■ヒトシンカ

 ある人が自分の優れた能力を隠そうとしない場合、そのことは大衆の嫉妬心を刺激する。嫉妬に燃える凡人たちは、その対象をなんとかして攻撃し、貶めようとすることがよくある。例えば「あいつには本当は大した能力がないんだ」という具合に。このことわざは、凡人が優秀者の能力を知るケース、つまり嫉妬を刺激される全てのケースに当てはまる汎用的な対抗策である。能ある鷹が爪を隠すのではなく、爪を隠さない能ある鷹に対する小鳥の反発心がこのことわざを生み出したのだ。

  • 原田 2007-10-09 (火) 12:50:03
    例えばこのサイトで爪を隠している『能ある鷹』は誰かと問う。本当は俺だが一般人からすれば差し詰めマネとでも答えるのだろう。いくつかのコメントを確認したところマネはさして目新しい主張もせず、反論され得ぬ完全無欠の論調で突如議論の只中に入って来ては速やかに消えて行く。俺に言わせればこれは『能ある鷹が爪を隠していた』のではなく、他の連中が『トンビに油揚げをさらわれる』と形容した方が適確である。議論が煮詰まってきた所でおいしいとこ取りをされているとでも言えば分かりやすいだろう。所詮は受け手側の心理が『果報は寝て待つお江戸の作法』と『トンビに喰らい付かれた無惨な庶民』を両天秤に掛けたのちに恣意的に判断しているに過ぎないということである。それもそのはずこの音韻からして不埒なトンビに油揚げをさらわれてしまったら人はどうするか。自分が惨めだからトンビが鷹だったことにするのである。これは敗者が勝者を讃え『無能な自分』から『狡猾な相手』に視点をずらすことで、己の涙目を見せまいとする防衛機制に由来した大衆的慣用句の原型(prototype,archetype)なのである。
     
  • マネ 2007-10-09 (火) 23:17:45
    原田にネタにされるとは光栄だなぁ

    確かに俺は当たり前のことしか言ってないね。目新しいことを言って自分から議論を巻き起こし、華麗に舞うようなことはしたことがない。かつてMが「風見鶏」と俺を評したが、言いえて妙だろう。

    ところで、「みじめな自分」から目をそらすために誰かを高く評価するのは別に大衆的ではないよ。それを言うなら、自分のある能力に誇りを持つことすら「自分の別の能力の低さから目をそらすため」であり、「大衆的慣用句の原型」とか言えてしまう。
    自らの低さを覆い隠そうとして誰か(何か)を「不当に低く見積もること」こそがあの悪臭の源であり、「大衆的慣用句の原型」であると言うべき。

    まぁ普通に考えて、自分が負けたときに相手を褒める行為にすら大衆の匂いを感じ取るのはやりすぎだってw

    原田の「知性」(凡庸さから遠ざかろうとする意思)は十分認めるし、おもしろいとも思うが、こういう「勇み足」の多さはちょっと気になるね。
     

  • 原田 2007-10-10 (水) 00:23:02
    自分の一能力に誇りを持つのは自己の長短を自覚することだろう。しかし他者を評価する時は相手が本当に褒めるべき人間かを見極める必要がある。俺が言いたいのは『鷹を褒めるならいい、しかしトンビは褒めるな』ということだ。自分が無能なだけなのに、トンビを鷹だったことにして『負けたのは仕方ない』とするのは恥ずべき言い訳である。『己の力が至らなかった、無念』と言って泣けばいい。これが武士道精神の『廉恥』である。一般人はトンビであるマネを鷹と称してしまう。アンケートでも取ってみるがいい。別に個人批判ではないので悪しからず。
     
  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-10 (水) 00:35:54
    原田とマネがお互いの特徴を抉りつつ、その「役割」的視点に即した抉り方がまさにそれぞれの特徴をよく表してるな。

    原田:マネ=バビディ:界王神
     

  • 原田 2007-10-10 (水) 01:04:42
    何の因果で俺があんなザコキャラに喩えられてしまうのか。ただ無念である。
     
  • レベル1デス 2007-10-10 (水) 03:16:35
    相手が本当に鷹であるのなら、「負けたのは仕方ない」でいいんですかね?
    それと、相手がトンビなのか鷹なのかを具体的にどのように見極めればいいんでしょうか?自分、武士やってるんですけど、そこんところよくわかんねーんですわ。山の高さでも測って決めますか?

 

  • 原田 2007-10-10 (水) 03:48:13
    直接の答えにはならないかも知れないが、今回俺が言ったのは『不当に相手を低く評価する事』もさることながら『不当に相手を高く評価する事』もまた極めて大衆的だということのみである。簡単に言うとすぐに『やばがる』ことである。『あいつの化学の偏差値はやばい』とか『コアラの握力はマジでやばい』など。前者は自分が負けてるだけ、後者は騒ぎたいだけではないのか。そこに誠実に学問に取り組み、誠実にコアラと対峙する自分がいるのか。それを問い続ける誠実さを持たないといけない。大衆がデマゴギーを生み出す構造はここにあると俺は見ている
     
  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-10 (水) 12:54:38
    道徳等を用いて実状より低く見積もるのも名言だが、美化等を使って無駄に高く見るのも名言(∵名言とは、その正しさや妥当性が、そうでないものに対して劣っている、ないし優れていることが合理的に推測できないにもかかわらず、何らかの事情によってそれと意識されることなく繰り返される言葉や行動等)
    これら名言を好んで用いる人々は大衆であるから((解説)定義「凡庸、大衆、知性」 より)、その場合は、使用目的の如何にかかわらず、原田が指摘するトンビを不当に鷹とする形式は大衆的。
    もうちょっと言えば、自分の低さをみたくないという事情によって、合理的に推測せずにトンビであるマネを不当に鷹とする発言ないし行為は名言的であり、それを用いる人々は大衆的である。
    しかし、マネが鷹かトンビかといわれれば、原田も認める通り、マネの完全無欠の論調は非凡であり、それすなわち知的であり、ウィキにおいて間違いなく鷹なので誤りである。
    ただ、原田がマネをトンビというのは、ある種の爪を隠すというギャグなので、深くつっこむのは無粋ということで、このことに関するこれ以上の説明は割愛する。

