とつげき東北

 なぜさして勉強もできず頭が良いとも思えない人々が、掲題の件について饒舌に論ずる権利を有するのかは疑問だが、いずれにしても「頭の良さ」は、ひとまず、「学校で得る知識」の量とはおよそ独立のもの、場合によってはむしろ相反するものとして表現されがちである。

 これは、知識をつめこむことにさえ失敗した者たちが、「本当の頭の良さ」を知識以外の領域――例えば熟考を要しないパズルやクイズ、あるいは日常的会話程度の水準に限定された「ひらめき」の領域――に設定することによって、「知的一発逆転」をはかるためである。彼らは高度で複雑な政治や、学問的諸問題を「ひらめき」で見出したり、あるいはそれを「ひらめき」と専門的知識とに基づいて解決することのかわりに、電車の駅の乗り継ぎのわずかなスムーズさや、おつりを受け取る手間の細かな時間的短縮の問題を解決することに心血を注ぎ、それこそが「本当の頭の良さ」を顕著に表す指標になると信じているのである。
 知識と独立のものとして存在するなにがしかの「頭のよさ」こそが重要である、とする信念を比較的直接的な形で、政治的な意図をもって教育に反映させたものが「ゆとり教育」であったが、ご存知のとおり、すぐさま反省され見直された。

 決してシロウトが最先端の数学的、物理学的、あるいは情報科学的な新発見をすることはないという事実を見れば明らかなように、深い知識なしでわずかなひらめき程度でいくつもの新発見ができる分野とは、単に知的に洗練されていない領域であるにすぎず、その意味で大衆間での日常会話等においては、確かに「ひらめき」と称される偶然性の高い小手先のスキルが重要になることもわからぬではない。
 しかし、だからといって、勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考えるのは早計であり、「ひらめき」を「真の頭の良さ」の論拠に置こうと企む者は、得てして井の中の蛙にならざるを得ない。

頭の回転
(解説)知の原理主義への批判

  • >こうした信念を比較的直接的な形で、政治的な意図をもって教育に反映させたものが「ゆとり教育」であった 本当ですか? -- N 2006-07-30 (日) 05:47:06
  • 官僚に物申すヘタレの図 -- あ 2006-07-30 (日) 06:47:01
  • IQサプリには毎週出来る限りの苦情の電話を掛けるべきだ。 -- 原田 2006-12-11 (月) 12:06:58
  • ここまで読んだよ 2009-10-17 (土) 18:10:08
    応用力という言葉がある
    総じて物事のグループ分けの方法を捻じ曲げているだけである
     
  • SC 2011-12-04 (日) 06:01:40
    本当の頭の良さ」は「数ある頭の良さの基準のうち、より重要な基準」と言い換えることができますね。しかも、何を達成したい目的として設定するかによってもその答えは変化します。例えば科学的な新発見をしたいのであれば「勉強量」が重要な基準となり、パズルで正解したいのであれば「ひらめき」が重要な基準となります。

    「勉強量」も「ひらめき」も頭の良さの基準のひとつであることには変わりありません。私はとつげき東北さんの主張をこう解釈しました。

    「『勉強量』は総合的に考えて『ひらめき』よりも重要な基準である。にもかかわらず世間では『勉強量』が『ひらめき』よりも総合的に(あるいは常に)劣ると考えられている。しかしそれは早計である」
     

  • ここまで読んだよ 2011-12-10 (土) 04:15:57
    一方を重視して他方を軽視すると言うのは、その他方の事象に対して自身に占める重要度が低いからに他ならない
    また、(ふさわしいと考えるので「名言」で書くが)それ以上でもそれ以下でもない

    >→(解説)知の原理主義への批判
    このリンクが貼ってあることから掲題説明文が一方視点(≒事実上の戯言)であることはまぁ触れないでもいいのかもしれないが・・・・
    >勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考えるのは早計であり、「ひらめき」を「真の頭の良さ」の論拠に置こうと企む者は、得てして井の中の蛙にならざるを得ない。
    は、裏も逆もまた成立することから目をそらしてはならない

    相手が如何様に主張したところで、「あぁ相手はこのような考え方なんだ」と理解するにとどまる
    説破するのであればまた話は別だが、まぁそれでも自分の重要度が高いほう(註:その重要度の高いほうとされることは議論中の論点でない場合も含む)へ相手を誘導する行為と言う意味ではかわりはない

    見事に体現しているのがこのサイト自身と言うことになる(苦笑)
    もちろん、これも一方視点(≒事実上の戯言)であるのは言うまでもない
     

  • SC 2011-12-17 (土) 12:45:19
    >一方を重視して他方を軽視すると言うのは、その他方の事象に対して自身に占める重要度が低いからに他ならない

    なるほど、その人が実際に必要に迫られた、または役立てた頻度の高い能力が、その人にとっての「頭の良さ」の定義になるというわけですか?
     

  • あのー・・・。 2011-12-17 (土) 15:18:07
    小さなころから天才とか神童と呼ばれたモーツアルトは、子供のころからさまざまな知識を知り尽くした上で色々なひらめきや発見をして、あそこまでいたったのですか?
    絶対音感というのは、知識によって得られるものなんでしょうか?
    もし音楽は関係ないのだとすると、
    じゃあモーツアルトは、大衆に天才ともてはやされただけの井の中の蛙ですか?

    また、他のコラムに、大衆の言う、「わかりやすく説明できる」が、自分たちに都合の良い解釈とあります。
    が、そうなんでしょうか。
    私は、あながち間違ってないと思います。
    たとえば、自分の中ではできるけど、それを他人に説明できないっていうのは、そのものの根本を理解できてない、と思ってもいいんじゃないでしょうか?
    だから、詰め込み式で威張っている人は、あまり頭がいいとは思えない、ってあなたの言う大衆たちはいいたいんだと思います。

    私は、知識っていうのは結局は人間人間による人間のための(笑)ものだと思っています。
    だからこそ、より多くの人間の気持ちや考え方というものをきちんと考えないと、本当に必要で正しい知識って得られないんじゃないでしょうか。

    それに、世界中すべての人間が持ち合わせる頭脳、能力、発想、知識をすべて持った人間っているんでしょうか?

    私が、本当の意味で頭の良い、知識を常に欲している人だと思っているのは、他人をバカにしたり、見下したりしない人です。
    かなりバカでかい話になってしまいましたが、
    本当に頭の良い人ほど、それぞれの分野に関して常に謙虚である。
    これが私の今の答えです。

    ぱっと聞けば、まったく論点がずれているように思われるかもしれませんが、あなたならわかるんじゃないかと。
    ぜひ私の考えも汲み取ってみて欲しいです。
     

  • あのー・・・。 2011-12-17 (土) 15:26:04
    結局は、早計、というのがあたかも頭が悪いと言っているかのように、井の中の蛙、等と言っているあなたが、一番早計なのでは、と言いたかっただけです。
     
  • ここまで読んだよ 2011-12-18 (日) 09:13:42
    >>あのー・・・。
    本質」という掲題のレスで俺がその手の話題を展開してるので、そちらへどうぞ
     
  • あのー・・・。 2011-12-18 (日) 14:01:50
    よみましたよ^^
    読んでなお、言ったんです;
    わかります、本質を話してるわけではないって言うことは!
    それでいいとは思うんですけど、
    私が言いたいのは、んー…
    表面に見えている数学的?な事実だけを淡々と言っているのなら、わかるんです。
    また、そのうえで井の中の蛙、等言うのなら、ちゃんと今は本質を見ているわけではなく、表面的には井の中の蛙と言わざるを得ない、って言う風に言ったほうがいいと思ったのですが…。

    すべてを知っている、もしくはすべての見解から考えて答えを出しているわけではないんですよね?
    それなのに、なんていうんだろう…
    そんな、善と悪、みたいな言い方ができてしまうものですか?

    世の中、なにかが良くて何かが悪いって言う風に決められるのは、なんかオカルトっぽいけど神様だけ、っていう気がしますけど。
    今のところ、そういう風にしておいたほうが(善と悪をとりあえず決めたほうが)すんなりいく、っていうのならわかりますが。。

    そのような前置きもなく言ってしまうと、どうなのかな、この人、なんか極端じゃないの?って思う人がでてくるのは自然なことだと思います。
     

  • ここまで読んだよ 2011-12-19 (月) 22:53:42
    >本当に必要で正しい知識って得られないんじゃないでしょうか
    誰にとって?
    これを紐解けばこのサイトが成さんとしていることが判るでしょう

    >そんな、善と悪、みたいな言い方ができてしまうものですか?
    この問いをすること自体が、そもそも誰の基準で語っている?
    これを紐解けば以下略

    >なんかオカルトっぽいけど神様だけ
    オカルトという不安定要素に結論を結び付けてしまったら後は言いたい放題では?
    井の中の蛙、等と言っているあなたが、一番早計なのでは
    と断じているのであれば、その背景をオカルトに結び付けては誰も納得しないよ

    >そのような前置きもなく・・・自然なこと
    このサイトを十分に見てきたとは思えません
    凸や他著者陣の人物像と思考ベクトルはこのサイトを隅々まで見れば判るはず
    反論を口にするにあたって甚だ不自然です
     

  • 2011-12-20 (火) 03:54:39
    >あの〜・・・氏

    ラノベ厨である私から、「キノの旅」の冒頭で書かれた言葉を送りたいw

    「あなたが泣いたり、あなたが怒ったり、あなたが憤ったり、
    あなたが憎んだり、あなたが叫んだり、あなたが苦しんだり、
    あなたが悲しんだり、あなたが絶望したり、あなたが決意したりすることは、

    あなたが正しいことの証明にはならない。」

    これらを深く意識した上で、自信の投稿したものをもう一度見直してみることを推奨する。

    ここで誰かと「議論」じみたことをしたいのであれば、
    ・自分の主張は、手短に相手に伝わり易い形で書く。
     (最低限、自身の発言を要約すればそうできる程度に思考を整理しておくことが肝心。)
    ・自身の主張は、論理的に考え構築して、その際に感情や信念を交えない。
     (信念そのものが主張であれば別だが、そのような主張はここでは何の意味も持たない。)
    といったことができなければ、からかい半分であしらわれるのが関の山なので、挑戦することはお勧めできない。
     

  • 塾長 2012-01-18 (水) 18:14:51
    日常生活で一定水準以上のひらめき力を持った奴に出くわしたとき、
    (安易に)こいつ頭良いなぁ!と「感じる」のは当然の事実であるとして、
    それを勉強ができるという意味ではない頭の良さと表現するのは自然だよね。

    んで、
    知識量よりも、そういったひらめき力のほうを重要視する傾向ってのは、
    勉強だけ出来て何もひらめかない馬鹿の事を「頭が良い」って表現する事の
    不自然さに対する皮肉的な意味合いもあるのよ。

    だから「頭が良い」と言われる奴こそ勉強する価値のある人間なわけで、
    勉強できないけどヒラメキ力ある奴は往々にして「勉強はできないけど」と前置きされた上で「頭が良い」と表現されるでしょ。

    学歴偏差値と地頭の良さが関係無いとか、
    そんな当たり前の事がわざわざ言われるのも
    学歴な馬鹿を「頭が良い」と表現する事の不自然さから生まれているんだよ。
     

  • 宇宙人まさちゅー 2016-07-11 (月) 17:20:57
    これは知識量は軽視できず大切だよね?
    ということの再確認でしょうか?

    なるほど確かに知識量は軽視できず大切だと私も考えます。
     

  • とつげき東北 2016-07-11 (月) 21:59:18
    要約して「意味」が通じるようなやりとりを望んでいません。
    要約していない状態の「強度」を楽しむのがこのページですね。

 

  • こまいぬ星人 2016-07-28 (木) 08:46:23
    以前から楽しく拝見させて頂いている者です。始めて書き込みます。

    本当の頭の良さ」を知識以外の、熟考を要しないパズルやクイズ、あるいは日常的会話程度の水準に限定された「ひらめき」の領域にのみ設定した場合のバカさ加減について述べられていますが、「ひらめき」以外の領域に設定する場合もありますね。たとえば論理を正確に展開する能力など。「ひらめき」以外の領域に設定する場合の考察がないので残念。

    また「本当の頭の良さ」を知識以外の領域に設定すること自体は、知識をつめこむことに失敗しなかった者からしても、自然な発想だと思います。なぜなら「本当の」という表現によって、頭の働きの核心部分がイメージされるので、どんなにバカな人間でも頑張れば得ることのできる知識量とは独立させた方がスッキリするからです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-07-30 (土) 16:20:32
    賑わいそうでいいですね!


    >>こまいぬ星人さん

    このサイトは、「○○という言説は××である」と一般的に述べるものではありません。
    このサイトでは、基本的に「愚昧な大衆が、自分たちを持ち上げたり武装したりするために言うてきとうな言説、及びそのような発言シーン」を念頭に置いて、掲題に挙げられ述べられています。
    つまり各記事の掲題文句は、そのような特定のシーンで発言されたものを想定していて、その場合のそれらについて反論・指摘・解説をしています。
    実際、このサイトの記事になっている文句たちは、「確かに愚昧な大衆がこれを発言していて気に掛かったことがあるなぁ」と思えるものばかりになっているかと思います。

    したがって、このサイトは、掲題する言葉そのものの一般的・網羅的な解説は目指しておらず、それを目指していない立場として、思い切って一面的に言い切った記述をしています。なので、そのことについては指摘されても仕方ないところであり、そういうものと理解して読んでいただくしかないところです。
    確かに、そこが最初、明らかに分かりづらく、無用な誤解や混乱や反発を生んでしまう、このサイトの記述の悪い癖ですけれど。笑


    こまいぬ星人さんが引っ掛かられたのはよく理解できます。
    「そういう書かれ方としても、この記事は、“本当の頭の良さ”を勉強以外のところに認めなさすぎる」というふうにも確かに読めます。
    しかし、この記事の精神は「“本当の頭の良さ”を勉強以外のところに認めたくない」のではなくて、
    「勉強できる者への攻撃として“勉強ができるという意味ではない頭の良さがあって、それに関してはあなたはどうなんだろうね”と言う大衆が気に食わない」ということなのだと思います。
    だから、そんな大衆への反発・アンチテーゼとして、「“本当の頭の良さ”から勉強は外せないだろう」ということを強弁する記事となっているのだと思います。

    “勉強ができるという意味ではない頭の良さ”は、実際存在してとても大切だと思いますし、そこについてはこの記事に一言言及があってほしかったとは思いますけどね。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-07-30 (土) 21:48:17
    >>あのー・・・。さん

    あのーさんのレスは、このページ(の理解)にとってとても大切なレスだったと思います。
    私があのーさんに返信できていたとしたら、どう返信すべきだったでしょうか?

    きっと、あのーさんは、「いろんな人がいるけれども、一番尊敬できる素敵な人って、やっぱりこういう人(他人をバカにしたりしない人)だよなぁ」という考えを持っている人だったんだと思います。
    そういう人がこの記事を読むと、その考えを否定され攻撃されたような気持ちになるのは自然だと思います。

    私も、優しい人が大好きで、優しいということはとてもとても尊いことだと思っています。
    しかし、優しくあるためには、人のいろんな事情・文脈を理解し、情状酌量できること、その上でこそ判断ができることが、どうしても必要かと思います。


    このサイトは、大衆に各々の都合でてきとうに不当に非難された、「頭の良い人」たちによる反論、という側面があります。
    すなわち、「勉強ができるからってさ」式の攻撃を受けた被害者側からの反論、という側面がこの記事にはあるのです。
    その文脈において、被害者たる「頭の良い人」たちが、
    「大衆のその発言は、このように全く誤っている。だからそれらは不当な非難・攻撃であって、私たちはそれら非難に全く当たらず、てきとうで非道いあなたたち大衆がとてもむかつく」
    と反論・表明することは、自然で当然で妥当だと思います。

    そういうシチュエーションとしての反論・表明という形がこの記事にはまずあるのであって、
    それ以外のシチュエーション・意図としての記事ではないということが、まず正しく理解されたいです。

    この記事は、書かれ方は少し不適切・アンフェアなところがあるかもしれませんが、その精神としては、モーツァルトに代表されるような「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」を、認めないつもり・否定するつもりは別にないのです。
    この記事は、「勉強ができるという意味での頭の良さ」も、認められるべきだ、ということを言いたいだけなのです。


    多くの場合、感触として必ずしも意地悪い・攻撃的な気分で考えたのではないにせよ、「本当の頭の良さって勉強ではなくて」と考えるときというのは、どこか「勉強ができる頭の良い人」を不当に認めずにいようとする思考が働いているものかと思います。
    しかしそんな思考が働いていること、その思考が不当で優しくないものであることに、無自覚である人がとても多いのです。
    そんな「普通の頭の良い人を、無邪気に批判してしまう一般人の非道さ・罪性」を、この記事の筆者のような人たちは強く感じているものです。
    そんな事情・立場を理解すれば、この記事も理解でき認められるものであり、
    ともすればこの記事をやはり非難してきたあのーさんのような人の考えこそが、私たちには「また無邪気に不当に人を攻撃してきたものだな」と感じられうるものなのです。

    あのーさんが「優しい人」であることはとても理解でき、それゆえの優しい心によって、この記事が非道いと感じられたのだということもすごくよく解ります。
    しかし、不理解・不到達によって、やはり普通の大衆、もしくはあのーさんのような人は、また別の「頭の良い人」たちという立場からは、無邪気な非道さを振りまいていうるものだということも、どうか理解していただければと思うところなのです。


    こんな感じで、少し古いけれどあのーさんへの返信として書いておきたいと思います。
     

  • こまいぬ星人 2016-07-31 (日) 07:01:54
    >>ごはん炊か騎士
    初めまして。よろしくです。

    このサイトのスタンスというものはある程度理解してはいます。
    一面的な言い切りであっても、切り口が鋭くて笑えるものであれば楽しい
    ただ今回のは「ひらめき」を連呼しすぎて、頭の良い人の書いた文章っぽくなくなっており、お題がお題だけに残念に思いました。知識を重視するのも、ひらめきを重視するのも、どっちもどっちっぽいね〜 という読後感です。

    ちなみに、知識をつめこむことにさえ失敗した者たちのおかしな言動については、個人的にも常々興味をひかれておりまして、私の人生における研究テーマの一つになっています(笑)
     

  • ごはん炊か騎士 2016-07-31 (日) 12:20:17
    >>こまいぬ星人さん

    なるほど
    そこらへんは個人の美学によるかもしれませんね
    一応、この記事では「普通程度のひらめき力」+「さらに知識があって、それゆえのことができる」というのが筆者側なので、
    「どっちを取るか」ではなく「明らかな上位互換側からのなぶりゲー」という記事だと思いますけどね

    大衆のおかしな発言を、明晰に論理的に解き明かして「ほらバカ」と言うのはなんとも心地良いものでありますな!
    (一応言っておくと、おかしな発言で人を否定してくる人たちにそうやり返すだけです!)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-08 (月) 22:39:29
    議論記録特別編を斜め読みして感じたのですが、
    頭の良さ=知性という前提だったのでしょうか?
    なら、自分の感じた違和感の正体が見えてきたかも・・・

    知性にはもちろん、知識が含まれます。
    物事を判断したり、何事かを創造したりするとき、知識は欠かせません。
    ただ一般的に言われるところの「頭の良さ」には、そこまでの意味は含まれていないし、含む必要もない思うのです。物事を判断したり、何事かを創造したりできなくても、頭の働きさえよければ「頭が良い」と言って差し支えない。「ひらめき」に優れていながら怠惰のために何にもできない人が、「俺本当は頭いいんだぜ」と言っていたなら、こきおろすべきはその精神構造であって、発言の真偽ではないのでは?

    愚衆が「学校で得る知識量とはおよそ独立の頭の良さなるもの」なるものを想定し、それにより「知的一発逆転」をはかったとしても、その想定自体は的外れではないので、そこに切り込んでしまうと、表現は悪いですが詭弁を弄したような自己満足文にならざるを得ない。私が感じたのはそういうことです。だからなぶりゲー的な面白さもなかった。「知的一発逆転」を目論む愚かな精神にこそ切り込んでほしかったのです。愚衆のおかしな考えに切り込むのは愉快ですが、勢い余っておかしくない部分にまでいちゃもんをつけてしまったら残念なことになるので。。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-08 (月) 23:37:02
    たとえば私なら、「単なる頭の良さだけで知的人間に対抗できるとでも思ってんのかボケが! そんな風に、自分の都合のいいように都合のいいように都合のいいように都合のいいように妄想するから愚民なんだよ!」とかやってみたい(笑)
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-13 (土) 02:33:55
    >>こまいぬ星人さん

    このこまいぬ星人さんのレスは、全体的に私の思うところのとても良い、とても好きな感覚をしています。
    文面上・表面上からそのまま(自分が思いついたまま)受け取ることを危険視し、その真意・真の姿を適切に感じ取って見極めようとする感じ。
    ある事柄が間違っていたり悪かったりしても、それをさらに細かく分けて「どの部分こそが間違っていて、でもどの部分は正しいのか」を見極めようとする感じ。
    とても良い感覚だと思います。
    ただ、まだ十分ではないですけれど。


    ひらめきや頭の働きなどの、勉強ができるという意味ではない頭の良さというのはもちろん確かにあります。
    その頭の良さがあることや、そういう点で人を頭が良いと表現・評価することは、全く問題がありません。
    この記事はそこを否定・批判しているのではなく、
    「それを勉強ができる人たちに向けて言ったからって、知的逆転はできないし、知的逆転ができると信じているのは間違っている」と言っているのです。

    この記事は、掲題文句を「勉強ができる人たちへ向けて言ってくる」というシチュエーション・文脈を想定していて、
    その際のその精神性とは、「勉強ができるからって頭が良いわけじゃないぞ、もっと日常的に・実用的に大切な頭の良さがあると思うなー」というものでしょう。
    そしてここでわきまえなければいけないのは、これを言われる「勉強ができる人たち」も、発言者が引き合いに出してくる「日常的・実用的に頭が良い人、頭が良い行動」も、同様にシチュエーション・文脈として想定されているものだということです。なので、それを汲み取らなければなりません。
    すると、これを言われているのは「高学歴な人たちの平均的な人」で、発言者が引き合いに出してくるのは「お釣りや乗り換えの思考がスムーズな人」というケースが、無理でない十分自然な受け取り方として、思い描けるでしょう。

    そしてそれに対して凸さんは、(「文脈の汲み取り」という推測・補いをして読めば、)
    『お釣りや乗り換えをスムーズにこなすのに要する思考力が、高学歴な人たちが政治や学問的諸問題について取り組んでいる際の思考力より高度なものとは思えず、
    学歴な人たちは、たまたま、わざわざ、お釣りや乗り換えの処理などに心血を注いでいないだけだ、
    そのような知的に洗練されていない領域の日常的な事柄では、ひらめき等の重要性が高く、高学歴な人たちよりそうでない人の方が優れている光景も有り得るが、
    だからといって、勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考えるのは早計であり、「ひらめき」を「真の頭の良さ」の論拠に置こうと企む者は、得てして井の中の蛙にならざるを得ない』
    と反論しているのです。


    つまり、こまいぬ星人さんのレスに直接的に返信すると、
    ・『「ひらめき」に優れていながら怠惰のために何にもできない人が、「俺本当は頭いいんだぜ」と言っていたなら』というのは、この記事のシチュエーションから外れた、意味のない想定です。
    ・「学校で得る知識量とはおよそ独立の頭の良さなるもの」を想定することは別に間違っていない構わないことですが、「勉強ができる人」がお釣りや乗り換えの処理等で他の人に劣ったとしても、それはその意味の頭の良さとして劣っていることを表しているとも実は限らず、多くの場合やはり「知的一発逆転」にはならない、ということをこの記事は言っているのです。

    もう一つ、恐らく大事な確認をしておきます。

    >だからといって、勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考えるのは早計であり、「ひらめき」を「真の頭の良さ」の論拠に置こうと企む者は、得てして井の中の蛙にならざるを得ない

    本文のこの記述の意味は、
    『頭の良さが、ひらめきや頭の働きの良さに大きく懸かっているとしても、勉強と独立のものではない。勉強の重要性を無視してひらめき等こそが“真の頭の良さ”であると言っていては、政治や学問的諸問題を解決できるような能力は得られず、その程度の、井の中の蛙にならざるを得ない』
    ということです。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-13 (土) 13:50:55
    簡単にレスしておきます(あとで補足・訂正はするかも知れません)

    『「ひらめき」に優れていながら怠惰のために何にもできない人が、「俺本当は頭いいんだぜ」と言っていたなら』というのは、自分でも少しわかりずらい想定かなと思いましたが、凸さんの文章の真意を好意的にくみ取れる方なら、私の発言の真意もくみ取ってもらえるだろうと勝手に期待しておりました。その点は甘かったと思います。私が言いたかったのは、『勉強量的な意味ではない「頭の良さ」』を想定すること(誰々は頭はいい等)には全く問題がないけれども『勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考えるのは早計』であると主張するべきであるが、凸さんの文章には『勉強量的な意味ではない「頭の良さ」』を想定することには全く問題がない』ことには言及していないので、『勉強量的な意味ではない「頭の良さ」を想定することはすなわち、勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考えていることであり早計である』という主張にも見え、違和感を覚えるということです。
    ごはん炊か騎士さんの言われる「シチュエーション・文脈」ということはわかるのですが、今回のお題「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」は、たとえば「本当の頭の良さ」などに比べて名言性が薄い。よって他の記事以上に誤解を避けるためのフォローを入れておかないといけなかったのではないでしょうか。『「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」を想定すること自体は問題がないが、その名言的使用には注意せねばならない。でないと井の中の蛙になる』というような書き方であったなら、私も違和感を思えなかったと思うのです。

    そのような観点から、これはごはん炊か騎士さんの言葉ですが、「頭の良さが、ひらめきや頭の働きの良さに大きく懸かっているとしても、勉強と独立のものではない」この文章にも違和感を覚えるのです。「頭の良さ」などというものは、明確な定義などなく、自由に想定すればいいことなのに、「勉強と独立のものではない」と言い切っているからです。結果井の中の蛙になったとしても、「頭の良さ」の考え方自体は、ある程度の妥当性があれば問題ないと思います。これが「頭の良さ」ではなく「知性」であったなら、前のレスでも述べたように違ってくるのですが・・・

    私の言いたいことを一言でまとめるなら、「今回のお題は名言性が薄いので、その分のフォローは必要だった。ごはん炊か騎士さんのように好意的に深読みをしないと楽しめないなら、必要十分な表現ではなく、鋭さが足りなかったと言えるのでは」くらいになるのかな? たとえば「本当の頭の良さ」であれば、まるでニセモノの頭の良さが対極にあって、それば勉強のできる人であるような印象を与えますが、「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」と言ったとき、その発言には「本当の頭の良さ」に比べて曖昧さが少なく、勉強できる的な頭の良さの軽視をずるいやり方で含んでいるとは一方向的には感じられない。感じるのであれば、少し被害妄想的な気がします。でもまぁそのへんは主観的要素が多いので、議論によるすり合わせにも限度がありそうですけどね(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-13 (土) 14:13:36
    ※早速補足です

    頭の良さは「勉強と独立のものではない」・・・厳密に言えばそうなのですが、「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」などと言う場合、それほど厳密に勉強と頭の良さを分けているわけではないので、学力にあらわれにくいという程度の意味としてある程度独立したものと想定することは可能であり、そこを否定しているので違和感を覚える、ということです。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-13 (土) 16:14:50
    やはり・・・一般的に言われるところの「頭の良さ」と、いわゆる知性を一緒くたにして語っているように見える時点で、知的かつ面白い文章として楽しむことはできないです・・・そこを気にせずに好意的に読めば、愉快に読むことも可能とは思いますけれど。。
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-13 (土) 21:36:37
    >>こまいぬ星人さん

    今この返信を書き出す前に言っておかなければなりませんが、こまいぬ星人さんとのやり取り、そのための点検や思考をしているうちに、この記事・文章の理解が私も足りていなかったことを感じています。
    完璧に文章を読み、受け取るというのは、難しいものですね。
    一応、一部初めより理解が深まり変わった立場からになるかもしれませんが、返信させていただきます。


    (本文)
    >これは、知識をつめこむことにさえ失敗した者たちが、「本当の頭の良さ」を知識以外の領域――例えば熟考を要しないパズルやクイズ、あるいは日常的会話程度の水準に限定された「ひらめき」の領域――に設定することによって、「知的一発逆転」をはかるためである。彼らは高度で複雑な政治や、学問的諸問題を「ひらめき」で見出したり、あるいはそれを「ひらめき」と専門的知識とに基づいて解決することのかわりに、電車の駅の乗り継ぎのわずかなスムーズさや、おつりを受け取る手間の細かな時間的短縮の問題を解決することに心血を注ぎ、それこそが「本当の頭の良さ」を顕著に表す指標になると信じているのである。

    私は、この記事に「勉強ができるという意味ではない頭の良さを想定することは全く問題がない(その頭の良さを否定していない)」という考えは表れていると思います。
    上記の『あるいはそれを「ひらめき」と専門的知識とに基づいて解決することのかわりに』の部分から、
    「勉強ができる人は、物事をひらめきと専門的知識との両方によって行っていることがある」という意を感じます。
    つまり、ひらめき的な頭の良さの存在は否定していません。

    また、『例えば熟考を要しないパズルやクイズ、あるいは日常的会話程度の水準に限定された「ひらめき」の領域――に設定することによって、「知的一発逆転」をはかる』の部分で、
    今は、話中の大衆は、「知的一発逆転をはかる目的で、勉強ができるという意味ではない本当の頭の良さを、パズルやクイズや会話やお釣りや乗り換え等のひらめき程度の水準の領域に設定する」というふうに、シチュエーションが明言的に説明されています。(ここが私がより理解したところです……)

    まぁ特にここの記述にシチュエーション設定としての機能があると重く見出さなくても、全体各所の記述から、やはりこの記事で想定されている、大衆が“日々感じる”として持ち出す「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」は、「お釣りや乗り換えの処理」のようなくだらないものであるということは、感じられます。
    つまり、純粋にすごい「頭の回転が確かに速くて、やらせてみると何でも上手くできちゃうタイプの人、そのような頭の良さ」などは、話の主たる対象としていません。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-13 (土) 21:37:37
    >今回のお題「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」は、たとえば「本当の頭の良さ」などに比べて名言性が薄い。よって他の記事以上に誤解を避けるためのフォローを入れておかないといけなかったのではないでしょうか。

    「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」という言葉は、
    「名言でない発言のされ方のとき」も多くあるというだけで、
    「名言性を帯びて発言されるとき」も十分多いかと思います。
    つまり、「名言性を帯びて発言されたときのこの言葉」というのが十分思い浮かべられると思うのです。
    したがって当記事を、当記事が成立するように読むことは、十分できると私には感じられます。
    このサイトの中にこの記事があって、わざわざ今以上にフォローを入れなければあんまり成立しない、とは私は思いません。


    >「頭の良さが、ひらめきや頭の働きの良さに大きく懸かっているとしても、勉強と独立のものではない」この文章にも違和感を覚えるのです。「頭の良さ」などというものは、明確な定義などなく、自由に想定すればいいことなのに、「勉強と独立のものではない」と言い切っているからです。

    確かに私のその書き方は適切ではありませんでしたね。申し訳ありません。
    「頭の良さが、ひらめきや頭の働きの良さに大きく懸かっているとしても、勉強も一つの重要な頭の良さである」とでも言うべきでした。

    ともかく本文締めの「井の中の蛙にならざるを得ない」とは、『勉強ができるというのも一つの頭の良さ・能力であり、それを無視してひらめき等こそが“真の頭の良さである”と言っていては、勉強ができなくてもできる程度のことしかできない』という意味だということです。

    ちなみに今点検していて思うのは、ここで「真の頭の良さ」という表現が使われているのが大事であるということです。
    頭の良さの主たるところはひらめきや頭の働きであるかもしれない、けれどそれらこそを「真の頭の良さ」と言って、勉強ができることは本当は頭の良さではないとしようとするのは、間違っているわけです。


    >私の言いたいことを一言でまとめるなら、「今回のお題は名言性が薄いので、その分のフォローは必要だった。ごはん炊か騎士さんのように好意的に深読みをしないと楽しめないなら、必要十分な表現ではなく、鋭さが足りなかったと言えるのでは」くらいになるのかな?

    当記事の掲題とそのシチュエーションは、名言性が薄いとは思いませんし、私にとっては、この記事はすらすら違和感なく読めて、基本的に上記のように受け取れるものです。


    >「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」と言ったとき、その発言には「本当の頭の良さ」に比べて曖昧さが少なく、勉強できる的な頭の良さの軽視をずるいやり方で含んでいるとは一方向的には感じられない。感じるのであれば、少し被害妄想的な気がします。

    そこが、やはり当記事のシチュエーション・文脈を汲み取って、そのシチュエーション・文脈として読むことができていないところなのだと思います。
    勉強ができるという頭の良さの軽視を含んで、名言的に言い放たれているシチュエーションが、この記事では上記してきた通り想定されているのです。
    このサイトの記事は、全てそれぞれシチュエーション・文脈を持っていて、それとして読むものであるということが身に付いていれば、恐らくこの記事は問題ない文章であると、私は思います。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-13 (土) 21:58:00
    一応、今私が、意味を伝えることを主眼としてこの記事を要約して書けば、このようになります。


    知識をつめこむことにさえ失敗した者たちが、「知的一発逆転」をはかる目的で、「本当の頭の良さ」を知識以外の領域、例えば熟考を要しないパズルやクイズ、あるいは日常的会話程度の水準に限定された「ひらめき」の領域に設定して、偉そうに語ることがある。
    しかし彼らは決して、その「本当の頭の良さ」で、高度で複雑な政治や、学問的諸問題を解決することはない。

    一般的に言えば、勉強すなわち知識なしで活躍できる分野もある。
    しかし、知的に洗練された領域で活躍するには、勉強量的な意味での「頭の良さ」は間違いなく重要であり、それを「ひらめきなどが真の頭の良さである」として切り捨てようとする者は、得てしてその程度の、井の中の蛙にならざるを得ないのである。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-14 (日) 02:59:19
    まず、私の言葉足らずだった点の訂正とお詫びを。

    本日最初のレスにおきまして、『勉強量的な意味ではない「頭の良さ」を想定すること』という表現の全てを、『勉強量的な意味ではない「頭の良さ」を「本当の頭の良さ」として想定すること』に訂正してください。
    本記事においては、『「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」という名言は、「頭の良さ」は「学校で得る知識」の量とはおよそ独立のもの、場合によってはむしろ相反するものであるとするところの表現であり、知識をつめこむことにさえ失敗した者たちが、「本当の頭の良さ」を知識以外の領域に設定するためのもの』であるという設定であったと考えられたため、つい省略しておりました。申し訳ありません。

    ごはん炊か騎士さんの言葉「ひらめき的な頭の良さの存在は否定していません」については、その通りと思います。
    ですが「勉強ができることは本当は(の?)頭の良さではないとしようとするのは、間違っているわけです」という点には同意できないということです。「(本当の)頭の良さ」は、妥当な範囲内で自由に設定できると思います。

    さて、シチュエーション設定についてですが、
    知識をつめこむことにさえ失敗したまともな知能もないおばかさん連中のまぬけな言動について語られているということはわかっておりますが、以下の論理流れはシチュエーション設定からは独立していますので、批判するに際し、シチュエーション設定を鑑みる必要がないと判断できます。

    『「本当の頭の良さ」を知識以外の領域に設定すること』は『勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考える』ことであり、早計であって『得てして井の中の蛙にならざるを得ない』

    これを私の考えを明確にするために言い換えるなら、

    『「本当の頭の良さ」を知識以外の領域に設定すること』は『勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考える』ことにはならない。けれども仮に『勉強量的な意味での「頭の良さ」が重要ではないと考える』ことがあったとすれば、知性を重視する立場からすれば早計であり『得てして井の中の蛙にならざるを得ない』であろうが、逆に何が何でも「本当の頭の良さ」に知識量を含有させようと企てるものは、得てして知的領域のみを重視する視野狭窄な近眼メガネくんにならざるを得ないのであって、ひらめき重視にこだわる愚衆も、知識量重視にこだわる堅物エリートも、居心地のいい偏った世界に固執するという意味ではどっちもどっちであると言わざるを得ない』

    知識というものは、バカでも増やすことができますし、またどんなに増やしたところで、頭の良さを保証しません。
    ノーベル賞受賞者が、倒れている老人を蹴っ飛ばしていたら、そのことのみでバカ扱い可能ですから。
    世界は知的領域のみで成立しないので、「本当の頭の良さ」に知識の領分を増やすのは危険です。

    それから、それぞれの見出しとなっている名言を、記事のシチュエーション・文脈とは切り離して評価すること自体は可能ですよね? 問題は意味があるかどうか。
    私は意味はあると思います。記事のシチュエーション・文脈とは切り離して名言性を評価したとき、その名言性が低いと判断されたならば、記事本文の中で補う必要があるかと。
    今回の場合、最初から頭の良さと知識量は切り離せないものだと決めつけておられたのでしょう。それで「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」という言葉の名言性に何ら疑いを持ちえぬままに記事を書かれたのでしょう。だから私のように、頭の良さと知識量は切り離してもいいと考える者が読めば違和感を覚えるわけです。

    最後に要約についてですが、このような文章であったならすんなり読めていたでしょうね。「例えば」として一例に挙げただけの「ひらめき」が、いつの間にか主役になっているといったような文章のおかしさもありませんし(笑)
     

  • とつげき東北 2016-08-16 (火) 00:31:26
     概念の整理における美学的ないし機能的問題。

    「頭の良さ」は、勉強の出来、発想力、知的創造力等の綜合概念として整理するのが適当であり、「大衆を気分よくさせること」や「老人をいたわること」、「謙虚であること」等を含むべきではない(概念の背反性が維持できなくなる。『本当の頭の良さ』参照)。

     大衆は、超頭のいい人が傲慢に振舞ったり、犯罪を犯したりすると、とたんに「彼は本当の意味では頭が良くない」と言い出してしまうものだが、そうすると、いわゆる「頭の良さ」という概念の元々の意味が崩れてしまう。つまり、勉強の出来、発想力、知的創造力等を綜合した何かを表す概念がなくなってしまう。これは単純に、言語体系として醜く、不都合な結果を生む。

     よって、「頭の良さ」を、
      >妥当な範囲内で自由に設定できる
     という考え自体が当サイトにおいては誤りなのだ。少し言いすぎだろうか。それならこう言い換えよう。「老人を蹴った程度で頭が良くなくなるような定義なら、それは『頭の良さ』の定義として『妥当な範囲』を逸脱している」。老人を蹴った『頭の良い人』は、単に、老人を蹴った『不道徳かつ頭の良い人』とみなさなければならない。『徳の有無』を『頭の良さ』の構成要素に入れてはならない。

     勉強の出来は、当然に、頭の良さの構成要素に他ならない。「ひらめき(先に『知的創造性』と書いたもののうち初歩的なもの」もそうである。そのうち、前者だけを構成要素から恣意的に外すことは、「頭の良さ」の概念を汚す行為に他ならない。

     当サイトは、知的審美眼を求める。

 

  • こまいぬ星人 2016-08-16 (火) 17:50:36
    >勉強の出来、発想力、知的創造力等を綜合した何かを表す概念がなくなってしまう

    「知性」「知力」などでいいと思います。
    「頭の良さ」といった概念は自由度が高く、元々の意味という発想自体幻想です

    <老人を蹴った→他者に共感する能力が足りない等、頭の働きのどこかがおかしいことが判明→実は頭の総合力は悪かった>

    妥当な範囲を逸脱していないと思います。

    このサイトが管理者の考えに沿った思想のみをよしとするのであれば、異なる考えを否定して留飲を下げるだけの内輪満足サイトとみなすことができます。世界に開かれている意味がありません。愚かな大衆の精神構造と何ら変わりがありません。着眼や表現の面白い記事も多くあるだけに、残念なことです。

    このサイトに関わる皆様には、愚かな大衆をこき下ろすだけでなく、堅物エリートを笑いものにする頭の柔軟さをも持ってほしいですね。一方の批判しかできないのであれば、まさにもう一方の立場の真っ只中にあるという疑いは否が応にも高まっていくのです。
     

  • '''' 2016-08-16 (火) 22:41:58
    〉老人を蹴った→他者に共感する能力が足りない等、頭の働きのどこかがおかしいことが判明

    この推論が不適切。
    他者にどう思われるか十分認識した上で老人を蹴った可能性も十分考えられるのに、「頭の働きがおかしい」と短絡して「実は頭の総合力が悪かった」と結論づける人は間違いなく頭悪いです。

    「頭の良さ」の要素に他者への共感能力や政治力まで含める考え方も一般的だと思うけど、こういうミスリードを招きやすいから自分としては却下。

    というか、いわゆる知力(知識量、記憶力、計算力、論理力、発想力、問題を発見/解決する力)と、他者へ共感や政治力・調整力系の能力は、実感としてまったく違うジャンルのものなのに、これらを「頭の良さ」という言葉でざっくりまとめてしまってなんとも感じない言語センスの鈍さがとてもイヤです。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 00:17:40
    不適切ではありませんよ。
    あなたは揚げ足を取っているだけ。頭悪いですね。
    これは厳密な推論ではないので、あらゆる可能性が考えられます。
    知らずに蹴っ飛ばしたとかね。
    この推論が頭悪いナら、
    ノーベル賞受賞者→頭いい・・・この前提としての推論こそ超頭悪いことになります。偶然が重なって受賞できただけかも知れないでしょ?
    ちなみにここでいう「他者=老人」のことです。

    >ざっくりまとめてしまってなんとも感じない言語センスの鈍さがとてもイヤ
    私がざっくりまとめているわけではない。
    言葉の性質として、自由な設定ができると言っているだけ。
    ムチャクチャなロジック勘弁してください。
    あなたの好き嫌いなんて全く興味ありません。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 00:30:18
    知的審美眼なんていうごまかし言葉に触発されて出てきたのかな?

