とつげき東北

 既に「アホ」「マヌケ」並に一般化してしまっていて、無分別な発話にともなって知性の低さを逆に露呈してしまいがちな罵倒語。

「必死だな」といった指摘が、なぜ一種の罵倒として成立するかの構造を考えよう。日本において「必死である」ことがばかばかしいこと、格好悪いことと思われるようになったのは、全共闘世代後の「シラケ世代」と呼ばれた70年〜80年代以降であろう。全共闘的熱狂の「失敗」を目撃した者たちは、「成功しないものに対して努力すること」に対して徹底的な侮蔑の念を得たのである。90年代になると、必死でないことがむしろスタンダードになり、「シラケ世代」といった言葉は使われなくなる。

 確かに、情けない結果しか出せない連中が「必死」になる様子は救いようもないほど醜く滑稽である。どうせできないなら、必死にやるよりやらない方がエネルギーの節約になる。だから、平均的な能力しか発揮できない人間に対して、「必死だなw」と指摘することは充分に攻撃になるだろう。そして、そうであるならば、すべての「必死の」相手に対して「必死だなw」と言っておけば、往々にしてその攻撃は成功する。世の中には充分な能力を発揮できる人間は多くないからだ。
 だが、だからといって、必死である相手を即座に「ださい」と考えるセンスを持つのは、あまりにも大衆的である。発話者は「必死」であることの無駄さを体験的に知っているのかもしれないが、相手が必ずしも発話者と同レベルだとは限らない。必死になり、かつ成功する者もいるのである。すべての他人を自分と同程度の尺度で測ろうとするのは凡庸な人物の特徴であると同時に、はしたない経験主義にもつながる悪癖である。

 さて、頭がよくないある男が、東大に数多くの合格者を出す進学校に単身乗り込んで、「お前たち、勉強ばかりして、必死だなw」と笑った場合を考えよう。その文脈において笑われるべきは、「必死になって勉強している」優秀な生徒たちではない。「必死で勉強する者たち」を笑ってみせつつも無名大学に進学することになる彼に他ならないのである。
 必死になっても解けないからと試験時間中に寝た者が、必死に試験に取り組み良い点を取った者を笑うことなど(恥ずかしくて)できないだろう。試験時間中に、自分が解けないからといって、必死になっている優秀な者を笑うこともできないだろう。自分と同程度の点数しか取れないとわかっている必死な人間を笑うことは妥当かもしれない。

 相手が必死になり、かつその必死さが空回りする場合、ないしはそれが見込まれる場合にだけ笑うべきである。そうでなければ、先の例に出てきた彼=ピエロになるだけだ。議論においても同様である。まずは相手を論理的に崩してから相手の必死さを嘲笑すべきなのであって、勝ってもいないし勝ち目も見えていない段階から、相手の「必死さ」だけを指摘する様子は、目を覆わんばかりに「2ちゃんねる的=大衆的」である。

 本ウィキは他人の名言・愚行を笑うために記述されているが、筆者は「必死」という単語の使用によって「相手」の行為を嘲笑する項目を一つとして記述していない(06/07/15時点)ことに注意せよ。仮に相手が必死であり、なおかつ相手が無能さをさらけ出していたとしても、即座に「必死」などという安易な罵倒語をあてはめることに対しては、美的な躊躇を持ってよい。「一般に恥ずかしいとされていること」に易々と乗ること以上の攻撃手法を持たないのならば、それこそが本ウィキで定義される「名言的」な行為(能力の劣等等によってそれ以上の効果がもたらされる行為が実施できないがゆえに繰り返される粗末な発話・行為等)そのものであり、真に恥ずべきである。


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:24 (2799d)