    まぁこれはあんまり原田とマネの議論における論点の本題ではない。
    論点は、トンビと鷹の形式が大衆的か否かではなく、大衆的慣用句の原型かどうかということ。
    原田の二回目の書き込みはマネに対する反論としてはずれてる。

    で、原型の話。
    マネによれば、名言の原型、源泉は「自らの低さを覆い隠そうとして誰か(何か)を「不当に低く見積もること」である。
    原田によれば、敗者が勝者を讃え『無能な自分』から『狡猾な相手』に視点をずらすことで、己の涙目を見せまいとする防衛機制である。
    もし原田が「己の涙目を見せまいとする防衛機制」としただけなら二人の見解にたいした相違はない。
    問題は、原田の追記部分の敗者が勝者をたたえることで視点をずらすことが、原型の源泉に含まれるか否か。
    通常、大衆は勝者を称えることはせず、他の価値基準を捏造して足をひっぱろうとする。
    大衆が勝者を称えることが非常に希少なケースを考えれば、原型やその源泉といった形容はふさわしくない。
    したがって、原田の追記部分は誤り。

    やはりバビディ。
     

  • Another World 2007-10-10 (水) 17:03:35
    これまでのやりとりを超省略したものに、独断と偏見で()部分を追記

    原田氏:
    俺は能ある鷹、マネはトンビ。しかし、一般人はマネを選ぶだろう。
    弱い自分に勝った大して強くない相手を、真に強いものであるとする心理が働くから。
    (一般人は小さなプライドを守ることに固執する。正しい評価など下せない。)

    マネ氏:
    確かに当たり前のことしか言ってない(そもそも立ち位置が違う)
    他者を高く評価することは、なんら大衆的でない。
    低さを隠すために、他者を過小評価することこそが大衆的である。
    (もう少し推敲を重ねた方がいいんでないかな)

    原田氏:
    俺の主張は、過大評価も大衆的であるということ(過小評価には注目していない)
    (矮小であることを認めろ。目を逸らすな。それは恥ずべき行為だ)
    正しいか否か判断するには(論じるより)アンケートでもとってみれば良い。
    (一般人はマネを上に置き、そうでないものは俺を上に置くだろう)

    ぷり氏:
    原田とマネがお互いの特徴を抉りつつ、その「役割」的視点に即した抉り方がまさにそれぞれの特徴をよく表してるな。 
    (※良く分からなかったため、そのまま記載)
    原田はバビディ。(大して知的ではないけど、ラリホーダンスはうまいね)

    原田氏:
    バビディとは、ただ無念である。(俺の力が至らないわけではない)

    デス氏:
    相手が鷹であれば負けたのは仕方がないのか。
    相手がトンビか鷹か、具体的にはどうやって判断するのか。
    武士やってます。(消えろバーカ)

    原田氏:
    (今一度、意図を伝えることを試みよう)過大評価も過小評価も大衆的である。
    誠実であるべき(ありのままうけとめる姿勢が必要。歪めてはいけない。)

    ぷり氏:
    過小評価も過大評価も名言。大衆は名言を好む。トンビを鷹とする形式は大衆的。
    マネはトンビではなく鷹なので原田の主張は誤り。しかし、これはある種のギャグである。
    論点は、トンビと鷹の形式が大衆的か否かではなく、大衆的慣用句の原型か否か。原田の二度目の書き込みはズレてる。
    マネは、自らの低さを隠すために過小評価することが原型であるとしている。原田は、視点をずらすために過大評価することが原型であるとしている。両者に大差ないが、原田の追記部分は問題ありなのでバビディ。
     

  • 原田 2007-10-10 (水) 17:14:00
    いや、歴史的に見ればカエサルの独裁やヒトラーの登場、昨今ではライブドア事件や小泉劇場など、大衆が勝者を讃えるケースは枚挙にいとまがない。もちろん大衆はその後えてして急に手のひらを返したようにそれらを貶める。その一連の大衆心理が逃避だったり置換だったりという防衛機制でありarchetypeなんだということである。ちなみにマネは鷹ではない。トンビでもない。風見鶏である。ここで問題なのが、飛べない鳥は鳥じゃないという理由から風見鶏が鳥類界でスズメにすらコケにされているという現実である。この余波で人間界でもマイナスイメージで使われることが多くなった。これは不当に貶めていると言わざるを得ない。魔除けの意味があった元来の風見鶏の権威復興を願う。
     
  • 2007-10-10 (水) 21:19:39
    >原田氏
    二回目の書き込みは、マネに対する反論としてはずれていたのでしょうか?
    (ぷりけつ氏に対する反論のように見えたので指摘された部分について触れていないことが気になりました。)

    「大衆が勝者を讃え、その後急に手のひらを返したように
    それらを貶めるという一連の大衆心理」と
    「敗者が勝者を讃え『無能な自分』から『狡猾な相手』に視点をずらすことで、己の涙目を見せまいとする防衛機制」とは主張が異なると思います。
    ただ、前者の中に後者の原理は含まれることがあるとは思います。
    後付けで、はじめの主張が意味する範囲を拡大させているように見えてしまいました。
    すんません。m(_ _)m
     

  • 2007-10-10 (水) 21:31:54
    >原田氏
    二回目の書き込みは、マネに対する反論としてはずれていたのでしょうか?
    (ぷりけつ氏に対する反論のように見えたので指摘された部分について触れていないことが気になりました。)

    「大衆が勝者を讃え、その後急に手のひらを返したように
    それらを貶めるという一連の大衆心理」と
    「敗者が勝者を讃え『無能な自分』から『狡猾な相手』に視点をずらすことで、己の涙目を見せまいとする防衛機制」とは主張が異なると思います。
    ただ、前者の中に後者の原理は含まれることがあるとは思います。
    後付けで、はじめの主張が意味する範囲を拡大させているように見えてしまいました。
    すんません。m(_ _)m
     