    あれは「頭の良さなどという一般的に自由に使えばいい言葉を、自分の都合のいいように概念設定し、それを正当化するための論旨のすり替えであり、完全な屁理屈」です。このような誤謬がまかり通るようなサイトなんですかね、ここは。だとすれば、

    「頭の堅くなるページです」

    と言うべきです。あんまりイラつかせないで下さい。
     

  • とつげき東北 2016-08-17 (水) 00:43:59
    どんな言葉も一般的に自由に使い得る。
    それが汚いから、ここで概念整理を行っているのである。
    特にその汚さは、大衆が、有能な人に向かって使う、ルサンチマンに基づく価値転倒に立脚する時だ。
    それを分析するのがこのページの効能であり、「どんな言葉も、何らかの立場からは自由に使い得る」みたいなしょうもない結論は求めていない。
     
  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 00:53:58
    私のこれまでの発言から、そのようなしょうもない結論を言っているわけではないのは自明なので、そこはおいといて。

    「頭の良さ」についての概念整理はおかしいですよ、という批判をしています。

     ここが自己満足サイトでいいのなら、批判者に理解不足があるとしてまともに相手にしないのが得策でしょうね。それだと都合のいいように考えるしか能がない大衆と同じことになってしまいますが。勉強できるかできないかの違いがあるだけで。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 01:04:01
    語弊があるかと思うので、私の主張を再確認。

    「頭の良さ」という言葉は「知性」などに比べて自由度が高い(決して自由に使えばいいと言っているわけではない)ので、「知性」などと同じような概念的縛りをしてしまうのは間違いである。
     

  • '''' 2016-08-17 (水) 02:25:44
    〉「頭の良さ」という言葉は「知性」などに比べて自由度が高いので、「知性」などと同じような概念的縛りをしてしまうのは間違いである。

    上記の考え方について、おバカな推論をミスリードしやすいし、美しくもないから「頭の良さ」という言葉を一般に使われるような広義で用いるべきではない、というのがこちらの主張だよ。

    それに対してなに?
    こまいぬ星人の論拠は「もともと自由度が高いから」概念的に縛るのは間違い?

    ・・・もうちょっとなんかないの?
     

  • '''' 2016-08-17 (水) 02:37:51
    〉一般的に言われるところの「頭の良さ」には、そこまでの意味(物事を判断したり、何事かを創造したりするときに知識が欠かせないこと)は含まれていないし、含む必要もない思う。

    〉世界は知的領域のみで成立しないので、「本当の頭の良さ」に知識の領分を増やすのは危険です。

    このあたりが論拠っぽいけど、なぜそう思うんだろう。
    もう少し掘り下げて説明してくれない?
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 06:11:52
    ・・・もうちょっとまともな突っ込み方ないの? まあいいや

    >上記の考え方について、おバカな推論をミスリードしやすいし、美しくもないから「頭の良さ」という言葉を一般に使われるような広義で用いるべきではない、というのがこちらの主張だよ。

    「頭の良さ」をそうのように使いたければ、あなた方は勝手にそのように使ってればいいのです。しかし、世界に向かって、用いるべきではない(=用いるのは愚かなことだ)と言うのは無理がある。日本語の概念をを自分たちの都合のいいように嬉々として規定してはいけないということ。そんなものは一般に通るわけがないし、大衆に馬鹿にされて当然である。
    ただ、私がすでに述べたように、このサイトが本当に内輪に向かって閉じていてそれで満足しているだけのサイトなら、言うだけ無駄だったのかも知れません。トップページを見る限り、そうではないように読めたのですが、単にシチュエーションを読む必要があるだけでなく、大衆をこき下ろして、堅物エリートを満足させることだけに特化されていたのなら、苦笑するしかないですはい。

    あとの質問は気が向いたら返します。何か、力が抜けてきたので(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 06:27:32
    ひとりごと「なれ合いと知性は相反するものである」
     
  • '''' 2016-08-17 (水) 07:50:31
    〉日本語の概念をを自分たちの都合のいいように嬉々として規定してはいけないということ

    あらゆる専門領域がこれに抵触してしまうよ。
    厳密な思考やかみ合った議論をするために、一般的な言葉に、より限定的な意味を持たせる(概念を縛る)なんて当たり前の話。

    「頭の良さ」という概念に「知識量」的な要素を含めるとどんなデメリット(危険)があるのか。あるいは「共感する能力」的な要素まで含めるとどんなメリットがあるのか。

    うちに閉じこもらずにきちんと説明しなよ。

    「一般に通るわけないからダメ」という趣旨なら、「このサイトもあらゆる専門領域と同様にダメということね」と理解して終わります。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 08:31:53
    うちに閉じこもる? ふざけてんのか?

    >厳密な思考やかみ合った議論をするために、一般的な言葉に、より限定的な意味を持たせる(概念を縛る)なんて当たり前の話。

    厳密な思考やかみ合った議論をするために、一般的な言葉に、より限定的な意味を持たせるために、言葉の一般的な使用の自由度を制限できるとでも思ってたのか? 気持ち悪い。堅物同士でしこしこやっとれ(笑)

    んで、デメリットとかメリットとか笑えるw
    でも、折角なんで答えてやるよ。
    「頭の良さ」という概念に「知識量」なんてのを多く含めると、まともに議論もできない知識しかない堅物エリートが、「俺は頭がいい」などと気持ち悪く勘違いするんだよwww


    >「一般に通るわけないからダメ」という趣旨なら、「このサイトもあらゆる専門領域と同様にダメということね」と理解して終わります。

    そんなこと言うと他の専門領域に失礼です。
    まず、専門領域の議論ではない。一般大衆のの言葉の使い方の話でしたよね? 覚えてるか? で、その世間一般の世界において、ここで言われているような、一般的な言葉の概念の自分勝手な制限は『絶対に』通りません。妄想の世界からいい加減出てこい。大衆が自分の都合のいいように名言連発してんのと、違いがないわ(大爆笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-17 (水) 08:41:43
    ひとりごと「これでは大衆に馬鹿にされて当然」
     
  • '''' 2016-08-17 (水) 09:56:57
    今問題になってるのはこれね。

    〉「頭の良さ」についての概念整理はおかしいですよ、という批判

    〉「頭の良さ」という言葉は「知性」などに比べて自由度が高い(決して自由に使えばいいと言っているわけではない)ので、「知性」などと同じような概念的縛りをしてしまうのは間違い

    一般大衆用法のまま概念整理しない方が良いのか、それとも一般大衆は関係なく概念整理した方が良いのか、良いとするならそれぞれどんな意味で?という話。

    一般大衆の言葉の使い方とか、それを制限できるとかそんな話は問題になってない。そこに関しては最初から見解相違がないんだから。

    こまいぬ、最初はがんばってたのに追い詰められたらただの類型的バカになっちゃったなぁ。つまんないわー
     

  • 67 2016-08-17 (水) 16:40:48
    犬さんが頑張ったのは、最初丁寧だったところです。
    これはひととして素晴らしい。
    何故なら、人という字は支え合っているからです。
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-17 (水) 23:08:10
    私が悩んで書き込まないでいる間にすごい散らかり、そして泥沼な状態になってしまった。


    >>名無しさん

    私の内側の思いを少し言います。

    私は、基本的に無闇に人を煽る調子は挟みませんし、相手を突き放したり相手に負担させたりするような態度もあまり取りません。
    それは、自分が知的で正しいことが言える立場のつもりで発言するのであれば、その通り「一番正しい(理想的な)議論」を展開しようと試みたいと思うからです。
    いらいらから反発をして、議論を汚く台無しにして、ただ「自分は知的な側だから」のつもりのふんぞり返りだけで、明確に示しきれていない主張・立場を押し通そうとするのは、「知的な側」のすべきことではありません。

    (もちろん「エンターテイメント等のために、自覚的にそうしない」というのであればそれでいいですが、そうしないのであればその分だけ様子・対応の知的さは落ちるでしょう。
     そして、不思議なことに、世間ではそういう「エンターテイメント等のために知的さを落とした議論」ばかりがやたらと選択されているようです。
     それにはもう飽きたので、そろそろ「その議論を最も正しく行う」という知的証明の形を、皆さんも挑戦・探求するようになってはいかがでしょうか。)
    (もちろん、私も、気力と時間が向く限りでしかできないですけれど。)

    私は「自分は正しいから、なかなか分からない相手を非難的に見る」のではなく、
    「自分は正しいから、なかなか分からない相手にもどうにか理解させることができるはずだ」と考えて、この議論を行っていたのです。
    名無しさんが私の考え・スタイルに従う必要は全くありませんが、一応私にはそんな意識があるのだということは知らせておきたいと思います。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-17 (水) 23:09:06
    >>こまいぬ星人さん

    名無しさんとで議論が進んでしまったので、指摘・吟味したいところは沢山出てきてしまったのですが、
    全てそれをしてはそれこそ散らかってしまうので、他はさて置き一番大事なところの話に取り敢えず戻りましょう。

    頭の良さは、勉強と関係ないものであるか否か。


    ここでまさかの展開をしてしまおうかと思うのですが、
    よく考えると確かに頭の良さは勉強と関係なかったかもしれないと今私は考え直しています。

    勉強は、勉強特有の感触・やり方があります。
    したがって、ゆえに、勉強はできるけれど、勉強以外のことに対してはどうにも頭の働きが悪い人、というのは考えられます。
    その人には、やはりどうしても、「頭が良い」という言葉は掛けがたく、「勉強はできるけど頭は良くない人」という表現になってしまうかと思います。

    今まで私たちは、「いや勉強ができる人はちゃんと他のこともできて頭が良いよ」というような考えで、頭の良さから勉強ができることを外すのはおかしいと考えてきたかと思います。
    でもそれは、「勉強もできて、かつ、勉強以外のことにも頭の働きが良い人」だから頭が良いと感じていただけで、
    すなわち、やはり「頭の働きが良い」というところに頭の良さを感じていただけだったのではないでしょうか。

    「頭の働きが良い」の条件なしに「頭が良い」とはやはり表現しがたく、
    「頭の働きが良い」の条件さえ満たしていれば「頭が良い」と表現ができてしまうような気がします。

    この疑惑と、それに合わせて他全体の整合性の構築し直しを、今私は考えています。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-17 (水) 23:12:24
    もし私がすごいトンチンカンなマヌケなことを言っていたら恥ずかしい……
    その場合には遠慮なく突っ込んでください
     
  • '''' 2016-08-18 (木) 00:33:54
    〉世界は知的領域のみで成立しないので、「本当の頭の良さ」に知識の領分を増やすのは危険です

    特にこの部分については語れそうな何か(ウィキの外側視点からの批判)がありそうと感じたから、結構期待してたんだけどね。普通にどんな考えなのか聞いてみたかった。
     

  • '''' 2016-08-18 (木) 01:33:06
    〉ごはん
    「頭が良い」と「頭の働きが良い」ではわかりにくいので、頭の回転の早さとか表現変えたほうが考えやすそう。

    勉強がすごくできて(5科目偏差値80とか)で、日常会話的な部分で頭の回転が鈍い人を想像すると、「頭良いのにコミュ力弱い人だなぁ」と感じると思う。

    一方で、偏差値低いけど日常会話や合コン等で頭の回転はやい人については「トークレベルたけぇ」とは思っても「頭が良い」はやや違和感あるかな、自分は。

    ただこういう人に知性を感じるのは十分あり。

    頭の回転の早さがどういう局面で発揮されているときに、自分は相手に知性を感じるか。逆に感じないか。
    それらについて一般の人はどう感じると想定されるか。

    この思考実験を十分繰り返していれば、「勉強ができるコミュ障」を「勉強バカ」と感じることはなくなるでしょう。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-18 (木) 17:27:41
    お前はもう出てくるな。
    もうまともに相手にされんから。

    類型的バカ? 完全に自分の事だろwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
    どこに追い詰められとんねん? 脳みそ爆発させてんのか?!?!?!?!?!

    お前の鼻くそロジックを全部蹴散らしてやっとんねん。
    まともに相手されないのはお前がバカだから。
    もしかして本気でわからんの?

    ああそうか、もっと丁寧に、小学生にもわかるようにも書かないと、
    サクッと屁のように論破され続けていることにすら気づけないのか(大爆笑)

    恥を知れ

    よくもまぁこんなカスを飼っているものですね、このサイトは・・・
    こんなカスにおだてられて嬉しがってるようでは終わりですよ。。。

    他の方には申し訳ないのですが、とんでもない低脳が出てきたので議論する気は失せました。
    こいつが謝罪もせずに馬鹿づら下げてうろついている限り。
    このようなゴミ馬鹿をこき下ろすのも大好きなので。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-18 (木) 18:47:26
    でも折角なので、言っておくわ(笑)

    >一般大衆の言葉の使い方とか、それを制限できるとかそんな話は問題になってない。

    いや、突き詰めればそこに行きあたる。
    大衆を啓蒙するために、世界に向けて発信してるんだろ? であれば、
    大衆の許容範囲内の概念整理でないと意味がない。絵空事にしかならんからな。
    その意味で今回の記事、ちょっと調子に乗り過ぎと感じたので書き込んでみた。
    うちわでしこしこやって自己満足してればそれでいいなら、好きにすればいい。


    >>ごはん炊か騎士さん
    知性の感じられる書き込み、今後も楽しみにしております。
     

  • 777777 2016-08-19 (金) 02:31:46
    >こまいぬ星人 氏

     こまいぬさんがこのサイトに持っている前提、ここが違ってる
    (とはいえ、初見であればそのことに気付けなくてもやむをえないが)。

    >大衆を啓蒙するために、世界に向けて発信してるんだろ?

     違う。
     ここの筆者(とつげき東北など)や住民にそんな高邁な志はない。
     上のご飯なんちゃらはどうかはしらないが
     (彼のスタンスはこのウィキでは特殊である)。

     この点について、議論記録7にて用いられていた文章を再掲する。

    【なお、このページはバカを治すために存在するのではない。合理的な思考・思想に基づき、バカを笑うために存在する。ゆえに、「バカを治してみろ」という指摘は不実である。バカは往々にして治らないからだ。】
     

  • こまいぬ星人 2016-08-19 (金) 03:19:17
    >777777 氏

    確かに啓蒙は言い過ぎた気がするので、以下のように訂正します。

    大衆を啓蒙するために、世界に向けて発信してるんだろ? であれば、
    大衆の許容範囲内の概念整理でないと意味がない。

    大衆を笑いながらも、合理性は手放してはいないんだろ?
    内輪満足サイトにに、堕すつもりはさらさらないんだろ? であれば、
    ウィキ外世界の許容範囲の概念整理でないと意味がない。


    トップページの概要にはこうあります。

    【頭がよくなるページです。
     知的な態度でもって、「名言的」に用いられる言葉や行動、議論を分析し、笑うことを目的として作られています。
     論理と分析に裏打ちされた思考を身につけて、うるさい親や上司に反撃しよう!
     子供の「屁理屈」に対しては、真正面から、ロジックと愛情とを持って説明できるようになろう!
     難関大学入試・入社試験等における小論文等論述・文章理解・面接対応の練習、論理的思考法のトレーニング、他人との議論時のテクニック集としても使えます。】

    この文章と議論記録7の文章を合わせて読むと、

    【治らないほどのバカではない人が、合理的な思考でもってバカを笑いながら、頭がよくなれるサイト】

    という感じになりますかね・・・
     

  • こまいぬ星人 2016-08-19 (金) 03:37:58
    よって、合理的な思考でもってバカを笑えていなければ、そこはツッコミどころとなります。バカな住民をみつけて笑うといった楽しみ方もできそうですね♪
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-19 (金) 23:26:20
    >>777777さん

    777777さんに「ご飯なんちゃら」と言われたことへの反発という体で、私のメタ的に考えていることをもっと話したいと思います。

    私のスタイルは相対的な事実として特殊ではありますが、場にそぐわないおかしさや理解できない異常さがあるわけでは全くないでしょう。

    私は、何が楽しいか、何を楽しみたいと思ってこのサイトに来るかと言えば、知的な人の知的な文章・プレーが見たいのです。
    綺麗で軽快で気持ちの良い文章が読めたり、鮮やかで巧みで斬新な知的プレーが見れたり、鼻につくむかつく人が見事に撃退されていたりすると、楽しいのです。

    間違っていることが明らかなものや人にただ間違っていると言うことは、当たり前のことを言っているだけで何も面白くありませんし、すごいと思って楽しめることもありません。
    それよりも、それだったら、一見正しい側に立って良い気になって偉そうに正しいかのように喋る人を叩きたいと私は思います。
    私にとっては、大衆よりそんな人の方が鼻についてむかつきますし、わざわざ論破して叩く意味や興味深さがありますし、より程度の高いプレーが行われて楽しいからです。

    ここが知的エンタメの場所というのであれば、分かりやすいように、もしくは読んで楽しみやすいように、あるいは知性が証明されるように、ある程度ちゃんとした文章で饒舌に(そして綺麗に)語ってほしいのです。
    それが私以外の人たちに私が望んでいることです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-19 (金) 23:27:07
    また、他に私がこうである理由としては、「正しさ」と「性格の良さ(優しさ)」を大事に考えているからというのがあります。

    私たちは正しいことを、指摘して見せつけたかったり、知って感心したりしたいのであって、
    正しくないのに正しいかのように喋ることは知的に最も醜く鼻につくことです。

    また、人が、正しくないのに正しいかのように偉そうに喋る他人を嫌いむかつき叩きたいと思うのは、
    そういう人、そういう行動・性格が、「性格が悪い」と思って嫌いになりむかつくからでしょう。
    (そうでない場合には、内側から衝動的に「叩きたい」と思うことはないでしょう)

    つまり、基本的に、私たちは「正しくない」「性格が悪い」相手を、「正しい」「性格が良い」側から叩いているような構図にいるのです。
    したがって相手を叩けるため、叩ける側にいるためには、「正しい」「性格が良い」ということが必要なのです。

    (大衆を嘲笑うといった一見性格悪そうなことがやってよいとなるのは、「正しくないことを振りかざすのは性格が悪いことであり」「性格が悪いことをしてくる相手に性格が悪いことをし返すのは許されることだ」といった考えがあって、つまり「総合的にはこれは性格悪いことではない」と思っているからです。)

    また「性格が良い、優しい」ことのもう一つの大事さとして、
    優しくて相手を思いやれることは、相手の立場・事情を想像して相手の真意を理解し、
    より正しく適切な議論運び・問題解決ができるという「知性」であります。

    だから私は、自分の考えていることや書いていることが正しいかをよく考え、
    また相手がなぜそう思ったか、なぜそう言ったかといった真意をよく考え、
    本当にそこですべき正しい対応・処理は何かということをよく考えます。
    ゆえに、簡単に相手を居丈高に非難しないし、正しいかもと思えたならばそれまでの意見をきっぱり撤回することもあるのです。
    これらの私の行動・スタイルは、決して不思議で不可解なものではありません。
    そしてともすれば、私以外の人にも一考されて然るべきものであるはずなのです。

    私からすれば、凸さんや名無しさんがそのようなレスの仕方をすれば、この議論はこんなふうになってしまいうるだろうなぁと想像できたことです。だから私は、そういうことは避けることが多いのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-19 (金) 23:27:49
    ここの議論そのものに直接的なコメントもしたいのですが、散らかりすぎて、なかなか簡単ではないです。
    しかし一応、フェアであるために言っておけば、
    もちろん私は基本的にはこまいぬ星人さんより名無しさんの方が知的で正しいとは思っていますよ。
    名無しさんの発言にも指摘・吟味したいところはあって、今の段階で言えるのは、「よりも」という比較としてのことだけですけれど。
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-20 (土) 01:07:30
    >>名無しさん 2016−08−18 (木) 01:33:06

    >勉強がすごくできて(5科目偏差値80とか)で、日常会話的な部分で頭の回転が鈍い人を想像すると、「頭良いのにコミュ力弱い人だなぁ」と感じると思う。

    「5科目偏差値80」という条件には、「そこまで圧倒的にできるからには、勉強以外のことにも発揮できうる普遍的な頭脳力・知性がありそうだ」という能力付与が含まれてしまっています。
    またその人ができないことが「日常会話」では、他に仕事等はできてしまう可能性があります。

    「5科目偏差値80」で「日常会話が苦手」というのでは、「勉強だけできるけれど一般的な頭の働きが悪い」という想定には不適切です。


    >一方で、偏差値低いけど日常会話や合コン等で頭の回転はやい人については「トークレベルたけぇ」とは思っても「頭が良い」はやや違和感あるかな、自分は。

    確かにトーク力・コミュ力の点で頭の働きが良い人は、それで「頭が良い」という表現が使えるようになるとは感じられませんね。

    それに考えてみると、私は前のレスで、
    >「頭の働きが良い」の条件なしに「頭が良い」とはやはり表現しがたく、
    >「頭の働きが良い」の条件さえ満たしていれば「頭が良い」と表現ができてしまうような気がします
    と言いましたが、
    「一般的な処理能力・対応能力等は高いけれど勉強だけはできない人」だって「頭が良い」とは表現しがたくなりますね。
    確かに「知性がある」とは言えるのですけれど。


    なるほど何となく分かってきました。
    「頭が良い」という表現は、基本的に学校現場的なところで使われやすいものであるために、やはり「学校現場的な能力」すなわち「勉強的な能力」を担当させられているところが大きい気がします。
    しかしそれは、実は「ただ勉強ができること」ではなくて、「勉強的な能力があること、実際の能力的に勉強ができること」を指していたのだと思います。

    つまり私の以前の『勉強はできるけれど、勉強以外のことに対してはどうにも頭の働きが悪い人』という想定には、
    「小手先のテクニックやコツや、あるいはただの努力によって勉強ができるだけで、本来的には勉強的な頭脳力だってなかったはずだ」という含みが入ってしまっていたのです。
    それはやはり「勉強的な能力があること」ではなかったのでしょう。

    「頭が良い」という言葉の我々の概念・感覚は、きっと「学校現場的・勉強的な“能力”があること」だったのです!
    (まだ違ったらツッコんでください!)
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-20 (土) 01:07:56
    ちなみにこまいぬ星人さんと名無しさんと凸さんとのやり取りに、「言葉の意味が自由に設定して使えるか」や「ミスリードの可能性や美しくなさから一般の言葉の使い方を整え直すべきか」等がありましたが、この件について私の考えを述べます。
    人は、ある言葉・概念は、そういう言葉・概念としてはっきり存在し、はっきり知っているのであって、だから他人に発言されて理解できたり自分も発言で使いたくなったりするのだ、という立場にいると思います。
    つまり、ある言葉の意味・概念というのは明確に書き出すことは難しいけれど、明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして存在は明確にしているはずだと思います。
    (「妥当性の中で幅を持つ」のは確かですが、それもやはり妥当性としてそこまでのものに規定され固まっているのであって、他でもないそれとして明確に存在はしているわけです。)
    私たちは、単純に、必要に応じて時に、難しい「自分の感覚の把握・言語化」ということを頑張って行うだけでしょう。

    つまり何が言いたいかというと、言葉の意味があれこれして妥当だったり妥当じゃなかったりするのは当然であるから、
    そうであると言っているだけでは意味がなく、すべきことは「自分はこの言葉の感覚はこうだからこうであると思う」とか「あなたのこの言葉のその使い方はこういう理由で不適切である」といった具体的なやり取りだということです。
    その具体的な「感覚の把握・言語化」をしなければ、意味がないでしょう。
     

  • '''' 2016-08-21 (日) 10:52:14
    〉ごはん
    ウィトゲンシュタインの「家族的類似性」という考え方を調べてみよう。

    概念は明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして明確に存在はしている、という考え方は素朴に過ぎるかと。
     

  • '''' 2016-08-21 (日) 13:27:40
    ウェブにはあまり良い解説が見当たらなかったので、ちょっと解説。

    「家族的類似性」のポイントを一言で言うと、「頭のよさという概念が何を指し示しているか」と問うこと自体がおかしいよね、ということ。

    一般の人たちがどのようにその概念を用いているか、またどのように用いられてきたかという歴史的変遷をよく観察すれば、それぞれ部分的に(家族的に)似通った要素はあっても、概念全体を貫くような共通の要素は取り出せないのが普通。

    「頭がよい」と人々が言うからには何かがそこにあるはずだ、という思考回路自体が20世紀にトドメを刺されているのです。(「考えるな、見よ!」というやつ)

    この認識が前提されていれば、「頭が良いという概念に道徳的な要素を含むべきではない」という類の主張は、「そうした方が便利(思考しやすい)」「そうした方が美しい」というレベルで評価・検証して個々人が採用するかしないかを決めれば良いだけのことであって、「一般の人がどのようにその語を用いているか」を論拠にこの主張をどうこうできると考えること自体が勉強不足でとにかく恥ずかしい。

 

  • '''' 2016-08-21 (日) 13:30:52
    何百年もいろんな人たちが同じ間違え方をしてきた、ということが既に明らかにされているのに、その思想的知識がないことによってこまいぬもごはんも
    いまだに過去の人たちと同じような間違え方をしている。

    たとえごはんが何十年に一人の天才であっても、知識がなければ簡単に間違ってしまう。
    何百年もいろんな天才・秀才たちが同じように間違ってきたことなんだから。

    「頭の良さ」という概念から「知識」の要素を外すべきではない、という主張の論拠は実はこれなのです。

    ここまで知の蓄積が進んでいる時代に、「知識要素を外した頭の良さ」なんてものを想定して何の意味があるの。
    頭を良くするためにはまずはその分野の知識を蓄え、自分のものにした方が圧倒的に効率的なんだから、知識と関係のない頭の良さ(勉強ができるという意味ではない頭の良さ)なんて、知的領域に関心のない大衆の自尊心を満足させる以外何の役にも立たないでしょ。

    このあたりの詳しい話はとつが「(議論記録:特別編)知性・知識・頭の良さ等について 」に書いてるから、ついて来れてない人はとつの書き込みだけでいいからしっかり読み込むように。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-21 (日) 18:21:39
    >>名無しさん

    いっぱい話してくれたことが嬉しい!
    やっぱり、こうやってちゃんと話してくれた方が、楽しいですね。


    家族的類似性というのを調べてみました。

    例えば「ゲーム」という言葉があるが、「ゲーム」と呼ばれる全てに共通する要素はない。
    しかし、ある「ゲーム」と呼ばれるものは、必ず他の「ゲーム」と呼ばれるどれかしらたちとは共通する要素を持っている。
    このように実は言葉の指す対象は、それら全てを貫くある「定義」によって決められているのではなく、「それらのうちのどれかたちと似て感じられる」ということ(家族的類似性)で決められ、広がっていくものである。

    というのが、家族的類似性のお話のようですね。


    なるほど確かに、これは私の知らなかったお話です。
    しかしこのお話によって、私の何かが間違っていたと示されるとは思いません。

    家族的類似性のお話を踏まえたところで、
    これは結局、「ある言葉の対象は、必ずしも対象の他のものの全てと同じではなく、対象の他のものの一部と同じなのである」ということであり、
    すなわち「言葉の意味は辞書に複数書かれ得て、そのどれかの意味で発言されるのである」というだけのことでしょう。

    私たちがある言葉を使うときというのは、頭の中に「そういう言葉・概念感覚」があって、それと一致すると思った事柄・状況に対してそれを言う、ということであったはずでしょう。
    つまり、私たちが言葉を使うときには、ちゃんと意味の確信があったはずで、頭の中に「そういう概念感覚」があったはずです。
    そしてそれは基本的に、頑張れば言語化できるものです。それぐらい、その概念感覚は明確に存在していたはずです。
    その意味で、言葉に定義はありますし、「概念は明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして明確に存在はしている」と言うことができます。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-21 (日) 18:22:32
    >この認識(家族的類似性の話)が前提されていれば、「頭が良いという概念に道徳的な要素を含むべきではない」という類の主張は、「そうした方が便利(思考しやすい)」「そうした方が美しい」というレベルで評価・検証して個々人が採用するかしないかを決めれば良いだけのことであって、「一般の人がどのようにその語を用いているか」を論拠にこの主張をどうこうできると考えること自体が勉強不足でとにかく恥ずかしい。

    家族的類似性の話とは、決して言葉に定義や意味はなく自由に使えばいいという意味ではありません。

    言葉とはもちろん、予め決め事として「定義」をされて創作されて、使われていっているものではありません。
    しかし、単純に人間の活動の流れとして、自然と、言葉に定義は存在するものなのです。

    世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解したり、それらについて思考したり他人とコミュニケーションを取ったりする活動をしようとします。
    そのためには、事柄や事物を指す言葉・表現を作る必要があり、そしてそれらがちゃんと他人とも共通に理解される必要があります。
    これが人間の概念活動・言語活動であり、言葉という道具の作られ方・使われ方・所持のされ方なのです。
    すなわち、言葉の存在より、言葉が指し示そうとする事柄・感覚・概念や事物が存在しているという事情の方が先であって、
    つまりそれらが存在することは確かであり、そしてそれらを適切に指し示し扱えなければいけないのだから、
    言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであり、基本としては自由にてきとうに使っていいものではありません。


    >ここまで知の蓄積が進んでいる時代に、「知識要素を外した頭の良さ」なんてものを想定して何の意味があるの。
    >頭を良くするためにはまずはその分野の知識を蓄え、自分のものにした方が圧倒的に効率的なんだから、知識と関係のない頭の良さ(勉強ができるという意味ではない頭の良さ)なんて、知的領域に関心のない大衆の自尊心を満足させる以外何の役にも立たないでしょ。

    おかしなことを言ってはいけません。
    「知識要素を外した頭の良さ」を想定することで、当然ある会社や仕事で採用すべき「学歴に関係なく有能な人」が考えられる意味などがあります。
    学歴が低くて勉強はできない・勉強的知識はないのに、言わば「頭が良い人」はいくらでもいて、つまり「知識要素を外した頭の良さ」が有能に発揮されることはいくらでもあります。


    まとめると、「概念は明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして明確に存在はしている」という考えは間違っていませんし、
    言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであって、基本としては自由にてきとうに使っていいものではありませんし、
    「知識要素を外した頭の良さ(勉強ができるという意味ではない頭の良さ)」という概念・アイデアには意味があります。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-21 (日) 18:27:10
    今回の名無しさんのレスは、私には思うところがあります。

    私は、「実際」を忘れて思考することを愚かしいと思っています。
    それは、「実際」について説明付け・解決を与えず放置した、ずれた・浮いた・無意味な考えになるからです。

    その場にはどういう事実・実態があって、私たちにはどういう実感・感覚があって、そう考えたり行動したのはどういう理由・経緯からだったはずなのか。
    そういう「“実際”をより深く正しく把握・認識する姿勢、能力、及びそうして身に付ける理解・知識」という、言わば人間的・実直・素朴な思考活動こそが大事であり意味があるのであって、
    物事に対する哲学的・思想的な考察力においては、「お偉い本のお勉強」や「それらしい知識を持ち出して格好良い口振りをするだけの気取り」は不必要です。

    「難しいそれらしいお話」を知ってしまったために、それに振り回されて、最も素朴で当たり前だったはずの実際的な事柄や事情を忘れてしまうことは、私たちが必ず警戒しておかなければならないことです。

    そこら辺の認識的誤りが、今回の名無しさんのレスにはあったのではないかと思います。
     

  • '''' 2016-08-21 (日) 20:57:15
    〉家族的類似性の話とは、決して言葉に定義や意味はなく自由に使えばいいという意味ではありません。

    もちろん。利便性や美しさを考慮して言葉は用いられるべき(概念は整理されるべき)だね。

    ただ、家族的類似性の話の核心は「言葉の意味や定義というルールの改変を禁止するルールは存在しない」、すなわち人々の実際の用法の変化(誤解や無知に基づくものであれ)により、言葉の意味や定義が変化していくことを防ぐことはできない、という部分にあるんだよ。

    言葉は定義や意味を無視して自由に使われるべきではないが、自由に使われることを防ぐことはできないし、そもそもそういうものなのだ。

    だからこそ一般の人々が「頭の良さ」という言葉をどう自由に使っているかなど関係なく、「どう使われるべきか」が問題となるのです。

 

  • '''' 2016-08-21 (日) 20:59:11
    〉私は、「実際」を忘れて思考することを愚かしいと思っています。

    ごはんは勉強不足だが、自分の考えを伝える能力は優れているね。

    〉世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解したり、それらについて思考したり他人とコミュニケーションを取ったりする活動をしようとします。

    このあたりの素朴な実感を大切にしようとするのはなぜかがよくわかる。
    素朴な実感から乖離せずに思考しようという意志は以前の書き込みからも一貫している。

    人間的・実直・素朴な思考活動こそが大事であり意味がある

    ただ私はこの考え方に同意しない。

    人間がいかに認知的錯誤を犯しやすい動物であるかをよく知っているし、「実際どうなのか」が知りたければ日常的な感覚は疑われるべきだからだ。

    ゆえに、「知識的な要素を含まない頭の良さ」がどこかにある、という感覚は私自身にもあるが、そんなまともに計測もできないモノを想定しても無意味だ、という理性が導く結論に従う。

    ちなみにごはん。

    〉世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する

    という考え方が否定されていること自体は知ってるの?
    (ウィトゲンシュタインよりさらに前だが)

    知った上でなお「素朴な実感を大切にしようとしている」のなら何も言うことはないが、どうも単に基礎知識がないだけにも見える。
     

  • とつげき東北 2016-08-21 (日) 22:32:18
    ごく個人的で、おれにとって些末な話題だからつっこんでないけど。

    >世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する

    これはさすがに違うな。
    概念や言語は「構造的」であって、つまりひどくわかりやすく言うと、ある概念の一部が少し変化しただけで、他の概念の全体が変化するのです。
    固定されたままのきれいな概念や言語はありえません。

    例えばだけど、虹の色。国によって3色だったり7色だったり色々ある。
    そこで、「赤・青・黄色」だけで認識していた(概念として持っていた)地域に、「オレンジ」という概念を加えてやる。そうすると、今まで赤だったはずのものがオレンジになったりといった全体への影響があるわけ。

    そういう意味で、引用した部分は間違っている。
    前期ヴィトゲンシュタインは好きだし権威もあるが、それとは無関係に、このあたりはよく考えれば自分でわかる。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-22 (月) 01:01:18
    >>名無しさん

    >ごはんは勉強不足だが、自分の考えを伝える能力は優れているね。

    嬉しい!照れます!


    >もちろん。利便性や美しさを考慮して言葉は用いられるべき(概念は整理されるべき)だね。

    言葉は、必然性や相応しさや妥当性や自然さを考慮して、定義されて(意味を込められて)用いられるべきです。
    「今はこんな意味の言葉を使いたいから、この言葉にこんな特別な意味を付与して新しいこの場の術語として使う」といった“利便性のための定義・使い方”はありますが、その場合には「本来のその言葉」と「その術語としてのその言葉」は全く別の同形同音異義語として区別しなければいけません。
    そしてまた、けれど、「そういう意味で使うと複雑で難しいから」といった“利便性・美しさのための定義・使い方”は、(術語化して別の言葉のつもりで使うのでない限りは、)必然性や妥当性を無視して行われてよいものではありません。
    なぜなら、ある言葉はある概念を指して取り扱うためにあるのであって、その概念についての発話のためにその言葉が登場させられ使用されていた場において、必然性や妥当性のある本来の概念・意味とは変えられたその言葉を使うのは、「話が変わってしまっている」からです。
    その言葉が登場させられる場において、その言葉を必然性や妥当性のある本来の概念・意味とは違うように使ったり捉えたりすることは、「その場でしたかったことの失敗」です。


    >ただ、家族的類似性の話の核心は「言葉の意味や定義というルールの改変を禁止するルールは存在しない」、すなわち人々の実際の用法の変化(誤解や無知に基づくものであれ)により、言葉の意味や定義が変化していくことを防ぐことはできない、という部分にあるんだよ。
    >言葉は定義や意味を無視して自由に使われるべきではないが、自由に使われることを防ぐことはできないし、そもそもそういうものなのだ。

    家族的類似性の話の意味は「言葉の意味や定義が変化していくことを防ぐことはできない」ということだったでしょうか?
    そんな意味ではなかったはずです。
    家族的類似性の話とは、私が理解する限り「ある言葉は全てが同じ概念ではない」ということであり、また他の言い方をするのであれば「ある言葉が指す対象の全てを一言では言えない」ということであったはずです。
    ただの人々の行動・様子としては「言葉は自由に使われることを防げないし、そういうものである」けれど、
    そこで目論んだ言語的活動の達成(望んだ正しい結果の実現)のためには、妥当な本来の概念・意味として言葉は使わなきゃいけないし、そのように言葉が使われないのはただの「失敗」です。
    「成功・達成」のために、言葉は妥当に正しく使われなければいけないのであって、妥当に正しく使われない言葉は「意味が間違っている」と言われるのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-22 (月) 01:01:59
    >>人間的・実直・素朴な思考活動こそが大事であり意味がある
    >ただ私はこの考え方に同意しない。
    人間がいかに認知的錯誤を犯しやすい動物であるかをよく知っているし、「実際どうなのか」が知りたければ日常的な感覚は疑われるべきだからだ。

    「実際どうなのか」を知るには日常的な感覚が疑われなければいけないのはなぜか分かりません。
    「実際どうなのか」を知るには、見逃しや見間違いをしないように「よく実際を見る・見直す」ことをすべきでしょう。
    つまり日常的な感覚等を「疑う」のではなく「よりよく見る」のであって、正しいこと・実際にそうであることは考え直す必要はありません。
    また認知的錯誤等は、実直・素朴に実際的な思考活動をしていこうとも、そうでなく格好良いまとめられ方をした先人の知恵を学ぶ活動を主に行おうとも、起こすことは全く違わないし、
    格好良いまとめられ方をした先人の知恵を学んだところで、それが実際にはどういうことを言っていてどういう実際的な適用の仕方をすべきなのかを、正しく理解しなければ意味がありません。
    格好良く高尚で斬新なすごい知恵も、実際に実際へ使うためのものであって、実際に実際へ使うことができなければ、意味がありません。
    結局として、当然に、「実際性」がなければ実際には意味がないのです。


    >>世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する
    >という考え方が否定されていること自体は知ってるの?

    知りません!
    お察しの通り、私は哲学や思想を「わざわざ学ぶ」ということはしたことがありません。
    私にとっては、哲学的・思想的考察力を高めることは、ずっと実際をよりよく考察しよりよく理解することであり、そしてその慣れ・蓄積であって、他人や本から知ったのであったアイデアも必ずその活動を通され、実際的理解に落とし込められてきました。
    (ただし、その意味で格好良いまとめ方をすれば「哲学や思想を学んだことはない」けれども、実際にはこのウィキ(もしくは凸さん)からはとても多くを学びました。私による日々の実際的探求・検討の活動が第一にあって不可欠であることは間違いないですが、気楽に発言すれば、私はこのウィキ・凸さんからこういう思考を学んだと言ってほとんど過言ではありません。)

    「>世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解(する・しようとする)」というのが否定されているのでしょうか?
    私は、自分で実際的に考えた結果(間違いではなく)こうであると感じられ認められたので、これが否定されているはずはないと思います。
    今ここの私に言わせれば、きっとそれは私のこの発言の取り違いか、
    そうでなくば、名無しさんのその本の読み間違い・理解し間違いであって、
    私が同じその記述・発話を読めば、私の考えに反しない違う意味で理解されるはずではないかと思われます。
    もちろんこれは予想でしかないので、実際にその内容を聞いて検討してみなければ分かりませんけれど。
    どういうことであるか、説明してもらえますか?
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-22 (月) 01:03:18
    と思ったら凸さんもこれに触れてくれてた!


