■とつげき東北

読解力とともに、なぜか大衆との議論などによって力が測定されがちな指標のひとつ。
読解力がない
自分が理解できなかったり、自分が楽しむことができなかった文章は、おしなべて「文章力がない」とされる。

文章を書くということは、読者層を考えて書くということである。
小学生向けの参考書と、高校生向けの参考書で、同じ書き方をすることはなかろう。
同様に、どのような狙いでもってどのターゲットに読ませるものを書くか、ということが重要である。

筆者の出版した『科学する麻雀』講談社現代新書においてもそれは言える。
もう少しデータが多ければよかった、もう少し簡単ならよかった、2章はいらなかった、2章は面白かった、理論的でおもしろかった、難しくてつまらなかった、など色々な個人的見解を聞かされるが、要するにそれらは「あなた」の判断の粋を出ないわけである。誰も、「あなた」が一番楽しめる本を書いてくれなどしない。
そして、すべての人を満足させられる本を書くことはできない。また、より多くの人を満足させる本を書くことが必ずしも良いことでもない(大学の数学教科書など、多くの人にはなんら必要とされない)。文章を書くということのうちには、色々な事情があるのだ。

多くの人はこのような事情に鈍感である。
さらに、自分の直感や感性に無償の信頼を置いている人がいて、彼らはわざわざ筆者に向かってこう言うのである。
「とつげき東北の本など、誰もかわねーよ」「誰も認めないよ」と。
※筆者の本は、昨年出版された現代新書の中で売り上げベスト3に入っている。

自分の価値判断と他人の評価が違うことがある、という凡言――この凡言は非常によく使われるにもかかわらず、もっとも実感されていない言葉の一つである――を、もう一度思い出さなければなるまい。

  • アホを貶しながらも自慢プレイ発動 -- あ 2006-07-30 (日) 06:15:14

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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:24 (2883d)