  • 2007-10-10 (水) 21:34:46
    うわー、2回も書き込んだ。ごめんなさい。
    死にたくなってきた。
     
  • 原田 2007-10-10 (水) 23:56:40
    おっしゃる通りそれは含まれる概念なので、俺は主張を異にしたつもりはないし、ゆえに後付けでなく議論の発展であると言って頂きたい。それよりもせっかく風見鶏の話を出したのになぜ何も言わない?風見しんご氏についてである。今年一月に娘さんが交通事故で亡くなられている。なぜあれ程までに凄惨な事故についてメディアも大衆も知識人も、その後の裁判の是非について論じようともしないのか。知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、いや、ただ忘却し切って、ハンカチを使う野球選手やアイドルの一挙手一投足についての雑談に興じてる。あなた方も同罪だ。
     
  • 2007-10-11 (木) 01:23:11
    風見しんご氏について述べるのは不毛だと思ったのでやめました。
    本論についても、ぷりけつとマネが誤読するはずがないゆえに
    結果的に後付けのはずやけど、もう不毛になってたんですね。
    すんませんm(__)m
     
  • 原田 2007-10-11 (木) 01:46:55
    何を勘違いしているのか知らないが、彼らは誤読どころか致命的に大事な大衆心理の片側を見過ごしていたとすら俺は言いたい。『やばがること』のもたらす衆愚の謂である。そして先程は端折ったがもちろん俺の反論は一切ずれていない。寧ろ『廉恥を知って大衆を討て』という俺の主張の核までずばり答えている。風見しんご氏の話が不毛と言うなら全ての言論、表現に意味などなくなる。最低限度の事象を示す記号(sign)以外は不要である。ならばどこそこのネット掲示板のように『W』の文字を犬畜生の小便のごとくちりばめて俺もあなたも消え失せるべきだ。
     
  • マネ 2007-10-11 (木) 02:10:40
    俺がトンビだとか風見しんごだとかはまぁいいよ。原田が自分の基準(原田にとって目新しいこと、おもしろいことを言えるか否か)にとらわれて、それ以外の基準(例えば、議論や解説の技術において優れているか否か)の存在に気づかないほどに視野が狭いとか、そうした視野の狭さが彼に「本当に褒めるべき人間」といった名言の使用をためらわせていないとか、散見されるボロが(権威的な保護を受けた)ギャグによってうやむやにされているとか、そういう話もこの際いいだろう。

    俺がここで指摘するのは、「自らの弱者性を直視しようとしない」という批判の濫用について。

    前述のように、この批判はあらゆる人間に対して使用可能なものだ。
    あまりに便利なために「君は弱い自分を認めたくないんだ!」という類のゆさぶりは、新興宗教やら精神分析やらスピリチュアルな方々の十八番になっている。

    相手が勝てない基準を一つ用意して突きつける
    1)相手が負けを認めれば、それに乗じて優位に立つ
    2)相手が負けを認めなければ、そのこと自体を批判して優位に立つ

    という感じで、この批判の濫用を許せば(すべての基準における強者が存在しない以上)「突きつけた瞬間、勝ち」のクソゲーになってしまう。

    こういう構造が見えているから、俺は「自らの弱者性を直視しようとしない」点でのみ批判することには一貫して反対しているわけ(「タバコは健康に悪い」のコメント欄でもそうだった)。
    そういうのはあくまで批判の味付けとして使用するべきであって、メインの批判材料は他に必ず用意する必要があるだろう。
     

  • とつげき東北 2007-10-11 (木) 02:18:03
    私は、本ウィキで次のような事態がしばしば生じることを知っている。

    ・本ウィキの常連等の一部が、「これこそがこのウィキの趣旨そのものである」といわんばかりに、本ウィキの趣旨に沿わないかもしれない批判等を、非常連等に対して行う
    ・本ウィキ内の議論等で、常連等の一部が、互いに「低レベルな」理解で同意しあうと同時に、「高レベルな」内容を無視するあるいは理解しない
    ・しかもそれらが権威主義的に行われる
    (たとえば「アイデンティティ」の項目等における原田氏への反応を参照)

    私は読者全員が同じ考えを持つような不気味な空間を創出することを目的とはしていないので、上述の事態等についても基本は放置を決め込んでいるが、目に及び暇が余っている場合に限り、ツッコミを入れたりもする。私は(放置するという部分を除いて)一度たりとも原田氏を不当に扱ったことがないはずだ。鷹かトンビかトンマかは計りかねたが、計りかねるがゆえに低く見積もるべきではない程度の文章は残しているからだ。


    さて、私自身がその種のツッコミの役目を持てない場合、たとえば議論等に正面から参加している場合、誰が代役を買うことになるか。
    私は軽く相手をつついた後しかるべき反応が返ってきた際に、相手からの様々な応答、あわよくば「名言の蕩尽現象」を引き出すことを目的として、種々雑多な話題を振る。
    「文そのものの意味の正誤」について指摘されたとすれば、「テクストとコンテクストとの関係」を無粋に解説したり原田氏のように茶化す代わりに、相手の土台に乗っかって「辞書を使って」言い返すという蛮行も辞さないだろう。
    (批判・反論・中傷用)の先の議論で、データベースに書き込まれた情報(証明と命題)の読み出し順によってデータベースそのものの「論理学的真偽」がどのように変化するのか、あるいは別のデータベースにある場合はどうなのか、現実的にアクセス困難な程度に遠い「距離」にある場合はどうなるのか、そういった事柄に関して、「彼の説明」を聞いてみたかった。本物のデータベースシステムではプログラムがどう振舞うかを解説してみたかった。


    私のこの種の踊り狂いによって散逸する議論に、そろそろ相手等が付いて来(られ)なくなった際に、端的に状況を回収して「こちら側がこのような理由で正しいと思われる」というツッコミを入れる役回りは、私にはたいてい残されていない。
    それをマネがやってくれる。本ウィキには現状、彼より上手に(論理的に、というだけでなくタイミング的に・態度的に・表現的に・権威的に)それを代行する人材は今のところいない。「原田氏にもマネできない」のである。

    その実、マネ氏が行っていることは何か。

    >命題とその証明(論理)とを紙の上半分と下半分とに書いて、紙をハサミで半分に
    >切り分け、順番を並べ替えるとします。このとき、この動作によって記述内容が
    論理学的に正しいか否かが変化することはあり得ません。
    (私の書き込み)