    >>凸さん

    凸さんのレスを読むと、多分やはり、私の当該発言の取り違いかと思います。(もしくは、ここで例示してほしいお話が違うのかもしれません)
    やはり私は、私の言ったことが間違っているとは思いません。
    凸さんの説明から、私が考えてみての、返信をします。


    (私の当該部分の発言)
    >しかし、単純に人間の活動の流れとして、自然と、言葉に定義は存在するものなのです。
    >世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解したり、それらについて思考したり他人とコミュニケーションを取ったりする活動をしようとします。
    >そのためには、事柄や事物を指す言葉・表現を作る必要があり、そしてそれらがちゃんと他人とも共通に理解される必要があります。
    >これが人間の概念活動・言語活動であり、言葉という道具の作られ方・使われ方・所持のされ方なのです。
    >すなわち、言葉の存在より、言葉が指し示そうとする事柄・感覚・概念や事物が存在しているという事情の方が先であって、
    >つまりそれらが存在することは確かであり、そしてそれらを適切に指し示し扱えなければいけないのだから、
    >言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであり、基本としては自由にてきとうに使っていいものではありません。

    (凸さんの今の説明)
    >例えばだけど、虹の色。国によって3色だったり7色だったり色々ある。
    >そこで、「赤・青・黄色」だけで認識していた(概念として持っていた)地域に、「オレンジ」という概念を加えてやる。そうすると、今まで赤だったはずのものがオレンジになったりといった全体への影響があるわけ。


    虹を「赤・青・黄色」の3色であるとする国と、より詳しく7色であるとする国において、
    それぞれが「赤」という言葉を使ったとき、それらは別々の概念であって、別々の言葉です。
    簡単に言えば、虹から赤色と呼ぶところを切り取った写真を持ち寄ってもらったら、それは別々の写真が提出されるのですから。
    そこで前者の国が赤とした部分を、後者の国が赤とオレンジに分けて2枚写真を提出したとして、
    そしてそれを見た前者の国が色の捉え方を変えたとしても、
    それは「別の色の捉え方」を紹介されてそっちを採用し直した(つい採用し直してしまった)というだけです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-22 (月) 01:03:58
    そしてですが、とにもかくにも、前者の国は虹を語るために、「赤・青・黄色」という3色での表現の仕方を決めました。
    これはつまり、虹の上から何割と何割と何割の部分をそれぞれの色で呼び示すか決めた(認識した)のです。
    ここで、虹の全体写真も手元にあるとして、この国が虹の一部分の写真を見せられてどの部分の色か答えるとき、
    「それは何色だ(何色の部分だ)」もしくは「それは何色と何色の間だ」と、“他の答えではいけないその答え”をするのであり、
    (何色と何色の間という答えでもいいとわきまえてもらっている上では)決して「どう答えるべきか分からない」とはならないのです。
    そしてこの様子の意味と正しさは、後者の7色の国にも理解されるのです。
    これは、この前者の国がすべき・要された言語活動の見事な成功であり、
    「>世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解したり、それらについて思考したり他人とコミュニケーションを取ったりする活動をしようと(する)」様子であって、
    「>言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであり、基本としては自由にてきとうに使っていいものでは(ない)」様子であるのです。

    私のこの思想・返答は、
    扱っているのが色についてであるせいの特有な事情が出てこない限り、
    (もしくはそうして必要ならば対象を適切な他のものに取り替えて考える限り、)
    間違っておらず、一般的に正しいでしょう。
     

  • とつげき東北 2016-08-22 (月) 20:18:08
    うーん、違うな。
    虹の色を3色の概念で捉える人は、「赤と黄色の間」をそもそも認識できない。
    ちょっと言い過ぎだが、そこに「オレンジ」といった言葉があって初めて、われわれはそれを認識できる。
    「正しく見れば、真の認識ができる」という前提が間違い。
    例えばおれらは虹を1000色くらいに見分ける人たちから、オレンジと、その隣の色とを提示されても、違いが一切わからないだろうね。
     
  • こまいぬ星人 2016-08-22 (月) 20:38:36
    しばらく見てませんでした。

    >ごはん炊か騎士さん

    こまいぬは知的でも正しくもないけれど、
    せっかくだから相手してやっていたということですね。呆れました。
    ボロを出すにしても早すぎ。やはり第一印象の通りの、同じ穴の狢でしたね。

    皆さん、それで知性的な人間のつもりなんですか? 堅物の勘違いがすごい。
    名無しのカスや、凸さんに至っては、議論も筋も全く押さえられないまま登場(笑)
    もう元々の論点には興味なくなりましたので(バカと議論しても時間の無駄)、
    名無しのカスを馬鹿のサンプルとして、基本的なことを教えてあげます(笑)


    まず、登場の仕方が傑作でした。
    管理人の論定ずらしに何の疑いも持たず乗っかってきたこの一点のみでバカ確定です。何というみっともなさ。

    あのですね、
    知性っていうのは頭を鍛えて手に入れるもんですよ?
    どうやって鍛えるかというと、自分の信じているものこそ徹底的に疑うということ。どんなにこのサイトが大好きであっても、管理人の信者であっても、疑うことを忘れていてはただのバカ。なれ合っていては一生バカのまま。
    知的っぽいグループに寄り添っていれば知性が手に入れられるとでも思っているのか? あほ丸出しで大衆以下。学歴プライドを膨張させた風船頭みたいもんですわ。知性と完全に逆行しています。中卒のやつでももっと知性あります。まさに小さな世界に生きるしかないスモール人間の面目躍如!

    世界の小ささにおいて、ガリベンとかヤンキーのレベルです(爆)

    そんなことをやっているから、このようなサイトにおいて、恥ずかしげもなく糞名言連発するんですよ。類型的なんちゃらだとか、美的なんちゃらだとか、大衆の名言以下でしょ、そんなことにも気づけないの?

    また、嫌なこと、嫌いなやつのことほど、必死でわかろうとすることが大切。その精神が知性を育てる。名無しはこれも全くできていない。攻撃ありきでツッコミどころを探すという、呆れ果てた愚行。情けない人間ですね。。。

    わからないしわかりたくもない」の記事にはこうある。

    【相手の気持ちや判断を、最初から「非人間的なモノ」「無価値なもの」=「自分と関係ないもの」であると考える考え方が、典型的な排除主義であり、自民族中心主義であり、ナチスドイツ的なものである――このわがままな自家撞着を防ぐためには、わかりたくなくても我慢してわかるべきだし、知りたくなくてもやはり知るべきなのである。】

    この通り。ただし、
    発言者がその通り実践できているかどうかは完全に別問題。
    言うは易しと言いますからね(笑)


    >再びごはん炊か騎士さん

    「性格が悪いことをしてくる相手に性格が悪いことをし返すのは許されることだ」

    ここは同意します(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-22 (月) 21:29:49
    ひとりごと「どんなに知的修練を積んだところで、自分に甘ければ一生バカのまま。勘違い小学生と変わりなし。結局は精神の問題である」
     
  • '''' 2016-08-22 (月) 23:36:58
    〉世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する

    この考え方が正しいかを検証するために思考実験をする。

    日本語を覚え始めた子どもに「机」という概念を教える場面を考える。

    もし最初の考えが正しいのであれば、そこにある机を指差して「これは『机』と呼ぶんだよ」と教えれば良いはずだ。
    では、その子どもに何種類もの机を見せて「これは『机』、これも『机』なんだよ」と教え続けたとして、本当にその子どもは「机」という概念を正しく理解できるのだろうか?

    「木の板がついている大きめのモノ」が「机」なのだとざっくり理解してしまい、ダイニングテーブルを指差して「大きな机」と呼んでしまわないだろうか?

    当たり前のことだが、「机」という概念を理解していると言うためには、「どんなものが『机』とは呼ばれないか」を正しく理解していなければならない。

    「これは座るためのものだから『椅子』と呼ぶんだよ」
    「ここで勉強できないでしょう、本をしまっておくためのものは『本棚』というんだよ」
    「勉強できるかもしれないけど、これはみんなでご飯を食べるためのものだから『テーブル』と呼ぶんだよ」

    このように「机」ではないモノについても教えなければ、子どもは「机」を正しく認識・理解できないだろう。

    この思考実験ではっきりしたことは、世界に机という事物があっても、それだけでは人間は「他ではないそれとしての机」を認識することができないということ。

    「他」、つまり「椅子」や「本棚」や「テーブル」という概念も理解し、それらとの関係性まで理解して初めて「机」が理解される。
     

  • '''' 2016-08-22 (月) 23:38:02
    別の思考実験を。

    そこにカブトムシが一匹いたとして、われわれはそれを見て「昆虫」と認識できるだろうか。

    〉世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する

    上記が正しければ、われわれはカブトムシを「昆虫」と認識できるはずだ。そこに昆虫がいるのだから。
    最初の思考実験を踏まえ、カブトムシ以外にアリやヘビやカニやエビも正しく認識できるとしよう。

    だが、「昆虫」という言葉が存在しなかった江戸時代の人は、カブトムシを見ても「虫」としか思わないだろう。ヘビを見ても「虫」と思ったかもしれない。
    江戸時代にも「カブドムシ」や「アリ」は存在していただろうが、だから「昆虫」も存在していたと言えるのだろうか?

    生物学的な分類が行われてもいない時代に、「これは昆虫なんだ」と強弁して誰が理解できるだろうか。

    明らかに「江戸時代においては、虫は認識されても昆虫は認識されていなかった」と考えるべきだろう。

    事物や事項があっても、言葉が存在しなければわれわれはそれを認識できない。
    生物学的な知見が広まり、昆虫という言葉が発明され、区分けの仕方も広まって初めて「昆虫」は認識される。
     

  • '''' 2016-08-22 (月) 23:41:56
    以上二つの思考実験から、

    A)世界には事項や事物があって人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する

    とは言えない反例が見つかった。

    B)まず概念があり、それと異なる概念との関係性まで理解して初めて事物が正しく認識される

    と言うべきケースが存在することがはっきりした。

    〉「実際どうなのか」を知るには日常的な感覚が疑われなければいけないのはなぜか

    その答えがここにある。
    日常的な感覚が正しいことを前提して、自分たちに見落としや見間違いがないかと考えているだけでは、B)が正しいというべき場面が存在することに気づけない。

    自分たちの日常的な感覚が通用しない相手(子どもや江戸時代人)をひねり出してまで、A)の反例がないかを探そうとすることが「検証する」ということだ。
    (地理的・歴史的に離れた異文化圏を持ち出すパターンと、子どもや外国人が言語学習する場面を持ち出すパターンは反例探しのセオリー)


    人間的・実直・素朴な思考活動こそが大事であり意味がある

    私は非人間的でひねくれていると思われようとも、検証を繰り返してより正しい考えを持つことにこだわりたい。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-23 (火) 01:21:03
    ひとりごと「ウィトゲンシュタイン読み込んだところで、自分に甘いやつはバカのまま。人を不快にしても謝罪すらできない、気持ち悪いゴミである」


    しかし、思った以上に、二流三流の知性の愚劣さがにじみ出たサイトでしたね。
    私のような超一流予備軍が来ても浮くだけでしたw
     
  • こまいぬ星人 2016-08-23 (火) 01:24:28
    つまらん思考実験笑えるwww
     
  • こまいぬ星人 2016-08-23 (火) 02:53:46
    長々と議論することか?
    ヒマなんでまとめといてやるよwww


    言葉がなくても事物や事項の差異認識自体は可能
    言葉の存在によって認識し易くはなるというだけ
    反面、
    言葉の便宜性に無自覚に寄りかかってしまうと、
    差異認識を怠るなどしてとんでもない認知的錯誤を犯す

    事物が先か概念が先かということは、本当はどーでもいい話
    そんなことはどーとでも言える(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-23 (火) 03:17:07
    「江戸時代においては、虫は認識されても昆虫は認識されていなかった」

    しかしどこかの時点で、認識されるようになったんだろ?
    虫と昆虫の差異の認識は難しくてできなかったが、不可能なことではなかったので、
    いつしか事物から概念が誘発されて言葉が生まれ、認識し易くなったということ。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-23 (火) 12:39:46
    ※話は戻るが、私の主張をウィトゲンシュタイン風に言えばこうなる。

    『考えるな、勝手に定義するな(私的概念の否定)、家族的類似性を見よ!』

    (名無しはウィトゲンシュタインなんて読んでも全く無意味でしたね♪)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-23 (火) 23:00:01
    (名無しはほんと、知識や権威に寄りかかって脳みそ甘やかしてたらこのようになるという絶好の見本。知識を除けばただのバカ。中卒でも考えて生きてるやつはもっと賢い。この程度の議論の筋も読めず、他者や真理に対する誠実さもなく、ウィトゲンシュタインなんて全く読めてなくて、鼻くそみたいな浅い理解にとどまるくせに、自分の都合のいいように勘違いしてふりかざす。中学生の哲学クラブかよ? それでいて人には「勉強不足」なんだと。このすさまじさはまさに、つける薬が皆無なレベル。おつむに致命的な欠陥があるっぽいね。終わってるわ。こんなバカが比較的知的で正しいとか寝ぼけたこと言ってるやつも完全に終わってる。同類相哀れむか・・・みじめやな)
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-24 (水) 01:19:26
    >>凸さん

    なるほど、そういうことだったんですね。
    それでも話は何も変わりません。
    3色の国と7色の国の「赤」はやはり、「虹の上から何割までのところか」という定義が違う、別々の概念、別々の「色」です。誕生の経緯や用途が似通っているそれというだけで。
    (青の方で話しますが、日本人の「青」とアメリカ人の「blue」は、その表現対象や用途が似てこそいてもやはり同じではなくて同じに使うことはできない、別々の概念、別々の色です。)
    また3色の国が、虹の一部を見せられて色を捉える・答える場合にも、
    「赤」「青」「黄色」のどれか他ではいけない答えをして「はっきり捉える」ことができるのであって、
    見事「答えられなくて困る」ということにはならないようにできているのです。

    3色の国が、(7色の国の人かもしれない)他人と共同作業で「虹の写真の『赤色』の部分を切り取って集めたいんだ」と言った場合、
    その他人は「今集めたいと言ったのは、“虹の上から1/3のところ”なんだな」と理解し、作業を遂行することができます。
    これが、3色の国における、
    「世界には(赤)・(青)・(黄色)と(その3色からなる虹)があって、それらを他ではないそれとして認識し、それらについて思考したり他人とやり取りする活動をしようとした。
     そのために、それらを指す言葉・表現を作って、見事他人とも共通に理解されることができ、この活動が成功できた」
    ということなのです。


    もう一度、私の当該部分の発言を再掲します。

    (私の当該部分の発言)
    >しかし、単純に人間の活動の流れとして、自然と、言葉に定義は存在するものなのです。
    >世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解したり、それらについて思考したり他人とコミュニケーションを取ったりする活動をしようとします。
    >そのためには、事柄や事物を指す言葉・表現を作る必要があり、そしてそれらがちゃんと他人とも共通に理解される必要があります。
    >これが人間の概念活動・言語活動であり、言葉という道具の作られ方・使われ方・所持のされ方なのです。
    >すなわち、言葉の存在より、言葉が指し示そうとする事柄・感覚・概念や事物が存在しているという事情の方が先であって、
    >つまりそれらが存在することは確かであり、そしてそれらを適切に指し示し扱えなければいけないのだから、
    >言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであり、基本としては自由にてきとうに使っていいものではありません。

    私は、「人間の活動、言葉の作り方の流れとして、自然・当然に、言葉には必然・妥当な意味の形があるのであって、てきとうに使っていいものではない」という話をしているのです。
    人間が事柄や事物の真の姿を捉えられるかの話など、どうして今関係があるでしょうか?
    やはり私の話の、取り違いだったのではないですか?
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-24 (水) 01:20:12
    >>名無しさん

    机の話について。

    私がその例を考え、語らせてもらうとすれば、「机」は事物ではありません。事柄・概念です。
    例えば「机」は、「平たくて、ものを置いたり置いて書いたりすることがしやすいもの、特に足がついていて身体を寄せやすく使いやすいもの」と言うことができるかと思いますが、
    世界にあらかじめこんなものは事物として存在しません。
    これは、人間という作業主体がいて、人間が意思・都合を持ち込んでこそ成り立つ、事柄・概念です。

    また、さらに私に語らせてもらえば、
    「平たくて、ものを置いたり置いて書いたりすることがしやすいもの、特に足がついていて身体を寄せやすく使いやすいもの」という事柄・概念・アイデアがまずあって、
    この概念を他の概念ではないこれとして認識し、これについて思考ややり取りをするために「机」という言葉が作られるのです。
    そして、そうして作られて存在しているのが「机」という言葉であるゆえに、
    「机」という言葉は「平たくて、ものを置いたり置いて書いたりすることがしやすいもの、特に足がついていて身体を寄せやすく使いやすいもの」という意味で受け取ったり使うべきであって、
    てきとうな意味にしてしまうことはできないのです。


    昆虫の話について。

    昆虫とは「足が6本あって、もう少しある条件を付けられた虫」でしょう。
    「足が6本あって、もう少しある条件を付けられた虫」を意味するもっとコンパクトな代わりの発言として必要な場で「昆虫」という言葉が用意されるだけであって、
    生物学的な分類が行われていない時代にも「足が6本あって、もう少しある条件を付けられた虫」は存在しますし、理解されます。

    江戸時代に「カブトムシ」は存在していて、そして「昆虫」も存在しています。
    これを、「足が6本あって、もう少しある条件を付けられた虫」と言わずに「昆虫」と言って人が理解しなかったり、または自発的に「昆虫は〜〜」という文章を思い浮かべないだけで、
    「虫はいても昆虫はいなかった」と言ってしまうのが現実・実際から乖離した意味のない気取りであって、
    最も素朴で当たり前だったはずの「いや昆虫って江戸時代から生きてたでしょ」という考えの忘れ・放置なのです。


    >日常的な感覚が正しいことを前提して、自分たちに見落としや見間違いがないかと考えているだけでは、B)が正しいというべき場面が存在することに気づけない。

    気取って「江戸時代に昆虫はいなかった」と言えたところで、何の意味がありますか?
    実際をもっと分析し、理解し、説明付けられなければ、「どうなんだろう?」の思いに解決・解答したかったはずの目的に対して、意味がありません。
    真実を探求・解明したいという思考活動は、必ず実際・事実・真実によりよく向き合うことに帰結するのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-24 (水) 01:29:04
    文字化けをしてしまいました!
    「昆虫は〜〜」のところは、「昆虫は云々」と読み替えてください。
     
  • こまいぬ星人 2016-08-24 (水) 02:19:04
    そんなことでーでもいいから、
    私より名無しのカスが正しいと思える点をさっさと教えてもらえませんかね?
    純粋にきいてみたいのですが(笑)

    ひょっとして結局自分の言葉に責任持てない人間なのか?
    無視して逃げるのか?
    もし逃げたら愚劣な卑怯者確定ですよ(爆)


    ちなみにこのサイトの(参加時の注意)に、

    【個人が特定されない状況において、侮辱的・名誉等毀損的・一方的・一面的な批判等も可能とします。ただし、本ウィキへのそれらについては、同等の条件で反論される可能性があることを予めご了承ください。
     本ウィキへの批判・中傷・侮辱・名誉等毀損等について、筆者の誰もが容認します。逆に本ウィキに対する批判等に対する、本ウィキからの反論をもって、「侮辱」や「名誉毀損」に当たるとみなすことはしないでください。
     これに同意できない方は本ウィキを閲覧してはいけません。】

    とあるのをお忘れなきよう♪
     

  • こまいぬ星人 2016-08-24 (水) 02:34:15
    折角なんで言っておくと、

    ・日常的な感覚を大切にしてそれを研ぎ澄ます
    ・日常的な感覚を疑い、理性による検証を怠らない

    どちらが欠けても阿呆になります。
    ちなみに、名無しのカスがやってた程度の思考実験は中高生にもできるレベル。
    もっと掘り下げてみろよwww
     

  • '''' 2016-08-25 (木) 00:08:17
    >ごはん

    >「世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する」というのが否定されているのでしょうか?
    >(中略)どういうことであるか、説明してもらえますか?

    上記の話は、君のこのリクエストに対して教科書的な話を書いたものだ。
    基礎知識のある人なら「言語は構造的」の一言で済む内容だけど、君が勉強したことないと言うから丁寧に説明した。

    君が納得するかどうかは別として、上記のような思考を理解はしたほうがよい。
    ごはんがごはんなりのスタンスで思考するとしても、こういう考え方は思想の世界では常識の範疇なので。

    机が事物ではないというなら、君が事物と思うものに上記思考が通用するのか、いろいろ当てはめてみて自分で検証してみてはどうだろう。

    まぁ答えを言ってしまうと、固有名に関しては上記思考は当てはまらない。
    固有名は言語の中でも特殊な位置にあって、「他との関係性」を無視してそのものズバリ対象を指し示す言葉なんだな。

    固有名が指し示す対象は、周辺の言葉の定義が変わってもその影響を受けて変化したりしないが、概念(一般名詞)が指し示す対象はそうではない。
     

  • '''' 2016-08-25 (木) 00:10:43
    〉「虫はいても昆虫はいなかった」と言ってしまうのが現実・実際から乖離した意味のない気取りであって、最も素朴で当たり前だったはずの「いや昆虫って江戸時代から生きてたでしょ」という考えの忘れ・放置なのです。

    ごはんの立場では、「昆虫という言葉がなかったから昔は理解されなかったかもしれないが、だからといって江戸時代に昆虫がいなかったというのはおかしい」となる。
    つまり「昆虫」が指し示す対象はその言葉が発明される前から存在していたし、そうでなければ「昆虫」という概念ができるはずもない、ということだね。

    この考えでいくと、現代において「ピーチョ能力」は存在していない、と言うことが意味を成さなくなる。

    なぜなら、この先誰かがある能力を「ピーチョ能力」と名づけて、未来の人々はピーチョ能力を競い合うようになっているかもしれないし、その可能性は常に否定できない。
    「昔の人たちはピーチョ能力の存在に気づいてなかったかもしれないけど、昔からピーチョ能力は存在していた。そうでなければピーチョ能力という概念ができるはずもない」と未来の人たちに言われる可能性を消せない以上、何を根拠に「現代においてピーチョ能力は存在していない」と言えるだろう。

    なお、「ピーチョ能力」の部分には無意味と思われるあらゆる言葉を入れても上記は成り立つ。ということは「存在していない」という言葉自体が一般的に意味を成さなくなってしまうということ。

    ごはんの立場では、「存在していない」と言ってみたところで、その発言の真偽は未来の発明によって「遡って」ひっくり返される可能性を常に持ってしまう。

    一方われわれは、「昆虫という言葉が発明されたことで『昆虫』は存在し始めたと考えるべき。」という立場に立つから、現代において誰も認識していない、理解もできない、未来において認識されているかどうかもわからないようなモノは「存在していない」と言い切れる。

    ごはんとわれわれの違いは実は、「存在する/しない」という言葉をどのように用いるべきか、という立場の違いであって、別にどちらの立場を採用しても矛盾なくすべてを説明することはできる。

    われわれの立場では「言葉が発明された後で存在しはじめる??」という日常的な感覚に反する気持ち悪さを我慢しなければいけないが、一方で「存在する/しない」という言葉に意味を持たせられるというメリットがある。

    ごはんの立場は日常的な感覚に反しないから一般の人々に広く通じやすいというメリットがあるが、「存在する/しない」という言葉が真偽を問えない言葉になってしまう。

    私は一般の人々に「気取り」と思われようとも、言葉はなるべく明晰に有意味に用いたいと思う。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-25 (木) 02:03:03
    用いてないだろ、笑わすな。
     
  • こまいぬ星人 2016-08-25 (木) 03:41:11
    しかし、ここの議論は総じてつまんないね。キレがなく冗長(笑)
    ごはんの炊き加減のようなことを、えんえんとやってる印象(笑)

    論者の才能が貧しいとこうなる。ただの受け売り。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-25 (木) 03:42:33
    調子に乗って「存在する/しない」問題と「頭の良さ」問題を混同するなよ!
    後者には勉強できただけの堅物のバカどもの都合が入ってるぞ!
    バカでもそれくらいわかるだろ?
    お前らの世界に限ったとしても通らんわwww


    〈美学的にどうこうとか、機能的にどうこうとか、そんなものは全て詭弁


    『考えるな、勝手に都合よく定義するな(私的概念の否定)、家族的類似性を見よ!』
     
  • こまいぬ星人 2016-08-25 (木) 06:51:09
    現代において「うんこ脳」は存在していない

    と言うためには「うんこ脳」を知っていなければならないが、
    知らないのに存在していないとかいるとか言えば虚偽となる。
    知らないのなら、知らない、あるいは未だ発見されてはいないとしか言えない。

    現代において「うんこ脳」は存在していない

    と言いうるのは、
    うんこ脳を知る未来人のみであるから、
    知的な現代人が、現代において「うんこ脳」は存在していないと言い、
    それが未来にひっくり返される心配など、それこそ元から存在しない。

    要するに、よくわからないものについて、どーしても存在していないと言い切りたい連中のつじつま合わせであり、よくわからないものについて存在していないと言い切る必要を感じず、『悪魔の証明』に意識的な程度には言葉に対する感度の高い正直な一般人にとっては、どーでもいい話。そのような使い方をしたからといって、言葉の明晰さが上がるわけではない。一部の人間言葉遊びに過ぎないというのが事の本質である。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-25 (木) 07:07:22
    ひとりごと「哲学的な素養があれば、それのない人間よりも世界を正しく観ることができると思い込んでいるのは、凡庸なバカである」
     
  • ごはん炊か騎士 2016-08-25 (木) 23:37:40
    初めに撤回・訂正をします。

    凸さんへの返信部分で言った、下記の「青」に関する話は撤回します。
    この「青」に関する話は、「二つの『赤』の概念が違う」という話とは内容がちょっと異なった話でした。申し訳ありません。
    ただし、「赤」に関する話は全てそのままで、私の意見は変わりません。

    >3色の国と7色の国の「赤」はやはり、「虹の上から何割までのところか」という定義が違う、別々の概念、別々の「色」です。誕生の経緯や用途が似通っているそれというだけで。
    >(青の方で話しますが、日本人の「青」とアメリカ人の「blue」は、その表現対象や用途が似てこそいてもやはり同じではなくて同じに使うことはできない、別々の概念、別々の色です。)
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-25 (木) 23:38:37
    >>名無しさん

    >>「世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する」というのが否定されているのでしょうか?
    >>(中略)どういうことであるか、説明してもらえますか?
    >上記の話は、君のこのリクエストに対して教科書的な話を書いたものだ。
    >君が納得するかどうかは別として、上記のような思考を理解はしたほうがよい。
    >ごはんがごはんなりのスタンスで思考するとしても、こういう考え方は思想の世界では常識の範疇なので。

    今はあなたの言うその話が、私の「世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する」の発言を本当に否定するものであるかを、説明してもらって検討しているのです。
    すなわちあなたが自分の主張をして、私がそれに反論しているところです。
    ただ興味深い話を聞かせてもらっている場面ではありません。

    あなたから「そういう発話・主張」を聞いて、ひとまず私が言えるのは、あなたのその発話は間違っているということです。
    あなたが思い浮かべているはずの元々のその話は、ある形でちゃんとまとまっていて正しいのかもしれませんが、
    私に向けて私の意見を否定するように持ち出せるようなものではなく、あなたのその話の実際的な理解・利用のし間違いなのではないかと、私には感じられています。

    どんな立派で高名な先人の思想でも、それを学ぶ人が正しく理解し使いこなせるかは別であり、それを持ち出して語る人の発言が正しいとは限りません。
    取り敢えず、「あなたのこれまでのレスは正しくない」として反論しているというのが、私の立場です。


    >まぁ答えを言ってしまうと、固有名に関しては上記思考は当てはまらない。
    >固有名は言語の中でも特殊な位置にあって、「他との関係性」を無視してそのものズバリ対象を指し示す言葉なんだな。
    >固有名が指し示す対象は、周辺の言葉の定義が変わってもその影響を受けて変化したりしないが、概念(一般名詞)が指し示す対象はそうではない。

    それだけだと、よく分かりません。どういうことですか?

    「平たくて、ものを置いたり置いて書いたりすることがしやすいもの、特に足がついていて身体を寄せやすく使いやすいもの」が「机」でした。
    私たちの目の前に「机」があるとして、それは、私たち人間が見るから「ものを置いたり置いて書いたりすることがしやすい、身体を寄せやすい、机と表現したくなるもの」なのであって、
    人間が存在し都合を持ち込む前の元々としては、「ただのそんな形の木造物体」等でしかありません。
    実際、ある物体を「机」と表現するかは人や場面により変わります。「本棚」が変形して「机」という名前・呼称になることもありますし、そしてそれは、変形するまでは決して「机」ではありません。

    これは、あなたの話に適合することでしょうか?
    あなたの話は、これを、どう説明付けるのでしょうか?
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-25 (木) 23:41:06
    ピーチョ能力と存在の話について。

    名無しさんは「存在」という言葉をそのように用いたのですね。
    だとすれば、名無しさん自身の言う通り、名無しさんの言う「存在」と私の言う「存在」は、意味が違う、別の言葉です。
    名無しさんの言う意味の「存在」については、そのようなことが言えるかもしれません。
    それはそれで別にいいですが、それはおよそどうでもいい話です。
    それとは別に、それよりも、私の言う、もっと普通・一般的な「存在」について考えるべきです。
    なぜなら名無しさんの特殊な「存在」の話は、名無しさんの非一般的で個人的な取り決め・世界観の中でしか意味を持たず、
    私及び普通・一般的な人へ向けた話としては、ずれていて、無意味だからです。
    「そういう意味で『存在しない』ことはどうでもよくて、私の普通の『存在』についての話においては関係ない」のです。
    (これがまさしく、私が主張してきて、名無しさんに制してきた、「言葉は、そのやり取り・コミュニケーションの達成のために、自由な意味で使うわけにはいかない」ということです。)


    私たちは、「存在」という概念は、普通に理解できて普通に成立するものだと感じています。
    ピーチョ能力のような無意味なものに限らず、あらゆるものが、「過去にはなかったが今はある」「今はないが未来にはきっとある」ものであって、そうであることは有り触れた普通のことです。
    では私たちは、この状況について、普通にどう思うべきで、思っているはずだったでしょうか?

    私たちが「ピーチョ能力なんて存在しないよ!」と言うとき、それは「今ピーチョ能力と言われる一般的なものなんて存在しない」という意味で言っているのであって、
    「過去にも未来にも真理的にこの宇宙には存在しない」などという意味では言っておらず、将来ピーチョ能力と呼ばれる何らかが存在するかどうかはこの発言に全く関わらないことです。
    将来ピーチョ能力と呼ばれる何らかが存在したところで、
    「あ、そうなんだ。じゃあ文言そのものとしては“ピーチョ能力なんて存在しない”というのは間違っていたけど、そしたら“ペンチョ能力なんて存在しない”と言っていたこととして読み替えてもらえばいいし、いずれにせよ、言っていた意味は分かるよね」
    となるだけです。

    また「思考・やり取りとして成立していたか」でなく、
    「ではちなみに、将来ピーチョ能力が誕生するとしたなら、今ピーチョ能力は存在する・しないどちらで言うべきなのかどうか」についてだって、
    私はもっと自然で妥当な普通の解答を持ちます。
    それは、
    「将来ピーチョ能力が存在しているなら、“世界にはピーチョ能力は存在している”と言うべきだけれど、今の私たちにはそれは分からないし、分からなくても構わなくて、ただ“少なくとも今はピーチョ能力は存在しない”と言えるだけである」
    です。


    >私は一般の人々に「気取り」と思われようとも、言葉はなるべく明晰に有意味に用いたいと思う。

    名無しさんが自分なりの思考作業のために勝手に言葉を特殊に使うのは構いませんが、
    一般の感覚について説明付け、一般の感覚に対して納得させる解答ができないのは、
    流儀の問題ではなくて、ただの失敗であり、ただの能力不足です。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-26 (金) 07:30:14
    >もちろん私は基本的にはこまいぬ星人さんより名無しさんの方が知的で正しいとは思っていますよ。

    なれ合いのために汚い虚言を吐くという、とんでもない失言をしていながら、
    説明を求められても無視していつまでも逃げ続けるのであれば、
    ただの卑怯者であり、
    どんなにもっともらしい論説をしたところで、
    人間として、もはや全く信用できないのです。
     

  • '''' 2016-08-27 (土) 04:31:38
    ■ まとめ1〜 〜「頭の良さ」という概念について〜

    発端は本稿「勉強ができるという意味での頭の良さ」に、こまいぬが突っ込んだところ。

    > 知性にはもちろん、知識が含まれます。
    > 物事を判断したり、何事かを創造したりするとき、知識は欠かせません。
    > ただ一般的に言われるところの「頭の良さ」には、そこまでの意味は含まれていないし、含む必要もない思うのです。

    > 「勉強ができるという意味ではない」は、「本当の頭の良さ」などに比べて名言性が薄い。
    > よって他の記事以上に誤解を避けるためのフォローを入れておかないといけなかったのではないでしょうか。

    これに対してごはんは本項目をフォロー。

    > 勉強ができるという意味ではない頭の良さ」という言葉は、「名言でない発言のされ方のとき」も多くあるというだけで、「名言性を帯びて発言されるとき」も十分多いかと思います。
    > つまり、「名言性を帯びて発言されたときのこの言葉」というのが十分思い浮かべられると思うのです。
    > したがって当記事を、当記事が成立するように読むことは、十分できると私には感じられます。

    この後のやり取りの中で、こまいぬのスタンスが示される。

    > 何が何でも「本当の頭の良さ」に知識量を含有させようと企てるものは、得てして知的領域のみを重視する視野狭窄な近眼メガネくんにならざるを得ないのであって、ひらめき重視にこだわる愚衆も、知識量重視にこだわる堅物エリートも、居心地のいい偏った世界に固執するという意味ではどっちもどっちである

    こまいぬはこのようなポジションから本ウィキの相対化を図ろうとしていた。

    これに対しとつは、

    > 勉強の出来は、当然に、頭の良さの構成要素に他ならない。「ひらめき」もそうである。
    > そのうち、前者だけを構成要素から恣意的に外すことは、「頭の良さ」の概念を汚す行為に他ならない。
    > 当サイトは、知的審美眼を求める。

    「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」という観点から、こまいぬ見解を否定。

    私はこまいぬの立ち位置はおもしろいと思ったが、「視野狭窄な近眼メガネくん」だけでは印象操作に過ぎない。

    メガネくんの何が問題なのか、「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」に対してどんな観点を対置させるのか。
    「頭の良さ」についての概念整理はおかしい、というこまいぬの批判詳細を引き出そうと試みた。

    こまいぬのそれまでの叙述レベルや文章理解度から考えると、面白い批判が聞けそうな期待感はあったのだが・・・。

    ・「頭の良さ」という言葉は「知性」などに比べて自由度が高いので、勝手に定義するのは間違い
    ・「頭の良さ」を勝手に定義したければすればよいが、それを世界に向かって「用いるべきではない」と言うのは無理がある
    ・日本語の概念を自分たちの都合のいいように嬉々として規定してはいけない、そんなものは一般に通るわけがない

    上記以上の内容は出てこなかったため、何か出てくるまで放置することとした。

 

  • '''' 2016-08-27 (土) 04:33:59
    ■ まとめ2 〜概念はどのように用いられるべきか〜

    「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」という観点に対するごはんの考えは以下。

    > 人は、ある言葉・概念は、そういう言葉・概念としてはっきり存在し、はっきり知っている

    > ある言葉の意味・概念というのは明確に書き出すことは難しいけれど、
    明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして存在は明確にしているはず

    > 言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであって、基本としては自由にてきとうに使っていいものではない。

    > すべきことは「自分はこの言葉の感覚はこうだからこうであると思う」とか「あなたのこの言葉のその使い方はこういう理由で不適切である」といった具体的なやり取り(感覚の把握・言語化)

    概念(体系)を道具主義的にとらえる立場に対して、「確かにソレを意味している」という概念感覚、実感を重視する立場を対置。

    「いわゆる知識人」的な鼻につく語りへの嫌悪感、実感を無視することへの違和感を忘れず、一般社会も意識しながら、誠実にまっとうに考えようとする方向性を一貫させているのが特徴。

    もちろん思想史的には、

    1)「主体の意識にといかける方法で概念を分析していこう」
    2)「いやそれだけだとなぜコミュニケーションが可能か説明できない、概念体系を意識に先行させて考えるべき」
    3)「意識や概念体系だけ見てても意味ない。言葉がどう使われているかという実践の全体まで見るべき」

    という風に進展してきたので、2や3の考え方も踏まえ、新しい観点を加えて1に戻るならおもしろいのだが。

    2や3の考え方についてどういう見解か聞きたいので、2の考え方を紹介。

    >「机」ではないモノについても教えなければ、子どもは「机」を正しく認識・理解できないだろう。
    >「椅子」や「本棚」や「テーブル」という概念も理解し、それらとの関係性まで理解して初めて「机」が理解される。

    > 事物や事項があっても、言葉が存在しなければわれわれはそれを認識できない。
    > 生物学的な知見が広まり、昆虫という言葉が発明され、区分けの仕方も広まって初めて「昆虫」は認識される。

    ある概念が主体に意識されるためには、先に概念体系が主体に理解されていなければいけない、というやつを教科書的に。

    これに対するごはんの反論は以下。

    >「平たくて、ものを置いたり置いて書いたりすることがしやすいもの、特に足がついていて身体を寄せやすく使いやすいもの」という事柄・概念・アイデアがまずあって、この概念を他の概念ではないこれとして認識し、これについて思考ややり取りをするために「机」という言葉が作られるのです。

    > 江戸時代に「カブトムシ」は存在していて、そして「昆虫」も存在しています。
    > これを、「足が6本あって、もう少しある条件を付けられた虫」と言わずに「昆虫」と言って人が理解しなかったり、または自発的に「昆虫は云々」という文章を思い浮かべないだけ

    誰もAを意識していなくてもそれとは関係なくAは存在はしている、とする立場から反論。
    ごはんは「存在」という概念についてもあくまで実感を重視して解釈しており、非常に一貫している。

    もちろん1でも2でも3でも矛盾なく世界解釈はできるのだが・・・。
     

  • '''' 2016-08-27 (土) 04:40:51
    >ごはん

    〉ピーチョ能力のような無意味なものに限らず、あらゆるものが、「過去にはなかったが今はある」「今はないが未来にはきっとある」ものであって、そうであることは有り触れた普通のことです。

    でも「昆虫」は江戸時代にも確かに存在していたんだよね。
    当時の人たちが言葉を知らなかっただけで。

    どういう場合に「過去にはなかったが今はある」が成立するの?(まさか「携帯電話」とかの話か?)
    ごはんは「誰もAを意識していなくてもそれとは関係なくAは存在する」と考える立場と理解していたが、違うのかな。

    〉将来ピーチョ能力が存在しているなら、“世界にはピーチョ能力は存在している”と言うべきだけれど、今の私たちにはそれは分からないし、分からなくても構わなくて、ただ“少なくとも今はピーチョ能力は存在しない”と言えるだけである

    江戸時代の人たちが「未来のことは知らんが、ただ江戸時代においては昆虫は存在しないと言える」と言ってたらどうするよ。
    すでに「昆虫」を知っている未来人たるごはんが「六本足の〜は存在してるでしょ?」と江戸時代の人に伝えることはできないんだが。

    〉生物学的な分類が行われていない時代にも「足が6本あって、もう少しある条件を付けられた虫」は存在しますし、理解されます。

    どうやって理解されるの?
    江戸時代の人が「昆虫」を理解できるなら、ごはんも未来人に定義を教えてもらって「ピーチョ能力」が理解できるはずだが。

    〉ではちなみに、将来ピーチョ能力が誕生するとしたなら、今ピーチョ能力は存在する・しないどちらで言うべきなのか

    「将来ピーチョ能力が誕生するかどうか」は何百年たっても誕生するまで絶対わからないことなので、ごはんの立場では、誕生するまでは「ピーチョ能力が存在するかはまだわからない」としか回答できないと思うが?

