ヒトシンカ

 好きなものが嫌いなカテゴリに含まれる、あるいは嫌いなものが好きなカテゴリに含まれることを防ぐ目的で使われる。「本当の〜とは……」という表現は、しばしば通用している意味とは全く無関係に放たれる。同じシステムは「真の」「本物の」や「〜は…ではない」という表現にも見られる。 例:オウム宗教ではない。

――自分

 しかし「本当の自分」は例外的に、上記のような使い方ではない。これは精神分析学のユング派や人間性心理学の「自己実現」概念の影響と見られる。自己実現という語彙の発明者はK.ゴールドシュタインであるという文献と、C.ユングとする文献がある。定義はそれぞれ「有機体がその最高の成果を達成しようとすること(ゴールドシュタインは有機体にはそのような傾向があるとした)」「個人の中に存在するあらゆる可能性を自律的に実現し、本来の自分自身に向かうこと」である。K.ホーナイは、「各個人に独自な成長の源」を“real self”と呼び、その成長過程を自己実現と呼んだ。さっぱり分からなくても気にしなくてよい。A.マズローは自己実現している人の条件を4つ、特徴を15個挙げているが、大まかに言って「(実現不可能なほどの)いい人」である。これらが起源であるとすると、俗語の「本当の自分」という言葉が意味不明なのもうなずける。

自分探し(Revin注)

――強さ

 肯定的な単語は、自分が嫌いなものに使われると不快である。そこで意味を曖昧にしたまま「本当の」というエクスキューズを付けることで、好ましいものにだけ使われるよう限定したがると考えられる。強さという概念は、実際に使われる対象はあまり善悪とは関係しないが、使われると非常に肯定的な印象をもたらす。「本当の強さ」乱発の理由はそこにあるだろう。柳田理科雄『空想科学読本2』の後書きは、これの愉快なパロディで締めくくられる。「……しかし、本当の強さもまた、数値にはならない。ゴジラやレッドキングは、数値ではたしかにガマクジラやゴルドンに勝てなかった。しかし、われわれの心の中では、やはり強く魅力的な怪獣として生き続けているではないか。」

――勇気

 勇気もまた「自分」「強さ」と並んで「本当の」を付けられやすい単語である。ソクラテスとその友人達が「勇気とは何か」について議論する物語が残されている。 友人達は様々な定義を提出するが、ソクラテスはその定義ではこのような悪い例までもが勇気に含まれることになる、という理由をつけて全て拒否してしまう。このエピソードには、好きなものと嫌いなものを分離させていたいという人間の欲望がよく現れている。

勇気


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:27 (2976d)