    >結論について当然理解されているものとして断定的に書き出すのは、文章に引き
    >込むためのただのレトリック。まだ理解されていないことを前提にして書き始め
    >れば「仮説」になるだけであって、両者に論理的な差は全くない。
    (マネの書き込み)

    これを見る限り、よほど理解していない者にとって以外は、単純な同語反復である。
    だけれども原田氏の指摘どおり、「アンケートによれば」おそらくマネ氏のこの「的確さ」が「明らかにされる」であろう。マネは、たいていの場合に「議論の当事者ではない」というコンテクストをもって、発言にある種の諸条件が付与されることについて、意識的なのである。

    油揚げを作る係と、油揚げを奪う係と、油揚げのそばになぜかジューシーなフルーツを添える係がいることは、本ウィキにとって幸運である。前者2名がいなければ演劇にならないし、最後の1名がいなければ漫才にならない。漫才とは最高級の思想的実践である。
    以上雑感。ここでは私は普段は「奪われるための油揚げ」を作ることのないお二人に、存分に争ってもらうことを楽しみたい。
     

  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-11 (木) 16:55:11
    >あなわ
    軽くミスってたので訂正を兼ねた補足。
    共通するのは「防衛規制」のところ。違うのは、他(特に勝者)を不当に高く見積もるか低く見積もるか。
    で、不当に高く見積もる場合ももちろんあるが、低く見積もることによって生まれる名言の方が多い。
    その「原型、源」としての量的な観点からいえば、原田よりもマネのいうことの方がふさわしい。
    なので、マネと共通する原田の「己の涙目を見せまいとする防衛規制」の記述は正しいが、追加部分の「敗者が勝者を讃え『無能な自分』から『狡猾な相手』に視点をずらすことで」は「原型」に対するとして誤り。
    共通部分をもうちょっとわかりやすくいうと、「己の涙目を見せまいとする防衛規制」=「自らの低さを覆い隠そう(とすること)」

    >原田
    とつから保護指定動物認定を受けた(そしてマジレスをギャグでかわしてよいことを暗に約束された)原田にマジレスするのは無限大に不毛な気もするが、そして些細なことだが一応殴っておく。
    大衆が勝者を称える例も長い歴史を振り返ればそれなりにあるだろうが、圧倒的に多いのは、勝者を引きずりおろそうとする言動(道徳、キリスト教を見よ)。
    また、原田が挙げたヒトラーや小泉劇場等においては、「原型」というほどに「低い自分を包み隠すための勝者への過大評価による名言」は観察されない。
    低い自分を隠すためにヒトラーを過大評価するのか。
    低い自分を隠すために小泉劇場についてなにか過大評価するのか。
    低い自分を隠すためにライブドア事件(勝者は検察?金持ちとしての堀江?まぁどちらでも同じだが)を過大評価するのか?
    ↑勝者たる堀江を過大評価するような発言が「原型」を見て取れる程度にあったか?そしてそれは低い自分を隠すためのものなのか?

    それぞれ、「原型」を見て取れる程度(たとえばキリスト教や道徳において名言の「原型」を見て取れる程度)に、過大評価の名言が観察されるか。
    この場合、例として何が不適切なのかというと、「それに纏わる言動に、原型を見て取れる程度には勝者への過大評価としての名言はない」ということを否定できていない点。
    ちょっと蛇足だが、おれが言った「大衆が勝者を称えることが非常に希少なケース」であるというのは、当然「勝者を貶める例に比べて」ということだが、それは原田の言うとおり「非常に希少」というのは言い過ぎだな。訂正。
    まとめると、自己不省のための勝者の過大評価は名言の一つだが、名言の原型といえるほど量的に多くない(そうでない場合に比べて)。

    一応言っておくが、どんなに殴られても華麗に踊ることで「こんな美しい踊り子を殴るなんてひどい!」的な世論を形成しようとも、おしりさんは気にせず殴るよ。
    たとえ世界中の人が君の味方だとしても、僕だけは君の敵だ。それだけは覚えておいてくれ。

    >マネ

    >「みじめな自分」から目をそらすために誰かを高く評価するのは別に大衆的ではないよ。
    >それを言うなら、自分のある能力に誇りを持つことすら「自分の別の能力の低さから目をそらすため」であり、
    >「大衆的慣用句の原型」とか言えてしまう。

    この記述では正しいが、もし誰かを<不当に>高く評価したならば大衆的だし、<不当に>自分の能力に自信を持ったら大衆的。
    そして、原田は<不当に>高く評価することを大衆的であり、原型だといった。
    なので、それに対して上記の<通常通り>高く評価している状態かどうかを持ち出して反論するのは不実だ。

    とは言っても、この段階で原田が「過大評価」に否定しているかどうかについて明確に語っておらず、まぁしょうがない。
    (ちなみに、2007−10−10 (水) 00:35:54も2007−10−10 (水) 00:23:02との更新衝突なのでおしりさんも気にすることはない。
    ただ、2007−10−10 (水) 12:54:38でマネの事後発生的ミスにきづけなかったのは痛い。)

    しかし、マネは「正当な上方向への評価」を初めの書き込みの肯定について、原田の過大評価への否定の情報が明らかになった現時点でも特に訂正していない。
    また、原田は正当な上方向への評価は否定していないし、「自らの弱者性を直視しようとしない」点のみで否定しているわけでもない。その点+不当な過大評価を否定しているだけ。
    そのクソゲーの話が反論でもなくただのおたけびなら、「なかなかいいおたけびだったなぁ。さすがマネさん。」でおわるが、二度目の書き込みの冒頭と「俺がここで指摘するのは」の記述とから原田への反論っぽさを示唆しているし、そしてもしそれが原田への反論なら「君ホントにマネ?ちゃんとメガネかけてる?」ってことになる。
    で、どうよそのへん。

    >とつ

    原田を肯定するニュアンスのことを「とつ」がいうと、「それ、面白いね」的な、あるいは名言的な原田への糞みたいな肯定が生まれる温床になるな、と思ったが、かといって放っておいても手荒な扱いを受けて原田という代えのきかない人材が消えていたんだろうなと思った。もう好きにしたらいいよこのメガネ。
     