 

  • '''' 2016-08-27 (土) 04:45:03
    >ごはん

    人間が存在し都合を持ち込む前の元々としては、「ただのそんな形の木造物体」等でしかありません。

    その通り、人間がそう認識しなければそれは「机」ではない。

    >実際、ある物体を「机」と表現するかは人や場面により変わります。

    ごはんがあるモノを机だと認識して表現する局面で考えるのではなく、「机」と表現してそれが相手に伝わるかどうか、という局面で考えよう。

    伝わるならその二人の間で「机」は存在していると言ってよいし、伝わらないなら「机」は存在していないと言うべき。
    もちろん、木造物体がそこにあるという事実は変わらない。

    というのがわれわれの立場だが、変形する本棚の話は何か関係あるのかね?
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 05:54:12
    >メガネくんの何が問題なのか、「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」に対してどんな観点を対置させるのか。
    >「頭の良さ」についての概念整理はおかしい、というこまいぬの批判詳細を引き出そうと試みた。

    >こまいぬのそれまでの叙述レベルや文章理解度から考えると、面白い批判が聞けそうな期待感はあったのだが・・・。

    ・「頭の良さ」という言葉は「知性」などに比べて自由度が高いので、勝手に定義するのは間違い
    ・「頭の良さ」を勝手に定義したければすればよいが、それを世界に向かって「用いるべきではない」と言うのは無理がある
    ・日本語の概念を自分たちの都合のいいように嬉々として規定してはいけない、そんなものは一般に通るわけがない

    >上記以上の内容は出てこなかったため、何か出てくるまで放置することとした。

    そりゃ出てこないわ。都合よく概念整理すること自体を否定しているからな。
    その概念整理よりもこっちの概念整理の方がいいよとかいう話ではないので。
    そちらの誘導に乗るほどバカじゃないからね(笑)


    「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」

     に対してどんな観点を対置させるのかに答えるなら、

    「現実に即さない概念整理など無意味。勝手にしこしこやっておけ」

     となる。

    『考えるな。見よ!』
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 06:27:00
    >メガネくんの何が問題なのか、「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」に対してどんな観点を対置させるのか。
    >「頭の良さ」についての概念整理はおかしい、というこまいぬの批判詳細を引き出そうと試みた。

    >こまいぬのそれまでの叙述レベルや文章理解度から考えると、面白い批判が聞けそうな期待感はあったのだが・・・。

    ・「頭の良さ」という言葉は「知性」などに比べて自由度が高いので、勝手に定義するのは間違い
    ・「頭の良さ」を勝手に定義したければすればよいが、それを世界に向かって「用いるべきではない」と言うのは無理がある
    ・日本語の概念を自分たちの都合のいいように嬉々として規定してはいけない、そんなものは一般に通るわけがない

    >上記以上の内容は出てこなかったため、何か出てくるまで放置することとした。

    そりゃ出てこないわ。都合よく概念整理すること自体を否定しているからな。
    その概念整理よりもこっちの概念整理の方がいいよとかいう話ではないので。
    そちらの誘導に乗るほどバカじゃないからね(笑)


    「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」

     に対してどんな観点を対置させるのかに答えるなら、

    「現実に即さない概念整理など無意味。勝手にしこしこやっておけ」

     となる。

    『考えるな。見よ!』
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 06:39:40
    すんません。リロードの際、再送信してしまいました。。。


    ついでなんで言っておくと、専門知識のちょろっとあるやつが、その世界でのみ通用している概念を専門外の人間押しつけても意味ないのよ。これまさに、

    「ごはんと名無しの間には存在がない」状態w
     

  • '''' 2016-08-27 (土) 08:36:23
    とつはかつて「麻雀において流れは存在するか」という議論において、ろくに定義もされず一般に「存在する」と思われていたものを、現実になるべく即した形で定義し、検証し、その定義において「存在しない」ということを示したことがある。

    もちろん反対派は多数いたし今でもいるのだろうが、「麻雀に流れなんて実は存在しないことが証明されたのだ」と理解した者もいる。

    おそらくだが、とつ以前ととつ以後では「流れに関する語り」の数は激減したと思う。

    2)の立場(概念体系の先行性を重視)では、

    ・「流れ」という概念の定義により、存在する場合と存在しない場合にわかれる

    という言い方をすることになり、

    3)の立場(概念体系や意識というレベルで考えない立場)では、

    流れは「存在する」と信じる人たちの間の言語ゲームの中でのみ存在しているが、信じない人たちにとっては存在していない。(そもそも存在とはそういう概念)

    という言い方をすることになる。

    1)の立場では、

    ・「おまえらの世界で勝手に定義した流れが否定しても無意味。だって流れはあるんだから」
    ・「流れなんかないよ。バカの世界では存在してると信じ込まれてるだけ」

    のどちらかを選択することになるだろう。

    「確かに昆虫はいるよね」「そうだよね」
    「ピーチョ能力なんかないよね」「そうだよね」

    と自分の常識が及ぶ相手を前提にしている限り、どの思考でも大差ないのだが、見解が相違した場合、立場によって大きく変わることになる。

    1の思考が批判された理由の一つは(自分の、自分たちの)実感を重視するため、その実感を共有しない反対者があらわれたときに「非理性的な対応で排除する」思考を誘発しがちだという点だ。

    ※もちろん私はごはんやこまいぬが非理性的な対応をしたとは主張していないので、あしからず
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 16:42:29
    ※麻雀の話も面白そうだが(私が全く麻雀をしないこともあり)とりあえずおいておく

    名無しとごはん氏のすれ違いの件、、
    まず、専門的解釈の押し付け以前に、
    (概念以前の)事物の話であったはずが、なぜか机や昆虫などの概念の話にすり替えられているという、不思議な現象があります。
    (概念以前の)事物の話であると気づけていれば、以下の発言、

    >世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解

    これをまるで「人間の認識・理解は全てそのように為される」と主張されているかのように誤認し、条件反射的に批判するといったことにはならなかったはず。ではなぜそうなったのか? 知識に寄りかかることで思考の柔軟性を失っていたから(このような人々一般に堅物と呼びます)
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 17:11:18
    もうちょっと正確に言うと「既成概念の影響をほとんど受けない事物の話」

    たとえばいろんな色形の石ころがあって、そのうち一つをそれ以外との差異によって認識するようなばやい
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 17:28:46
    ※知識と頭の良さの問題に戻るが、ここでプチ思考実験(笑)


    同程度の知識を持つAとBがいる

    Aは知識を有意義に活用できる
    Bは知識を有意義に活用できない(知識に寄りかかって頭が固まる等)
    Aは頭が良いといえるだろう
    Bは頭が悪いといえる

    結論:頭の良さは知識以外の要素で決定される
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-27 (土) 21:12:49
    >>名無しさん

    (私について)
    >「いわゆる知識人」的な鼻につく語りへの嫌悪感、実感を無視することへの違和感を忘れず、一般社会も意識しながら、誠実にまっとうに考えようとする方向性を一貫させているのが特徴。

    私は知識人的な語りが嫌いなのではありません。
    よく分かっていない・正しくないのに、正しいかのように喋って、正しいかのような立場を不当に取り、他人や他人の意見を否定する人が嫌なのです。
    単純に言って、性格悪いような人や様子が嫌なのです。
    (もちろんそれを認めて謝れば、問題はなく、解決です。)

    そして私は特に、「実際的な思考が足りていなくて間違っている」ということを人に指摘することが多い、ということです。


    >ごはんは「存在」という概念についてもあくまで実感を重視して解釈しており、非常に一貫している。

    「他のことよりも実感を重視して」ではありません。実際をよく見極めようとしているのです。
    一般の人が言う「存在」とはどういう意味で、名無しさんが言う「存在」とはどういう意味で、
    そしてどちらの方が本来の「存在」という概念であったか、
    私たちの「存在についての思索」で考えなければいけなかったのはどちらの「存在」だったか、
    といったことを私は気にするのです。

    「存在」というものにはいくつかの考え方があり、すなわち「存在1」「存在2」「存在3」があったとします。
    ここで、「存在1」について考えているときには、「存在2」「存在3」の話をされても、関係なくて意味がなく、解決にならず、
    「存在1について語るべきところで混同して存在2を語ってしまった」という間違いなのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-27 (土) 21:13:51
    (私の発言)
    >将来ピーチョ能力が存在しているなら、“世界にはピーチョ能力は存在している”と言うべきだけれど、今の私たちにはそれは分からないし、分からなくても構わなくて、ただ“少なくとも今はピーチョ能力は存在しない”と言えるだけである

    この辺りは分かりにくい不十分・不適切な言い方だったかもしれません。

    ピーチョ能力が真実として本当に存在するかどうかは、今の私たちにとって分かりません。
    しかし、私たちは捉え方や振る舞いとしては「ピーチョ能力は存在しない」として正しいのです。
    それが後々になって覆されたとしても、それは別に構わない、それでいいことなのです。

    今の私たちの捉え方や振る舞いとしては、「ピーチョ能力は存在しない」とするのが正しく(=妥当であり)、そのように捉え振る舞っていきます。
    しかし、そのことは、決して「真実としてピーチョ能力が存在しない」ということではないのです。


    江戸時代の人たちは「昆虫」を知らず、(自発的には)「昆虫」のことを考えずに生きていったでしょう。
    それはそれで、「江戸時代の人たちの(その立場での)認識・振る舞い」としては、正しいのです。
    しかし、後の今の私たちからなら理解できる、世界の実際・真実としては、江戸時代にも昆虫は存在したのです。

    これを、「江戸時代の人たちは昆虫を認識していなかったから、江戸時代に昆虫は存在しなかった」と言うのは、
    私たちの実際・本来の感覚として、不適切な言い方なのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-08-27 (土) 21:14:52
    >江戸時代の人たちが「未来のことは知らんが、ただ江戸時代においては昆虫は存在しないと言える」と言ってたらどうするよ。

    「江戸時代に昆虫は存在しない」は間違いですが、
    「江戸時代において昆虫は存在しない(知らない)と言う」のは、江戸時代の人の振る舞いとして正しいです。


    >江戸時代の人が「昆虫」を理解できるなら、ごはんも未来人に定義を教えてもらって「ピーチョ能力」が理解できるはずだが。

    当然です。
    未来人にピーチョ能力を教えてもらえば、私は幸運にもこの場で「ピーチョ能力が存在しないというのは間違いだったんだ」と気付くことができます。
    けれど、それでも、私以外の今の人たち・今の世にはピーチョ能力が知られておらず語られていないならば、
    やはり今における振る舞いとしては私は「ピーチョ能力は存在しない」とするのが正しい理解であり正しい振る舞いです。


    >「将来ピーチョ能力が誕生するかどうか」は何百年たっても誕生するまで絶対わからないことなので、ごはんの立場では、誕生するまでは「ピーチョ能力が存在するかはまだわからない」としか回答できないと思うが?

    いいえ、私は「もし将来ピーチョ能力が誕生するなら、世界にピーチョ能力は存在するし、もし将来ピーチョ能力が誕生しないなら、世界にピーチョ能力は存在しない」というところまで思考し答えることができます。


    >「机」と表現してそれが相手に伝わるかどうか、という局面で考えよう。
    >伝わるならその二人の間で「机」は存在していると言ってよいし、伝わらないなら「机」は存在していないと言うべき。
    >もちろん、木造物体がそこにあるという事実は変わらない。

    本来・一般・普通の意味での「存在」は、伝わるか伝わらないか、認識するかしないかで変わるようなおかしな概念ではありません。

    その状況なら、「よく考えると机と言える」か「よく考えると机と言えない」か「どちらで言うべきかわからない」のいずれかであるだけです。
    「机と表現しようとしたそれ」がそこに存在することが事実であって、それが実は机と言えるものだったり言えないものだったりするだけです。


    名無しさんの2016−08−27 (土) 08:36:23のレスに対して。

    1)と2)と3)の分類は私にはよく分かりませんが、
    私は、「どういう意味のソレについて考えていたはずか」を正しく捉え、その意味のソレで語り続けなければ、
    やり取り・会話として間違っていて、問題解決ができない(問題解決として失敗である)、と言っているのです。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 22:53:07
    私も性格の悪い人間は嫌いですが、
    性格がよさそうに見せかけて卑怯な振る舞いをする人間はもっと嫌いです。
    結局はエゴイスト。自分さえよければいい。
    知的好奇心が満たされれば、他のことはどうでもいい。
    そのような人間は、どんなに知的であっても、どうでもいい。
     
  • こまいぬ星人 2016-08-27 (土) 23:08:04
    ところでやはり、机や昆虫ではなく、石ころで思考実験するべきだったと思う。
    認識が被る概念の影響をできるだけ少なくして、影響0のように見える状況。
    頭を強く打って、既成概念を全て喪失した瞬間に、いろんな石ころを見る。
    これなら概念は先にこない。事物が先でよい。
    しかし、そのような状況は現実的ではない。
    実際には何らかの概念の影響を受けつつ石ころを見ざるを得ない。
    丸い形の石ころには、ボールの概念が絡んでくるし、
    それが平べったければコインの概念、
    夕日の色をしていたなら夕日の概念が認識に混じり込む。

    マクロに見たら事物が先でいいけど、ミクロに見たらこんな感じですよと、
    マクロな視点を否定せずに言うべきだった。
     

  • こまいぬ星人 2016-08-28 (日) 07:17:20
    しかしここんとこの議論ある意味面白いですね。
    謝れない者同士、言行一致しない者同士の、


    名づけて〈どの口が言ってんだか議論

 

  • 67 2016-08-29 (月) 03:16:05
    ピーチョ能力はもう存在してるよ!
    この話するときに出てくる能力だよ!
     
  • '''' 2016-09-03 (土) 00:56:45
    >「存在」というものにはいくつかの考え方があり、すなわち「存在1」「存在2」「存在3」があったとします。
    ここで、「存在1」について考えているときには、「存在2」「存在3」の話をされても、関係なくて意味がなく、解決にならず、 「存在1について語るべきところで混同して存在2を語ってしまった」という間違いなのです。

    そもそも「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」と道具主義的に概念をとらえるとつの立場に対して、

    >言葉の意味や定義は必然性や相応しさを持ってある形に決まるものであって、基本としては自由にてきとうに使っていいものではない。

    とごはんが別の観点から異論を出したんだよ。

    存在2や存在3の思考を踏まえた見解に対して、存在1の立場から最初に異論を述べたのはごはんだ。

    >「存在1について語るべきところで混同して存在2を語ってしまった」という間違い

    が成立するのなら、そもそも違う立場だという認識なく異論を出したごはんが「間違い」となる。

    ・・・もちろん私はそうではないと思っているがね。

    違う立場からの異論も大いに結構。
    どちらがどのような面でどう優れているか、劣っているかを検証しようとする争いの中から「より確からしいもの」が生まれる。
     

  • '''' 2016-09-03 (土) 00:59:08
    >江戸時代の人たちは「昆虫」を知らず、(自発的には)「昆虫」のことを考えずに生きていったでしょう。
    それはそれで、「江戸時代の人たちの(その立場での)認識・振る舞い」としては、正しいのです。
    しかし、後の今の私たちからなら理解できる、世界の実際・真実としては、江戸時代にも昆虫は存在したのです。

    それはもう十分わかってる。

    私が指摘したのは、そのように「存在する/しない」という言葉を使うことを許容すると、

    ・「存在する/しない」が真偽を問えない言葉になってしまう
    → 存在しているかどうかという「事実」と、存在していると思うかどうかという「信念」に違いがなくなってしまう

    ・実感を共有しない反対者があらわれたときに、非理性的な対応で排除する思考を誘発しがち
    → みんな存在していないと思ってるのだから、そのようにふるまうことが正しい(実感にあう)という大衆思考

    という問題点があるということ。

    2の考え方では、「流れが存在するかどうか」「昆虫が存在するかどうか」は定義によって決まるし、それ以外によっては決まらない。

    だからこそ実感を共有しない相手とも定義を共有して、検証することで「実際どうなのか」真偽を問う道が生まれる。
    流れが存在すると思うか」と「流れが存在するか」は全く違う話として区別される。

    ※もちろん事実と信念を区別すべきと考えない大衆とは、こういう理性的な対話は不可能

    しかしごはんの立場では、「私たちがあると思ってるからあるんだ」を否定する方法がなくなる。

    なぜなら、

    ・江戸時代の人は「昆虫」を知らなかったから彼らが「いま昆虫なんて存在しない」と言っても正しい
    ・現代の立場から「江戸時代にも昆虫は存在していた」と言うのも正しい

    この両立を許す立場なんだから。

    最初から「存在する」という言葉に「あると思うからある」以上の意味がないので、「定義を決めて検証する」という行程に進む余地がそもそもないし、それで良しとしているわけだ。

    よくそこまで自分に甘くなれるな・・・まぁごはんには理解はできんだろうが。

    まず2や3の考え方を理解しよう。批判するのは対象をきちんと理解してから!
     

  • '''' 2016-09-03 (土) 01:01:23
    >こまいぬ

    >ところでやはり、机や昆虫ではなく、石ころで思考実験するべきだったと思う。 認識が被る概念の影響をできるだけ少なくして、影響0のように見える状況。

    もともと「頭の良さ」という概念についての話題だったんだから、認識による差が比較的発生しにくいと思われる概念(机、昆虫)の場合はどうなるか、を考えるのが適切です。

    一般的な「概念」の話ではなく、非一般的な「個物」(今そこにあるコレ)の話を出したいなら「そこにある石ころ」を例に出すのはありだが、「そこにそれがある」と感じるレベル(言語化される以前)の話は最初から話題になってない。

    あくまで一般的な「石ころ」(概念としての石ころ)だったら、結局机や昆虫と同じことになるよ。

    石ころという概念すら、砂やら土やら岩といった概念の定義により変わる、とかね。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-06 (火) 23:43:22
    >>名無しさん

    >とつげき東北 2016−08−16 (火) 00:31:26
    > 概念の整理における美学的ないし機能的問題。
    >「頭の良さ」は、勉強の出来、発想力、知的創造力等の綜合概念として整理するのが適当であり、「大衆を気分よくさせること」や「老人をいたわること」、「謙虚であること」等を含むべきではない(概念の背反性が維持できなくなる。『本当の頭の良さ』参照)。

    あなたの「概念は美しく、機能的に整理されるべきだ」の意味がずっと分からなかったのですが、凸さんのこの発言を指して言っていたんですね。

    「概念(言葉の意味)の整理における美学」とはどういうことか、名無しさんは正しく理解されていますでしょうか。
    「ある言葉を使ったとき、その言葉が担うべき相応しい概念・意味が正しくピタッと伝わること、相応しくない概念・意味と混同されてその言葉がぐちゃぐちゃに使われてしまわないこと」が美しいのであって、
    「ある言葉・概念を、相応しい本来の適切な意味ですっきり捉えられる能力」が、美学的センスを持った目、知的審美眼なのです。

    私はこの美学についての考えをとても理解・共感し、この美学的センスこそを大事にする主義・立場です。
    私の意見は、この美学についての考えにまさしく同調するものです。
    私はこの件について「凸さんへの反論」として語り出してなどいません。

    ある概念を本来の素朴なすっきりした当たり前な意味で理解し、その本来的で正しい意味でのその概念を扱い語り続けられるのが、美学的センスを持った目、知的審美眼です。
    ある概念を「様々な“実際”を正しく捉え、総合的に考える能力」の不足がゆえに、本来の素朴なすっきりした当たり前な意味で扱い検討し続けることができず、それを独善的な意味に置き換えて、「本来・実際のその場に対して、何の解決にもならない、誰も聞いていない、ずれた話」をしてしまうことがあったとしたら、それは美学的センスがないと言えるでしょう。
    私はまさしく、「知的美学的センスを持つべきであり、概念や物事を正しく捉えるべきだ」と主張しているのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-06 (火) 23:43:59
    >私が指摘したのは、そのように「存在する/しない」という言葉を使うことを許容すると、
    >・「存在する/しない」が真偽を問えない言葉になってしまう
    >→ 存在しているかどうかという「事実」と、存在していると思うかどうかという「信念」に違いがなくなってしまう

    私たちは、「事実」そのものを捉えられることはなく、事実等外側から受け取った「感じた事実、思った事実」を捉えるだけです。
    私たちの発言や振る舞いは、全て私たちの思考・判断すなわち「信念」による、営み(意志的・目論見的営み)です。
    私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」の発話であり何らかの目論見的営みであって、決して「事実」の発話ではありませんし、私たちに感覚されるより外側の、それ以上の「事実」は、実はそこに関係ないものなのです。

    私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」なのだから、その場でできる思考・判断・営みとして妥当であればよく、実は「事実」は違ったとしてもそれは仕方ありません。


    (>私が指摘したのは、そのように「存在する/しない」という言葉を使うことを許容すると、)
    >・実感を共有しない反対者があらわれたときに、非理性的な対応で排除する思考を誘発しがち
    >→ みんな存在していないと思ってるのだから、そのようにふるまうことが正しい(実感にあう)という大衆思考

    どういうことを言っているのかよく分かりませんが、恐らく物事を単純化・簡単化しすぎです。
    みんな存在していないと思ってるのだから、そのように振る舞うことが正しい」を、「大衆思考っぽい」だけで大衆思考だと判断してしまうのも、単純化・簡単化しすぎです。

    総合的で複雑な現実に向き合い「実際」を紐解くことを放棄して、「形式的」に考えることをやめてください。

    現実は、机上の仮想・理想化や取り決めによる、ゲーム・テスト問題などではありません。
    現実は、ゲーム・テスト問題のように綺麗な状況ではなく、あらゆる要素や事情があるひどく複雑で総合的なものであって、しかしそんな「実際」をよく見つめ見極め検討しなければ、「現実・実際」の捉え間違いでありすなわち間違いです。
    現実の物事を考えるとき、複雑に取り巻くあらゆる「実際」を頑張って把握するということをあるどこかでやめてしまって、「実際的」に思考せず、「実際」から離れ、ゲーム・テスト問題のように「形式的」に思考し出して答えを決めてしまってはいけません。
    このことを、私は名無しさんや私以外の人に言っているのです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-06 (火) 23:44:20
    名無しさんのレスは、私から見て、根底的な間違いが多く、ゆえにそれらを指摘していっても散らかってしまい、統一的な返信ができません。

    この話のとってもシンプルな肝を理解してください。

    「言葉は見かけ上同じでも、その意味・真意は異なる場合があり、意味・真意が異なるならば区別しなければならない」
    「例えば“存在”という言葉が意味・真意的に、“存在1”“存在2”“存在3”と分けられるとき、“存在1”について話している人に対しては“存在1”について考えて返答してあげなければならない」

    これを認めるかどうかだけを、ぼかすことなく、まず名無しさんは答えてください。
     

  • こまいぬ星人 2016-09-07 (水) 18:30:48
    愚劣な卑怯者の質問にいちいち真摯に答えてたらそれこそ阿呆です。
    テキトーに無視してたらいい、無視、無視(笑)

    卑怯者がどんなに筋の通った論説をかましたところで、もはや滑稽な見世物にしかならない。金輪際、永遠に(笑)


    しかしこの人、自分が一番かしこいとか思ってんじゃないの? ひょっとしてw
    あなたに私の知性を推し量る能力なんて全くありませんので、あしからずwww

    よくもまあわざわざ引き合いに出してくれたもんだ・・・
    取り返しのつかない失言したあとは逃げまくりってことで、

    これまた世の愚人連中の辿る〈お決まりのコース〉ですね♪
     

  • こまいぬ星人 2016-09-08 (木) 01:21:44
    つまらん議論はもう飽きたぞー


    まず自分がシンプルな問いに答えるべき。
    私より名無しの方が正しいと思われる点はどこ?
     
  • こまいぬ星人 2016-09-08 (木) 08:44:20
    答えられるときは文字数使って意気揚々と答えるくせに、
    答えられないと逃げるのか?






     
  • '''' 2016-09-11 (日) 09:22:21
    > 私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」の発話であり何らかの目論見的営みであって、決して「事実」の発話ではありません。

    ごはんがここで言っていることは、言語学では以下のように整理されている。

    ・事実言明的(constative)な意味
    ・行為遂行的(performative)な意味

    「車がきてるよ」と誰かが発言するとき、まさに「車が来ている」という事実だけでなく、「だから危ないよ、避けなよ」というような目論見的な意味も含まれている、とやつだね。

    事実言明的な意味は真偽を問えるが、行為遂行的な意味は真偽を問えない。
    言葉の裏のいわゆる「真意」はどのようにもくみ取れるし、「実はそうではなかった」と後付けでいくらでも言い訳できる。

    日常生活上は行為遂行的な意味のみ理解できればほぼ足りるし、いちいち事実言明的な意味に着目して真偽を問うような態度はうっとうしいだけだが(笑)、だからといって事実言明的な意味が問われなくてよい、とはならない。

    例えばこのウィキのような場で何かを論じる場合は、事実言明的な意味のみが問題となる。

    だってそうしないと「いやそういうことを言ってるんじゃなかったんだって」と後からいくらでも言い訳できるクソゲーになるからね。


    〉私たちに感覚されるより外側の、それ以上の「事実」は、実はそこに関係ないものなのです。

    全ては結局信念・主観」は正しいが、だからといって

    ・麻雀に流れは存在するか(定義と検証によって真偽が定まる命題)
    ・麻雀に流れは存在すると思うか(ただの主観報告、真偽を問えない命題)

    上記を区別しなくてよいとする立場は非理性的。

    日常生活上はただの主観報告で問題ないが、それなりの場で見解が相違した場合は、見解が一致する部分まで戻って踏み固める(定義を定める)ことで、どちらの見解が正しいかを検証することができるし、そういう態度こそが「理性的」ということ。

    事実や客観性というものが、どこか主観と離れた場所にあると考えるのはもちろん誤りであって、「見解が一致する部分」とか「検証」とかも結局最終的には主観になるが、「一致している部分」から踏み固めていく限りにおいて
    客観的な事実」を問うことはできる。

    一致している部分から踏み固めようとしない態度、その必要性を認めない態度をとるのは、多くの場合議論で追い詰められてどうしようもなくなって土台からひっくり返そうとする大衆論法だが、ごはんのはおそらくそうではないと思っている。
     

  • '''' 2016-09-11 (日) 09:26:51
    〉「言葉は見かけ上同じでも、その意味・真意は異なる場合があり、意味・真意が異なるならば区別しなければならない」

    区別は認める。

     
    〉「例えば“存在”という言葉が意味・真意的に、“存在1”“存在2”“存在3”と分けられるとき、“存在1”について話している人に対しては“存在1”について考えて返答してあげなければならない」

    そんな優しい立場はとらない。
    「存在2」「存在3」の考え方が既に知られているのに、いまだに「存在1」しか知らずに語ってる人がいたら、
    存在2や存在3の立場の方が優れてると思うよ、と伝える。

    そいつがそれを受け入れるかどうか、理解できるかどうかは別の話だがね。


    では私からも質問。

    〉現実の物事を考えるとき、複雑に取り巻くあらゆる「実際」を頑張って把握するということをあるどこかでやめてしまって、「実際的」に思考せず、「実際」から離れ、ゲーム・テスト問題のように「形式的」に思考し出して答えを決めてしまってはいけません。

    ごはんは繰り返しこれを主張しているけど、「なぜそうなのか」はほとんど論じてないよね。これが正しいから名無しは間違い、と言ってるだけ。

    〉「正しく見れば、真の認識ができる」という前提が間違い。

    と、とつも最初に突っ込んでるし私もそう思うから、麻雀の流れに関する話とかも出したんだけど、ごはんは今でも「実際をみるべき」と言い続けている。

    「実際」を頑張って把握することによる成功事例とかはないの?

    麻雀の流れについて「実際をがんばって把握しよう」とだけしてたら普通に認知上の錯誤に陥るだけ、と普通に思うんだけど。
     

  • '''' 2016-09-11 (日) 11:08:57
    〉「実際どうなのか」を知るには日常的な感覚が疑われなければいけないのはなぜか分かりません。「実際どうなのか」を知るには、見逃しや見間違いをしないように「よく実際を見る・見直す」ことをすべきでしょう。つまり日常的な感覚等を「疑う」のではなく「よりよく見る」のであって、正しいこと・実際にそうであることは考え直す必要はありません。

    「よりよく見る」を徹底すればいいと思っていると、麻雀の流れ論争でも天動説・地動説論争でも誤った結論に至ってしまう。
    どちらも実際は人々の「確かに感じられる実感」と反した形で理解すべきだった、という結論が出ている話。

    こういう過去の事例を見れば自分の感覚・確かと思える実感すら疑う立場に立つべきでしょ、というのがこちらの主張だ。

    それに対してごはんは、

    〉私は、「実際」を忘れて思考することを愚かしいと思っています。
    〉それは、「実際」について説明付け・解決を与えず放置した、ずれた・浮いた・無意味な考えになるからです。

    〉その場にはどういう事実・実態があって、私たちにはどういう実感・感覚があって、そう考えたり行動したのはどういう理由・経緯からだったはずなのか。そういう「“実際”をより深く正しく把握・認識する姿勢、能力、及びそうして身に付ける理解・知識」という、言わば人間的・実直・素朴な思考活動こそが大事であり意味がある。

    この立場を繰り返し説明している。
    ここでもう「実際」や「解決」が何を指し示すか、がズレているわけだ。

    われわれは「"事実"はどうなのか」という視点から「実際」「解決」と言っているのに対し、ごはんは「相手が何を言おうとしているか、自分が何を伝えようとしているか」という視点から「実際」「解決」と言っている。

    ごはんにとっては「事実」はどうあれ、自分の感じていることを正しく相手に伝えられれば「解決」だし、そうでなければ「失敗」。
    自分が言語化しようとしている内的な何かこそが「実際」であり、その外側の「事実」など知らん、という立場なわけだ。

    もちろん「自分が言語化しようとしている内的な何か」なんて検証方法がないし、コレと言語化されたモノの差異をどうやって判定する気なんだろう、何をもって「成功・解決」とする気なんだろう・・・とわれわれの立場からは非常に奇異に感じるが、これはごはんの立場に立てば問われるべき内容ではない。

    なぜなら「自分がこう感じていること」こそが「実際」なのだから。

    それはもう十分わかった。

    われわれにはわれわれなりの理由(自分の実感を根拠にバカな説を信じたくない)があってこちらの世界解釈を採用している。
    ごはんはどんな理由があってそのような世界解釈を採用しているのか。

    ごはんの世界解釈の正しさを前提に論じるのではなく、その世界解釈を採用するとどんな良いことがあるのか、なぜごはんの世界解釈を採用すべきなのか、を論じてもらいたい。
     

  • こまいぬ名言集 2016-09-11 (日) 14:13:55
    〉>>ごはん炊か騎士さん
    〉知性の感じられる書き込み、今後も楽しみにしております。

    と当初は言っていたが、

    〉もちろん私は基本的にはこまいぬ星人さんより名無しさんの方が知的で正しいとは思っていますよ。 

    とごはんにフラれ、

    〉なれ合いのために汚い虚言を吐くという、とんでもない失言

    と一気に方向転換w


    〉個人が特定されない状況において、侮辱的・名誉等毀損的・一方的・一面的な批判等も可能とします。
    〉ただし、本ウィキへのそれらについては、同等の条件で反論される可能性があることを予めご了承ください。

    と自分で引用しておきながら、

    〉ウィトゲンシュタイン読み込んだところで、自分に甘いやつはバカのまま。人を不快にしても謝罪すらできない、気持ち悪いゴミである。

    〉他の方には申し訳ないのですが、とんでもない低脳が出てきたので議論する気は失せました。
    〉こいつが謝罪もせずに馬鹿づら下げてうろついている限り。

    と相手には謝罪を求めるww


    〉お前はもう出てくるな。もうまともに相手にされんから。 

    〉愚劣な卑怯者の質問にいちいち真摯に答えてたらそれこそ阿呆です。
    〉テキトーに無視してたらいい、無視、無視(笑)

    とか言いながら自分のみずっと無視されるとかマゾすぎるぞwww

    あとは「私のような超一流予備軍」もなかなか良かったw
    予備軍てwww大きく出たけどちょっと下がった感があってかわいいw
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-11 (日) 19:48:49
    >>名無しさん

    全てを語り決着させるにはきっと量が膨大に掛かります。
    他は置いといて、まずは「肝」の話を詰めましょう。

    >>「例えば“存在”という言葉が意味・真意的に、“存在1”“存在2”“存在3”と分けられるとき、“存在1”について話している人に対しては“存在1”について考えて返答してあげなければならない」
    >そんな優しい立場はとらない。
    >「存在2」「存在3」の考え方が既に知られているのに、いまだに「存在1」しか知らずに語ってる人がいたら、
    >存在2や存在3の立場の方が優れてると思うよ、と伝える。

    それは「存在2や存在3の考え方での解釈・結論を語る」ことであって、「存在1の考え方での解釈・結論を語る」ことではありません。
    前者ではいけない場合も、前者でも別に構わない場合も、どちらもあるでしょうが、いずれにせよ、この二つは区別される別のことです。
    そして、いずれにせよ、「存在1の考え方での解釈・結論を語る」ことができる場合に比べ、「存在1の考え方での解釈・結論を語る」ことができないのは、「存在1の考え方での解釈・結論を語る」ことについての能力不足・理解不足です。

    「存在1の考え方で、疑問に思い、解決したいと思った」のが始まりだったならば、
    その思索は、当然まず最初は、存在1の考え方での納得行く答えを探し出したはずです。
    それがいつの間にか存在2や3の考え方を持ち出していたならば、
    最初の「存在1の考え方での解決・説明付けの試み」は失敗であり、達成されていないということであって、
    そうであるということは認識されるべきです。
    仮にそれは諦めたのだとしても。
     

  • '''' 2016-09-11 (日) 21:26:11
    わかったわかった。

    だからどう理解不足なのか能力不足なのか、読者に伝わるように、存在1の考え方の成功事例を書きなよ。

    それが素晴らしくて、私が出したいくつかの論拠なんか無視できるようなものなら、喜んで私も考えを改めるよ。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-11 (日) 22:42:29
    >>名無しさん

    私の言っている意味が分かっていますか?

    あなたは「存在」という概念について例を挙げて語ろうとしたとき、
    素朴な本来の「存在」ではなく、それとは全く違う、
    「言葉が生まれてからソレは存在し始める」という特殊で別物な「存在」で語りました。

    しかし私は、例に対して、あなたとは違う、あなたにはできなかった、
    素朴な本来の「存在」という言葉による説明付けを述べました。

    「存在に関する各事例の捉え方(説明付けの仕方)」として、
    あなたの出した答えはずれていたこと、
    そしてずれていること(本来的な答えが他にちゃんとあること)を認識できていなかったことを、
    ひとまずこの議論の代表部分として、私は指摘しているのです。

    この「本来的な“存在”での説明付けができず、特殊で別物な“存在”で述べてしまったこと」があなたのここの理解不足・能力不足の表れである点なのであって、
    先の私のレスはそれ以上に説明はいらないはずです。

    あなたはただ、この辺り自分が至らなかったなということを認めるだけです。
    そしてそれは、先の私のレスさえ理解してもらえれば、可能なことです。
     

  • '''' 2016-09-11 (日) 23:01:49
    わかったわかった。

    私はごはんの信念に沿った説明をせずに、思想の世界での常識的な見解を書いちゃったね。ずれてたね。
    (もっとも私は別の立場からの異論もOKとしているが)

    で、その信念自体がダメなのでは?と指摘されてるんだから、早くそうではないところを示してよ。
     

  • '''' 2016-09-11 (日) 23:29:49
    ごはんの信念:
    自分がこう感じているということが「実際」であり、これを忘れて思考することは愚かしい。
    ↑↑
    もともと異論を投げかけられていたのはコレね。
     
  • '''' 2016-09-11 (日) 23:49:00
    存在するという言葉をどう使うべきか、という立場の違いの話をしたのは、その立場だと信念と事実の区別がつけられるなくなるよ、という批判をするため。

    これはこれで立場の違いがより明確になったから良かったんだけど、これを「それはそれで構わない」と言い切られちゃねぇ…

    そんな非理性的な結論を許容してまでこの信念にこだわる理由ってなんなんだろうな。
    一体どんな局面を想定すれば、この信念を採用したほうがいいという結論になるんだろ…
     

  • こまいぬ星人 2016-09-12 (月) 11:39:51
    >こまいぬ名言集

    ゴミのような書き込みして自慰してるのかい?
    俺のことが気に入らないガリ勉メガネのガキってことだけはよくわかる(笑)
    感情で思考してたらどこまでもバカになるぞ!!!

    一気に方向転換←当たり前『君子豹変す』ってきいたことないか、ゆとりはw

    謝罪を求める←矛盾してないぞ。もっとよく考えろ(爆)

    ところでここの住人って、ガリ勉とゆとり脳が奇跡的に融合した変態ばっかりだね。知的かつ有意義なな議論のできる連中ではない。激しく勘違いしてるだけ。永遠に三流以下。。
     

  • こまいぬ星人 2016-09-12 (月) 11:55:08
    私の一番のマチガイは、こんな連中相手にまともに議論しようとしていたことだ。
    しかし誤っていた認識は修正できた。これからは、堅物を馬鹿にして遊ぶ。
    こんなところで議論しても時間の無駄。

 

  • こまいぬ星人 2016-09-12 (月) 12:22:45



滑稽な卑怯者から一言

 

  • '''' 2016-09-20 (火) 20:57:47
    で、ごはんの信念(自分がこう感じていることこそが“実際”であり、これを忘れて思考することは愚かしい)を採用すべき理由、論拠は?

    なしならなしということでまとめちゃいますよ〜


     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-20 (火) 22:17:22
    >>名無しさん

    >私はごはんの信念に沿った説明をせずに、思想の世界での常識的な見解を書いちゃったね。ずれてたね。
    >で、その信念自体がダメなのでは?と指摘されてるんだから、早くそうではないところを示してよ。

    >ごはんの信念:
    >自分がこう感じているということが「実際」であり、これを忘れて思考することは愚かしい。
    >↑↑
    >もともと異論を投げかけられていたのはコレね。

    私の信念とは、「実際をよく捉えなければいけない」です。

    そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
    AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
    自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、
    こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します。

    いかに高尚なアイデアも、「それを正しく理解したり正しく運用できること」が必要で、
    物事に対する適切性や有効性はそのような実際的な向き合い・取り扱いこそが握るものです。

    私のこの考えは全く普通で正しいはずで、そのことはこれ以上の説明はいらずに理解されるはずです。
    そして私は、ずっとこのスタンスで喋り、このスタンスを述べてきたはずで、
    「>自分がこう感じているということが「実際」であり、これを忘れて思考することは愚かしい。」
    などと発言したところはなかったはずだと思います。

    以上を改めて理解してもらえれば、
    この「肝」の部分においてあなたが至らなかったなということを、もっと普通に純粋に認めていただけるかと思います。
     

  • simeji 2016-09-21 (水) 06:49:31
    >私のこの考えは全く普通で正しいはずで、

    その理由を、名無しさんが机や昆虫の話でやってみせたように、いくつか具体例をあげて説明してみてはいかがでしょうか。

    >そのことはこれ以上の説明はいらずに理解されるはずです。

    ごはんさんの態度は、自分とは違う感覚、認識をもっている人達にたいしてあまりにも不誠実です。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-21 (水) 13:01:30
    >>simejiさん

    すみません。できるだけ誠実にしているつもりなので、不誠実に感じられていたら謝ります。
    一応、私としては、先のレスこそが私の考えの普通で正しいことの説明であったのです。
    この説明で、「いやそうは思えない」というところがあればそこを聞いていただければいいと思ったのですが、
    私はきっとこの説明で納得できないところはないだろうと思って、「これ以上の説明はいらないはず」と言ったのです。

    私の説明は、読んだ人各々が自然に意味を理解し、確かになぁと思える具体例が思い浮かぶことができ、そうでない具体例は思い浮かばないのではないかと思ったのです。
     

  • simeji 2016-09-21 (水) 17:27:56
    そうでない具体例をすでに名無しさんがいくつか示している。「あなたの考え方は幼稚だよ」という指摘に対し、それを認めないのであれば、名無しさんの考え方より自分の考え方の方が優れている場面、あるいは名無しさんの考え方では解決できない問題等を想定し、それを書き込むべきです。
     
  • ごはん炊か騎士 2016-09-22 (木) 00:44:13
    >>simejiさん

    名無しさんがこれまで挙げてきた例は、
    私の「実際性を失ってはいけない」を、「自分の実感(その場の何となくの考え)にそぐわなければ認めない」のようなことであると誤解して、
    それに対して「自分のくだらない考えを信じてはいけない、疑わなければいけない」という主張をするために出していたものでしょう。

    私の「実際性を失ってはいけない」の考えは、決して「自分の考えを疑わない」ような意味ではなく、もっと普通で当然なことを言っているだけだと、私はずっと訂正してきているのです。
    その私の訂正・反論が、いろんな話題やそれらへのいろんな混乱によってどうもちゃんと伝わっていないようなので、一旦他のことを置いといて、この私の考え及び「肝」の部分をそれらのみで再表示しているのです。

    名無しさんはこれまで、私の「実際性を失ってはいけない」を、この数レスで確認し直した内容では理解しておらず、誤解していたはずです。
    だから私のこの数レスの「その他のことを置いといた再表示」は、この数レスの内容で十分この議論のこの今において必要適切で意味あることであって、
    「新たに具体例が出されてないんじゃ何も変わらない」というような指摘に当たるところではないのです。


    というのが私の見解ですが、もし本当に私の説明し直した先のレスの内容に疑問があるなら、それを言ってくだされば返答します。
    私の説明し直したレスの内容そのものや、それがこれまでの名無しさんの具体例に本当に通じないものであるかといった、実際の思考・検討をもししていなかったなら、その必要性をこれで理解していただけたらいいと思います。


    とはいえ再度言いますが、人は間違えるものなので、それを認め謝れば全く問題なく解決です。
    私もこのように言っていますが、私も間違っているかもしれません。そのように思われたらやはり率直に指摘していただければいいです。
    そのときには私も謝り訂正しますので、そのときには許していただけたらと思います。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-22 (木) 01:27:30
    私がここで具体例を出さないのは、そもそも具体例などいらず納得できることだと思うからであり、
    それは言い換えれば読んだ人各々がいくらでも「その通りだなぁ」と感じられることが思い浮かび、そうでないものは思い浮かばないだろう、と思うからです。

    そしてもう一つの理由は、具体例を出すと、これまでと同じようにそれら個別の具体例に関わる混乱によって散らかってしまうかもしれない、
    つまり、それらを語る間に「根底的な誤解・食い違い」がまたいくつも出てきて散らかってしまうかもしれない、と思うからです。

    しかし、一応言っておけば、当然ながら、私の「実際的な思考を忘れないでください」という指摘が放たれているこの議論こそが、まさしくその具体例となるでしょう。

    これまでの議論、名無しさんの考えとそれに対する私の反論の考えを見比べれば、「実際的に思考する」ということがどういうことか分かるでしょう。
    またすぐ上のレスでも書きましたが、恐らく今simejiさんは「私の説明し直したレスの内容そのものや、それがこれまでの名無しさんの具体例に本当に通じないものであるか」について実際的な咀嚼・検討を欠いていたので、この件からも理解することができるでしょう。
    さらにsimejiさんのレスからもう一点取り上げるなら、「説明は具体例がなければ説明にならない」というのも実際的な思考の詰めを忘れた、典型的な「形式的な思考」であって、議論上の要されていることや各事柄の果たせている効果をよく吟味・注視すれば、必ずしもそうではないのであって、私のこの数レスの「具体例のない説明」は実は問題ないのだということが、分かっていただけるのではないでしょうか。
     

  • '''' 2016-09-22 (木) 02:20:04
    ね、わかるでしょ?

