マネ

 大衆は否定し否定されることでより強くなっていく過程を愉しめないため、自分(の考え)が否定されることを極度に忌み嫌う。ときには他人が否定されている様を不快に感じることすらある。
 標題の句はこうした大衆感情に基づいて発話される言葉であり、またこの感情はかなり一般的なものでもあるため、この言葉自体が一つの否定であるという軽い自家撞着が指摘されることは少ない。

 ところで彼らがお互いに否定し合わないのは、それが「自己愛の相互承認」のために必要な取り決めだからであり、脆弱なプライドでも保護される「平等主義的連帯感」に資するからである。それゆえ、彼らの連帯感を保つために必要な「スケープゴート」や、彼らの平等主義に反する「優れた者」についてはむしろ積極的に粗が探され、しばしば理不尽な否定がなされる。

 もちろん、このようなぬるま湯から洗練された強く美しいものが生まれるはずもなく、ここではすべてが愚鈍と蒙昧に終始することが運命づけられている。

 「否定からは恍惚の盲目が生まれない」のは確かである。標題の名言はこの意味では真となろう。目をつぶらなければ価値を見つけ出せない人々、「自己愛の相互承認」を必要とする人々は確かに存在している。
 しかし、あらゆる大衆的でない世界――新たなものが次々に生み出される「力」にあふれた世界――においては、「否定しなければ何も生まれない」の方がはるかに確からしい。

自分を否定することになる

  • aj 2007-06-21 (木) 21:37:18
    否定から生まれるもの…消去法?
    その生産的じゃないっていう感情が、いつぞや話題になったクリエイティブ幻想と結びついてるような気もする。
    自分なりの意見を出す>間違った意見を一つ消す…納得いかねw

    マネ氏のチョイスは良いな。
     

  • aj 2007-06-21 (木) 21:42:23
    否定から生まれるもの…消去法?
    その生産的じゃないっていう感情が、いつぞや話題になったクリエイティブ幻想と結びついてるような気もする。
    自分なりの意見を出す>間違った意見を一つ消す…納得いかねw

    マネ氏のチョイスは良いな。
     

  • とつげき東北 2007-06-21 (木) 22:27:42
    凸の慈悲の心により、2重投稿は消されるのである。
    否定により救われる事例といえよう。
     
  • とつげき東北 2007-06-21 (木) 22:28:24
    といいながら放置プレイをする、これまた一つのありかた。
     
  • aj 2007-06-21 (木) 23:04:10
    ・゚・(つД`)・゚・
     
  • マネ 2007-06-22 (金) 01:31:12
    >否定から生まれるもの…消去法?

    「否定」には、批判とか破壊とか淘汰(選抜)も含めて捉えるとわかりやすいかな。

    例えば、筋トレするには現在の筋肉を破壊する必要があるが、「自分の筋肉を否定することになる」とか言って「建設的に」プロテインだけ摂取しててもデブになるだけ。
     

  • 2007-06-22 (金) 10:47:48
    否定を否定はしないけど、なにかを一緒に作っていくという目的があるんだったら、批判という方法だけじゃ何も生まれないし、結果として誰も得をしないのは確かだと思います。

    まあ、批判される側がある程度権力を持ってたりすると、他の人の団結を促す効果はありますけどね。

    保護者会は・・・もういいわ・・・意見言うのも面倒になった・・・
     

  • マネ 2007-06-23 (土) 00:49:21
    >月
    否定<だけ>では何も生まれないのは確かですな。
    質を高めるには批判が必要だけど、学校教育みたいに質が低くてもとにかくやらなきゃいけない場合には妥協も必要になると。
     
  • マネ 2007-06-23 (土) 00:54:58
    高校の文化祭のときに6人ぐらいのグループで劇の脚本を作ったことがあるんですが、みんなで意見出し合って仲良く作ったら相当おもしろくない脚本ができました。誰もが薄々そう思ってるのに、「みんなで作ったものだから」誰もそれを言い出せない。まさに「愚鈍と蒙昧に終始」していたわけです。