  • マネ 2007-10-11 (木) 23:48:13
    >ぷりけつ

    原田の当初の主張は、

    一般的な当ウィキの読者は、
    (1)自分の弱者性から目をそらすために、
    (2)マネを<不当に>高く見積もっている

    という形式だったんだから、(1)が批判の論拠として不十分であることを示せば、原田は(2)を明らかにせざるをえなくなるでしょ?
    俺に対する評価の<不当性>が明らかになればなるほど原田の主張は説得力を増すし、それができなければ「適切な例示ができていない」で終わってしまう。

    「弱者性から目をそらすために(普通の)高評価をすることは大衆的ではない」「弱者性から目をそらすこと自体を批判すべきではない」と俺がことさらに言い立てたのは、原田の逃げ道を確実に断ちにいっただけ。実際これでもうほぼ詰んでるでしょ。

    ※見落としている人向けに一言。
    自らの弱者性から目をそらすために<正当な>低評価を行う場合に、大衆性がどう変化するかも観察しておこう。派遣社員やフリーターを見下したがるショボリーマンは相当に醜いのではないかな?

    まぁ原田はあっさり「マネ=トンビ」を捨てて他の例示とギャグに走ってるし、別に深追いするつもりもなかったからあの程度にまとめておいたのだ。

    「<不当に>高評価をするという大衆的形式もある」という指摘自体には別に異論ないし、もっとおもしろい例を出してくれないかなぁと期待しているところ。これまでの原田の例示は(ぷりけつも突っ込んでいるように)適切とはちょっと言いにくいものがあるからね。
     

  • とつげき東北 2007-10-12 (金) 02:23:03
    >けつお

    マネが逸材であることは誰でも知っているからね。
    いまさらフォローの必要なし。
    特に私や君は、実物と会話して、彼のギャグセンス・対女性会話力・理解力・論点整理力・知識等すべてトンビでないことを実感しているではないか。

    どちらかというと、原田氏の底力を知りたいかな。
    思想史的知識や雑種の知識を入れれば原田氏はかなり上位にいると思うが、「大衆の名言に関する網羅的な考察」という点では、どの程度できるのかが未だに謎だ。
    さらに、その点で「本ウィキ的なやり方で」マネと議論したら、やはりマネが「勝つ」と予想している。

    これは、私が「麻雀研究及びその認知」という点においては他の追随を許さない位置にいるが、東風荘での成績では私よりも高い無名のユーザが何人もいることと対比できるかと(どちらがどちらに対応するかは順不同、つまり得意分野の違いだけの問題)。

    もうちょっと続けてほしいなぁ。
     

  • 原田 2007-10-12 (金) 04:58:48
    この期に及んでまだ俺にprototype(典型)とarchetype(ユングの心理学用語・元型)をまとめて『原型』と表記したなどと説明させるのか。詩的精神はしばしば狂気に誘われ、散文的精神は頻繁に凡庸に堕ちる。ならば俺は前者の方がまだましと考える。『防衛機制』を何度も『防衛規制』と書いてしまう相手を見れば『クソッタレ(bullshit)』と言って立ち去る他ない。その時は最低でも『彼の言論は狂気の沙汰に近い』とか『思想の英雄たらんとして奇を衒ったか』とか『やばくなったらとっととずらかる詐欺師の美学だ』くらいには称してもらわないと仕方がない。
     
  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-12 (金) 12:27:51
    昨日ラーメン屋でタッチを読んだんだけども、あだち充は直接語らずに意味をコマや文脈に負担させる手法が優れているな。

    >マネ

    補足すると、(当初を含め)原田の主張は

    (1)自分の弱者性から目をそらすために、
    (2)勝者を<不当に>高く見積もるのは名言
    (3)このような過大評価は名言の原型

    だよ(当初はこの勝者がマネだったが、マネ=トンビには(「本当はおれだが」のためのフリのような存在だったので)こだわらない)。


    一回目の書き込みは旧(2)を引き出すための(1)叩き(そして微妙に(3)叩き)
    二回目の書き込みは、おたけびでもなく既存の論に対する反論でもなく、(1)に閉じこもろうとすることへの先回り。
    三回目の書き込みで新(2)に同意し、おれのレスに乗っかって(3)叩き。

    特に不満はない。


    >原田
    空気を読まず(読んで)引き続き殴るよ。今原田に期待するのは踊ることではなく(別にそれでもいいが)、中堅キャラのおしりさんないしエリート戦士のマネを殴り、あわよくば殺してからレイプすること。ここから挽回するのはかなり難しそうだが。
    誤字はどんまい。おれの前の書き込みの原田への反論は、原型が典型だろうが元型だろうがかわらない。カードを一枚伏せてターンエンドだ。
     