    が通じない相手にはなにもしないし、する必要もないというスタンスが明らかだね。

    ↑これは非理性的な態度ですよ、という批判も関係なし。

    ・・・われわれは十分わかった上でそれを採用していないのだが(笑)


    〉私の「実際的な思考を忘れないでください」という指摘が放たれているこの議論

    それはなぜですか?実際的な思考をいったんカッコにいれたほうがいいこと多いと思うけど?

    という指摘に対してごはんがなにも反論できないだけの議論でしたね。
     

  • '''' 2016-09-22 (木) 02:56:56
    〉私の「実際性を失ってはいけない」を、「自分の実感(その場の何となくの考え)にそぐわなければ認めない」のようなことであると誤解して

    誤解ではないですね。

    〉私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」なのだから、その場でできる思考・判断・営みとして妥当であればよく、実は「事実」は違ったとしてもそれは仕方ありません。

    ごはんはこう言っている。
    私がごはんの考えの問題点をつついた(信念の発話と事実の発話に差がなくなってしまう)のに対し、「結局信念なんだから事実と違っても別に良い」と言い切っている。

    彼にとっては「事実かどうか」よりも「その場でできる思考・判断・営みとして妥当かどうか」が優先すべき事項なわけです。

    ・江戸時代において「昆虫なんていない」と言うのは正しい
    ・現代から振り返って、「江戸時代にも昆虫はいた」と言っても正しい

    ↑この両立を認めるのが、ごはんの「正しい」という言葉の意味だということを思い出そう。

    ごはんの重視するところの「実際」の意味合いはここからも明らかです。

    言い訳するなら過去の発言と矛盾しないようにどうぞ(笑)
     

  • Meaningless 2016-09-22 (木) 14:15:22
     言うまでもないとは思うが、全く念のため。

    >ご飯

     名無しは「言い訳するなら過去の発言と矛盾しないようにどうぞ(笑)」とあるが、これは別に「過去の発言の修正を一切認めない」ということではない。
    「これこれは勘違いであったから撤回する」という行為は当然認められる。

     もっとも、「それを明示する」という条件があるが。
     

  • こまいぬ星人 2016-09-23 (金) 14:51:01

まだまだ続くアホバカ議論

 
 

  • こまいぬ星人 2016-09-23 (金) 15:06:01
    ヒマなのでまとめてやる

    卑怯者の使う「正しい」には何の重みもない
    ・堅物連中の思考は形式に依存して深みがない

    どちらも真なり
     

  • こまいぬ星人 2016-09-23 (金) 15:16:47
    中学生レベル議論まだ続けるの?www




     
  • ごはん炊か騎士 2016-09-23 (金) 23:34:28
    >>名無しさん

    私のこれまでの発言全てが、私の信念通り・目指した通りにできているかは、この後改めて議論しましょう。

    私がこれまで全てその通り実行できているかはひとまず置いといて、
    私の信念の意味するところを理解し、
    私の信念がそのものとしては正しいのか正しくないのかを判断すること、
    は今シンプルに再確認したレスたちだけでできることです。


    >そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
    >AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
    >自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、
    >こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します。

    >いかに高尚なアイデアも、「それを正しく理解したり正しく運用できること」が必要で、
    >物事に対する適切性や有効性はそのような実際的な向き合い・取り扱いこそが握るものです。

    まずはこれのどこに納得できないかを示してください。
    そうでないなら、これが正しいことを認めてください。

    これが正しいと認められたなら、
    私の「実際性を大切にしなければいけない」というのが「自分のそのとき持っている考えを疑わない」等の意味ではなく上記の意味であって、
    上記の意味としては確かに「実際性」というのは一般的に大切にしなければいけないなぁということが解ってもらえるでしょう。

    「存在」の件については、私もシンプルな文量だけで認めてもらうことは諦めます。
    このあと「私の解答は信念と事実に差がなくなってしまって、それは問題ではないのか」についてを含め議論しましょう。

    なのでまずは、私の信念の意味と、それは確かにその通りだなぁ、その意味で「実際性」が足りていなかったら確かにいけないなぁということを、認めてください。
     

  • こまいぬ星人 2016-09-24 (土) 00:29:42
    すみません。できるだけ誠実にしているつもりなので、不誠実に感じられていたら謝ります。
    一応、私としては、先のレスこそが私の考えの普通で正しいことの説明であったのです。

    人は間違えるものなので、それを認め謝れば全く問題なく解決です。
    私もこのように言っていますが、私も間違っているかもしれません。そのように思われたらやはり率直に指摘していただければいいです。
    そのときには私も謝り訂正しますので、そのときには許していただけたらと思います。
     

  • こまいぬ星人 2016-09-24 (土) 02:27:23
    >>飯炊き人夫

    残念ながらあなたは正しくないので、

    >こういったことをより正しく捉えられる力
    >考えの正しさや適切さ

    を持ち合わせておられません。従いまして「それを正しく理解したり正しく運用できること」もありえないと思われます。
    その肝のところをまず、それは確かにその通りだなぁと、認めてくさい(プ)
     

  • こまいぬ星人 2016-09-24 (土) 02:32:15
    しかしまともな知性のあるやつ一人もいないのかよここwww




     
  • '''' 2016-09-24 (土) 06:47:23
    >私の信念がそのものとしては正しいのか正しくないのかを判断すること、は今シンプルに再確認したレスたちだけでできることです。

    ちゃんと反論しなさいと私以外の人にも言われてなかったっけ?
    すなわち、今までの議論を見てあなたの信念は正しくないと判断されているのです。

    >そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
    >AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
    >自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、
    >こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します。

    左右しません。
    むしろ逆になる、ごはんの言う意味で「実際を正しく捉える」ことによってダメになる例が少なくとも二つ挙げられてます。

    とつにも指摘されてたよね、「正しく見れば真の認識ができるという前提が間違い」と。

    どういうことなんでしょう??

    私のこれまでの文章を全部読み直して、自分でまとめてみてください。
    反論するなら私の主張を正しく理解してから反論してください。

    ごはんのみがついてこれていない。
    なぜかと言うと、ごはんが私の文章をよく読んでいないからです。

    ごはんからすればズレていると感じるかもしれないが、私はごはんの主張を何度かまとめたよね。
    多少ズレていてもいいから、ごはんも一度ぐらい私の主張をまとめてみるべきだよ。

    反論の意味内容を理解せずに、自分の信念を述べ続けているから今の失態があるのです。
     

  • '''' 2016-09-24 (土) 07:16:31
    〉「新たに具体例が出されてないんじゃ何も変わらない」というような指摘に当たるところではない

    〉「説明は具体例がなければ説明にならない」というのも実際的な思考の詰めを忘れた、典型的な「形式的な思考」であって、議論上の要されていることや各事柄の果たせている効果をよく吟味・注視すれば、必ずしもそうではない

    ごはんの信念(実際をよく捉えなければいけない)に関して、これまで具体例が出た試しがないんだよ。

    ごはんの中ではこれがあまりに当然だから、実際性から離れた思考はダメという前提からいろいろいってるだけで、「ではなぜダメなのか、どんな局面でダメなのか」については一度も語られていない。

    実際が大事、形式的はダメ、ゲーム的に考えてはダメ。

    なんかそれっぽいこと言ってるけど、全部間違ってる。

    「実際」なんか大事にすべきじゃないし、形式的に考えても通用しなければいけないし、そのためにはゲーム的にも考えなければいけない。

    どういう局面でどうダメになるのか、一度ぐらいちゃんと書いて下さい。
     

  • こまいぬ星人 2016-09-24 (土) 10:56:05
    この議論、ほんとマジくだらなすぎ・・・

    まぁこのサイトの勘違い議論は総じてこのようなものであって、
    堅物につける薬はないので無駄だと思うが、一応注意しておく。


    注1:横やりを入れてきた傍観者は超レベル低いので同調してたら頭悪い

    注2:実際(笑)を大事にしてないと異質な他者を理解できず、まともに議論もできないが、本人自身はできてるつもりなので、それをサンプルとして提出しても理解されない。他のサンプルを出したところで同じで、滑稽な飯炊きが言っても無駄っぽい相手にいつまでもしつこく言っている話というのは、わからない人には一生解らないレベルな話であって、相手の要求に応じてどういう局面でどうダメになるのか解説したとしても、まず意味がない。議論がややこしくなるだけで、誰かが言っていた、

    >自分の考え方の方が優れている場面、あるいは名無しさんの考え方では解決できない問題等を想定し、それを書き込むべき

    このような寝ぼけた提案は議論の進行上、誤りでしかなく、こんな稚拙な横やりしか入れられないのなら出てこられても迷惑

    注3:以上のことは、現実に惑わされず知識に寄りかからず、自分に厳しく頭を鍛えてきて本物の知性を得たような人、すなわち実際的思考も形式的思考も自在に駆使できるような人であれば、議論をさっと斜め読みしただけでも把握できるレベルの話
     

  • こまいぬ星人 2016-09-24 (土) 11:00:18



ギャグセンス抜群の滑稽な卑怯者からも一言あるようです

 

 

  • simeji 2016-09-25 (日) 03:40:45
    >このような寝ぼけた提案は議論の進行上、誤りでしかなく、こんな稚拙な横やりしか入れられないのなら出てこられても迷惑

    誤りではない。この議論流れはごはんさんの「実際的な思考が大切」という主張に対し、名無しさんが「それだけでは気付けない答えや陥りやすい誤りがある」と示し、「にも関わらずその考えを大事に思う理由は?」という問いにごはんさんが答えていないというところで止まっている。「それは誤解です。私の思う実際的な思考とはこうです」という書き込みもされたが結局「なぜそれが大事だと思うか」という自分の主張の根拠に関しては触れられていない。
    感覚や認識が異なる相手に対し、理解できる"はずです"、納得できる"はずです"と、有無を言わさず同意を求める態度が不誠実であると私は主張した。
    「私の考え方にはこのようなメリットがある」あるいは「あなたの考え方にはこのようなデメリットがある」ということを示せないなら、何を重視してその考えを採用しているのかというお互いの前提の違いをいつまでたっても確認できない。おそらくごはんさんは、思想や哲学に精通していない人にも伝わるかどうかを重視しているのではないかと感じているが、私はそこがそもそもの間違いだと考えている。あくまで予想なので今は詳しくは述べない。

    こまいぬさんのスタンスを要約するなら「バカには何を言っても無駄。こんな議論とっととやめるべき」ということなのだろうが、そんな身もふたもない結論しか出せないなら、あなたこそ横やりを控えるべきだろう。くだらないくだらないと言いながら、誰よりもこまめに書き込んでいる自分を、みっともないとは感じないのだろうか。
     

  • '''' 2016-09-25 (日) 14:53:40
    >simeji
    犬の稚拙な横やりこそ余計だというのは誰の目にも明らかなのでいちいち反論しなくても大丈夫ですよ。
     
  • simeji 2016-09-26 (月) 01:30:52
    >名無しさん
    まあ、ごはんさんへの主張の補足も兼ねて一応。こまいぬさんももっと冷静になればまともに参加できるのに残念です。
     
  • ごはん炊か騎士 2016-09-28 (水) 02:46:26
    >>名無しさん、simejiさん

    まさか、これさえも認められないとは。

    「より正しく物事を捉えること」すらできないなら、あなた方はなぜ「他の考えではないそういう考え」を持とうとしているのですか?
    なぜあなた方の意見を私に主張してきているのですか?
    なぜ数学で正解が定められ、不正解が判定されることはまかり通っていると思うのですか?

    「より正しく物事を捉えること」すらできないと思うなら、思考と主張をやめてただ黙っていればいいです。

    私は以下当然ながら「より正しい答え・真実」を追求していくごく普通の思考・議論を行っていきますが、そんなことできないと思うなら今すぐこの段階でこの議論を放棄してくださいね。




    私は、「実際的に考える」の意味を説明しました。
    これに反対するとはすなわち、
    「そこで起こっていることや問題となっていることは何か」を正しく捉えようとせず、
    「AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか」を正しく捉えようとせず、
    「自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか」を正しく捉えようとせず、
    その状態で喋る内容が正しいと考えるということです。
    私はそうは思いません。

    正しい思考のためには上記のことなどを正しく捉えようとすべきだということを、具体例で示すのはなかなか難しいことです。
    なぜなら、それは「ごくごく当たり前すぎてくだらない具体例になってしまう」か、
    そうでなければ「さらに議論を呼んでしまい議論し尽くさないと納得されない新たな話題を持ち込む」ことになってしまうと思うからです。

    ごくごく当たり前すぎてくだらない具体例で言えば、私のこれらに反対されるというのは、
    「周囲の物を把握するためには目を開けて見なければならない」に反対されるようなものであって、
    これが理解されないならばそれ以上分かりやすく説明をするのは難しいですし、
    それ以上説明をしなくてもこちらが非難されるところではないものです。

    私には、あなた方が「本当に私のここの主張を理解するためにこれ以上の説明・具体例が必要か」を考えず、
    「具体例が出されるまでは“具体例が出せないんだ”として認めなくてもいい」と信じて、
    意固地に具体例具体例と言ってみてるだけのように思えます。

    「より正しく物事を捉えようとすることはおかしくないし不可能や無駄ではないこと」、
    「正しく思考するためには“なんでそうなるか、本当にそうであるか”等を考えなければいけないこと」、
    これらにこれ以上の説明・具体例を加えることを、私は必要とは思いません。


    一方、私が新たな議論の種となるような具体例の方を出さないのは、既に議論の種は場に出ているからです。
    あなた方も、私の改めて説明した「実際的に考える」に対して、
    それが成り立たない例を新たには出さず、「今まで出した一応未決着の例が、きっとその反例であるはずだ」として反対してきました。
    つまり今までのあなた方との議論を決着させていけば、それで十分でしょう。
    私は新たに具体例はあまり出しませんが、これまでに出していただいた議論を続ける気はあるので、ひとまずはそちらを見ていってください。


    しかしなかなか時間が取れないので、今回のレスはここまでにさせてください。
    あとはまた後にレスします。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-28 (水) 03:44:40
    すみません。
    「そこで起こっていることや問題となっていることは何か」、
    「AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか」、
    「自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか」、
    等を正しく捉えなければならないということの、直接的な例も漠然ながら挙げようと思い付いたのですが、抜かしてしまいました。

    テスト問題を解くとき、あるいは思考一般、議論一般を考えていただければいいです。

    テスト問題を解くときは、与えられている条件や暗黙に与えられている条件、問題の状況、問われていることなどを正確に捉えなければ正解はできないですし、それらを正確に捉えようとすることによって実際正確に捉えられて、「正解」がもらえるでしょう。
    また、「自分の実感よりも、もっと頭良い人たちに認められているような法則・結論を使おう」ということで、例えば数学の裏技的な公式を知ったって、
    その公式の計算法を理解し間違えたり、もしくはそれが使える条件から外れた問題に対してその公式を使ってしまえば正しい答えは得られませんし、
    裏技的な公式を使う場合においてもそういう「どういう意味か、どうやって使うべきか」等を実直に頑張って正しく捉えようとするという「実際的な活動」が、やはり必要なのです。
    これらと同じことが、思考一般・議論一般でもいくらでもあるはずです。

    一応多少なりと具体例を出せばこういうふうに言えますが、
    やはりこの程度の漠然とした例は当たり前すぎてそもそも各自で思い付けたことでしょうし、
    これらをさらに具体化してみることも別段意味はないでしょう。
    このような「当たり前な主張」は、それに従う当たり前な具体例を出す価値や意義はほとんどなく、
    それが成り立たないんじゃないかと疑われる具体例の方のみ、それが思い付いた場合には言う意義があるのです。

    とにもかくにも、私は「実際的に考える」の意味を誤解されないよう改めて説明したはずで、
    そしてそれはあまりに当たり前なことであったはずです。
    ゆえに、あなた方がこれに反対するのは、
    何か実際にこれが成り立たない具体例が思い付くのではなく、
    そして今までに出た未決着の具体例がこれに当てはまらないかどうかも実際的に検討したわけではなく、
    今までに出た未決着の具体例に対して「きっと当てはまらない例になっていて、これが決着つくまでは認めなくてもいいはずだ」と信じているだけなのではないでしょうか。


    今までに出た具体例が「実際的に思考すべき」に当てはまることは、ちゃんと後日レスで語ります。
    それまでに再度、「実際的な思考」をしておけるならしておいていただけたらと思います。
     

  • simeji 2016-09-28 (水) 07:03:28
    >「より正しく物事を捉えること」すらできないと思うなら、

    なんでそうなるんですか。自分に賛同できない人は自分とは真逆の考えを持っているなんて簡単に結び付けないで下さい。今は単に、どちらの捉え方がより優れているかを話し合っているのです。

    >ごはんの世界解釈の正しさを前提に論じるのではなく、その世界解釈を採用するとどんな良いことがあるのか、なぜごはんの世界解釈を採用すべきなのか、を論じてもらいたい。

    私にはごはんさんが物事を正しく捉えようとしているとは思えません。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-28 (水) 12:51:55
    >>simejiさん

    名無しさんは以下のように発言しています。

    >>そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
    >>AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
    >>自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、
    >>こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します。

    >左右しません。
    >むしろ逆になる、ごはんの言う意味で「実際を正しく捉える」ことによってダメになる例が少なくとも二つ挙げられてます。

    >とつにも指摘されてたよね、「正しく見れば真の認識ができるという前提が間違い」と。

    >どういうことなんでしょう??


    そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
    AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
    自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、
    こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右する、
    というのが私の主張で、
    名無しさんはこれに反対し、
    私のこれら物事を正しく捉えようとする行為について「正しく見れば真の認識ができるという前提が間違い」と言っています。
    そしてあなたは、その名無しさんに否定せず乗っかっています。

    私のこれら物事を正しく捉えようとする上での当たり前の行為を、「正しく捉えようとして捉えられるというのが間違い」と言っているのが、名無しさんとそこに乗っかるあなたの主張ではないのですか?

    >ごはんの世界解釈の正しさを前提に論じるのではなく、その世界解釈を採用するとどんな良いことがあるのか、なぜごはんの世界解釈を採用すべきなのか、を論じてもらいたい。

    だから私は、「実際的に考える」について、上記のような意味であり、それは物事を正しく捉える上で当然必要な行為であり、それをすべきだと言っています。
    メリットと言うなら、実際的に考えることで物事を正しく捉えられること、実際的に考えなかった場合には物事を正しく捉えられないだろうがそれを防げること、です。
     

  • simeji 2016-09-28 (水) 16:41:59
    >ごはんの言う意味で「実際を正しく捉える」ことによってダメになる例が少なくとも二つ挙げられてます。

    「ごはんのいう意味で」とちゃんと前置きがしてあるでしょう。ごはんさんは"正しさ"というものが解釈する側の目的や立場によって変化するという認識はお持ちでしょうか。ごはんさんの言う「より正しく物事を捉える」というのは、一体誰にとっての正しさを追求する姿勢なのでしょう。「数学で正解が定められる」のは同じ公理系を共有する者同士での話ですよね。「1たす1は田んぼの田である」という答えも、特殊な前提に立てば正解になりますよ。でもそんな前提を共有したところで語れることは少ない。だからこそどちらの前提が優れているか、議論を通じてはっきりさせようとしているんです。

    >「概念は明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして明確に存在はしている」

    >私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」なのだから、その場でできる思考・判断・営みとして妥当であればよく、実は「事実」は違ったとしてもそれは仕方ありません。

    ごはんさんが追い求める"正しさ"は私の思う正しさとは異質なものであるから(感覚や認識が異なるから)、ごはんさんは何を重視してその考えを採用しているのかを聞いているんです。逆になぜ名無しさんの考えに賛同しないかを語ってくれてもいいです。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-28 (水) 20:34:50
    >>simejiさん

    >>ごはんの言う意味で「実際を正しく捉える」ことによってダメになる例が少なくとも二つ挙げられてます。

    >「ごはんのいう意味で」とちゃんと前置きがしてあるでしょう。

    私の言う意味で「実際を正しく捉える」とはつまり、
    『そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
     AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
     自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか』
    こういったことをちゃんと考える、ということであると、私は何度も確認してきました。

    だから私の言う意味で「実際を正しく捉える」ことに反対するとは、上記のようなことをちゃんと考えるべきであるということに反対することですよね。

    違うんですか?
    私のこの「実際を正しく捉えるべき」に反対していたんですよね。
    これ以外のどんな意味であなたはこれを認めず反対していたのですか?




    私の「正しいことを分かるためには実際的に考えるべき」における「正しいことを分かる」とは、
    単純普通な意味であって「真実の状況を正確に理解する、真実の状況について正確な認識を持つ」ということです。

    この議論のそれ以外のところで「正しい」という言葉が使われる部分の意味がどうであるかは、各それらを論じるときにまた確認すればいいと思いますが、
    ひとまず私の「正しいことを分かるためには実際的に考えるべき」における意味は上記の通りです。

    状況を正確に理解して語れるために、なんでそうなるか・本当にそうであるか等は、決め付けやなんとなくで飛躍せず、ちゃんと考えて確かめなければいけない。
    このとてつもなく当たり前なことが私の「正しいことを分かるためには実際的に考えるべき」の意味です。

    その通りだなと思っていただけたなら、これを認めてください。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-09-28 (水) 20:38:24
    >ごはんさんは何を重視してその考えを採用しているのかを聞いているんです。

    「実際的に思考すべき」という考えを持っている理由は、それをしなければ正しく物事を捉えることはできないと思うからです。
     

  • simeji 2016-09-28 (水) 20:55:00
    …なぜ私や名無しさんがごはんさんの主張に賛同しないかその理由は正しく把握されていますか?
     
  • '''' 2016-09-28 (水) 21:49:41
    〉simeji
    その指摘は完全にツボをおさえてるけど、ごはんに「公理系」なんて言ってもわからないな。その言葉を知ってればそもそもこの信念を疑えているはず。

    とはいえ、初めて具体例を書いてくれたし(大きな一歩!)、私が出した反証例についてもまだ書いてくれるみたいだから、もうちょっと待ちませんかね。

    その内容を読めば、ごはんが私の主張をどう理解しているかもよりわかるでしょう。

    まぁどう書いてくるかもだいたい予想できてて、次どういう展開に持っていくかも決めているので、私に任せてもらえると嬉しい。
     

  • '''' 2016-09-28 (水) 22:07:56
    〉ごはん
    最初らへんにも書いたけど、ごはんは自分の考えを伝えるのが上手いし、私はこのスレのごはんの発言は全て熟読してるので、ごはんの考えはもうよくわかっている。

    ただ、ごはんは相手の主張の論旨をまとめるのは苦手だと思うから、私が出した反証例に対する再反論を書くのでも良いよ。

    まずしっかり私の発言を読み込んでね、難しいかもしれないが。
     

  • simeji 2016-09-28 (水) 23:27:05
    >名無しさん
    了解です
     
  • ごはん炊か騎士 2016-09-29 (木) 01:26:47
    >>simejiさん、名無しさん

    私に呆れて議論を切り上げるにはまだ早すぎます。
    名無しさんも、次の議論の展開を待つ前にまだ決着させるべきことがあります。

    結局名無しさんとそれに同調するsimejiさんは、
    『そこで起こっていることや問題となっていることは何か、
     AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、
     自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか』
    これらを正確に捉えようとなんてしなくていいし、
    物事を正確に捉えようとして正確に捉えられるなんてことはない、
    という主張でいいのですか?

    simejiさんはそんなふうに読めないだろうと否定しましたが、
    私はそのような意味にしかならない流れを合理的に説明しました。

    その決着がまだなのです。
    やはり名無しさんとそれに同調するsimejiさんは、上記のトンデモな主張でよろしいのですか?
    それとも、やっぱりそれはどこか間違ってそう主張してしまっただけで、本当は私の「実際的に思考すべき」には納得できるのですか?
    それを答えてください。

    先の私の返信を受けて、まだこれを認めないことができるのですか?
     

  • '''' 2016-09-29 (木) 08:32:23
    ・そこで起こっていることや問題となっていることは何か
    ・AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか

    このあたりは(厳密には少しダメだが)別に間違いではないし、反論されてないね。

    ・自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか

    これを正しく捉える力が考えの正しさや適切を左右する、という部分が最初から反論されている部分です。

    2016−08−22 (月) 01:01:59のごはんの発言にもある、

    〉「実際どうなのか」を知るには、見逃しや見間違いをしないように「よく実際を見る・見直す」ことをすべきでしょう。つまり日常的な感覚等を「疑う」のではなく「よりよく見る」のであって、正しいこと・実際にそうであることは考え直す必要はありません。

    こういう部分が違う、と最初から反論されているのです。

    〉これらを正確に捉えようとなんてしなくていいし、 物事を正確に捉えようとして正確に捉えられるなんてことはない

    物事を正確に捉えようとするときに「よく実際を見る・見直す」という方法論には重大な問題がある、ということね。
    物事を正確に捉えようとして捉えらえるなんてことはない、とは言ってない。

    〉状況を正確に理解して語れるために、なんでそうなるか・本当にそうであるか等は、決め付けやなんとなくで飛躍せず、ちゃんと考えて確かめなければいけない。

    これは全く異論ない。その通りだと思う。
    ごはんにも飛躍せずちゃんと考えてもらうために、具体例(論拠)を要求していたのです。

    さて、では私の反証例への再反論を待ちますよ。
     

  • '''' 2016-10-01 (土) 10:56:38
    「Aは大切で、考えの正しさや適切さを左右する」に対して「左右しません。」と否定されたのを、「Aをやろうとしてもできることはない」と読むのは単なる誤読。

    「Aをやろうとしてもできないことがある」という反証例をこちらは出してたのに、いまさらこの誤読は正直レベル低いな・・・。

    >今までに出た具体例が「実際的に思考すべき」に当てはまることは、ちゃんと後日レスで語ります。

    今までに出た具体例とか言って、ごはんが正しく理解できてたかは非常に疑わしいが、まぁもう少し待つことにするよ。
     

  • '''' 2016-10-08 (土) 07:14:28
    明日か明後日にはまとめを書くかな!
     
  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 12:32:03
    独善的なまとめならいりませんよ(笑)
    どーせまとめになってないと思う(爆)


    >>simejiさん
    >おそらくごはんさんは、思想や哲学に精通していない人にも伝わるかどうかを重視しているのではないかと感じているが、私はそこがそもそもの間違いだと考えている。

    なぜですかね?
    それだと自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり、そのような考えこそ堅物のダメなところであり、大衆に馬鹿にされても仕方がない点だと思いますがね?

    逃げまくり噴飯男が結局何をしたいのかは知らんし、
    あのような堅物以下の臆病者の嘘つきはどーでもいいけど、

    知識に寄りかかって頭が固まる堅物の特徴として、
    知識を積み上げて作り上げた『自分の土俵』でしか思考できなくなるというのがあります。結果として、土俵が違っているのに恥ずかしげもなく同じ調子で発話する→異質な他者とまともな議論ができなくなる。この議論自体がそのことを如実に示すサンプルとなっています。
    凸氏や名無しが、それまでの議論流れを押さえもせず、どのような土俵で議論がなされているかを見極めもできずに登場した状況と、それ以後の不毛な議論流れをみれば明らかだと思いますがね。
    名無しの的外れな突っ込みの数々、メリットデメリット発言←私の指導教官にでもなったつもりか?議論の筋を捉えられていない証拠。わからないところがあったら「よくわからないので教えてください」だろ(笑)
    また凸氏の論点すり替え工作や、

    >『徳の有無』を『頭の良さ』の構成要素に入れてはならない

    などの根本的な読み違え。
    これらは全て、自分の立っている土俵をいったん離れて〈今目の前で実際に行われている議論の現実〉をしっかり見る、ということをしていないから起こったことです。これではどんなに知識を増やしたところで、似た者同士でこのようなサイトに集まってしこしこやってるのが関の山であり、タイプの異なるそこそこ鋭い人に少し視点を、切り口を変えられれば、全くついてこられない(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 12:43:09
    あ、ごめん。
    名無しがおかしなまとめをする前に、一番大事な点をまとめてしまった(爆)

    ほら、どこまでも笑える嘘つき噴飯男もがんばれよ!

     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 13:06:18
    噴飯男「この議論のそれ以外のところで「正しい」という言葉が使われる部分の意味がどうであるかは、各それらを論じるときにまた確認すればいいと思います」


    何言ってんだこれ? 恥かしくないのか?
    ホント、正しさのカケラもないやつだなwww
     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 13:18:36
    ここで一つ、簡単な頭の運動w


    バカボンのパパかく語りき「1たす1は田んぼの田なーのだ!」

    知性の高い人→頭が柔らかく自分に厳しいので、パパのような人ともコミュニケーションできる。パパにはパパの現実があるのだから、その現実を見下してパパの人生を軽視しない。
    勘違いの堅物→パパのような人とはコミュニケーションできないので、そんな人には価値がないことにして、似た者同士でしこしこ。パパに笑われる。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 14:12:37
    要するに、ただの哲学・思想研究者で終わるのか、ほんまもんの哲人・思想家になれるのか、あんたらその瀬戸際にいるんですよ、ということ。






     
  • '''' 2016-10-09 (日) 21:06:05
    ■ ごはんの主張

    実際をよく捉えなければいけない。
    「実際をよく捉える」とは以下のようなことを指す。

    ・そこで起こっていることや問題となっていることは何か
    ・AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか
    ・自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか

    こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右する。

    例えばテスト問題を解く際、与えられている条件や暗黙に与えられている条件、問題の状況、問われていることなどを正確に捉えなければ正解はできない。
    それらを正確に捉えようとし、実際正確に捉えられて「正解」がもらえる。

    これと同じことが、思考一般・議論一般でもいくらでもあるはず。

 

  • '''' 2016-10-09 (日) 21:08:31
    ■ 名無しの主張

    ごはんのように「実際をよく捉えなければいけない」と考え、「実際をよく見る・見直す」ことを重視する思考には大きな問題点がある。

    反証例1:麻雀の流れ論争
    反証例2:天動説地動説論争

    上記はいずれもそもそも実際を捉えるための方法論、道具立て自体を疑い、方法を大きく変更したことによって成果を挙げた事例になる。

    「自分の感覚がどういったものか」といった部分を重視していると、そもそも、その感覚を自分達にもたらしている思考の枠組み(概念体系)を疑うことができない。

    麻雀には流れがあると確かに感じる実感(これは麻雀をする人間が100人中100人感じる)をいったんカッコに入れ、統計をとって検証してみなければその実感が誤りであることには気付けない。

    「天体運動の"原点"を地球以外の場所と考えてもその方が便利ならば良い」とする考え方の転換(コペルニクス的転回)も、「実際に地球の周りを天体が回っているという実感」(これも天体観測をした人間100人中100人が感じる)に捉われていてはできない。

    ※補足
    地動説が有力になった時代には天動説を否定できる証拠(年周視差)はまだ見つかっていなかった。
    地動説を採用したほうがより美しく説明でき、計算も簡単で、予測精度も高かったから有力とされただけである。

    そもそも自分が見ている「実際」は本当にそのように見る必要があるのか?
    一般的な実感からは離れるかもしれないが、例えばこう捉えてみたらもっと便利なのでは?

    こうした自由な発想、常識を変えていく視点が知的営みでは普通に求められる。

    「問題文をよく読み返して出題意図を見抜きましょう」程度のことが考えの正しさを左右するレベルも確かに存在するだろう。

    だがある程度知的なレベルを想定した場合、ごはんの信念は正しさを失う。
     

  • '''' 2016-10-09 (日) 21:11:43
    ■ ごはんに何が見えていなかったか

    simejiの指摘通り、彼は複数の公理系が存在する世界観を知らない。
    コペルニクス的転回、言語論的転回と言われるものを理解していない。

    つまり彼がよく言う、「そもそもの、一般的な、本来的な」というものが全て恣意的なものであって、なんらかの理由(計算が楽とか)があればそんなものは全て無視して良い、ということを知らない。

    > ある言葉の意味・概念というのは明確に書き出すことは難しいけれど、明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして存在は明確にしているはずだと思います。

    だからこのような不用意な発言をしてしまうし、

    〉「存在1」について考えているときには、「存在2」「存在3」の話をされても、関係なくて意味がなく、解決にならず、「存在1について語るべきところで混同して存在2を語ってしまった」という間違いなのです。

    このような誤りも犯してしまう。

    存在1でも存在2でも説明はできるが、存在2の方がよりスッキリ説明できるね。
    だったら存在1なんかやめて、存在2で考えれば良いのだ。

    ある概念に一般と別の意味を持たせることは、単に「辞書的に別の意味ができた」ということを意味しない。
    そのことにより概念体系全体が変わり、本当に世界が変わることもある。

    こうしたことはお偉い本に書かれた机上の空論ではなく、現代のさまざまな分野でも実際に起こっていることなのに、ごはんは(そして哀れな犬も)それに気づけず「実際性から離れた空論」などとと感じてしまう。

    知識がないというのは本当に哀れなことだ。

    例えば野球界で流行したセイバーメトリクスは、もともとビル=ジェームズをはじめとする一部の野球オタク達が、「打率」「四球」「失策」といった概念の恣意性に気づき、さまざまな統計データをいじって「分かる者同士でしこしこやっていた」のが起源だ。
    (当時の野球シミュレーションゲームのために理論は発展していたが野球界からは無視されていた)

    ところが1990年代頃からMLB選手の年棒が高騰し、一般的なMLB球団の選手への投資対効率があまりに悪いことをビリー=ビーンが実績で示したことにより、実際に野球の世界は変わった。

    具体的には例えば「四球」という概念の意味合いが大きく変わった。
    セイバーメトリクス以前は「四球」は投手のエラー、制球力の無さを示す指標であり、打者の実績とは考えられていなかった。

    しかしセイバーメトリクスでは「四球」という概念を「アウトにならなかったという意味で打者の功績」と発想を大きく転換し、「出塁率」という新たな指標を作って「四球」を打者の評価に組み入れた。

    そしてその指標がどの程度の影響を持つかを統計データから検証し、より正確な打者評価の役に立てた。

    今では出塁率のタイトルもあるぐらいこの概念変更は有効だったとみなされており、出塁率の高い選手は多少打率が低くても高い年棒が支払われるようになっている。

    このように、もともとあった概念の意味合いを変えることで本当に世界が変わる様子をわれわれは確かに見てきた。

    しかし知識のない者は同じ時代を生きていて同じものを見ていても、その意味合いに気づくことすらできない。

    「四球にはそういう意味もあるんだね、でもそれは本来の四球の意味とは関係ない」とか「そんな意味合いで捉えても一般には通じない」とか言ってる奴がいたらバカ確定。

    「そのように概念を変更してどんなメリットがあるの?」が問われなければならないのに。

    知識がなければ「実際をよく捉えよう」としても捉えられない。

    これは学問でも野球でも映画でも音楽でも建築でも何でもそうだ。
    知識(思考枠組み)を習得していなければ、そこにあるものが何を意味しているかなど捉えられるわけないだろ。

    思想や哲学においてももちろんそれは例外ではない。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 22:49:06
    まぬけな名無しはやはりわかってないようです(笑)

    >ある概念に一般と別の意味を持たせることは、単に「辞書的に別の意味ができた」ということを意味しない。
    そのことにより概念体系全体が変わり、本当に世界が変わることもある。

    そんなあほでもわかること教えてくれんでもええよ(噴飯男は知らんがw)
    話は戻るが「頭の良さ」の概念整理について、
    堅物が自分の都合のいいように無理に世界を変えようとしていたからそこを批判していたのだが、いつまで経っても理解できないようだ。
    残念ながら「頭の良さ」の概念整理は机上の空論

    >こうしたことはお偉い本に書かれた机上の空論ではなく、現代のさまざまな分野でも実際に起こっていることなのに、ごはんは(そして哀れな犬も)それに気づけず「実際性から離れた空論」などとと感じてしまう。

    勘弁してよね。
    机上の空論にならない概念整理だったら批判しないってwww
     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 22:54:57
    >知識がないというのは本当に哀れなことだ。

    ここは笑うとこですよね?
    あんたもギャグセンス抜群だわ。
    噴飯男とええ勝負なので、永遠に不毛な議論を続けて笑わせて下さい(笑)






     

  • こまいぬ星人 2016-10-09 (日) 23:46:21
    机上の空論でも面白ければオッケー
     でもあれは堅物のご都合主義がにじみ出てあまりにも気持ち悪いということ

    ※文章の読めなさがすごい相手との議論はお手上げ
     論理展開も学生のディベートごっこの延長レベルにパターン化してて残念賞
     

  • '''' 2016-10-10 (月) 02:39:51
    とつげきが学歴に異常にこだわることも、
    とつげきが嫌悪する韓国人そのものなんだよなw
     
  • simeji 2016-10-10 (月) 06:30:32
    >>こまいぬさん
    返事遅れてゴメンなさい。

    >なぜですかね?