    結局、本番10日前ぐらいに私が脚本つまんねって言い出して一から作り直すことにしました(この提案が受け入れられるほどに出来が悪かった)。私がほとんど一人で書いてメンバーにダメ出ししてもらう形でやったら、まぁ時間なかったこともあってギスギスはしましたけど、それなりの脚本に仕上がりました(脚本賞・人気投票1位)。

    創作物の質よりも創作の過程で参加者が「得する」ことを優先すると、馴れ合いの果てにろくでもないものが出来上がり、しかもその不出来を隠蔽するために「みんなで作ったことに価値がある」のような醜い転倒が発生するという好例です。
     

  • とつげき東北 2007-06-23 (土) 01:57:11
    「否定」が極めて稚拙なものであれば、それを指摘することは大衆にさえ可能である。
    逆に、否定を否定することができない場合(つまり正しい否定の場合)の方が、大衆は掲題語を用いやすい。
    私なら「お前の批判は低俗だ」で一蹴するであろうが。

    ちなみに大衆は政治家や官僚をいとも容易に否定したがるが、その感情を炊きつけ、それに乗ずるマスコミ的記事は大衆に好まれる。
    金銭をはじめとした種々のものが、能力のない者たちによる憎悪や否定から生まれることは明白である。
     

  • 亡国 2007-06-23 (土) 23:04:17
    大衆には否定しなければならないものが多すぎるから、掲題名言まではとても手が回るものではない。この名言に手を伸ばすのは、なんらかの事情で凡俗から脱皮せざるをえなくなった、もがき苦しむ次亜大衆であろう。
     
  • 2007-06-24 (日) 09:35:05
    確かに、作品や仕事の質を高めるためには、否定が必要な場合もありますね。人間関係でも、対立を通して相互理解が深まる場合もあります。ただ、批判する時は、情報を十分に集めたのか、自分の見方は一面的でないか、吟味しないといけない。

    あと、「困ったちゃん」がいて、「困ったちゃん」しかその仕事をしてくれる人がいない場合は、否定する<それなりに仕事をしてもらう ですよね。 たとえ正しい批判でも、相手が受けつけなければ始まりません。
     

  • 2007-06-24 (日) 12:53:32
    >亡国
    そうかな?
    自分に矛先が向きそうな時、あらかじめ牽制するために
    この名言が使われることも多いような期がするけど。
     
  • マネ 2007-06-24 (日) 21:18:00
    >亡国
    不出来を隠蔽するために「否定」を否定したがり「クリエイティブ幻想」をもてはやす、という意味で大衆的なあり方そのものだと思うが。

    >月
    まぁ角が立ちやすいのは確かだから、否定は肯定より慎重にやらざるをえないね。そこは技術の問題。正しいからといって誰かれかまわずゴリ押しするのはドヘタのやることだ。

    否定に聞こえないように否定するのは別に難しいことじゃない。オシム監督が審判をしっかり批判した直後に「それからこれは批判ではないことを理解してほしい」などと付け加える様はなかなか愉快だったw
     

  • 頭上の紅葉 2007-06-25 (月) 02:57:52
    >「否定からは恍惚の盲目が生まれない」のは確かである。
    >標題の名言はこの意味では真となろう。
    について、最初の方に、
    >この言葉自体が一つの否定であるという軽い自家撞着が指摘されることは少ない。
    と書いてあるとおり、「否定からは何も生まれない」が恍惚の盲目にまみれた否定であるならば、「否定からは恍惚の盲目が生まれない」は真にならないのではないかと何だか急に細かく気になり出し、今夜は眠れそうになかったのですが、しかし「否定からは恍惚の盲目が生まれない」の「否定」が、今この語がまさに否定している対象としての「否定」のみを指しているとひとまず解釈すれば…うぐああ…という事で、今夜はひとまず眠れそうな所まで来ましたが、しかし今の私はまるで大分県における一般的なコンビニを見物する為に旅に出て、もうすぐ家に帰ります、いや、やっぱり建てます、みたいな。
    その瞬間私は素晴らしい冒険とファンタジーやファンタグレープ等の塊となって、しかし炭酸というのは実に爽快感に溢れていますね。
    という訳で恍惚の二酸化炭素が生まれました。
     

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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:22 (2826d)