  • 原田 2007-10-12 (金) 19:20:49
    殴られてる事にすら気付けないフライ(fly)級のパンチドランカーを屍姦する程俺は下品じゃない。マネは風見鶏だからバンタム(bantam)級、俺を舞うと表現するならスーパーフェザー(super feather)級だろう。『原型』を源流とか源泉とか唯一無二の諸悪の根源みたいに解釈してしまったからこそ、マネは俺のコメントを『批判の濫用』と捉えてしまっただけであるし、俺と彼の言ってる事には本来特筆対処すべき差異はない。ただし『原型』をもう少し多義的に解釈してくれていたら少しは彼の書き方も違っていただろう。その意味で繭なる人物は『マネさんが誤読する訳はないし云々』といった具合に、マネを不当に高く評価したと俺は見ている。そしてその分俺を不当に低くも評価したのだろう。だからそれらの不当さは同質、同量だろうと考えられる。これが大衆心理の一つ『知的不誠実』がもたらした『原型』の新しい例示である。この『知的不誠実』が己の弱者性を直視しない事と同値なのかとか、少なからず重なる部分があるって程度じゃないのかとか、全ての人に当て嵌まっちゃうじゃないかとか、そういうちゃちな詰将棋に取り合うつもりはない。いや、最後だけは少し大切だから言っておくと、全て人間に当て嵌まるからこそ大衆心理をずばり言い当てていると言える。『誠実』とは私徳(福沢諭吉)なのだから自分に向けられるべきであり、全ての人が多かれ少なかれ不誠実なのだからそれでいい。(解説)定義「凡庸、大衆、知性」にも書いたが、これはキルケゴール、オルテガ、ヤスパースなどの大衆論と武士道、大和魂を俺なりに解釈して凝縮したものである。ではなぜ武士道(新渡戸稲造や葉隠など)とか大和魂(大鏡など)とか意味不明のものが必要かと言えば、人間の理性には限界があるから、つまり現存在(ハイデガー)は有限だから、伝統の知恵を使わない手はないからである。つまり空間軸(世界観)だけでなく時間軸(歴史観)をも頭に入れる必要がある。これは革新派にも必要である。実は革命(revolution)の『命』は易姓革命を見てわかる通り、天命のことであり、いかに現在の状況に『昔から変わらない何か』を巡り来たらせるかという意味がある。revolutionも女流哲学者のアーレントが、re(再び)volve(巡らせる)という意味があることを指摘している。イギリスで最も尊敬されている思想家エドマンド・バークはそれをprescriptionと呼んだ。pre(予め) scrip(規定する)で訳して処方箋。なんと言っても長い時間の持続があるから、これには逆らえないはずだから、逆らったら大崩壊かも知れないから、長い歴史がある国は温故知新であるべきだという意味である。別に伝統にすがれという話じゃない。伝統の意味や誠実さの意味を知ろうとするだけでいい。だから俺も古臭いことは言わず、世界観と歴史観を頼りに、しかし時にそれらをぶっ壊す程に、斬新なことばかり考えるようにしている。そうやって真理を模索するしかないのである。こんな話は一生終わらない。寧ろ言い足りない。しかしこうやって講釈を延々垂れられたら不快であろう。だから全て端折って湯水の如く溢れ出す圧倒的なまでのmetaphorで仄めかす程度でいいのである。例えば最後に『俺はお前らの歩兵(pawn)じゃない!』と言ってみせよう。
     
  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-12 (金) 22:34:11
    再び殴ります。

    基本おれの主張は前回と同じ。
    そっちみてくれ。


    >もう少し多義的に解釈してくれていたら

    究極的には、議論はかかれたことで一元的にやる。胸の内は原則なし。
    ここでは記述が不当なのか、解釈が不当なのかの問題だが、おれもマネも原田の記述に対して不当な解釈はしていない。しかし原田が記述していない、胸の内にあるいいたかったことはもちろん加味していない。
    それも含めて解釈しろっとことをばんばんやるとやはりクソゲーになる。仮に記述に対して正しく反論しても、記述ではそう見えるかもしれないがそれは君の解釈が不当なだけであり、「真意」はこうなんだ、といった具合にかわせてしまう。
    もし議論として真意をだすなら、明かされる「真意」と記述との間に矛盾をきたしてはいけない。例えば、上でおれがマネにつっこんでそれについてマネが解説したように、どんなにおれが「うわ。超あとづけくせー」とか思っても記述との矛盾をつつけないようにしなくてはいけない。

    それを踏まえた上で見せるべき原型のふたつについての「真意」があればどうぞ。

    戦士的には大して深くない底と、生涯踊り子への鉄の誓いを感じたので、これでまた踊るようなら引き上げます。
     

  • 原田 2007-10-12 (金) 23:33:00
    言葉には言霊として胸の内が宿る。何が一元的だ。三角形の合同証明レベルの口ぶりで言語ゲーム(ヴィトゲンシュタイン)を語るでない。あなたは他の頁で図らずも『素数はわかりやすい』などと言ってしまう。ならばゴールドバッハの予想を論じればいい。せっかく統計のプロが近くにいるのだ。俺からすれば素数とは数の原子でありながら互いにどう分かち難く絡み合っているかがわからない、数理の神秘である。言葉からあなたの感性の腐乱が読み取れる。何度騒ごうとあなたは不死鳥(phoenix)にはなれない。せいぜいあなたは俺を見て鳥肌を立てていればいい
     
  • とつげき東北 2007-10-13 (土) 04:27:46
    >言葉には言霊として胸の内が宿る。

    だけれども言霊を宿らせすぎると、ソーカル事件を引き起こす。
    「宿らせているのだ」「そうだ、何せドゥルーズが言うのだから、きっと宿っているのだ」といった名言的思考を生むであろう。実際に宿ったり宿らなかったりする。それをわれわれは残念なことに「クソゲー」と呼ぶ。

    私は「論考」の(前期の)ヴィトゲンシュタインが好きだ。こもって一人で思想したために引用文献が一切書かれておらず(存在せず)、論文として認められなかったという逸話も無駄にわれわれの心をうつ。
    思うに「思想」あるいは言論の空間は、まるでこのウィキにおける各人の諸関係がその矮小化バージョンであるかのごとく、権威性と名言性とクソゲー性にひどくくるまれていたのではないか。

    確かに三角形の合同を示すのは「幼稚」に見えはする。実際につまらぬ「証明」をして喜ぶ連中もいるだろう。
    だけれども難関高校入試の合同問題を解ける思想家がどの程度いるのか。
    それを見事に解いてみせるのは、思想的な文脈とは別の知ではないのか。
    合同証明問題を前にして、言語ゲームをはじめたり、差延を生じさせる言説を流すのは、果たして「わが上なる星空とわが内なる無道徳心」にかなう行為か。
    「思想」とはまったく独立に発展する自然科学の諸分野の強烈な歴史的成果を見る限り、思想とはまったく「別の知」こそが今、思想の対象にならざるを得ないのではないか。

    麻雀の理論追及は、数学基礎論とか呼ばれるらしい崇高な学問領域に比べて極めてお粗末な遊びだが、それを突き詰めてみようとするような実践こそ、思想家が行ってこなかったことではないのか。
    なぜ「パンツに関する論考、あるいはブリーフの正しいはき方」といった「知的書物」が存在しないのか。カントはどうして純粋パンツ批判、さらには実践あるいは実戦勝負パンツ批判をしなかったのか。なにゆえ、#include "stdio_pantu.h"できなかったのか。真に嘆かわしい。未だにその事態を重視しない思想家は何をやっているのか。