    不勉強な人でも理解できる範囲であれこれ語ろうとしても限界があるからです。無学な人にも分かるように書かれた学術論文なんてないし、スポーツやゲームの世界だって上級者同士の戦いにもなれば、両者の間でどのような駆け引きが行われているか、その技の難易度は、なんて素人には分からない。しかし我々一般人が理解できるかどうかとは無関係に、その分野での「より確かなもの」「より高度なもの」は発見され続ける。思想の分野だって同様なのに、

    >「難しいそれらしいお話」を知ってしまったために、それに振り回されて、最も素朴で当たり前だったはずの実際的な事柄や事情を忘れてしまうこと

    を「悪だ」と思い込んでるところが間違ってるなと。「"人間的・実直・素朴な思考活動"だけでは間違えてしまう」と指摘されたのに、それに固執する理由は?って聞かれてたんだけど、結局それも説明されずじまいだったね。ごはんさんは数ある選択肢の中から理由があってその考え方を採用していたのではなく、そもそも他の考え方を知らなかった、ということが示された。だから私の予想は半分正解半分間違いって感じかな?まあそれは置いといて

    >それだと自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり
    >『自分の土俵』でしか思考できなくなる
    >異質な他者とまともな議論ができなくなる。

    上記の批判は「知識に寄りかからない頭の軽い俗物」に対しても全く同様に成り立つ。「勘違いの堅物」に限った話でないのならそれを否定する手法としては不適切でしょ。何言ってんの。それにこっちは異質な他者にも理解してもらえるよう自分の主張の根拠を丁寧に説明してるよね。歩み寄ってるよね。だから「勘違いの堅物」っていう形容がそもそもこまいぬさんの自分勝手な思い込みによる間違った表現だし、我々が「勘違いの堅物」であることを認めたとしても間違った批判の仕方してるし、二重に間違い。間違いすぎ。あと

    >凸氏や名無しが、それまでの議論流れを押さえもせず、どのような土俵で議論がなされているかを見極めもできずに登場した状況

    ってどこ?私にはどの発言も、議論流れを踏まえた適切なものだったと思うけど。異質な他者とまともな議論するために、ちゃんと引用して根拠を示そう。

    ていうかこまいぬさんは私達が日常生活においてもこの議論の中で主張してきたような「お堅い考え」を遵守しながら生きていると勘違いしてない?名無しさんも

    >日常生活上は行為遂行的な意味のみ理解できればほぼ足りるし、いちいち事実言明的な意味に着目して真偽を問うような態度はうっとうしいだけだが(笑)

    と発言しているように、私達は普段の生活の中で思想や哲学なんて全く興味がない大多数の人達と接する際に「あなたの考え方は間違っている」なんて指摘して自分を不利にさせるような真似はしないよ。この意味においても「勘違いの堅物」という表現は間違ってるね。私達はそこそこ柔軟です。それと

    >ほんまもんの哲人・思想家になれるのか、あんたらその瀬戸際にいるんですよ

    なろうとしてないよ。瀬戸際にいないよ。思想を少し学んだ人なら"ほんまもんの〇〇"なんて追い求めないし、想定もしない。全ての正しさは信仰であって、絶対的なものなどないことを前提にしているから、どの正しさを信じる、あるいは信じるフリをするのが自分にとって一番得かを考えるだけで、"本当の〇〇"なんていう自分勝手に選択されたに過ぎないものを後生大事に抱えたりはしないからだ。

    >まぬけな名無しはやはりわかってないようです(笑)

    何がどう分かってないかちゃんと説明できる?"異質な他者とまともな議論"して見せてください。"タイプの異なるそこそこ鋭い人"なんでしょ、あなた。

    >堅物が自分の都合のいいように無理に世界を変えようとしていた

    のはもしかしたらこまいぬさんの方の読み違えかもよ?どの文章からそう読み取ったの?

    「よくわからないので教えてください」
     

  • こまいぬ星人 2016-10-10 (月) 08:32:31
    >>simejiさん
    とりあえず半分ほど返信。

    >>おそらくごはんさんは、思想や哲学に精通していない人にも伝わるかどうかを重視しているのではないかと感じているが、私はそこがそもそもの間違いだと考えている。
    >なぜですかね?

    ここちょっとずれてしまいましたね。真意を伝えられなかった。

    >不勉強な人でも理解できる範囲であれこれ語ろうとしても限界があるからです。
    これは同意なんですよ。
    私が言いたかったのは、たとえば思想や哲学に精通していない人と話すとき、相手の立場を意識して、まずは伝わるような言葉使いをしていくべきだということです。でないとコミュニケーションに不具合が生ずる。名無しとごはんのようにです。ごはんの思いも多分同じで(あんなやつどーでもいいのだがw)、決して不勉強な人に難しいことをわからせろなどという無茶な考えではないと思いますよ。で、このような考え(相手に合わせて発話すること)は他者と関わるうえで基本的なものであるのにそれがおろそかにされているのはなぜか? 知識を得ることによってある種の思考の体系ができあがり、それを当たり前のように錯覚してしまっているからだと推測されます。知識に寄りかかって頭が固まる、という柔軟性を欠いた状況。なので、

    >>「難しいそれらしいお話」を知ってしまったために、それに振り回されて、最も素朴で当たり前だったはずの実際的な事柄や事情を忘れてしまうこと
    >を「悪だ」と思い込んでるところが間違ってるなと。

    私には間違っているとは思えず、すんなりと受け入れることができます。
    同時に、

    「"人間的・実直・素朴な思考活動"だけでは間違えてしまう」

    これもすんなりと受け入れられますが、ごはんは多少知識のなさゆえの抵抗があるのかも。そのへんはよくわかりません。


    ちょっと飛ばして・・・と、


    >>ほんまもんの哲人・思想家になれるのか、あんたらその瀬戸際にいるんですよ
    >なろうとしてないよ。瀬戸際にいないよ。

    まぁここは軽く流していただければ嬉しいです。ちょっと刺激してやろうということです(笑)

    >>まぬけな名無しはやはりわかってないようです(笑)
    >何がどう分かってないかちゃんと説明できる?

    元の文章をよく読んでもらえればわかると思うのですが・・・
    名無しは、

    >ある概念に一般と別の意味を持たせることは、単に「辞書的に別の意味ができた」ということを意味しない。
    >そのことにより概念体系全体が変わり、本当に世界が変わることもある。

    このような当たり前のことを私がわかっていないと(文章を読み込む力がないので)ずっと思い込んでいたわけです。恐らく何の根拠もなく表面的な印象から。私としては驚き以外の何物でもないですわ。

    >>堅物が自分の都合のいいように無理に世界を変えようとしていた
    >のはもしかしたらこまいぬさんの方の読み違えかもよ?どの文章からそう読み取ったの?

    そもそもの記事の、合理性の欠如が読み取れるところから。
    どのように読み取れるの? ときかれると、最初の方、平和裏にごはんと議論していた頃の内容の繰り返しになりそうなので。うまい伝え方がないか考え中。。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-10 (月) 08:49:15
    あそうだ、これだけ言わして(笑)

    >>それだと自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり
    >>『自分の土俵』でしか思考できなくなる
    >>異質な他者とまともな議論ができなくなる。
    >上記の批判は「知識に寄りかからない頭の軽い俗物」に対しても全く同様に成り立つ。「勘違いの堅物」に限った話でないのならそれを否定する手法としては不適切でしょ。何言ってんの。

    あんたこそ何意味不明なこと言ってんの?
    最初の方で「私の考えを明確にするために」と前置きをして、
    愚衆と堅物はどっちもどっちだと言ってあります。それが私の主張です。
    ちゃんと読んだうえで批判したり質問したりしようよ。

    >二重に間違い。間違いすぎ。

    意味わかりません。


    どうも私の今までの文章をあまり読んでおられないようなので、
    熟読吟味されることを希望します。
     

  • '''' 2016-10-10 (月) 09:58:03
    〉このサイトが管理者の考えに沿った思想のみをよしとするのであれば、異なる考えを否定して留飲を下げるだけの内輪満足サイトとみなすことができます。
    〉世界に開かれている意味がありません。

    こう書いてしまっている時点で概念体系の恣意性を理解していないと疑われるには十分。
    どんな概念体系も最初は「内輪満足」レベルなのにいまさら何言っちゃってんの、という話だから。

    セイバーメトリクスが実際に世界を変えたのは、たまたまMLB選手年棒が高騰してMLB球団がそれを導入する経済的メリットが大きくなったから。

    地動説が天動説にとって変わったのも、航海技術が発達して、天体の見え方から自船の位置をより簡単に正確に把握できるメリットがたまたま大きくなったという経済的事情があったから。
    (説自体は古代ギリシャ時代からあった)

    残念ながらこのウィキは「一般の概念体系があまりに醜い、その醜さをなんとか上手く分析して笑い飛ばしたい」という所詮遊び目的だから、どんな経済的事情があっても世界を変えたりはしないだろう(笑)

    まぁ犬に関しては「ごはんよりは理解している」と思われる発言もその後あったのは認めるよ。
    犬が理解していないのは、主にこのウィキの趣旨・目的の部分。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-10 (月) 12:23:14
    >最初は「内輪満足」レベル
    なのは結構ですが、
    私はどこまでいっても「内輪満足」にとどまる雰囲気を感じたので批判したわけ。
    同じ理由で、『頭のよくなるサイトです』の文言等は突っ込まれても仕方がない。

    >主にこのウィキの趣旨・目的の部分。
    理解できてると思いますけどね〜
    前にも言ったが、合理的に大衆を笑えていなければ批判対象になるので、
    そのように感じて批判しても、ウィキの趣旨・目的を理解していないことにはならないと思う。

    補足ですが、
    >着眼や表現の面白い記事も多くある
    とも発言しておりまして、
    ウィキの趣旨・目的自体を否定しているわけではないということも、一応申し添えておきます。
     

  • simeji 2016-10-10 (月) 13:42:54
    >>こまいぬさん
    おおー最初の頃の冷静な感じに戻ってる。いいね。

    >相手の立場を意識して、まずは伝わるような言葉使いをしていくべき

    観客が誰もいない状況、例えば部屋に二人きりとか、開示されないメールのやり取りだとかであればその通りですね。でもここで何かを論じる際には常に第三者の視点が意識されます。この辺の風潮は(議論記録4)とか見てもらえれば分かると思いますけど、誰かに何か主張するとき、それはその誰かのためだけには書かれていない、ということです。ですから

    >(相手に合わせて発話すること)は他者と関わるうえで基本的なものであるのにそれがおろそかにされているのはなぜか?

    この答えはそれが最大の目的ではないからです。コミュニケーションに不具合が生じ、それが相手の知識不足とか勘違いによるものであった場合、それを第三者にも納得できる形で徐々に明らかにさせながら「こんなこともわかんないの?」という少し意地悪な態度を取る、特定の読者はそれを面白がる、という仕組みがあるんです。読者であり審判である第三者がどちらの意見を支持するかが重視されて書き込まれるので、最終的に相手が納得したか、理解したかは大事にされない、前提を共有できない相手を本気で説得しようとはしない、というわけです。なので

    >知識を得ることによってある種の思考の体系ができあがり、それを当たり前のように錯覚してしまっているからだと推測されます。知識に寄りかかって頭が固まる、という柔軟性を欠いた状況。

    という分析は誤りです。

    >あんたこそ何意味不明なこと言ってんの?
    最初の方で「私の考えを明確にするために」と前置きをして、
    愚衆と堅物はどっちもどっちだと言ってあります。それが私の主張です。

    その書き込みもちゃんと読んだけど、じゃあなぜ愚衆と堅物の両方を含めて共通するダメさについて言及しなかったの?私が引用した先の書き込みでは

    >そのような考えこそ堅物のダメなところであり、大衆に馬鹿にされても仕方がない
    >知識に寄りかかって頭が固まる堅物の特徴として
    >これではどんなに知識を増やしたところで、似た者同士でこのようなサイトに集まってしこしこやってるのが関の山

    と、明らかに愚衆と対置させる形で堅物のみターゲットにしている。こまいぬさんの我々に対する"堅物"像も間違いだし、堅物の批判の仕方も間違ってるから二重に間違いと主張した。これを「読み違え」とか言うのは流石に無理がある。誤解されたと感じたのなら自分の書き込みの不備を疑うのが妥当です。もう一度第三者に支持してもらうことを意識して自分の主張をまとめ直してはいかがですか。
     

  • '''' 2016-10-10 (月) 16:35:27
    このウィキの趣旨・目的に関して犬が、

    >大衆を啓蒙するために、世界に向けて発信してるんだろ?

    といった誤解を当初していたが、777777の指摘等を受けて理解を深めていった様子は見えるよ。

    >『頭のよくなるサイトです』の文言等は突っ込まれても仕方がない。 

    とつは反論するかもしれないが、このあたりの批判は理のあるところとは思う。
    本当の趣旨は「一般の概念体系があまりに醜い、その醜さをなんとか上手く分析して笑い飛ばしたい」という部分にあるのに、トップにはお化粧したキャッチコピー的文面があるから、初めてきてちょっと読んだ人が犬のような誤解をしてもおかしくはない。

    さて、当初の犬は以下のような発言もしている。

    > 頭の良さなどという一般的に自由に使えばいい言葉を、自分の都合のいいように概念設定し、それを正当化するための論旨のすり替えであり、完全な屁理屈

    概念体系の恣意性(勝手に概念設定してもそう捉えることで何かメリットがあれば良い)とこのウィキの趣旨について、明らかに理解が足りないまま語っているのでその点を私が突っ込み、

    >「一般に通るわけないからダメ」という趣旨なら、「このサイトもあらゆる専門領域と同様にダメということね」と理解して終わります。
      
    >気持ち悪い。堅物同士でしこしこやっとれ(笑)

    というやりとりで"議論"は終わっていた。
     

  • '''' 2016-10-10 (月) 16:44:11
    ところでそもそも犬がこのような主張をした理由は以下にある。

    >(本項目は)「ひらめき」を連呼しすぎて、頭の良い人の書いた文章っぽくなくなっており、お題がお題だけに残念に思いました。知識を重視するのも、ひらめきを重視するのも、どっちもどっちっぽいね〜という読後感

    ある言葉が名言かどうか、名言性が高いかどうかはしばしば見解が分かれる。
    そこで犬のように「本項目は名言性はそれほど高くない」とか「名言性をうまく示せていない」的な批判をするのは全然アリだ。

    > 合理的に大衆を笑えていなければ批判対象になる

    つまりこれは正しい。
    しかしこのウィキでは「頭の良さ」の概念整理がおかしいかどうかといった結論はどうでもよく、その結論をいかに美しく、わかりやすく、面白く導くかという言論の質が求められている。

    私が犬を犬と呼んで人間扱いしていないのは、当初の犬の言論の質があまりに低いと感じたことによる。
    (質の低さの主要因はウィキの趣旨に対する理解不足、もちろん思想的知識の不足もあるが)

    > 一般に通るわけないからダメ。
    > 気持ち悪い。堅物同士でしこしこやっとれ(笑)

    で終わるのではなく、ではどう概念整理すればもっと一般に通じやすく面白くなるかを示す(メリット)とか、この概念整理が導く結論の滑稽さを示す(デメリット)とか、やりようはいくらでもあるだろう。

    > どこまでいっても「内輪満足」にとどまる雰囲気を感じたので批判した

    大歓迎だね。ただしもっと知的にやって欲しい。
    上手くやってくれればもちろん認める。
    (ちなみに私は昔とつ発言の大衆性をとつ自身に認めさせたこともある)

    根拠も示さず堅物をからかう、といった低俗な振舞いはそれこそ犬でもできる。
    犬が犬ではないところを示してみてはどうか。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 04:46:49
    >>simeji さん
    >この答えはそれが最大の目的ではないからです。コミュニケーションに不具合が生じ、それが相手の知識不足とか勘違いによるものであった場合、それを第三者にも納得できる形で徐々に明らかにさせながら「こんなこともわかんないの?」という少し意地悪な態度を取る、特定の読者はそれを面白がる、という仕組みがあるんです。読者であり審判である第三者がどちらの意見を支持するかが重視されて書き込まれるので、最終的に相手が納得したか、理解したかは大事にされない、前提を共有できない相手を本気で説得しようとはしない、というわけです。

    つまり少なくともあなたは、ディベートゲームか何かのつもりなんですね。ならその結果、私があほらしく思ってあなた方を馬鹿にすることを主目的にして遊び始めたとしても問題ないですよね。「堅物は堅物なんだよバーカ!」みたいに。それで喜ぶ第三者もいるでしょうし、そもそも第三者=審判とは思っていない。他の記事の議論を見ても正直そんなに知性が高い人々とも思えないので、私にとって傍観者はゼロに等しい(笑)ゲームなんだから私の能力不足にもならない。まぁ、気分次第ですがw

    >>知識を得ることによってある種の思考の体系ができあがり、それを当たり前のように錯覚してしまっているからだと推測されます。知識に寄りかかって頭が固まる、という柔軟性を欠いた状況。
    >という分析は誤りです。

    そうでしょうか?
    名無しとごはんのやり取りに関しての話ですから、名無しが「自分は柔軟性を欠いておらず、あえてそのように発話していただけ」のように主張するならまだ理解はできますが、あなたが名無しの肩を持って私の分析を誤りと判断するのは、仲間(同類?)をフォローするための後付けにしか見えませんよ。
    私には、名無しがごはんとのやり取りをあえてあのように持って行ったとは読めませんので。


    >じゃあなぜ愚衆と堅物の両方を含めて共通するダメさについて言及しなかったの?

    知識があることの弊害・・・みたいな話の流れだったからでしょ?
    たとえば大衆も似たようなもんだろと突っ込まれても、
    それはそうですけどねと返せばいいだけの話。

    >愚衆と対置させる形で堅物のみターゲットにしている。

    それもこの場の磁力を意識してのことなので問題ないでしょう。
    大衆を笑う目的と明言された、バイアスの偏った舞台上に乗せる演目として。

    >もう一度第三者に支持してもらうことを意識して自分の主張をまとめ直してはいかがですか。

    以上のようなわけなので、細かい気づいた点などのちに訂正はするかも知れませんが、すぐさま大掛かりで主張をまとめ直す必要はないと思われます。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 06:11:12
    あと、
    >私にはどの発言も、議論流れを踏まえた適切なものだったと思うけど。

    についてですが、simeji さんの考えでは、別に有意義な議論をスムーズに行えなくてもいいんですよね? なら、私の考えを述べたところで意味がないのかもね。


    ※名無しへの返信は保留。この期に及んで人間扱いしていないとか言ってるので、以後猿か豚くらいの扱いにするかどうか検討中。ちなみに関係ないけどFBでは日々大衆(主に地元のアホ医者とかその取り巻きの低学歴低知能)を猿とか豚とか豚の糞、肥溜めに落ちた痴呆園児等呼ばわりしてるので、ここでも猿とか豚とか言いだすとさすがに自己嫌悪になりそうなのでw
     

  • simeji 2016-10-11 (火) 07:08:01
    >あなた方を馬鹿にすることを主目的にして遊び始めたとしても問題ないですよね。

    問題ありません。大アリです。大アリですが

    >「堅物は堅物なんだよバーカ!」

    その内容がろくに根拠も示せない非知的なものならあまり歓迎はされないと思います。実際こまいぬさんが煽りに従事していた頃はほとんど無視されてたでしょ。「それでもいい」って言うならもう止められないですけど。

    >そうでしょうか?

    「名無しはごはんにも分かるように書くべきだった。それができないのは柔軟性の欠如だ」っていうのがこまいぬさんの分析でしょ。前半部分の「相手に分かるように書くべき」が間違い(相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)なんですから、名無しさんが柔軟性があるかどうかは関係ないですよってことです。コミュニケーションに不具合が発生した原因を、「柔軟性の欠如」で説明するのが間違い。

    >大衆も似たようなもんだろと突っ込まれても、
    それはそうですけどねと返せばいいだけの話

    AとBを比較し、Aを批判
    →批判の内容はBにも当てはまることを指摘
    →「それはそうですけどね」

    ってそれじゃAを批判できてないでしょ。知識があることの弊害(自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり、『自分の土俵』でしか思考できなくなり、異質な他者とまともな議論ができなくなる。)が、知識がなくても起こり得ることなら、それは「知識があることの弊害」とは言えない。だから堅物を批判できてないって言ってるんです。問題大有りですよ。
     

  • simeji 2016-10-11 (火) 07:31:50
    >私の考えを述べたところで意味がない

    そんな事ないでしょ。お互いが読者からの支持を得ることを主眼に自分の主張を根拠も示しながら議論すれば自然と有意義でスマートになります。ごはんさんは自分の主張の根拠を示せず、自分に伝わらない言葉の使い方をするのはあなたの能力不足、誤解するな、認めろ、そこが肝、とひたすら持論の展開に従事して他者からの支持を得ることに失敗したからあそこまでこじれたんでしょう。こまいぬさんが自分の主張に自信があるなら提案してみればいいんじゃないですか?
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 08:16:15
    >前半部分の「相手に分かるように書くべき」が間違い(相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)なんですから、名無しさんが柔軟性があるかどうかは関係ないですよってことです。コミュニケーションに不具合が発生した原因を、「柔軟性の欠如」で説明するのが間違い。

    (相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)はあなたの考えですから、それを根拠に名無しとごはんの間で起こったようなコミュニケーションの不具合についての私の分析を誤りと断ずるのはおかしいですよ。名無し本人が「そもそも(相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)というスタンスだったからあえてあのように発話したのであって、柔軟性の欠如にはつながらない」と主張するのであれば理解できますが(納得はしませんけど)


    Bにのみ批判的な場において、Aを批判。
    →Bにも当てはまるぞ
    →そういうことだ

    問題ないです。
    フラットな場であれば、同一観点においてAのみを批判しBを批判しないなんてずるいことはしません。
     

  • simeji 2016-10-11 (火) 09:08:41
    >(相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)はあなたの考えですから

    私個人の考えではなく、不特定多数の者が閲覧可能なあらゆる場所において持論を展開する際の、至極全うで基本的な態度です。もちろんそんな事意識せずに掲示板に書き込んだり、動画にコメントしたりする人が多数いることは理解していますよ。このサイトではそういう態度を「愚かしい」としているんです。名無しさんも

    >わかったわかった。 
    だからどう理解不足なのか能力不足なのか、読者に伝わるように、存在1の考え方の成功事例を書きなよ。

    と、明らかに読者を意識した発言をしてるし、相手の反論がなくなってからも今までの議論をまとめたりするのは議論相手だけではなく、その他大勢を意識している行為に他ならない。

    >Bにのみ批判的な場において、Aを批判。
    →Bにも当てはまるぞ
    →そういうことだ

    どういうことだ?知識があることの弊害について語ってたんでしょ?でもこまいぬさんの指摘は知識がない者にも当てはまるものだった。こまいぬさんは知識があることの弊害について語り損ねてますよって主張してるんだけど。「知識があることの弊害は…特になかった」ってことでいいの?

    あと「お前ら堅物は愚衆と大して変わんねえよ」って主張したいなら、まずこまいぬさんの堅物像に私達が本当に当てはまっているのかどうか示してね。今までの議論のどの部分から私達を堅物だと感じたの?その感覚は不特定多数の者でも納得できる程妥当なものなの?「俺がそう思うからそうなの」じゃあ、ごはんさんと同じだよ。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 10:03:17
    ごはんなら長文で返信してぐだぐだになっていくんだろうが(笑)


    名無しが議論の泥沼化も予想しつつあえてあのような発話をしたというなら柔軟性に問題はないが、そういえる根拠がどこにもない。その他大勢を意識しているのは読めばわかるが、あのようなコミュニケーションの不具合が想定内だったという根拠にはならない。想定外であったのであれば、何らかの問題が疑われてしかるべき。

    Bにのみ批判的な場において、Aを批判。
    →Bにも当てはまるぞ
    →そういうことだ
    →どういうことだ?
    →Cからしたら、AもBも大差なしということだ

    問題ございません。
    AとBの、知識がある者とない者との単純な二項対立の構図ではないですから。


    このようにどちらも反論になってないので、もうちょっと熟考してから書き込んだ方がいいですよ。でないと、あなたも知識があるだけで思考力の怪しい堅物と知的な人にはふつーにみなされるでしょう(ここの傍観者なんてどーでもいい。母集団のレベル低そうだから)
     

  • simeji 2016-10-11 (火) 11:07:31
    >名無しが議論の泥沼化も予想しつつあえてあのような発話をしたというなら柔軟性に問題はないが

    柔軟性の有無は無関係ですと言いましたよね。私はこまいぬさんに対して「いや名無しさんには柔軟性がある」という切り口で反論してはいません。

    >想定外であったのであれば、何らかの問題が疑われてしかるべき。

    その「何らかの問題」を「名無しの柔軟性の欠如」のせいだとする分析の仕方が誤りだと言ってるんです。

    >問題ございません。
    AとBの、知識がある者とない者との単純な二項対立の構図ではないですから。

    …で、結局「知識があることの弊害」は?「反論になってない」のはあなたの方でしょ。

    >Cからしたら、AもBも大差なしということだ

    そういうことが言いたいんだろうなと思ったから

    >「お前ら堅物は愚衆と大して変わんねえよ」って主張したいなら、(以下略)

    とあらかじめ注意したのに。

    >思考力の怪しい堅物と知的な人にはふつーにみなされるでしょう

    そうやって根拠も示さず予言だけして終わるから軽んじられるんだということが分かりませんか?

    >(ここの傍観者なんてどーでもいい。母集団のレベル低そうだから)

    でもどのようにレベルが低いのかは説明できないんですね。自分が「タイプの異なるそこそこ鋭い人」っていうのも自称でしかない。恥ずかしいと思いませんか?
     

  • '''' 2016-10-11 (火) 13:18:59
    〉「存在2」「存在3」の考え方が既に知られているのに、いまだに「存在1」しか知らずに語ってる人がいたら、存在2や存在3の立場の方が優れてると思うよ、と伝える。
    〉そいつがそれを受け入れるかどうか、理解できるかどうかは別の話だがね。

    根拠を提示する。
    ごはんに受け入れられない、理解されないことも当然前提にして書いていることを初期段階から私は明示している。

    ごはんに理解されなくても、第三者に理解されればよい。

    simejiの反論は正当。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 17:47:49
    熟考して方書くように注意しましたよね?
    熟考してそれですか?

    >「相手に分かるように書くべき」が間違い(相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)なんですから、名無しさんが柔軟性があるかどうかは関係ないですよってことです。

    上の発言の間違いを訂正

    >名無しが議論の泥沼化も予想しつつあえてあのような発話をしたというなら柔軟性に問題はないが

    した上で、「柔軟性と関係ないと言える根拠がない」と主張してるの。
    読みが浅すぎ。

    (相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)だったとしても、根拠にならない。あのような発話(たとえば存在に関する)の問題点を最初から認識していたという証拠がない。認識していなかったと思われる発言はあるがな。

    >わかったわかった。
    >私はごはんの信念に沿った説明をせずに、思想の世界での常識的な見解を書いちゃったね。ずれてたね。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 17:56:32
    もう一度よく読めば?

    >それじゃAを批判できてないでしょ。知識があることの弊害(自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり、『自分の土俵』でしか思考できなくなり、異質な他者とまともな議論ができなくなる。)が、知識がなくても起こり得ることなら、それは「知識があることの弊害」とは言えない。だから堅物を批判できてないって言ってるんです。問題大有りですよ。

    >Bにのみ批判的な場において、Aを批判。
    →Bにも当てはまるぞ
    →そういうことだ
    →どういうことだ?
    →Cからしたら、AもBも大差なしということだ

    >問題ございません。
    >AとBの、知識がある者とない者との単純な二項対立の構図ではないですから。


    あと、以上のの論点と以下の論点は別物だ。なぜごちゃまぜにしてるんだ?

    >あと「お前ら堅物は愚衆と大して変わんねえよ」って主張したいなら、まずこまいぬさんの堅物像に私達が本当に当てはまっているのかどうか示してね。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 18:13:25
    あのさあsimejiさん、自分がとんでもない認知バイアスにかかってること気づけないの? よさげな方に乗っかって。
    ごはんは批判しても名無しは批判できない、このウィキに対する批判的な視点もなさそう。これっておかしいでしょ? 甘すぎだわ、自分に。恥ずかしすぎる。

    はっきりいってまともな思考力があったのはごはんだけ(残念ながら嘘つきの卑怯者だったけど)。その論理展開に全くついていけなかった(私の論理にもついてこれない)くせに、未だに自分の方が正しいと思い込んで屁理屈こねて。やっぱり堅物にはつける薬がない←これはわかる人にわかればいい発言であり、議論とは別なのでよろしく。わからない人は相手にしておりません(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-10-11 (火) 18:32:28
    議論の中の発言と、まともな第三者(いたとしたら)を意識した、わかる人にだけわかればいい発言を区別してね。全く問題ないよね? simejiさんの考えの変形だから(笑)

    (堅物が理解できなくとも、いるかも知れないまともな読者が理解できればよい)



 

  • simeji 2016-10-11 (火) 21:16:30
    >名無しが議論の泥沼化も予想しつつあえてあのような発話をしたというなら柔軟性に問題はないが、そういえる根拠がどこにもない。

    あー「柔軟性に問題はないが」って部分は「柔軟性は関係ないが」って意味だったんですか?私は「名無しの柔軟性に問題はない(欠如していない)が」って解釈しちゃいました。だから「そういえる根拠」も「名無しの柔軟性が欠如してないといえる根拠」だと勘違いして「そんな根拠示す必要ないやん」って反論してました。誤読してしまってすいません。

    で改めて「柔軟性と関係ないと言える根拠がない」って意味で読み返したんですけど、

    >(相手が理解できなくとも、不特定多数の読者が理解できればよい)だったとしても、根拠にならない。

    のはなんで?最初から「第三者に理解されればよい」というスタンスなら、議論のこじれ具合が想定内だろうと想定外だろうと、関係ないと思いますけど。

    というかこの話題は元々こまいぬさんの「名無しとごはんの間で起きたコミュニケーションの不具合の原因は"相手に合わせて発話すること"をおろそかにしたからだ。知識を得ることによってある種の思考の体系ができあがり、それを当たり前のように錯覚してしまっているからだと推測される。これは知識に寄りかかって頭が固まる、という柔軟性を欠いた状況だ」という分析に私が異を唱えて始まりましたよね?んで「"相手に合わせて発話すること"は元々大事にされてなかった」ということを示して共通理解になったんだから、名無しさんの柔軟性云々は(その真偽に関わらず)無効だ、ということには同意していただけます?

    >もう一度よく読めば? 

    ここはよく読んでも間違いに気付けませんでした。

    >あと、以上のの論点と以下の論点は別物だ。なぜごちゃまぜにしてるんだ?

    Cがこまいぬさん、Aが堅物、Bが愚衆という意味で言ってるんだろうなと思ったんですが、違いました?

    >自分がとんでもない認知バイアスにかかってること気づけないの? よさげな方に乗っかって。
    ごはんは批判しても名無しは批判できない、このウィキに対する批判的な視点もなさそう。これっておかしいでしょ? 甘すぎだわ、自分に。恥ずかしすぎる。 

    自分が誤謬に気付けない対象を批判できないのは当然でしょ。こまいぬさんやごはんさんが、文句のつけようのない主張をしてたなら反論なんてしてないよ。
     

  • simeji 2016-10-13 (木) 10:43:34
    なんか返事がなくて寂しいから一旦整理ね

    私とこまいぬさんの間で主に論じられていたのは次の2点。

    1、名無しさんとごはんさんの間で起きたコミュニケーションの不具合に対する分析は、適切だったか否か。
    2、堅物批判の手法は、適切だったか否か。

    1、について、こまいぬさんは不具合の原因を「名無しの柔軟性の欠如」で説明しようとしたが、それに対し「第三者を意識した立場」を説明。過去の発言の引用などから、それが私の自分勝手な思い込みなどではないことを示した。最初から「第三者に理解されればよい」というスタンスであれば、どれだけ議論がこじれようと柔軟性の有無は無関係である。よってこまいぬさんの分析は不適切である。
    (ここで注意してほしいのは、私は「名無しには柔軟性が欠如している」とい
    う主張に直接反論してはいないということである(賛同もしていない)。あくまでそれを原因とするのはおかしいと指摘しているだけだ。)

    2、について、こまいぬさんは2016−10−09 (日) 12:32:03の書き込みの中で「知識に寄りかかって頭が固まる堅物の特徴として」と堅物について語ろうとした。しかしその内容は知識に寄りかからない者にも十分当てはまるものだった。それを指摘して返ってきた答えは「それはそうですけどね。だって愚衆も堅物も大差ないってのが当初から私の主張だし」というものだった。だとすれば、「堅物の特徴」とは、「知識があることの弊害」とは、一体何だったのか?当然ながら、何か特定の対象を批判したいなら「それ特有の」ダメさについて語らねばならないはずだが。我々堅物も愚衆と大差ないと主張したいのであれば、単に我々の大衆性について言及すればよいだけである。なぜわざわざ「堅物の特徴」など語ろうとしたのか。これは単に、堅物を批判してみようとして、失敗しているのである。よってこまいぬさんの堅物批判の手法は不適切である。
    (ここでも注意してほしいのは、私は「堅物は悪くない」と主張しているわけではないということである。堅物を批判したいなら、違うやり方をしろと指摘しているだけだ。)

    また、我々が堅物であるという主張も今のところこまいぬさんの思い込みレベルでとどまっており、第三者が納得できる説明はされていない。「わかる人にだけわかればいい」からといって、「説明を放棄する」のは、こまいぬさんの忌み嫌う堅物と何がどう違うのだろうか。私は私とは違う感覚を持った人達にも自分の正当性を示すために、まさにいろいろ語っているのだが。第三者を意識するとはそういうことだ。同じ感覚を共有できる人となら「こまいぬさんの言ってることっておかしいよね」「だよねー」で終わりである。自分の主張の根拠を示す、議論に参加する際の基本的な態度であろう。

    まあ、自分の主張は苦しいっていう感覚があるなら無理に続けろとは言わないけどね。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-22 (土) 00:44:17
    ごはんのように「説明を放棄」しているわけではないよ。屁理屈のオンパレード相手しても時間の無駄なので放置してただけ。これからは返信までに時間を置くつもり。私は「これは個人的な意見なのでぇ〜」なんて言って、説明を放棄する阿呆ではありません(笑)


    >「第三者を意識した立場」を説明

    それが屁理屈
    第三者を意識してますとか、そのように発言してもしなくても皆当たり前にやってることでしょ? 人はいろんな立場で発言し、行動しています。後出しで(しかも当人ではなく、別の人間が)これこれこういうつもりだったんだから、不具合が起こっても仕方ない、当人の能力不足のように分析するな! というのはただの言いがかり。言いがかりでないと言うのであれば、名無しがごはんに対して的外れの返答をしまくっていたのが全て計算通りであったという証拠を出しなさいな。まぁでも、的外れの返答をしまくってたのでごはんが「議論の肝」ということを言いだしたという議論流れすらつかめてないでしょ? どこらへんが的外れだったのかもわからないなら、どうしようもないです。あなたに『思考力』を教えることは、私には無理。

    >何か特定の対象を批判したいなら「それ特有の」ダメさについて語らねばならないはず

    理屈勘違い。頭ガチガチ。堅物特有のダメさを語っているに違いないと勝手に決めつけてるだけ。頭が固いからそのように思い込んでしまう。


    あとですね、あなたは愚かにも、名無しの人間扱いどうこうという糞発言の肩を持つようなことを言いましたね。そのことが何を意味するかわかりますよね?
     

  • simeji 2016-10-22 (土) 02:36:40
    >>こまいぬさん
    おおーまだ続けてくれるとは。感激。でもなぜこちらの質問は頑なに無視するのだろうか…。

    >言いがかりでないと言うのであれば、名無しがごはんに対して的外れの返答をしまくっていたのが全て計算通りであったという証拠を出しなさいな

    だからそんな証拠いらんねんて。名無しさんがごはんさんの思想の問題点を読者に対して示すことには成功したんですから(流石にこれには同意してもらえますよね?)、ごはんさんの返答が名無しさんにとって予想外だったかどうかなんて関係ないんじゃないの?なんでそこにこだわるの?

    >どこらへんが的外れだったのかもわからないなら、どうしようもないです

    すいませんガチで分かりません。私はこまいぬさんと違い頭が堅いようなので詳しく教えていただけると助かります。「よくわからないので教えてください」

    >屁理屈勘違い。頭ガチガチ。堅物特有のダメさを語っているに違いないと勝手に決めつけてるだけ。頭が固いからそのように思い込んでしまう。

    まーた主張するだけで終わってるよ。私はこまいぬさんが堅物特有のダメさを語っているに違いないと思い込んだ理由をはっきり述べたじゃん。2016−10−09 (日) 12:32:03の書き込みの中で「知識に寄りかかって頭が固まる堅物の特徴として」って確かに書いてるよね?これが誤読だっていうの?

    あと「知識があることの弊害」についてもいい加減答えてくらはい。

    >あとですね、あなたは愚かにも、名無しの人間扱いどうこうという糞発言の肩を持つようなことを言いましたね。そのことが何を意味するかわかりますよね?

    んん?どの発言のこと?そして何を意味するかも分かりません。

    「よくわからないので教えてください」
     

  • ここまで読んだよ 2016-10-22 (土) 21:40:51
    すべてを読まずに気になった部分だけで短絡レスします
    以下について上記の件、ご了承のほどを


    >「私の信念の意味するところを理解し、私の信念がそのものとしては正しいのか正しくないのかを判断すること」、は今シンプルに再確認したレスたちだけでできることです。
    上記は、2016−09−23 (金) 23:34:28、ごはん炊き忘れの記述だ
    これについてズバッと指摘しておく

    「過去の齟齬が絡む」と疑念が出てくるので、今並べられたそれらだけではシンプルに再確認なんてできるはずがない
    例:
    過去:Aではない
    現在:条件α付きだがAである(こともある)
    疑念:その条件αを過去に否定していた事実は何(が原因)?
    この「条件αの否定」が単に言ってないだけなのか、思考変化に伴ったものなのかはナイト君には明示していただきたいものだ
    だが、議論中において君からはこの手の発言がほとんどない
    (七氏はそのあたりをついて回っている)

    君の脳内で適度に補完されていても聞き手には伝わらない、この事実にまず気づいてもらいたいね
    そして、俺が君にとって真に目障りだったのは、俺が悪趣味の一環で過剰にこの手のことをつついていたということにも気づいてもらいたいものだ
    確かに目障りだったと思うよ、君の脳内では補完され完結していることをわざわざおもしろおかしく復唱されるんだからね、しかも、ご丁寧に感情を逆なでするようにやってるからね(時にはわざと反対の意味になるようやってたからね)


    >>simeji・こまいぬ星人
    >第三者を意識してますとか、そのように発言してもしなくても皆当たり前にやってることでしょ?
    「どこを意識しているか」について注視する場所が異なれば齟齬になる
    注視する点は個々の能力や話題の着眼点で異なる
    これについては、これより上に書いたご飯あての内容でその一つを例示させてもらった
    その手の齟齬を誇張して遊ぶ(≒悪趣味の一環)俺が他人に言えたことではないが・・・・その手の齟齬が存在しないと決めてかかっていたらいつまでたっても平行線なのでは?

