■AS

人と人とのやり取りの中でこの言葉が用いられる時、
そこに込められる意味は被害者(を演じる人間)の悲しみだけにとどまらない。
被害者が悲しみを表す時、加害者=悪の図式が問答無用で作り出される。
それが例え、それまで冷静に対等に意見を交わしていて、加害者とされた人間の発言が正論であってもだ。

相手に傷つけられたと宣言することは、もしそれが議論のような言わば力比べの場であるなら、
単なる敗北宣言に他ならない。
ところが、勝者であるはずの側の人間は、この言葉によって悪者に仕立てあげられ、
元より悪意で接してるのでなければその多くは表現を詫びたり、それ以上主張するのをためらうことになる。

議論を放棄し、感情的な言動で相手をねじ伏せるその手口は、暴力と何ら変わりない。

暴力のように理不尽なものに対して「悲しい」という言葉が使われるなら、このように批判することも無いのだが。

  • 2007-07-29 (日) 15:16:49
    一方的な暴力ほど楽しいものはない
    いじめ、カッコイイ
     
  • ここまで読んだよ 2009-10-17 (土) 16:53:44
    正論であっても、理不尽な加害者論理を植えつけられるような言い回しをする方が悪い

    凸を見よ
    彼には非の打ち所がないぞ
     


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:22 (2953d)