    いかに自然科学が(または思想が)発達しようとも、スーパーマリオの面白さは私たちには自明である。マリオとルイージの両義性だの相互侵犯だの、マリオはマリオであるという「命題」の中に既に現れるマリオの「同一性」に関する不定性だの、ルイージと「類似」との修辞学的隔たりだといった「逆に俗な」議論を語る前に、まずはマリオを遊びたいというのが率直な気持ちである。

    マリオをやることは、それについて思索することよりもとても楽しいというだけではなく、思索によっては決してもたらし得ない爽快なプレイを体感できる。マリオを制する者は、自然科学や思想を制する者とはベクトルが違うが、前者はとりあえず楽しいし、それを思索の対象にしないのは単なる知的怠慢に過ぎない。
    だからこのウィキが存在する。その作法と流儀が存在する。
    われわれがたとえばヴィトゲンシュタイン等を真似る必要は全然なくて、ヴィトゲンシュタイン等がなんと『名言と愚行に関するウィキ』を著述せず、マリオやストリートファイター2や麻雀の攻略法を考察さえしなかったという「驚くべき事態」が問題なのだ。
     

  • 原田 2007-10-13 (土) 13:56:00
    俺はあなたのおっしゃる事には全て同意したい。ソーカル事件は結果的に俺もあなたも小気味よいと感じている。思想家というより、そこらの大学教授レベルの(ポストモダンの)知識人たちが知的不誠実であったのだ。例えばモダニズムの思想家であればカントは少なくとも数学が得意だったし、ヴィトゲンシュタインはヒトラーと同級生だったり(ルイージ)いきなり肉体労働に汗を流したり(コイン)突如戦争に熱意を燃やしたり(ファイヤーマリオ)と、無邪気(innocent)なまでに人生ゲームを楽しんでいた。しかし俺は意味論の話に関わる致命的な場面において、図らずも『究極的には一元的』などという言葉遣いをしてしまう相手に対しては、知的とか廉直(innocent)とか評価する事は断じて出来ないし、その精神の汚濁には引きずり込まれまいとする。しかも彼自身が『マジレスで答えろ』などと叫んでいるのだからどうしようもないのだ。つまり各個人の『真剣』という意味、『究極的』という意味、それらが無限の意味宇宙の中にあるのであってみればこそ、現在意味論・記号論の世界が混沌を極めているのもうなづけるし、かといってポストモダンを容認する気はさらさらないから、だから俺はあらかじめ原型に英訳を2つ載せておいたのであって、それを『記述と真意の違いを示せぇ』だの『定義のすり替えだぁ』だの、それこそ名言的に喧伝されると立場上『見苦しいお方だ』の一言なのである。英単語を用いて物知りめかすのが鼻につくならば『ちょっと知的なルー大柴』くらいに斬ってから昼寝を決め込むべきである。そのくらいの覚悟がなくて本気で大衆に勝てると思っているのか。俺は占い師を送り込んで毒を以って毒を制すとか平成維新だとか諸々考えて大衆を討つ事を考えているのである。棋士がマネならまだよかった。しかし彼は鍵括弧まで付けて『防衛規制』と書いてしまったのに『誤字はどんまい』の一言で無教養を覆い隠そうとする卑怯者である。そんな人間にarchetypeの意味だのprototypeの真意だのを逐一説明して行くという、言わば『rhetoricを追い剥ぐ脱衣麻雀』をこの俺に強いて頂きたくない。俺という真剣師が桂馬の動かし方も知らないような莫迦者と将棋を(俺は飛車角落ちでも素人には負けないが)指す訳にはいかないのである。思想論議に話を戻すと、恐らく彼は『じゃあ結局どうすればいいんだ』とぼやくだろう。言語ゲームは『口だけ野郎選手権』なのかと。そこで圧倒的なまでの、そう、まさにマリオのような凄絶(super)な『経験』が必要となってくる。俺の先程の文章を見て欲しい。『―菠箋(prescription)を参考に△靴しそれにすら囚われるべからず』と書いた。これを矛盾と揶揄しては知的不誠実である。これは葛藤であり、脱却の突破口を見出すための地図が『経験』であり尚且つ鍵(key)なのである。具体的にはバファリンを12錠飲むといい。規定量の6倍である。これが入口(gate)となって全てがキマる。真理に近付きたければまず己をキメる。絶対真理などないと吹聴する輩もいる。ならば『真理を追い求める事自体が真理の絶対証明である』と言いながら俺は孤独に華麗に昇華してみせよう。あなたの親御さんは宗教に染まり、俺の親は天皇を殺れと言った。どちらも『知性の不敬罪』ではないか。漠たる懐疑や幾多の疑惑、えもいわれぬ何かや一種の神秘を感じ取らねば真理は見えぬと考える。こんなおかしなサイトですら異端扱いされる自分には一種の自負心を抱く。しかし俺はあなたと自分の主張が本質的(感性で捉える直観)に同値であると考えていればこそ僅少ながらコメントさせて頂いたのである。『強くなければ優しさに意味はない』という事の真の価値を示してくれた、誠実に表現してみせた、あなたの廉直で潔白で正中な態度に感謝と敬意を表するとともに筆を置く。

 

  • マネ 2007-10-14 (日) 03:53:29
    >ぷりけつ
    最初の原田は明らかに「当ウィキの一般的な読者の」大衆性を指摘してたよ。レベル1デスの痛烈なツッコミを受けて「(自らの弱者性から目をそらすために)過大評価をするのは大衆的である」という一般的な主張に後退した(最初の例示を放棄した)だけ。

    人々のある種の言動が醜いか否か、などという「結論」にわれわれは興味を持たない。妥当だろうがそうでなかろうが、措定された「醜さ」をどれだけおもしろく、分かりやすく、美しく示すことができるか。ここではそうした言論の質こそが問われている。

    しかし原田はこの土俵に上がろうとはしない。そのそぶりを見せるのみである。
    「不思議な踊り」にあけくれる彼が「知的誠実さ」を持ち上げてしまう違和感、豊富な知識を誤用もいとわず叩きつけるように用いる彼独特の手法、ときおり見出される輝ける表現力と大衆の匂い。