    >だからそんな証拠いらんねんて。名無しさんがごはんさんの思想の問題点を読者に対して示すことには成功したんですから(流石にこれには同意してもらえますよね?)、ごはんさんの返答が名無しさんにとって予想外だったかどうかなんて関係ないんじゃないの?なんでそこにこだわるの?
    このsimejiのこまいぬあての返答でそれが如実に表れてると思いますよ
    お互いに着眼点が異なってるんだから第三者としてはどうしようもないが・・・・

    >あとですね、あなたは愚かにも、名無しの人間扱いどうこうという糞発言の肩を持つようなことを言いましたね。そのことが何を意味するかわかりますよね?
    この阿呆極まりない一文章についてはその存在事実を確認するまでもなく私が答える

    はっきり言って、「どうでもいい」こと

    こういった「感情論の部分に目線が行って、本来の議題からそれてしまうこと」について、すでに凸が直接的・間接的に議論テクなどで紹介している
    このサイトを隅々までご一読されることを勧める
    あ、ごはんたか騎士はこれを過去に俺が勧めても「おれのこと嫌い」という理由だけで拒否したせいで、いまだに成長がみられない
     

  • simeji 2016-10-23 (日) 02:03:33
    >>ここまでさん
    こんばんは。もし余裕があれば2016−10−09 (日) 12:32:03のこまいぬさんの書き込みから続く私とこまいぬさんのやり取りだけでも読んでみて。それで改めて私の主張の不備とか気付いたら指摘して欲しいです。
     
  • '''' 2016-10-23 (日) 16:53:23
    simejlの論旨は妥当。
    もっと踏み込んでもいいと思うけど、犬は論拠をほぼ明示しないからそれも難しいわな。
    なお、論拠を明示しない批判のことを通常「罵倒」という。

    対ごはんの議論を少し振り返ると、当初の時点ではごはんの思想がどんなロジックに基づいているか(私にとって)未知だった。

    ソシュールからウィトゲンシュタインに至る言語論的転回を単に知らないだけだろうと思えたが、別に知らなくてもしっかりしたロジックに基づいてればそれはそれで良いし、聞いてみたい。

    そこで概念の家族的類似性やら、概念文節の先行性、恣意性やらのお話をふってみると「一般の、本来の、普通の◯◯はそんな意味ではない、実際から離れている」という観点から反論してくる。

    そこでごはんの反論から導かれる帰結のおかしさ、不都合をつついていくうちに、「事実言明的な意味での正しさ」を捨てて、「行為遂行的な意味での正しさ(振る舞いとしての正しさ)」に一元化するという暴挙に出てしまった。

    これは議論上、相当にまずい一手なので、まさかこんな手をうってくるとは思いもよらなかった。もう少し上手な逃げ方がいくらでもあるなかでそっちにいくんかい、という(笑)

    一回事実言明的な意味での矛盾を認めてしまえば、あとはどんな結論を導いても許されてしまうから、その不都合さを示せば詰みだった。

    いろいろとやり取りをしていくなかで、ごはんがどういう部分で考え足りていないか(主観的な実際と客観的な事実の関係についても分析が甘かった)や、実はたいしたロジックがなかったことが明確になっていったわけで、この一連の流れ議論上意味のあるものだった。

    もちろんこれが議論ではなく、私とごはんの相互理解のための話し合いであれば「不毛」なやり取りなのだろうが、ここはもちろんそのような場所ではない。

    最後はごはんの大悪手で議論としては終わってしまったが(だからmeaninglessは「訂正」を勧めた)、これがごはんの本意ではないことぐらいはわかっている。

    しかし「書かれたことで一元的にやる」議論である以上、悪手は悪手として咎めなければいけないし、ここで柔軟に相手の真意をおもんぱかるのは逆にやってはいけないこと。

    議論ゲームを見て堅物のくだらない遊びと感じるのはある種正当な反応だが、それは罵倒ゲームしかできない、柔らかすぎる頭しか持たない畜生の誤解にすぎない。
     

  • ここまで読んだよ 2016-10-23 (日) 18:59:19
    >>simeji
    ではその範囲からひとつだけをピックアップ
    短い時間での文章作成故、錯誤や齟齬があったら済まない

    こまいぬの発言の
    >相手の立場を意識して、まずは伝わるような言葉使いをしていくべきだということです。
    について

    ・(これも)実にくだらない

    以下は、個人主観をも挟むが・・・・
    俺が炊き忘れをことごとく手玉に取れていたのは、(俺の発言によって)炊き忘れがどのように感情を動かし、そしてその結果どのように思考を働かせたかをいくつかシミュレートし、最も(彼の中で思いつくもののうち)妥当なものと考えられる一つを抽出し、それを題材にして十分に遊べたからだ
    つまり、炊き忘れの感情の先行を意識しつつ、それでいてなお炊き忘れがどのように思考をめぐらすかを(俺なりにではあるが)十分に読み取れているというわけ
    そのために、当時は彼の発言の着眼点・感情の矛先を十分に分析しましたよ

    実にくだらないでしょ?(笑)

    相手のことを考えて相手の理解でき得る言葉を選ばれないとだめだという・・・・これは等価で、俺の悪趣味が”想定しているそのレベルの相手”には十分に通じるということ
    言い換えれば、相手の感情をコントロールする(できる)ことで未熟な相手の思考を自分の考えている思考に切り替えさせられるということ
    これをグローバルに考えると、上記「未熟」に分類される”者”が、「名言」を発する「愚行」に分類される”者”に近似していると理解いただけるだろう

    さらに、これを受けて(聞き手)の身になって考えてみてくださいな
    相手が「己の理解できる言葉で話そうとする」ことが相対的に如何にくだらないかがわかるでしょ
    それを行ってくる者には、議題とは別の、それなりの強度の「他意」が隠れている・・・・ということになる
    (たとえば、ジジババに対する高級布団の売り付け:当初は必ずと言っていいほど議題になる「対価を払うことが必要か不必要か」という主題から、話術によって植え付けられた「想像によるその布団の気持ちよさ」などの隠れた副題に思考を移行させることで、必要かどいうかという本来の思考を麻痺させて、最終的に買わせる・・・・)

    だから、それを行うということが議論の場においては不必要だということ・・・がお分かりいただけますかな?
    (≒それを行わないものは「他意」の強度がかなり低いということになる)

    以下、余談:
    この「感情をコントロールする」手法は初等教育においては絶大な効果があるだろうことは推測できる
    聞き手であるガキの感情をコントロールすることで、例えばちょっと難しい数学の公式をもインプリントできるということだからである
    これをすでに実践しているのが市立の規模の大きい幼稚園など

    余談その2:
    俺の悪趣味は「他意」を含んでいる・・・これは正しいということになる
    だから俺は悪趣味を行使していることを宣言するし、聞き手はそれを踏まえて聞いているものと確信している
    この「他意」を分析できるもの・・・・くだらないと考えている者は俺をまともに相手にしていなかったというのが、このサイトの会話ログで読み取れるのではないだろうか
     

  • simeji 2016-10-24 (月) 03:10:52
    >>ここまでさん
    忙しい中での丁寧な返信、感謝致します。こまいぬさんの発言への指摘だけだったので、私の主張には概ね賛成ってことでいいのかな?後からでも気になったとこは突っ込んでね。

    >>名無しさん
    何度も補足して下さってありがとうございます。あーそこ引用すれば良かったか、そう説明すれば良かったかって反省させられます(´・ω・`)おいおいその手は緩手やろ、と思ったときは遠慮なく指摘して下さいね。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 16:32:35
    もう一度読めば?
    私はごはんほど「バカにもわかるように」がんばる気はないので。時間の無駄w


    >>じゃあなぜ愚衆と堅物の両方を含めて共通するダメさについて言及しなかったの?

    >知識があることの弊害・・・みたいな話の流れだったからでしょ?
    >たとえば大衆も似たようなもんだろと突っ込まれても、
    >それはそうですけどねと返せばいいだけの話。

    >>愚衆と対置させる形で堅物のみターゲットにしている。

    >それもこの場の磁力を意識してのことなので問題ないでしょう。
    >大衆を笑う目的と明言された、バイアスの偏った舞台上に乗せる演目として。

    >>もう一度第三者に支持してもらうことを意識して自分の主張をまとめ直してはいかがですか。

    >以上のようなわけなので、細かい気づいた点などのちに訂正はするかも知れま>せんが、すぐさま大掛かりで主張をまとめ直す必要はないと思われます。


    >>それじゃAを批判できてないでしょ。知識があることの弊害(自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり、『自分の土俵』でしか思考できなくなり、異質な他者とまともな議論ができなくなる。)が、知識がなくても起こり得ることなら、それは「知識があることの弊害」とは言えない。だから堅物を批判できてないって言ってるんです。問題大有りですよ。

    >Bにのみ批判的な場において、Aを批判。
    →Bにも当てはまるぞ
    →そういうことだ
    →どういうことだ?
    →Cからしたら、AもBも大差なしということだ

    >問題ございません。
    >AとBの、知識がある者とない者との単純な二項対立の構図ではないですから。


    >あと、以上のの論点と以下の論点は別物だ。なぜごちゃまぜにしてるんだ?

    >>あと「お前ら堅物は愚衆と大して変わんねえよ」って主張したいなら、まずこまいぬさんの堅物像に私達が本当に当てはまっているのかどうか示してね。


    >>何か特定の対象を批判したいなら「それ特有の」ダメさについて語らねばならないはず

    >屁理屈勘違い。頭ガチガチ。堅物特有のダメさを語っているに違いないと勝手に決めつけてるだけ。頭が固いからそのように思い込んでしまう。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 16:43:23
    >まーた主張するだけで終わってるよ。

    そのように感じるのは、私がごはんと違って「あほにでもわかるようなことまで説明する気がない」から。

    >私はこまいぬさんが堅物特有のダメさを語っているに違いないと思い込んだ理由をはっきり述べたじゃん。2016−10−09 (日) 12:32:03の書き込みの中で「知識に寄りかかって頭が固まる堅物の特徴として」って確かに書いてるよね?これが誤読だっていうの?

    私の発言を読んで「知識に寄りかかって頭が固まる堅物のみにみられる特徴」を語っているに違いない! 愚衆にも当てはまるじゃないか! 主張の仕方がおかしいぞ!
    って短絡したんでしょ? これは「堅物のみにみられる特徴」であるなんて誰が言いました? 愚衆はおいといて堅物のみ攻撃してるのは『このサイトの地場』を鑑みてのことだ。全く問題がない。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 17:16:05
    ■堅物の短絡思考

    ≪勉強そこそこできたから、俺はバカではないのだ≫

    という究極的におまぬけな短絡から愚鈍な堅物がつくられていく(万年講師とかにこうゆうレベルのバカ多い)
    誠実さも謙虚さもなく勘違いして甘ったれているから、いつまでたっても思考に深みが出ない。知識に寄りかかり、都合よさげな側に乗っかり、あほみたいな認知バイアスにかかったまま、一生短絡的な勘違いを繰り返す。


    一つ例をあげてやるよ。脳無し君が登場した頃の発言な。

    >「頭の良さ」という概念に「知識量」的な要素を含めるとどんなデメリット(危険)があるのか。あるいは「共感する能力」的な要素まで含めるとどんなメリットがあるのか。

    これ「意見が対立してるぞ→まずは双方のメリット・デメリットを明らかにすべきだ!」という安易な短絡なわけ。読みが浅いからそうなる。

    知性の高いグループなら瞬殺されるレベルwww

    おしめちゃんは脳無し等の議論の入り方に問題を感じなかったらしいから、どこらへんが短絡なのかもわからないよね? 立派な堅物といえます。自分でもあほみたいな短絡を繰り返していることに気づけないし。屁理屈こねて。


    □バカどもに宿題:来月までに「メリット・デメリット発言のどこがまぬけな短絡であったのか」考えておくこと
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 17:30:47
    >ほんとにここまで読んだの?

    >>あとですね、あなたは愚かにも、名無しの人間扱いどうこうという糞発言の肩を持つようなことを言いましたね。そのことが何を意味するかわかりますよね?
    >この阿呆極まりない一文章についてはその存在事実を確認するまでもなく私が答える

    >はっきり言って、「どうでもいい」こと

    この場合、わざわざ「個人的な意見」を述べること自体が「どうでもいい」ことであり、阿呆極まりないといえる。なぜなら・・・

    私は確認しておきたかっただけなのだよ明智君。
    以降、誠実な議論をする気があるのかどうか、堅物をおちょくって遊ぶアホバカディベートゲームという認識でいいのかどうか。そこらへんの認識はきっちりしておかないとね♪


    どうでもよくないだろ(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 17:40:08
    凸氏がどこかで「バカを治すのはムリ」みたいな発言してたように思うが、
    そこだけは同意。
    言語力・思考力がまるで鍛えられていない、勘違い阿呆な堅物には何を言ってもムダ。まさにつける薬がないね。

    ↓何ダコレ?(爆)


    '''' 2016−10−23 (日) 16:53:23
    simejlの論旨は妥当。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 17:47:34
    どこが妥当なんだよ? 脳無し豚くん
    全然ダメだろ

    ああそうか、家畜同志ぺろぺろなめ合うのは気持ちよくてやめられないか(おえ)






     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 18:17:38
    このスレの副題考えました『脳無し豚とおしめちゃん』
     
  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 18:22:22
    >まさかこんな手をうってくるとは思いもよらなかった。

    堅物だから予測できなかったんですよね。とてもよくわかります(堅物の証明)






     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 18:57:51
    (堅物の証明 その2)

    >「事実言明的な意味での正しさ」を捨てて、「行為遂行的な意味での正しさ(振る舞いとしての正しさ)」に一元化するという暴挙

    これまたすさまじい短絡!
    自分の思考系から出ることができないからこのような短絡的勘違いが生じる。
    自分の思考系から出ることができないから、自分のボケっぷりに気づけない。

    相手がボケまくってるから「事実言明的な意味での正しさ」の探求を諦めざるを得なかったんだろ、嘘つきごはんは。そんなこともわからんのか?
    さくっと読めば中学生でもわかるだろ?

    おまえらおもしろ杉
    あほ杉
     

  • こまいぬ星人 2016-10-26 (水) 19:06:20
    (しばらく忙しくて来れないので、堅物くんは宿題をちゃんとやっておくように♪)
     
  • simeji 2016-10-27 (木) 00:43:20
    >>こまいぬさん
    人に宿題を出す前に聞かれたことに答えてくださいよ…。ていうか「メリット・デメリット発言のどこがまぬけな短絡であったのか」はあなたが示すことでしょ。私達は「どこもまぬけではない」って思ってるんだから。我々が何を言っても分からない堅物なんじゃなくて、あなたが何ひとつまともに言えてないのが現状ですよ。よく読めば、深く考えれば、勘違いしなければ、どう解釈できるのか、一度くらい示してみたらどうです?

    >これは「堅物のみにみられる特徴」であるなんて誰が言いました? 

    だから堅物以外にも当てはまるなら"堅物"という言葉が何を指し示す言葉なのか分からなくなるでしょうが。何を批判されてるか全く理解してないな。

    >愚衆はおいといて堅物のみ攻撃してるのは

    「堅物のみ攻撃してる」の?どっちなの?

    >『このサイトの地場』を鑑みてのことだ。全く問題がない。

    大衆が繰り返しがちな愚行を分析し、笑い飛ばすサイトで、"堅物"という独自のレッテルを持ち出し、その定義を説明しようとして失敗してるんだから問題しかないでしょうが。なにが「地場」やねん。もしこまいぬさんのやり方に問題がないことを認めたらその時点で"堅物"っていう言葉の存在価値がなくなるのが分かりませんか?大衆を笑う我々自身の大衆性を示せばよいだけの場面でわざわざ"堅物"なんて言葉を使ったのはあなたですよ。「地場を鑑みれば問題ない」ということを認めても、あなたが「自分でもよくわからず"堅物"という言葉を使っていた」ということが示されるだけです。「知識があることの弊害」についていつまでも答えないのがいい証拠じゃないですか。どっちに転んでもこまいぬさんが間違ってるのは変わらないんです。間違った前提に立ったまま何が何でも反論してやろうとするからそんな醜態を晒すんですよ。素直に自分の誤りを認めれば、新たに洗練された主張を出しなおすことだってできるでしょうに。

    >誠実さも謙虚さもなく勘違いして甘ったれているから、いつまでたっても思考に深みが出ない。知識に寄りかかり、都合よさげな側に乗っかり、あほみたいな認知バイアスにかかったまま、一生短絡的な勘違いを繰り返す。

    でも自分の正当性は説明できない、と。よくもまあ自分のことは棚にあげて他人を非難できますね。こまいぬさんは誠実でも謙虚でもないし、深みのある思考を説明できないし、あほみたいな認知バイアスがどういうものかも示せない。主要な論点から逃げ続けて虚勢を張ってるだけじゃないですか。証拠も出さずに「俺鋭い、超一流予備軍、バカボンのパパとコミュニケーション取れる」「お前ら堅物、短絡的、あほ杉」って…、これが賢い人のすることですか?

    負けを認めることより、負けを認めず間違い続けることのほうがよっぽど恥ずかしいと思いますよ。
     

  • こまいぬ星人 2016-10-27 (木) 02:37:31
    君が読んだと言っていた私の文章の中に、堅物の特徴として最初の方に、

    >知識量重視にこだわる

    と書いてある。そして、その補足説明を折を見てしてきた。君が問題視している以下の文章も補足説明の一つ。

    >知識に寄りかかって頭が固まる堅物の特徴として、
    >知識を積み上げて作り上げた『自分の土俵』でしか思考できなくなるというのがあります。

    これは「堅物とは何か」を語った文章ではない。堅物の持つ特徴の一つを補足的に説明している文章だ。君はそこを未だに全くわかっていない。よって、この文章の批判をもって、

    >定義を説明しようとして失敗

    しているとはいえない。

    >なにが「地場」やねん。

    なに調子に乗ってんの? 誤解しまくりのくせに。

    >もしこまいぬさんのやり方に問題がないことを認めたらその時点で"堅物"っていう言葉の存在価値がなくなるのが分かりませんか?

    わかりません。理由はすでに述べた通り。

    >「知識があることの弊害」についていつまでも答えないのがいい証拠

    何の証拠にもなりませんが。
    ずっと議論されてきてるのに改めて語る必要がなぜあるの? 読んでくれば?
    ちなみに「知識があることの弊害」は次のような文脈で使いました。

    >>じゃあなぜ愚衆と堅物の両方を含めて共通するダメさについて言及しなかったの?
    >知識があることの弊害・・・みたいな話の流れだったからでしょ?

    知識は害になるとか、そういう主張はしていないのでよろしく。
    知識が害を及ぼすこともあるということ。そのようなことはこのページで何度も言っている。読んで来いって。

    >どっちに転んでもこまいぬさんが間違ってるのは変わらないんです。間違った前提に立ったまま何が何でも反論してやろうとするからそんな醜態を晒すんですよ。素直に自分の誤りを認めれば、新たに洗練された主張を出しなおすことだってできるでしょうに。

    本物のバカなの?
    どっちに転んでも君が間違いまくってるの。

    >負けを認めることより、負けを認めず間違い続けることのほうがよっぽど恥ずかしいと思いますよ。

    君の事ね(笑)
     

  • こまいぬ星人 2016-10-27 (木) 02:46:17
    しかし、脳無しのボケっぽりはすごかったなと改めて思う。
    以前指摘した、概念の問題へのすり替えもそう。
    どの部分を見ても、ほぼボケている。
    ごはんがキレるのも当たり前

    堅物どもは宿題ちゃんとしとけよ!
    これでお前らのおつむを評価してやるからw

    □バカどもに宿題:来月半ばまでに「メリット・デメリット発言のどこがまぬけな短絡であったのか」考えておくこと








    でわでわ、今度こそ来月の後半までさよおなら(プー)
     

  • こまいぬ星人 2016-10-27 (木) 02:59:25
    念のためもう一度言っておく(笑)

    >定義を説明しようとして失敗

    していない。
    定義しているのではなく、補足説明しているのだから、大衆の特徴とかぶっても問題ない。

    これでまだ醜態をさらし続けてる自分のまぬけさがわからんなら、終わりやなw
     

  • こまいぬ星人 2016-10-27 (木) 03:01:04
    悪あがきするバカは見苦しいぞ!
    どう転んでも君の負けwww






     
  • こまいぬ星人 2016-10-27 (木) 03:10:28
    【今月の格言】バカは真逆に間違える






     
  • simeji 2016-10-27 (木) 16:49:16
    こまいぬさんが堅物について語っている書き込みを列挙する。

    >2016−08−14 (日) 02:59:19
    ひらめき重視にこだわる愚衆も、知識量重視にこだわる堅物エリートも、居心地のいい偏った世界に固執するという意味ではどっちもどっちであると言わざるを得ない

    初めて"堅物"という単語が使われた書き込み。「知識量重視にこだわる」のが堅物ということらしい。ここでははっきりと愚衆と堅物は大差ないと主張されているが、「偏ってない世界」がどのようなものなのか説明がないので(どのような主体も偏った世界にいると見なし得るのは当然のことであるはずだが)、愚衆も含め、"堅物はなぜダメか"についてははっきりしない。

    > 2016−08−17 (水) 08:31:53
    「頭の良さ」という概念に「知識量」なんてのを多く含めると、まともに議論もできない知識しかない堅物エリートが、「俺は頭がいい」などと気持ち悪く勘違いするんだよwww

    「知識はあるがまともに議論できない」のが堅物らしい。"堅物はなぜダメか"について語られたがこれは2016−10−09 (日) 12:32:03の内容とかぶる。

    >2016−08−25 (木) 03:42:33
    調子に乗って「存在する/しない」問題と「頭の良さ」問題を混同するなよ!
    後者には勉強できただけの堅物のバカどもの都合が入ってるぞ!

    「勉強できただけ」なのが堅物らしい。ここでは名無しさんやとつげきさんを"堅物のバカども"と表現しているだけなので、一般的な意味での"堅物はなぜダメか"については語られていない。

    >2016−08−27 (土) 16:42:29
    これをまるで「人間の認識・理解は全てそのように為される」と主張されているかのように誤認し、条件反射的に批判するといったことにはならなかったはず。ではなぜそうなったのか? 知識に寄りかかることで思考の柔軟性を失っていたから(このような人々一般に堅物と呼びます)

    「知識に寄りかかることで思考の柔軟性を失う」のが堅物らしい。議論の場において(相手の真意を汲み取るという意味での)柔軟性は不要である、ということは名無しさんから説明があったが(でなければ後からいくらでも言い訳できるクソゲーになるため)、「柔軟な思考」がどのようなものであるのか、その優秀性についてこまいぬさんから説明があれば我々も考えを改めるかもしれない。説明がない間は"堅物はなぜダメか"がはっきりしない。

    >2016−09−23 (金) 15:06:01
    ヒマなのでまとめてやる 
    卑怯者の使う「正しい」には何の重みもない
    ・堅物連中の思考は形式に依存して深みがない
    どちらも真なり

    「形式に依存して深みがない思考」をするのが堅物らしい。ここでも「深みのある思考」がどのようなものか説明がなければ"堅物はなぜダメか"がはっきりしない。

    以上が「補足説明の一つ」とされた2016−10−09 (日) 12:32:03以前の堅物についての書き込みである。見ての通り、"堅物はなぜダメか"について、その内容がはっきり語られたのは上記の中にはない。もし私に見落としがあるならこまいぬさん以外の方にも指摘してほしい。私が見たところ、"堅物はなぜダメか"についてまともに語られたのは2016−10−09 (日) 12:32:03が初である。これが「補足説明の一つ」と主張するなら、一体どこに主要説明があるというのか。何ひとつ説明できてないのに、「よく読め」と連呼する。すでに書いた事で説明できていると思うなら引用すればよい。私以外にはさんざん無視され続けておいて「ずっと議論されてきてる」って…、どんな神経してるんだ。

    >知識が害を及ぼすこともあるということ。そのようなことはこのページで何度も言っている。読んで来いって。

    実在しないものを探すのは苦痛なので、引用して下さい。そしてそれが妥当であるかどうか説明して下さい。ですが仮にそのような書き込みが以前なされていたとしても 2016−10−09 (日) 12:32:03の中で「知識があることの弊害」について語り損ねている事実は変わりませんよね?

    こまいぬさんは、堅物を(そして愚衆も)批判しきれていない。さらには我々が本当に堅物であるかどうかも示せていない。根拠が提示されない限り、こまいぬさんの主張は全てが空虚で無価値である。
     

  • ここまで読んだよ 2016-10-29 (土) 02:38:36
    >>コマイヌ
    >私は確認しておきたかっただけなのだよ明智君。
    議論に無関係なことに話題をチェンジしたかったってこと?→(議論テク)大衆論法:論点ずらし
    サイトを隅々まで読めって俺忠告したよね?お前、「炊き忘れ」か?
    それは君の個人的な「感情に関する」満足の範囲であり、議論の主眼ではないよね?

    >以降、誠実な議論をする気があるのかどうか、堅物をおちょくって遊ぶアホバカディベートゲームという認識でいいのかどうか。そこらへんの認識はきっちりしておかないとね♪
    そんなの切り分けなくとも、議論に必要な情報は抽出できる
    その意味で、議論に誠実さなんてのはどうでもいい
    議論に必要なのは、”誠実さ”なんかではなく情報をちゃんと織り込めるかどうかだぜ
    話者として相手に情報を送り込めるかどうかが必要なことであり、聴者がその送り込まれた情報を理解できるかどうかなんてのは必要ではない
    同じ壇上に立って議論しているのだから、話者の持つ知識量や理解力は聴者に当然備わっていなければならない
    聴者が議論に臨む上で必要なことはそこだろ?幼児が政治経済の議論に臨んだって意味がないことくらいは理解できるよな?議論幼児君

    >ごはんがキレるのも当たり前
    まぁ、感情にああも左右される議論的下等動物はキレて当然だと思うが・・・・

    >知識が害を及ぼすこともあるということ。そのようなことはこのページで何度も言っている。読んで来いって。
    稀有なこと常態的なことだとして論点をすり替えることに何の意味が?
    君の議論はそこが強度を必要としていること(着眼点)なの?
    「稀にしかないことでもあるから云々」ってのは、このサイトに書かれているよね? →ゼロではない →絶対ではない 
    君こそサイトを読んできたら?ごはんに忠告したことは君には無関係ってわけではないのだよ、明智君
     

  • ここまで読んだよ 2016-10-29 (土) 03:03:22
    >>simeji
    >私の主張には概ね賛成ってことでいいのかな?
    賛成も反対も表明していないのだから、「おおむねどちら」とも言っていないですが…

    俺の一連のレスは、コマイヌ的「不誠実」の”実”をコマイヌに指摘しただけであり、今のところどちらの意見にも賛意を示すつもりはない
    そして、それは、俺が今のところ君に対してレスをしないことから君が得た「安心感・安堵感」が「概ね賛成」に転化していったコマイヌ的「不誠実」そのものではないかい?
    その意味ではコマイヌの君への指摘はすべてが的外れってことではないよ

    議論において感情に左右されるなと指摘しているでしょ?
    コマイヌ宛といえどもちゃんと君も読み取ってくれ
     

  • ここまで読んだよ 2016-10-29 (土) 03:05:47
    ちょっとだけ齟齬修正

    「それ」は「私の主張には概ね賛成」にかけている
     

  • simeji 2016-10-29 (土) 04:27:46
    >>ここまでさん
    了解です
     
  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:35:11
    >>名無しさん

    返信が遅れてしまい申し訳ありません。
    上手いこと返信するのがかなり難しく、面倒で、書く時間がなかなか取れませんでした。

    この議論の全体がどのようであったか整理します。
    とても長いですが、これで、この議論を終了する前に、この議論がどのようであったか、私の主張がどのようであったかというのを明確に提示しておくことができたでしょう。




    ●このページでの今回一連の議論は、この記事にこまいぬ星人さんがコメントをし、それに私がレスをしたところから始まりました。

    こまいぬ星人さんがこの記事に対して言ったのは、
    「“勉強ができるという意味ではない頭の良さ”はあるはずで、それを持ち出した思考・会話をしてもおかしくないはずである」
    「“勉強ができる、知識がある”人たちがそれだけで、『そうでない人たちより頭が良い』然としてふんぞり返るのは納得できない
    「頭の働きが優れているような人こそを『頭が良い』と言うべきであって、頭の働きは優れているけれど知識はないという人に対して『頭が良くない』と言ったり、頭の働きは優れていないのに知識はあるような人に対して『頭が良い』と言ったりするのは間違っている」…☆
    ということでした。

    それに対して、私は最初、
    「“勉強ができるという意味ではない頭の良さ”があるというのは確かで、それはこの記事も否定していない」
    「この記事は、そのまま書かれている言葉通り読むのは正しくなく、ある文脈・シチュエーションを想定してそれに対しての発言という体裁で述べられていることを押さえるべきである」
    「実際にはこの記事は、『“勉強ができるという意味ではない頭の良さ”としてパズルやクイズ程度のくだらないものを持ち出して、勉強ができる人やその能力を貶めようとする人たちがいた場合』、を想定してそれに対して述べていて、“いや勉強ができるというのは、基本的に『頭が良い』と言われるに値する優れたことだよ、そのことは認めてあげるべきだよ”と言っている」
    という内容で返信をしていました。

    しかしながら、私は途中で、
    「『“勉強ができる”というのは、それだけで単純に「頭が良い」という表現に値する有能さである』という考えは、実は勉強ができる人を想像しようとしたときに、自然と頭の働きが良い人を想像しているから、ほらその人は『頭が良い』と言えるじゃないかと感じていたのであって、つまりやはりその考えは実際には(こまいぬ星人さんの☆通り)『頭の働きが優れている人が頭が良い』という考えでしかなかったのではないか」
    「その疑いを進めていくと確かに、『勉強こそできるものの、勉強以外の普通のシーンではどうにもことごとくずれてしまっているような、頭の働き(もしくは知的・常識的センス)が良くないような人』というのは有り得るし、実際いた気がして、そしてそのような人たちには『頭が良い』とは言い難く感じる気持ちがある」
    「なるほど、ということは、『“勉強ができる人”を想像したときに「頭が良い」と言えると思うから、“勉強ができる”というのはそれだけで「頭が良い」ことだ』としていた今までの考えは間違っていて、こまいぬ星人さんの☆のツッコミ通りだったのではないか」
    という考えに思い至り、これを言いました。

    ここまでがこまいぬ星人さんと私との間で最初に始まった議論であり、それはこの部分で終わっています。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:35:57
    ●上記こまいぬ星人さんとのやり取りにおいて、私が「考え直し」をしている間に、この議論に凸さんと名無しさんも入ってきてこまいぬ星人さんにレスをつけていました。
    その間の凸さん・名無しさんとこまいぬ星人さんのやり取りは、すなわち「(特に『頭が良い』という)言葉の意味が自由に設定して使えるか」というような話でした。
    しかしこの辺りのやり取りは、こまいぬ星人さんも名無しさんもお互いに思い付いたままのような粗野な記述・考えで発言されていて、全体があまり綺麗でなく乱れているため、
    私は後でこれらにレスしようとしたとき、そのどこかの部分を具体的に取り上げてこのやり取りに直接的にレスをするのではなく、
    この「言葉の意味が自由に設定して使えるか」という話・やり取りの全体に対して大きく私の考えを発言しました。


    (ごはん炊か騎士 2016−08−20 (土) 01:07:56)
    >人は、ある言葉・概念は、そういう言葉・概念としてはっきり存在し、はっきり知っているのであって、だから他人に発言されて理解できたり自分も発言で使いたくなったりするのだ、という立場にいると思います。
    >つまり、ある言葉の意味・概念というのは明確に書き出すことは難しいけれど、明確に書き出すことが難しいだけで、他でもないそれとして存在は明確にしているはずだと思います。
    >私たちは、単純に、必要に応じて時に、難しい「自分の感覚の把握・言語化」ということを頑張って行うだけでしょう。
    >つまり何が言いたいかというと、言葉の意味があれこれして妥当だったり妥当じゃなかったりするのは当然であるから、
    >そうであると言っているだけでは意味がなく、すべきことは「自分はこの言葉の感覚はこうだからこうであると思う」とか「あなたのこの言葉のその使い方はこういう理由で不適切である」といった具体的なやり取りだということです。
    >その具体的な「感覚の把握・言語化」をしなければ、意味がないでしょう。


    私のこのレスは、私と同じ考えを持っていない人からすれば、すぐには受け入れがたい、もしくは語弊のある記述でした。
    この私のレスとそれへの名無しさんの引っ掛かりを契機として、以降の議論は始まり、続いています。
     
  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:36:31
    ●ここから、私と名無しさんがしてきた主張を、各部ずつ少しまとめながら、順に押さえていきます。
    この議論はつまり、以下のようでありました。


    「人は、様々な概念・言葉を頭の中に持っていて、『その概念・言葉とは』という考え・感覚を持っている。それに従って言葉を使い、受け取り、意思疎通を成立・成功させている。すなわち、その言葉・概念はどういう意味かというのは(頭の中で)ちゃんと定まっているのであって、それを知りたいときには私たちの頭の中のそれを頑張って把握・言語化するだけである」

    「『“頭が良い”という言葉の意味(=担わされる感覚・印象)はどうであったか、どうであるべきか』を探る議論をするなら、『自分は“頭が良い”という言葉にどういう感覚があるか、そしてそれはなぜか』『勉強ができる人がそれだけでふんぞり返るのが不適切だと感じるのはなぜか』など、感覚という本丸についてのやり取りこそをもっと繰り返し応酬して掘り下げていくべきだろう」


    名無しさん

    「家族的類似性という話がある。概念にはある正解の形・意味があるというのは間違っていて、そんなことはない。だから、概念・言葉とは利便性や美しさの観点から自分でどういう意味で使うかを決めて使うものである」

    「各種のことについて何百年もいろんな人が同じ間違いをしてきた。どんな天才でも、知識がなければ簡単に間違ってしまう。人間は認知的錯誤を犯しやすい。だから『実際どうなのか』を知るためには、日常的な感覚を疑うような思考をすべきであり、先人がそのような思考の末に見出した答えを参照しに行くべきだ。自分で実際から離れず素朴に現実を見て把握していくという行為・意識は、当てにならず無駄である」


    「家族的類似性の話は、ある言葉は発言される全シーンのそれらともが同じ意味や核を持っているわけではないというだけであって、すなわち、言葉は複数の意味の場合があるのであって毎回同じ意味で発言されてはいないというだけのことである。ある言葉について全シーンにおける統一的な意味は言えないが、それぞれ個別シーンでどういう意味であるかは与えられ定まっているものである。(家族的類似性の話があったところで、決して我々の言語コミュニケーションは崩壊してはいなかったはずであり、各言葉の意味が定まらなくなどはならない)」

    「世界には事柄や事物がまずあって、人間はそれらを認識し、思考や会話の中で他ではないそれらを指すために言葉を作り使い始めるのである。つまり各言葉は何かを指す共通理解のための符号なのだから、共通理解のための符号となるよう、各言葉の意味は必然性や妥当性を持って定まる・与えられるものである。よって、必然性や妥当性を無視して各自が勝手に言葉の意味を決めて捉えたり使ったりすることはできない。その言葉が登場させられる場において、その言葉を必然性や妥当性のある本来の意味とは違うように捉えたり使ったりすることは、『その言葉を使ってその場でしたかったことの失敗』であり、『話が変わってしまってい』る」

    (「言葉は複数場面で同じ意味で用いられることがあったはずだし、言葉は自分だけで勝手に意味を変えてはいけなかったはず。そしてそのようであればこそ、言葉による意思疎通というのは成り立っていたはず。そういった当たり前・実際を、格好付けて『普通とは違うこと』を言いたがることによって目を逸らして置き去りにしている」)

    「実際を忘れて思考してはならない。高尚な知識を知ることは全く結構なことだが、それを理解し間違ったり使い間違ったりしては当然いけない。高尚な知識もそれが正しいのであるなら、現実・実際と異なっているはずはなく、現実・実際が上手いことその高尚な知識の捉え方で『実はこれはこういうことで』と説明できるはずである。高尚な知識の格好良さに見惚れてただそれを振り回し、現実・実際の素朴な疑問について説明付け・解決をできていないのは、結局その知識を自分のものとすることができておらず、ただそれを振り回してみているだけであって、(その知識という武器を用いて)現実について正しい発話をするということはできていない。正しい見解・見識を持つためには『実際はどうであるか、実際にちゃんとそうなるか、そういえばあの実際はどういうことなのか、それならばあの実際はどうして起こっているのか』といった、よくよく実際を捉えて思案できる能力こそが大事・必須であって、それができるためには(問題的状況に対面したときも、高尚な知識を学び身に付けるときも)よくよく実際について目を向け考える取り組み・努力こそが必要なのである」
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:37:06
    凸さん

    「『>世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する』というのは引っかかる。ある対象を、間違いない真の姿で捉える、というようなことはできない。例えば色を見て『こんな色だ』と捉えていても、それはそのとき自分に捉えられる限界の精度でしか捉えられていないし、意識を変えられるだけで目は変わっていないのに違う色に思え始めてしまったりする」


    名無しさん

    「『>世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する』これが正しいか思考実験をする。この引用発言通り、人間が対象を直接的に『それだ』と認識・理解できるならば、机さえ見ればそれだけで『他ではないそれとしての机』を認識することができるはずだし、昆虫であるカブトムシさえ見ればそれだけで『昆虫がいる』と認識できるはずだ。しかし実際には、子どもは机だけではなく椅子なども教わらなければ正しく『机』を認識することはできないだろうし、江戸時代の人はカブトムシを見たところで『昆虫』とは認識しないだろう。したがって、人間が対象を直接的に『それだ』と認識・理解できるというのは間違いであり、まず概念や、さらにそれとその他概念との関係性まで理解されていなければ、人間は対象を正しくそれとして認識することはできない」

    「『>「実際どうなのか」を知るには日常的な感覚が疑われなければいけないのはなぜか』の答えはここにある。日常的な感覚が正しいことを前提して、自分たちに見落としや見間違いがないかと考えているだけでは、上記のような例が存在することに気付けない」


    「凸さんへ返信。私のその発言は、人が対象を間違いない真の姿で捉えるなどという意味では全くない。人はアレやソレではないコレを指す符号として言葉を作り使うのだから、その言葉を使えばそれはアレやソレではなくてコレのことだと伝わるようになっていなければならない。つまり、指すべきものが指され、伝わるべきものが伝わるために、各言葉には必然・妥当な意味が定まる・与えられるものなのであって、基本的に言葉はてきとうに意味を与えて使えるものではない。ということを、私は言ったのである。ある言葉を使えばそれが『コレ』を指していると伝わること、伝わるようになっているのだということが重要なのであって、『コレ』の真の姿がどうであるかはどうでもいいし、そんな話はしていない」

    「名無しさんへ返信。名無しさんの今の数レスは全体的におかしくて、私には修正したくなるが、ともかく、そんな話はしていない。私は『世界には事柄や事物がまずあって、人間は会話の中で他ではないそれらを指し示し、理解してもらいたくて言葉を使う。だから言葉は共通に理解されるものでなければならず、勝手にてきとうな意味にして使えるものではない』と言っているのである。名無しさんの今の数レスは全体全くずれているが、取り敢えず『机』という言葉は、この私の主張に全く外れないものである」

    「ところで、カブトムシの話の中で、名無しさんは『江戸時代にカブトムシやアリは存在していたが、昆虫は存在していなかった』という発言をした。今は『言葉には自然・妥当な意味があり、勝手に使ってはおかしくなる』という主張をしている議論であるが、その観点で、その発言はそのまま頷けるものではない。存在というなら、カブトムシという昆虫が存在しているのだから、昆虫は存在している。名無しさんのその考え方・言い方は、“存在”という言葉の意味を特殊にしていて、本来・普通の存在の話とはずれてしまっている。その“存在”という言葉の使い方、『江戸時代にカブトムシは存在しても昆虫は存在しなかった』という言い方は、現実・実際から乖離した、現実・実際についての話ではない、意味のない気取りであって、まず最も素朴で当たり前だったはずの『いや昆虫って江戸時代から生きてたでしょ』という考えを無視してしまっている」
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:37:41
    名無しさん

    「今の数レスは、君の『>「世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する」というのが否定されているのでしょうか?』に対する返事として、教科書的な話をしたものだ。納得するかどうかは別として、理解はした方がいい」

    「ごはんは『「昆虫」が指し示す対象はその言葉が発明される前から存在していたし、そうでなければ「昆虫」という概念ができるはずもない』という立場なんだね。その考えでいくと、現代において『ピーチョ能力』は存在していない、と言うことが意味を成さなくなる。なぜなら後にピーチョ能力と名付けられるものが生まれて、『昔の人たちはピーチョ能力の存在に気づいてなかったかもしれないけど、“昔からピーチョ能力は存在していた”。そうでなければピーチョ能力という概念ができるはずもない』と言われる可能性があるから。このように、ごはんの立場では、『存在していない』という言葉は常にひっくり返される可能性を持ち、真実を言い捉える発言になれることが一瞬もなくなってしまう。ごはんの立場は日常的な感覚に反しないから一般の人々に広く通じやすいというメリットがあるが、『存在する/しない』という言葉が真偽を問えない言葉になってしまう。一方我々の立場では『言葉が発明された後で存在しはじめる??』という日常的な感覚に反する気持ち悪さを我慢しなければいけないが、一方で『存在する/しない』という言葉に意味を持たせられるというメリットがある。これはどちらも可能であり、どちらを選択するかであるが、私は一般の人々に『気取り』と思われようとも、言葉はなるべく明晰に有意味に用いたいと思う」


    「先の名無しさんの数レスは、私の『>世界には事柄や事物があって、人間はそれらを他ではないそれとして認識・理解する』の発言を否定しようとして述べてきたものであって、それとしてはずれているから、私に上記のように返信されるものである」

    「“存在”という言葉を確かに正確に発言できるようにするために、『言葉が発明された後で存在しはじめる』ような意味で言うことは全く構わないが、それが本来の“存在”とは別の意味の別の言葉であることは理解し気を付けなければならない。そういう意味では『江戸時代には昆虫は存在しなかった』かもしれないが、それは本来の“存在”とは別の話をしていて、本来の“存在”の考えをしている普通の人や普通の場に対してそのまま言い付けられるものではないし、言い付けても別の話であって本来の“存在”的には意味がない。そしてその話、その意味の『江戸時代には昆虫は存在せず、認識されていなかった』という話は、私の主張、すなわち言わば『6本足等の条件を満たした虫がまずいて、人間はそれを認識し、それを指すために“昆虫”という言葉を作り使い始める、だからそうして作り使われる“昆虫”という言葉を勝手な意味にはできない』という主張の否定にも、全く繋がらない」

