争はクソだったけども、アメリカはイラクに謝罪してないよね(最近したんだっけ? あれは英国の論証か)。

    ちょっと正面衝突は手間がかかるので他人に譲るけれども、このページでは大衆(名言と愚行を駆使する存在)をしかるべく定義しており、その定義の中における自分の正当性を主張しているのであって、その主張が一般化できるかについてはそれほど言及していない、というより全ての主張は一般化不可能だという認識に基づいて全ての項目が書かれている。

    その根拠は、神話から現実へ!
    http://totutohoku.b23.coreserver.jp/hp/sinwa.html
    あたりに記述している(もう20年近く昔の文章だから恰好悪いけど)。

    人は、自分勝手に自分の価値基準を作っても「良い」。それが美しいか美しくないかが問われるだけであって、それが根源的に正しいかどうかというのは幻想に過ぎない、というスタンスですよ。

    まず一通り読んで、もうちょっと慣れてから、ツッコミをいただきたいなというのが本音です。

 

  • 宇宙人まさちゅー 2016-07-11 (月) 02:27:01
    ご指導ありがとうございます。
    もっともっと読んでみます。
     
  • とつげき東北 2016-07-11 (月) 02:48:16
    おれの出身大学である、東北大学理系の後輩となれば、まさちうを応援したくてなりません!
     
  • ごはん炊か騎士 2016-07-30 (土) 18:45:45
    >>宇宙人まさちゅーさん

    まさちゅーさんは、この記事の記述のロジックが、正しくないように思える、ということなんですね。
    私は問題ないように思えます。恐らくは、素直に読めば、あまり引っかかるところはなかったはずじゃないかと思います。
    まさちゅーさんがこの記事で引っ掛かってしまっているのは、まさちゅーさんがわざわざ形式的・学校のテスト問題的な考え方にしてしまっていて、「素直な人の思考」から離れてしまっているからではないかと思われます。


    まさちゅーさんが書いた、項目「1」「2」の部分について。

    普通、に考えれば、「高校レベル等の知識がない人に積分を完璧に教えること」は「不可能なこと」としていいかと思います。そして、ゆえにそのような構造で「高度なことを、誰にでもわかりやすく伝えること」は「不可能なこと」としていいかと思います。
    アインシュタインやビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズでも「誰にでもわかりやすくは伝えられないこと」はあると考えていいだろうと思います。

    また、この記事において、(もしくは大衆の発言として掲げられている当掲題文句とその発言シーンにおいて、)
    アインシュタインやビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズを超えるほどの超人的存在は、どうだろうとどうでもいいものです。
    大衆でも、さすがにアインシュタインは頭が良い人と認めるだろうし、仮にアインシュタインでさえも「本当に頭の良い人ではない」と言い張ったとしたら、その場合にはもう「何を言っとるんだ」と一蹴できる「感じ」がするからです。
    (もう少しちゃんと言えば、アインシュタインでさえ該当しない意味での「本当に頭の良い人」という言葉なら、それに当てはまらないことは“目の前の頭の良い人”に対して何の攻撃にもならないからです。)

    普通に考えれば「高度なことを、誰にでもわかりやすく伝えること」は不可能なことだし、
    それ以上の極論・屁理屈は今意味がありません。
    したがって、この項目「1」「2」の部分は凸さんの記述で問題ないと思います。
    この部分のまさちゅーさんの指摘は、いささか極論・屁理屈的であったかと思います。


    項目「a」「b」の部分について。

    「ある相手を気持ちよくさせるかどうか」は、人の好きにしていいことでしょう。
    「『本当に頭の良い人』とはどんな人であると唱えるか」も、人の好きにしていいことでしょう。
    しかし、「“『本当に頭の良い人』とは、自分たちを気持ちよくさせるものである”という言説が正しいかどうか」は、人の好きにできることではありません。

    つまり、まさちゅーさんが言うところの「頭が良い人の定義a,b」は、どちらもその発言者が好きに発言し、そのように思っていればいいものではあるけれど、
    その内容について妥当で正しいかを測ってみれば、妥当で正しいのはbの方だけだということです。