    「私の立場では“存在”という言葉が常にひっくり返される可能性を持ってしまうのがデメリットで、名無しさんはそれを嫌ったということだった。しかし、“存在”という言葉がそのようであること、“存在”という言葉に限らず主張の言葉が永劫通用するかは分からずひっくり返される可能性を排除しきれないものであることは、決して何とかしなければいけない問題な状態ではなくて、とても普通で、今までも多くのことがそのようであったことである。私たちは、私たちの立場では“ピーチョ能力は存在しない”もしくは“将来ピーチョ能力が存在するかもしれないけど、少なくとも今は存在しない”と言うのが限界であり正しいのであって、それが限界でありそれ以上の真なる正しさを持てないことは全く問題なことではない」

    「自分なりの思考作業において勝手に言葉を特殊に使うのは構わないが、ある言葉の使い方を自分で数通りから決めて使っていくだけでなく、目の前の会話や思考ではどんな意味で使われているかや、“そういう意味ならばどういうことになっていくか”も考えられ把握できることが、様々な真実をより詳しくより正しく捉え見出せるためには必要である」


    名無しさん

    「『>ピーチョ能力のような無意味なものに限らず、あらゆるものが、「過去にはなかったが今はある」「今はないが未来にはきっとある」ものであって、そうであることは有り触れた普通のことです』と言うけれど、でも「昆虫」は江戸時代にも確かに存在していたんだよね。当時の人たちが言葉を知らなかっただけで。どういう場合に「過去にはなかったが今はある」が成立するの?江戸時代の人たちが『未来のことは知らんが、ただ江戸時代においては昆虫は存在しないと言える』と言ってたらどうするよ」


    「江戸時代の人たちは、江戸時代の人たちとしては、『(未来のことは知らんが江戸時代においては)“昆虫”というものは存在しない・知らない』という認識であるのが正しいし、そうであっただろう。しかし、後の今の私たちからなら分かる、世界の実際・真実としては、『江戸時代にも昆虫は(真実としては実は)存在した』のである。(このように、『過去では存在しない(知らない)と言われ、今では存在すると言われる』というのは全く普通のことであって、あらゆるものがそうであり、全くおかしな矛盾的なことではないのである)」
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:38:08
    名無しさん

    「それはもう十分わかってる。私が指摘したのは、そのように『存在する/しない』という言葉を使うことを許容すると、『存在する/しない』が真偽を問えない言葉になってしまい、存在しているかどうかという『事実』と、存在していると思うかどうかという『信念』に違いがなくなってしまう。また、実感を共有しない反対者があらわれたときに、非理性的な対応で排除する思考を誘発しがちになってしまう。この2点が問題で、それを私は避けたのだ。つまり、……(略)」


    「私たちは、「事実」そのものを捉えられることはなく、事実等外側から受け取った『感じた事実、思った事実』を捉えるだけである。……(名無しさんの上記のところへの取り敢えずの返信。略)」

    「名無しさんの今のレスは、私に言わせれば間違いだらけで、間違いだらけゆえに綺麗に返信ができない。ちゃんと返信しようと思えば、いくつもの事項を述べて『したがって……』というところまで積み上げなければならない。だから、ここまで話が派生し複雑になってしまったが、一旦それらは置いといて、シンプルな肝をまず確認・決着させよう」

    「『言葉は見かけ上同じでも、その意味・真意は異なる場合があり、意味・真意が異なるならば区別しなければならない』。『例えば“存在”という言葉が意味・真意的に、“存在1”“存在2”“存在3”と分けられるとき、“存在1”について話している人に対しては“存在1”について考えて返答してあげなければならない』。これらを認めるかどうかだけを、ぼかすことなく、まずは答えてほしい」


    名無しさん

    「『>私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」の発話であり何らかの目論見的営みであって、決して「事実」の発話ではありません』ごはんがここで言っていることは、言語学では以下のように整理されている。……(略)」

    「『意味・真意が異なるならば区別すべき』は認める。しかし『“存在1”について話している人には“存在1”の話で返答しなければならない』は認めない。存在2存在3の考え方が既に知られているのに、いまだに存在1しか知らずに語ってる人がいたら、存在2や存在3の立場の方が優れてると思うよ、と伝える。そいつがそれを受け入れるかどうか、理解できるかどうかは別の話だがね」

    「では私からも質問。ごはんは『実際的に思考すべきであり、形式的に思考をしてはならない』と繰り返し主張するけれど、なぜそうなのかはほとんど論じていないよね。『“正しく見れば、真の認識ができる”という前提が間違い』と凸も最初に突っ込んでるし私もそう思うから、麻雀の流れに関する話とかも出したんだけど、ごはんは今でも「実際をみるべき」と言い続けている。「実際」を頑張って把握することによる成功事例とかはないの?麻雀の流れについて「実際をがんばって把握しよう」とだけしてたら普通に認知上の錯誤に陥るだけ、と普通に思うんだけど」


    「他は置いといてまず肝だけを確認・決着させよう。名無しさんの語った特殊な『存在』は、本来の『存在』とは全く別物であり、別の話である。名無しさんの語った話はもはや『存在についての話』ではない。同じ『存在』という言葉でも、その意味が異なってくることがあるから、それを理解して区別できなければならない。同じ『存在』という言葉だからいい気がして、それが区別できないこと、及び区別できず本来的な『存在についての話』ができていないことに気付けないことは、能力不足である」
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:38:35
    名無しさん

    「わかったわかった。私はごはんの信念に沿った説明をせずに、思想の世界での常識的な見解を書いちゃったね。ずれてたね。で、その信念自体がダメなのでは?と指摘されてるんだから、早くそうではないところを示してよ。その信念とは『自分がこう感じているということが「実際」であり、これを忘れて思考することは愚かしい』という考えのことね」


    「私はそんなことは言っていない。私の信念とは『実際的に思考すべきであり、形式的・飛躍的に決め付け的思考をしてはならない』である。そこで起こっていることや問題となっていることは何か、AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、など、こういったことをちゃんと考えるべきというごく当たり前のことを言っているだけである」


    simejiさん

    「その理由を、名無しさんが机や昆虫の話でやってみせたように、いくつか具体例をあげて説明してみてはいかがでしょうか。ごはんさんの態度は、自分とは違う感覚、認識をもっている人達にたいしてあまりにも不誠実です。名無しさんはごはんさんの主張に反する具体例を出しているのだから、それ以外でごはんさんの考え方の方が有用になる場面などがあるのならそれを書き込むべきです」


    「名無しさんがこれまで挙げてきた例は、私の『実際性を失ってはいけない』を『自分の実感(その場の何となくの考え)にそぐわなければ認めない』のようなことであると誤解して、それに対して『自分のくだらない考えを信じてはいけない、疑わなければいけない』という主張をするために出していたものだろう。私の『実際性を失ってはいけない』の考えは、決して『自分の考えを疑わない』ような意味ではなく、もっと普通で当然なことを言っているだけだと、私はずっと訂正しているのである」


    名無しさん

    「ごはんはこう言っていた。『>私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」なのだから、その場でできる思考・判断・営みとして妥当であればよく、実は「事実」は違ったとしてもそれは仕方ありません』。私の、信念の発話と事実の発話に差がなくなってしまうという指摘に対し、『結局信念なんだから事実と違っても別に良い』と言い切っている。だからごはんが『自分の実感(その場の何となくの考え)にそぐわなければ認めない』という考えであるというのは私の誤解ではない」
    (ここも、先ほど後に置くことにした部分たちと同じ内容であるため、ここへの直接的な返信は後に置いておく)


    「私が各事柄にしている考えが『自分の実感にそぐわなければ認めない』となってしまっているかどうかはこの後議論していければいいが、それと今説明した通りの『実際的に思考すべき』という考えが正しいかどうか、すなわち『そこで起こっていることや問題となっていることは何か、AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか、など、こういったことをちゃんと考えるべき』というのが正しいかどうかは、別の話である。まずはこれのどこに納得できないかを示してもらいたい。そうでないなら、これが正しいことを認めてもらいたい」
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:39:23
    名無しさん

    「『>そこで起こっていることや問題となっていることは何か、(中略)こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します』いえ、左右しません。むしろ逆になる、ごはんの言う意味で『実際を正しく捉える』ことによってダメになる例が少なくとも二つ挙げられてます。とつにも指摘されてたよね、『正しく見れば真の認識ができるという前提が間違い』と。どういうことなんでしょう??」

    「ごはんの中ではこれがあまりに当然だから、実際性から離れた思考はダメという前提からいろいろいってるだけで、『ではなぜダメなのか、どんな局面でダメなのか』については一度も語られていない。実際が大事、形式的はダメ、ゲーム的に考えてはダメ。なんかそれっぽいこと言ってるけど、全部間違ってる。『実際』なんか大事にすべきじゃないし、形式的に考えても通用しなければいけないし、そのためにはゲーム的にも考えなければいけない」


    「まさか、これさえも認められないとは。これを認めないとはすなわち、『そこで起こっていることや問題となっていることは何か、AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか、自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか』等を正しく捉えようとせず、その状態で喋る内容が正しいと考えるということである。私はそうは思わない」

    「名無しさんは私の『実際的に思考すべき』の意味を誤解していたが、それに対して私は説明し直した。私が改めて述べたことは非常に当たり前なことであったはずである。これほど当たり前な主張には具体例は必要なく、当たり前な主張に従う具体例を出しても当たり前すぎてくだらないだけであり、むしろそれが成り立たないんじゃないかと疑われる具体例の方のみ思い付いた場合には言う意義があるのである。しかしながら名無しさんは、私が誤解を訂正し説明し直した『実際的に思考すべき』に対しては改めてそれが成り立たないという具体例を出してなどいない。恐らくは具体的に考えず、『今まで出した一応未決着の例が、きっとその反例であるはずだ』として反対しているだけだろう。その未決着の例たちについては、ちゃんとこれから語り、それらさえも私の意見を否定するものにはなっていないことを示すつもりである。ひとまずは私に具体例具体例などと言うのはやめて、この後していく未決着の例たちについての話を見ていってもらえればいいだろう。私は、『より正しく物事を捉えようとすることはおかしくないし不可能や無駄ではないこと』、『正しく思考するためには“なんでそうなるか、本当にそうであるか”等を考えなければいけないこと』、これらにこれ以上の説明・具体例を加えることを、必要とは思わない」


    simejiさん

    「『>「より正しく物事を捉えること」すらできないと思うなら』なんでそうなるんですか。自分に賛同できない人は自分とは真逆の考えを持っているなんて簡単に結び付けないで下さい。今は単に、どちらの捉え方がより優れているかを話し合っているのです」


    「名無しさんは、『>そこで起こっていることや問題となっていることは何か、(中略)こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します』というのを認めるよう迫られたところ、認めず、『それは考えの正しさや適切さを左右しないし、正しく見れば真の認識ができるという前提が間違いだ』と答えたのだ。この『正しく見れば真の認識ができるという前提が間違い』とは、私の言う『実際をよく見てより正しく物事を捉える』ことができるというのが間違い、ということだろう。私の誤読ではない」


    名無しさん

    「『Aは大切で、考えの正しさや適切さを左右する』に対して『左右しません。』と否定されたのを、『Aをやろうとしてもできることはない』と読むのは単なる誤読。『Aをやろうとしてもできないことがある』という反証例をこちらは出してたのに、いまさらこの誤読は正直レベル低いな・・・」

    (これ以降のレスは省略)
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:39:46
    ここまでが、今まで行われた議論の整理です。

    これで、この議論がどのようであったか、私の主張がどのようであったか、名無しさんはどのような人だったか、私と名無しさんはどちらが正しかったのか等、一定程度証明できるだけの提示ができたでしょう。

    あとは2レス程度だけして、終わりにします。
    これ以上私が時間を割いて、名無しさんの間違っていて煩雑な発言に付き合い、丹念に訂正・説明をしてあげる義理はありませんし、モチベーションもないからです。
    私の謂れなき認識や印象が蔓延せぬよう、以上のレスをしたところで、これでこの議論は終わりにしておきます。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:40:06
    名無しさんの下記の発言に返信します。

    >「Aは大切で、考えの正しさや適切さを左右する」に対して「左右しません。」と否定されたのを、「Aをやろうとしてもできることはない」と読むのは単なる誤読。
    >「Aをやろうとしてもできないことがある」という反証例をこちらは出してたのに、いまさらこの誤読は正直レベル低いな・・・。


    『>そこで起こっていることや問題となっていることは何か、(中略)こういったことをより正しく捉えられる力は大切で、考えの正しさや適切さを左右します』というのを認めるよう私に迫られたときに、少しも認める言葉や態度を出さず否定したものを、そのように読むことはいささか自然ではありません。
    急にこの引用部分の文章を分解し、一部を認め一部の否定のみに切り替えたことこそがこれまでの全体の中で浮いています。
    本当は、勢いと意固地さで今までは認めることを少しもしたくなかったが、ついに追い詰められて少しも認めないわけにはいかなくなったところで、態度を変更をして、その辻褄合わせとして私にレベル低い誤読をされて困ったものだというポーズを取ることにしただけでしょう。

    しかしながら、そうやって、私の言う『実際的に思考すべき』が確かに大事であることは認めて、否定ではなく『やろうとしてもできないことがある』という主張に軟化させるのであれば、それでも構いません。

    (名無しさん 2016−09−11 (日) 23:01:49)
    >わかったわかった。
    >私はごはんの信念に沿った説明をせずに、思想の世界での常識的な見解を書いちゃったね。ずれてたね。
    >で、その信念自体がダメなのでは?と指摘されてるんだから、早くそうではないところを示してよ。

    これで、この私の信念が間違ってはおらず大事で正しいことが示され認められたので、その私の言った『同じ言葉でもその意味の違いを理解し区別できなければならない』及び『存在をめぐる言葉の使い方において名無しさんは理解不足があった』という主張も認められることになったのですから。
     

  • ごはん炊か騎士 2016-11-25 (金) 02:40:30
    最後に、麻雀の流れと天動説・地動説の具体例、及び「よりよく実際を見る」という実際的思考が果たして良いのか悪いのかについて触れて、終わります。


    私は、「実際どうなのか」を知るには、見逃しや見間違いをしないように「よく実際を見る・見直す」ことをすべき、という旨を発言しました。

    これに対して、名無しさんは、「実際をよりよく見る」という意識では間違った判断をしてしまうことがある、日常的な感覚は疑わなければならない、という主張であり、
    その具体例として麻雀に流れがあると思ってしまうことや地動説でなく天動説を考えてしまうことなどを出していました。


    これらは、名無しさんが勝手に自分の中で「実際」の範囲を限定していて、本当に実際を見つめることができていないのです。
    私たちが思考するときに頑張って捉えるべき「その場の実際」とは、その場にあること全てであり、私たちが考えられること全てに決まっています。


    麻雀をやっていて、流れがあると感じる、というのは一つの“実際”です。
    しかし、私たちには数学や理科やクイズなどで合理的・道理的な思考の経験があるというのも“実際”であって、
    それらのために「物理的に説明のつかない流れ・運なんてあるはずがないのではないか」という思いも(少なからず)あるというのも“実際”です。
    他にも無数にいろんなことがその場にはあるはずであって、その全てが間違いなくその場にある“実際”です。

    そのとき、それなのに、「麻雀には流れがあるんだよ」という結論になってしまうのは、いくつかの事実や感覚等の“実際”を無視した思考です。
    その場にある“実際”を無視せず、また自分の中の都合や面倒さによって無視したくなる気持ちや無意識に負けず、ちゃんと全部見て感じて拾って向き合えば、私たちは多くの間違いを防ぐことができます。

    麻雀で流れがあると思ってしまうのは、例えば「物理的に説明がつかない流れ・運なんてあるはずがない」という考えを欠いた思考であり、
    天動説を信じ切って地動説を否定してしまうのは、例えば「そういえば天動説もなんとなく信じただけだったし、夜空の光景は確かに地動説でも説明付くぞ」という考えを欠いた思考です。
    これらはまさしく私の言うところの「よりよく実際を見るべき」「実際的に思考をすべき」様子であって、それらができていれば防げた様子なのです。

    もし誰かが「物理的に説明がつかない流れ・運なんてあるはずがない、だから麻雀に流れがあるとは簡単に思えない」と考えることができた場合、
    それはその人が「単純によりよく思考した」ということであって、
    これを「実感や最初の考えは信じてはいけないのだ」というふうにまとめることは不要であり間違っています。


    私たちは実際をよりよく見て、実際的に思考をすべきであり、形式的・飛躍的に決め付け的思考をしてはなりません。
    崇高な知識やアイデアに飛び付いて、それで気持ち良くなって驕るのではなく、真摯にそのときの全てに向き合い「よりよく考える」「ちゃんと考える」ことこそが、正しいことを理解し語るために唯一絶対に必要なことなのです。
     

  • ここまで読んだよ 2016-11-25 (金) 21:36:26
    >>ごはん
    素朴な疑問をぶつける
    >ただそれを振り回してみているだけであって、(その知識という武器を用いて)現実について正しい発話をするということはできていない。
    ・・・と判断するのは、いったい誰?

    判断するの(=上記でいうところの「誰」)が話者ではなく聴者であろうことは推測に難くはないが、では、聴者が話者の要求する知識量(語彙量などで置き換えてもよい)を兼ね備えているという判断はだれが行うのか?

    >よくよく実際について目を向け考える取り組み・努力こそが必要なのである
    上記に関連するが、この必要とされている「モノ」について、十分満たすとされる時はいつか?その閾はどのように決めるのか?その閾を超えたと判断するのはだれか?

    >崇高な知識やアイデアに飛び付いて、それで気持ち良くなって驕るのではなく、真摯にそのときの全てに向き合い「よりよく考える」「ちゃんと考える」ことこそが、正しいことを理解し語るために唯一絶対に必要なことなのです。
    半分は迎合する
    しかし、より良くって何?ちゃんとって何?・・・・といったところを掘り下げてもらいたい
    君が俺に対して嫌悪感だけで排除しようとした一連の行動が、より良く…はともかく、ちゃんと考えていたのならおきていい行動だったのだが、その説明はいかがするのか今一度問いたい
    当時を振り返れば、俺の存在は少なくとも表向き、凸に許容されていた
    排除するべきと考えたのは少数であり、それは当時の凸の指針に明らかに反していた
    ・・・・ちゃんと考えていましたか?感情に走って考えもせず、凸に許容されていたおれを一方的に排除しませんでしたか?

    当時の俺も指摘しているはずです。君は「言動不一致」だと
    というわけで、ちゃんと考えて返答してくださいな
     

  • '''' 2016-11-27 (日) 11:10:47
    お〜ごはん。元気そうで何よりだが、相変わらずまとめが下手だなw
    整理したつもりでこれだけ長くなってしまうのはつまり「相手の論旨を掴めてない」ということだよ。

    だがよくがんばった。

    〉急にこの引用部分の文章を分解し、一部を認め一部の否定のみに切り替えたことこそがこれまでの全体の中で浮いています。

    1) そこで起こっていることや問題となっていることは何か
    2) AとBからはどんなことが本当に導かれたり引き起こされたりするか
    3) 自分のこの感覚はつまりどういう思いであるか

    「3を重視してたら失敗するよ」という私の批判に対して、ごはんが1と2を加えて説明してきたから「1と2にははじめから反論してない」と言っただけ。
    何を批判されているのか、ごはんがそもそも論旨を掴めてないことによる誤りです。

    〉これらはまさしく私の言うところの「よりよく実際を見るべき」「実際的に思考をすべき」様子であって、それらができていれば防げた様子なのです。

    そう、まさにこう反論したくなるだろうという想定でした。

    「自分のこの感覚」すら疑う姿勢が重要だから3を重視してたら失敗するよ、というのが私の批判。
    この批判に対して「いやその姿勢も実際的な思考をすべき様子に含まれる」と返しちゃったら、1〜3の意味内容のうち1と2しか残らなくなるね。

    3を疑う姿勢(反証例を探そうとする姿勢)まで「実際的な思考」に含まれるのであれば、あとはニュアンスの違いだけで対立点はもはやない。無事議論終了ですな。

 

  • '''' 2016-11-27 (日) 11:12:36
    ニュアンスの違いについて。

    〉「麻雀には流れがあるんだよ」という結論になってしまうのは、いくつかの事実や感覚等の“実際”を無視した思考です。

    「いくつかの事実や感覚等の“実際”を無視」と簡単に言っているが、感覚に反する事実は「3が大事」という素朴な前提を疑えていないと見つからない。
    無視するつもりがなくても"本当に"見えないものなのだ。このことをごはんは軽視しすぎている。

    > 世界には事柄や事物がまずあって、人間はそれらを認識し、思考や会話の中で他ではないそれらを指すために言葉を作り使い始めるのである。

    この逆パターン(まず言葉があり、そこから事柄や事物が認識されるようになる)についての理解がないから、3を後生大事にしていてもすべての事実を捉えられる、と無邪気に思い込めるわけだ。

    > 私たちが思考するときに頑張って捉えるべき「その場の実際」とは、その場にあること全てであり、私たちが考えられること全てに決まっています。

    われわれが認識できる事実は、われわれが使用する言語(概念体系)によってそもそも制限されている。
    「そこにあるのに見えない」というありふれた事態についてごはんが理解できる日はおそらくこないのだろう。
     

  • ここまで読んだよ 2016-11-27 (日) 22:56:51
    >>名無し
    >「そこにあるのに見えない」というありふれた事態についてごはんが理解できる日はおそらくこないのだろう。
    うーん、ちょっと違うかな
    「ごはんが理解できる日が来ない」のではなく、「ごはんにしか理解できないご飯のみの理解から逸脱できる日が来ない」・・・だね
    当然だけどね、あれほど思考が己が感情に支配されてたら・・・・

    >われわれが認識できる事実は、われわれが使用する言語(概念体系)によってそもそも制限されている。
    迎合する点だが、さらに付け加える
    コマイヌにも述べたとおり、議論における感情の支配する部分は全く重要ではなく、議論においてその雑多な情報からいかに必要な情報を抽出できるかが重要である
    感情や思い込み・他という様々なフィルタ(左記は「概念体系」云々も含まれる)で必要な情報が欠落するのが人間であり、それを全否定する気はさらさらない・・・だって、にんげんだもの(笑)
    しかし、だからと言ってそれに振り回されていいということではない
    これに気付かない大衆が非常に多い
    掲題「勉強ができるという意味ではない頭の良さ」とは、このことを指しているのではないかい?・・・・と締めくくろうとしたが、そういえばこの手の解説を締めに持ってくるのはこのサイトでは不必要とされていたね・・・・
     

  • てんどん 2016-12-12 (月) 22:28:00
    完全に出遅れたが、俺が注目していた部分が完全に流されてしまって残念だったので、一応触れておく。

    >ごはんがここで言っていることは、言語学では以下のように整理されている。

    >・事実言明的(constative)な意味
    >・行為遂行的(performative)な意味
    (中略)
    >例えばこのウィキのような場で何かを論じる場合は、事実言明的な意味のみが問題となる。

    >「事実言明的な意味での正しさ」を捨てて、「行為遂行的な意味での正しさ(振る舞いとしての正しさ)」に一元化するという暴挙に出てしまった。

    このへんがそれだ。

    この「行為遂行的な意味での正しさ」は、ごはんの思想の中でかなり重要な位置を占めていると、容易に推測できる。
    今回の議論のみならず、これまでにもこのwiki内で、何度も何度も「真意を汲むべし」的な発言を繰り返しているからだ。
    ここまでに対してやったのもそうだし、ごはんのこの議論以前直近の議論では俺に対しても大真面目にやった。
    その度にその部分についてはツッコミが入ったわけだが、考えが変わることは一切ないまま今に至ったらしい。

    これ以前は本題がそこではなかったためにその部分を深く掘り進めず、言うなればスルーしてもらえたわけだが、今回はモロに本題がごはん自身の思想だったので、そうもいかないはずだった。
    が、ごはんの要約における、この点についての扱いときたら、こうだ。

    >「『>私たちの事実についての発話「きっと事実はこうだと思う」とは、「信念」の発話であり何らかの目論見的営みであって、決して「事実」の発話ではありません』ごはんがここで言っていることは、言語学では以下のように整理されている。……(略)」

    略、だ。
    あまりにも痛いところを突かれたのでそこは本題ではないとして無意味長文をかまして逃げたのか、あるいは、ごはんの中でこれがあまりにも当たり前であるためここが批判されていることにすら気づいていないのか。
    俺は特に後者が疑わしいと思っているが、そう思われるのは恥ずべきことである。

    で、フタを開けてみれば、結局最後まで「名無しの批判は全て『実際的な思考』に含まれている」、言い換えれば「この言葉の真意を読めていれば済んだ話であり、それが読めていないのは名無しに非がある」で終わっている。
    最初から最後まで、徹頭徹尾、主張そのものから議論のやりかたまで、「真意を読め」で始まり、そして終わっている。
    これを「ニュアンスの違い」で済ませてやる度量は俺には到底得られそうにないwものだが、まあこれで終わってしまったものはしかたがない。これ以上つついても何も出てこないだろうと名無しが判断したのであれば、それはほぼ間違った判断ではないと思う。名無しの議論の進め方そのものは非常におもしろかっただけに、観客としては残念だが。


    >「そこにあるのに見えない」というありふれた事態についてごはんが理解できる日はおそらくこないのだろう。

    そうだろうし、理解できる日が仮に来たところでごはんの思想に従えば「見えてなかったのはしょうがない。当時のオレは間違ってなかったと今でも思ってる」なんだから、ものを考える態度としては二重に詰んでるね。おもしろいもんだ。
     

  • '''' 2016-12-14 (水) 10:00:54
    >てんどん

     教えて欲しいのだが(「自分で検索せよ」というのはなしで、笑)、

    >ここまでに対してやったのもそうだし、ごはんのこの議論以前直近の議論では俺に対しても大真面目にやった。

     これってどの議論
     もしよろしければ、具体的に紹介して欲しい。
     

  • てんどん 2016-12-14 (水) 23:05:32
    例えば、「〜がなかったら〜はなかったかもしれない」のページを「真意」で検索すると、時と相手と状況を変えて複数回同様の主張をしていることが確認できる。
     
  • '''' 2016-12-15 (木) 21:20:47
    >てんどん

    ありがとう
     

  • こまいぬ星の神 2016-12-17 (土) 06:45:30
    ヒマなときだけおちょくりに来ることにしたのでよろしくな、
    俺はかしこいと勘違いしたアホどもへ

    >>ここまで読めてんのか幼稚園児

    議論に無関係なことに話題をチェンジしたかったってこと?→(議論テク)大衆論法:論点ずらし

    どう読んだらそうなるんだアホ丸出し
    小学生の集まりかここは?
    未熟者丸出し

    >サイトを隅々まで読めって俺忠告したよね?

    お前、うすのろか?
    こんな糞サイト隅々まで読むかよ、ボケ

    >>それは君の個人的な「感情に関する」満足の範囲であり、議論の主眼ではないよね?
    >>以降、誠実な議論をする気があるのかどうか、堅物をおちょくって遊ぶアホバカディベートゲームという認識でいいのかどうか。そこらへんの認識はきっちりしておかないとね♪
    >そんなの切り分けなくとも、議論に必要な情報は抽出できる

    俺が切り分けたかったんだよ
    だから俺にとって無意味じゃないの
    お前の個人的な考えなんてどーでもいいの
    だからお前の発言こそ糞

    >その意味で、議論に誠実さなんてのはどうでもいい

    だからその発言が糞なんだって。糞www
     

  • こまいぬ星の神 2016-12-17 (土) 07:01:40
    大体お前、ごはんの感情をコントロールして? 手玉に取った?
    とかほざいてたが、
    コントロールできてる相手になんで腹立ててんだ?

    コントロールできてねーだろ(笑)
    ちゃんとコントロールしろよ(爆)

    一体どこの小学生なんだよお前はwww
    勘違いしまくりの救いようがない未熟者www
     

  • simeji 2016-12-17 (土) 08:45:02
    おおこまいぬさん(笑)お久しぶりです。神への昇格おめでとうございます。あなたのキャラクターは非常にユニークで、これはこれでありだと思います。

    気が向いたら宿題の答え合わせもよろしくお願いします。
     

  • ここまで読んだよ 2016-12-17 (土) 16:11:35
    >こんな糞サイト隅々まで読むかよ、ボケ
    そうでしょうねぇ
    だから俺は君をまともに取り扱ってないんだし(笑
    しかも、りおしよりも手ごたえがない…

    >コントロールできてる相手になんで腹立ててんだ? 
    腹立てているように演じてはいるが、核心はこのサイトに逆行する趣旨の主張をたたいているだけなんだがな
    君も簡単にコントロールできる人種だと自覚できていないから、あの程度で激高しているんだねぇ
    俺は当初から読み手に対してこのサイトの内容に迎合せよとは言っていないぜ
    頭悪いなぁ、コマイヌ君(笑

    >ちゃんとコントロールしろよ
    あれ?コントロールされていないと自負していたの?そりゃ結構結構
    でもりおしや炊き忘れより簡単に感情をあらわにする君に勝ち目はないよ
    俺は俺のこの記述に対しても感情(表現)をコントロールしているからねぇ

    >だからお前の発言こそ糞
    (議論テク)大衆論法:イメージ低下用語の濫用
    あぁ、でもこれ、君にとっては無用なアンカーだねぇ
    だから、他人がこのアンカーの先を読んで君を嘲笑しても君は嘲笑されていることに一生気づかず生きていくのかなぁ(読みに行く・すでに読んでいる読者は多いんだが)
    それとも、このサイトが糞であるにもかかわらずその糞を見に行って糞を見せられたと激高する糞なのかな?(笑

    勘違いしまくりの救いようがない未熟者www
    「かんちがい」に安易にアンカーがついてしまうところが君の限界だ
    ここでコマイヌが使ったそれはまさにその先の内容どおりだ
     

  • こまいぬ星神 2017-01-01 (日) 04:11:38
    >>おしめ

    >2016−10−09 (日) 12:32:03の中で「知識があることの弊害」について語り損ねている事実は変わりませんよね?

    語り損ねているとは言いませんよ、それ。
    語りきっているとも言わないがw

    >こまいぬさんは、堅物を(そして愚衆も)批判しきれていない。さらには我々が本当に堅物であるかどうかも示せていない。

    だからそれは現在進行形なの。
    まずは簡単に定義しておいて、議論の中で補足説明等しつつ自論を固めていってるわけ。だから不備があれば突っ込んでくれていいのだが、

    >根拠が提示されない限り、こまいぬさんの主張は全てが空虚で無価値である。

    勘弁しろって、あほか(笑)

    理屈こねまくってるので、元に戻す。
    以下の文章を読み直し、君が完全に論破されていることにまずは気づけw

    >Bにのみ批判的な場において、Aを批判。
    →Bにも当てはまるぞ
    →そういうことだ
    →どういうことだ?
    →Cからしたら、AもBも大差なしということだ

    >問題ございません。
    >AとBの、知識がある者とない者との単純な二項対立の構図ではないですから。
     

  • こまいぬ星神 2017-01-01 (日) 04:29:14
    >根拠が提示されない限り、

    根拠を示そうとしても、君が屁理屈こねてぐずりまくってるのが現状w
    以下の通り


    >>「第三者を意識した立場」を説明
    >それが屁理屈
    >第三者を意識してますとか、そのように発言してもしなくても皆当たり前にやってることでしょ? 人はいろんな立場で発言し、行動しています。後出しで(しかも当人ではなく、別の人間が)これこれこういうつもりだったんだから、不具合が起こっても仕方ない、当人の能力不足のように分析するな! というのはただの言いがかり。言いがかりでないと言うのであれば、名無しがごはんに対して的外れの返答をしまくっていたのが全て計算通りであったという証拠を出しなさいな。まぁでも、的外れの返答をしまくってたのでごはんが「議論の肝」ということを言いだしたという議論流れすらつかめてないでしょ? どこらへんが的外れだったのかもわからないなら、どうしようもないです。あなたに『思考力』を教えることは、私には無理。

    >>何か特定の対象を批判したいなら「それ特有の」ダメさについて語らねばならないはず
    >屁理屈勘違い。頭ガチガチ。堅物特有のダメさを語っているに違いないと勝手に決めつけてるだけ。頭が固いからそのように思い込んでしまう。


    >>言いがかりでないと言うのであれば、名無しがごはんに対して的外れの返答をしまくっていたのが全て計算通りであったという証拠を出しなさいな
    >だからそんな証拠いらんねんて。名無しさんがごはんさんの思想の問題点を読者に対して示すことには成功したんですから(流石にこれには同意してもらえますよね?)、ごはんさんの返答が名無しさんにとって予想外だったかどうかなんて関係ないんじゃないの?なんでそこにこだわるの?

    証拠がなきゃダメなのよ♪

    >名無しさんがごはんさんの思想の問題点を読者に対して示すことには成功したんですから(流石にこれには同意してもらえますよね?)

    同意しません。根拠示せば?
    示せないなら、おしめちゃんの主張は「全てが空虚で無価値である」

    自分のことでしたね、チャンチャン
     

  • こまいぬ星神 2017-01-01 (日) 04:37:32
    ちなみに例の宿題ですが、
    あんなもの一瞬で解けないと知的な議論をすることなど絶対にできません。
    まずついてこれない(君のようにねw)
    君らは考えさせなきゃどーにもならんと思うので、解答があれば答え合わせをします
     
  • こまいぬ星神 2017-01-01 (日) 06:07:14
    (参考)
    (解説)議論において明快な勝敗がわかる例

    〈徐々に「強い前提に基づく主張」から、「当たり前無意味な前提に基づく主張」に後退していくのが看取できよう。これは、前回置いた自らの前提を放棄して、議論に一見負けないために、より「安全な前提」を置きなおす行為であり、こうした行為の実行は、そのまま議論における明快な敗北を露呈してしまう。〉

    上記の批判は「知識に寄りかからない頭の軽い俗物」に対しても全く同様に成り立つ。「勘違いの堅物」に限った話でないのならそれを否定する手法としては不適切でしょ。何言ってんの。

     ↓

    (不適切ではないと証明される)

     ↓

    大衆が繰り返しがちな愚行を分析し、笑い飛ばすサイトで、"堅物"という独自のレッテルを持ち出し、その定義を説明しようとして失敗してるんだから問題しかないでしょうが。

     ↓

    (定義に失敗していないと証明される)

     ↓

    「知識があることの弊害」について語り損ねている事実は変わりませんよね?

     ↓

    (語り損ねているとは言えないと指摘される)

     ↓

    うんこ
     

  • こまいぬ星神 2017-01-01 (日) 06:31:15
    (おそらく意図的に)姑息なすり替えをして、あほの一つ覚えのように「知識があることの弊害」に執着している点にも注目したい(笑)


    >>じゃあなぜ愚衆と堅物の両方を含めて共通するダメさについて言及しなかったの?
    >知識があることの弊害・・・みたいな話の流れだったからでしょ?

    ※私は「みたいな話の流れ」とはっきり言っている(意図的に)
     知識があることの弊害を主張していたとは言ってない
     言ってしまうと語弊が生じるから
     にも拘わらずこの有様↓

    >知識があることの弊害について語ってたんでしょ?でもこまいぬさんの指摘は知識がない者にも当てはまるものだった。こまいぬさんは知識があることの弊害について語り損ねてますよって主張してるんだけど。「知識があることの弊害は…特になかった」ってことでいいの?
     

  • こまいぬ星神 2017-01-01 (日) 07:05:23
    どこかの馬鹿ならおおはしゃぎして「コントロールされて馬脚を露した!」と言うでしょう(爆)
     
  • simeji 2017-01-01 (日) 07:37:31
    >>こまいぬさん

    >語りきっているとも言わないがw
    >だからそれは現在進行形なの。

    今までの書き込みだけでは説明不足だったことを、こまいぬさん自身が認めているなら何も反論はありません。どうぞ語りきって下さい。実のある主張を聞けたら我々も考えを改めるかもしれない旨も述べました。

    >同意しません。根拠示せば?

    この前提が共有できないならこの話題に関してこれ以上議論するのはやめましょう。
     

  • ここまで読んだよ 2017-01-03 (火) 00:14:25
    >知識があることの弊害(自分と同じタイプの人間としか議論や意思疎通できなくなり、『自分の土俵』でしか思考できなくなり、異質な他者とまともな議論ができなくなる。)が、知識がなくても起こり得ることなら・・・・
    について
    >Cからしたら、A(知識在り)もB(知識なし)も大差なし(『自分の土俵』でしか思考)ということだ
    としたCは、AとBを大差なしとする決定的な証明ができるのだろうか
    まぁ、知識在りのAがAの所有する知識という土俵で議論することについて知識なし(Aの所有する知識を持たない)のBが同じ土俵に立つことは不可能
    つまり、Cが大差ないとしたのはあくまでC視点であり、CがAの知識についての(Aの)土俵を意識することはできない

    AとBが同じ知識範囲で土俵を構成した場合(AがBの知識範囲にまでレベルをわざと下げる)ならCも認識できるので大差ないだろう(その可能性はゼロにはならない)
    だが、Cが(たとえAがレベルを下げたとしても)Aの知識を持ち合わせていなかった場合はCは強制的にBの土俵(Aのもつ知識の外)に視点が移動していることに気付かなければならない(そうでなければCはAの知識をちゃんと認識してしまい、知識を持たぬと認識できるBと大差がないとは考えられなくなる)

    Cが常に”大差ない”と考えてしまうのは、Aの知識を持ち合わせないことに対してBの土俵外にいるAを強制的にBの土俵に移動させるという昇華を脳内で行っているからに過ぎない
    真に気付かないのか、気づいてなお感情の安寧(議論の勝利から得られる感情の高揚を得ること)を図るために昇華をさせてしまうのか・・・・それはCであるこまいぬ自身の問題


    別項で凸の議論相手(勝間和代など)を「勘違いした平凡なバカ」と評していた
    それもこまいぬ(C)がA(木原成哉・勝間和代など)ではなくB(幼稚園児)の土俵しか意識できないためにBが評価するであろう「わかんねー(から勘違いした平凡なバカとしておこう)」と同じ評価をしたに過ぎない

    上記をこまいぬが「異なる」と言い切れるなら、C(こまいぬ)がB(幼稚園児)がA(凸)より優れている(または同等である・大差ない)ことを常に明確に証明できるということになる
    (例外である)”AがBのレベルに合わせる”という部分以外について、証明よろしくね、B=Cのこまいぬ君
     

  • ここまで読んだよ 2017-01-03 (火) 12:26:33
    >この前提が共有できないならこの話題に関してこれ以上議論するのはやめましょう。
    別項で「流れを見ずに言うと・・・」と割り込んできて議論をひっかきまわした馬鹿を思い出す(笑

    (→∩蠎蠅自分よりとあるベクトル(≒美的感覚、以下において同)のスカラーで損をしているかどうかにかかわらず、自分のベクトルと比較してその大きさに優位性があれば相手は損をしている(略) )
    元の議題にある前提を無視して別の前提を置くことは、議論中のかかわる全員の美的感覚の始点とは無関係な新たな始点を投入し、そのうえで自己の満足度というスカラーのみで元も議論の前提を評価したに過ぎない
    本来は無関係であるねじれの位置にあるこの追加投入された別前提を、元の前提で議論している者は交差するかどうかの確認を行うことはするが、交差しないと判明すれば単にその追加前提を棄却するだけである
    しかしその時にその追加前提を己が感情などで評価しようとして元の前提を議論しているものまでがスカラーで追加前提を評価すれば、無関係な前提を多重に持ち泥沼化する
    (ねじれの位置にあるので、2つの前提がそれぞれに対して「真」も「偽」も「真も偽も得られない」という解も得られないから)
    (俺は悪趣味において持ち込まれた無関係な前提に対してわざとそれをすることがある)
    こまいぬ君が勝間和代を「勘違いした平凡なバカ」と評したことはまさにこれであり、それを確認するべく
    ・「C(こまいぬ)がB(幼稚園児)がA(凸)より優れている(または同等である・大差ない)ことを常に明確に証明できる」ことが真であることを要求(=勝間和代が勘違いバカであることと凸<こまいぬであることの交差の証明)
    したわけだ
    こまいぬが見事に証明できれば、俺も目から鱗であり、俺も頭が一つよくなる
    しかし・・・まったくと言っていいほど期待できない(苦笑
    こまいぬ君が用意できる答えはただ一つ、「それはこまいぬ君基準だから」しかないからである
     


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Last-modified: 2017-01-03 (火) 12:26:33 (199d)