    しかし、この辺りの部分は、まさちゅーさんのそのような捉え方、すなわち「>お互い定義を述べ、それが特段根拠もなく正しいとし、自らの定義が正しいから相手の定義が間違いであると指摘している」という捉え方は、本来は適切ではないように思います。
    凸さん(自称頭の良い人)は、自分の思う「頭の良い人」の定義と根拠を述べていますが、
    一方、記述上の大衆は、自分の思う「頭の良い人」の定義だけを述べていて、根拠は述べていません。(そして恐らく、てきとうなだけなので、述べることができません。)
    したがって凸さん側は、大衆を論破できている。
    というのが、この記事の捉え方として正しいものだと思います。


    なんだかスマートではない返信になってしまったかもしれませんが、こんな感じでしょうか。
    私もこのサイトに書き込みが増えることはとっても嬉しいです!
     

  • ここまで読んだよ 2016-09-11 (日) 22:40:35
    単に
    ・"頭が良いかどうかをその方面で認識できるかどうか"
    です

    頭が良いという状態は、様々なベクトルを持つ
    数学・哲学・宗教学・子供のあやし方論・★5つ料理を実現する方法論・などなどで、基本的にはいずれも同一方向を向いていない
    で、そのなかには「自分に説明する方法論」というものも含まれてくる
    もちろんこれも立派なベクトルの一つである
    議論において、個々について頭が良いかを議論することは何の制限もない
    「相手に説明する方法論」(≒「自分に説明する方法論」)が議論対象なら制限はない

    ただ、論の対象が頭の良さを語る「者」(≒自分)に向くものについては敏感になりやすい
    当然である
    基準は「頭の良さを語る者が理解できるかどうか」だからである
    掲題の説明に列挙された要素は全てこれに当てはまっている
    そしてこの基準は、往々にして「語る者」への感情に直接訴えかけてくる(わからない→ルサンチマン)

    過去の「空のごはん茶碗」を例に取ってみる(発端は「自殺」項だった記憶があるが、定かではない)

    彼は俺の発言の方法がいたくお気に入りではないらしく、俺を排斥する行動に出ていた
    それは、論議において(論点を抽出することをあきらめ)感情に走ったからである(本人が感情で排斥すると言っていたので間違いないだろう)

    なぜ感情に走ったか、それは論点が絞れない=理解できていないからである
    だから、彼は「自分に説明する方法論」において気に入らないと感情をあらわにし、あらゆる「頭の良さ」についての「自分に説明する方法論」に該当する部分を否定していたのである

    よくよく考えれば、このサイトで行われる議論は、感情に走った部分を除いて基本的には「自分に説明する方法論」は除外されていることはすぐにわかる
    つまり、何か感情を走らせて議論を拒否することは、同時に「自分に説明する方法論」に議論焦点を移していることになる
    つまり、本題から外しているのである→(議論テク)大衆論法:論点ずらし

    上記に類似する方法をとることで、大衆は本来議論の対象となる論から話題をそらし、「自分に説明する方法論」を前面に押し出す(または主要論と位置付ける)ことで判断基準を自己に遷移させ、その判断基準=感情という最も楽な方法を以て頭が良いかを判断してしまっているのである

    さて、俺がごはん茶碗の気に入らない方法を用いて議論したのは、これを逆手に取っているからである(悪趣味の一つでもある)
    つまり、
    ・感情に走ってしまった時点でそいつの論点整理能力の限界が見えている
    ということである

    大衆に目を向けてみると、掲題の説明の中の列挙のように、「自分に説明する方法論」を頭の良さに必ず含めようと画策するものが多い
    そうすることで「自分が理解できないこと」を「他人の能力がない(頭が悪い)」に転嫁させることができ、それをよりどころに優越感などの感情を得られるからである
    そういう連中には「お前が理解できないのは本当に頭が悪いからだ」と言い放って差し支えない

    ねぇ、ごはんたかナイトくん、そう思うだろ?
    君は頭が悪かったね
    あれから成長できたかい?
     


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Last-modified: 2016-09-11 (日) 22:40:35 (739d)