    >詩的精神はしばしば狂気に誘われ、散文的精神は頻繁に凡庸に堕ちる。

    >ちなみにマネは鷹ではない。トンビでもない。風見鶏である。ここで問題なのが、飛べない鳥は鳥じゃないという理由から風見鶏が鳥類界でスズメにすらコケにされているという現実である。

    例えば、こうした叙述の冴えは認めざるを得ないものがある。彼が膨大なゴミを撒き散らすのは、美しい表現をしてしまうことに対する恥じらいゆえかと勘ぐってしまうほどだ。
    さすがにこれは深読みとしても、原田のテクストが一貫して目指しているのはわれわれを「幻惑する」ことであり、「正体不明」であり続けることだ、とは言えるだろう。

    ぷりけつがイベント屋的精神を発揮して積極的に絡んでくれたおかげで、原田の姿は結構見えてきたな。ベールをはいだらまたベールだった、みたいな。まぁ元に戻しておくことにしよう。
     

  • Another World 2007-10-15 (月) 12:16:53
    最初の原田氏は明らかに「当ウィキの一般的な読者」が大衆的であることを指摘していたし、その大衆的な者達が「(自らの弱者性から目をそらすために)過大評価をする」であろうことを述べていた。事実、原田氏の推測どおり、この議論の只中でさえ、その現象を垣間見ることができた。もちろん、レベル1デス氏のツッコミを痛烈であるなどと感じてなどにない。最初の書き込みで意を解せない者に伝わるよう、言葉を違えただけであることは容易に理解できる。

    〜〜〜〜〜 鷹と風見鶏 〜〜〜〜〜

    颯爽と大空を舞う鷹は、下にトンビが見えたので一緒に飛ぼうと思い近づいた。しかし、鷹がトンビと思い近づいたものは、よくよく見ると風見鶏であった。でも、ただの風見鶏ではないようだ。他の風見鶏にはついていない翼がついている。その翼を使えば飛べるように思えた鷹は、それを使って飛んでみせよと促す。しかし、風見鶏は応じない。その頑なな態度に「生涯風見鶏」への鉄の誓いを感じとった鷹は、一緒に飛ぶことをあきらめ、その様子を静かに眺めていた鷲が飛び立つのと時を同じくして、飛び去っていった。

    そこには爽やかな風だけが残った。

    置いていかれた風見鶏は、何を思ったのか羽ばたいた。しかし飛んでいない。ただ爽やかな空気をどこかに流しただけである。どうやら風見鶏についていた翼は、周囲の空気を入れ替える機能を備えていたらしい。

    〜〜〜〜〜 原田氏の致命的なミス 〜〜〜〜〜

    原田氏はこの議論において致命的なミスを犯している。
    それはどこか?マネ氏とぷりけつ氏の位置を、ボクシングの階級になぞらえた部分である。
    フライ級、バンタム級、ここまでは良かった。問題はその次だ。
    フェザー級であれば問題はなかった。しかし、原田氏はスーパーフェザー級としてしまった。
    これにより、最後までファイティング何某との関連性を示すことが出来なかったのである。
     

  • 剛史 2007-10-15 (月) 17:14:26
    >ファイティング何某

    ……文言そのものはあまりにも(ギャグとして)陳腐かつ凡庸であるにも関わらず、論点及びその使用法が突飛というかトンビというか。上手くかっさらわれた気分です。思わずPCの前でニヤけてしまい同僚から気持ち悪いといわれてしまったではないですか。

    う、うぐぐ。それ、面白いね

 

  • レベル1デス 2007-10-15 (月) 23:31:04
    >他世界

    その主張方法がナンセンスであることは2005年7月に行われた
    凸対J熱君の議論、『IQ神話はいかにして崩れるか?』で既に述
    べられているから見てみて欲しい。
    http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/giron1.pdf


    君の1個上のマネの書き込みで、今回起こったことの全ては完璧にまとめ
    られており、そして決着も着いている。

    原田の最初の「マネはトンビである。そしてマネを鷹だと思っているやつ
    は馬鹿」という主張は今回、このウィキの君以外の全ての人(凸をも含む)
    を納得させることは出来なかったし(その方法論が極めてずさんであるこ
    とも上で既に述べられている。)、逆にマネの恐るべき論点整理力を際立
    たせる結果になってしまった。

    原田の誤算は、やはりマネの『油揚げさらい力』を甘く見ていたことに尽
    きる。よもや自分の油揚げまで奪われてしまうことになろうとは・・・・

    スカウターぶっこわれてたんかな?

 

  • Another World 2007-10-16 (火) 08:27:57
    >レベル1デス氏
    何か誤解されているようですが、原田氏の主張が通っているとも、否定されているとも思っていません。さらに言えば、あなたが原田氏の主張としてことさらに強調している部分ですが、トンビ呼ばわりされたマネ氏、当のご本人は問題視していないと思います。

    私よりもマネ氏のことを、理解できていないと思われるあなた

    >君の1個上のマネの書き込みで、今回起こったことの全ては完璧にまとめ
    >られており、そして決着も着いている。

    この書き込みも、理解力のないものが「完璧にまとめられており」という表現で誤魔化そうとしているようにしか見えません。また、全てを理解した上で『完璧』であると評しているとも思えません。不当(発言内容を吟味せず)に評価しているバカですという自己紹介ですよね?あなたは奥ゆかしい人だと思います。

    念のため断っておきますが、鷹と風見鶏はジョークで、私はマネ氏の能力を高く評価しています。ただ、マネ氏が何者であろうと、不当に高く評価するものは多いだろうなと。議論にまったくついていけないものにとって、マネ氏の発言内容は楽に理解した気になれる特効薬。疑いもせずにその薬を打つのは気持ちいいことなのでしょう。
    また、私はマネ氏の理解力や正確性よりも、空間支配能力を高く評価しています。議論が終わったタイミングで、毅然とした態度で、こうであったと言い放つことで洗脳効果を増す。上手いと思います。でまあ、これを遂行するには理解力やその他もろもろが必要であると。

    少ない書き込みではありますが、今のところあなたはダメっぽいので、指摘も的外れである可能性が高いと思いますが、指摘だけは的確である可能性もゼロではないでしょう。でも、わざわざ資料を参照する気にもなりませんし、あなたの指摘事項を多くの読者が共有できているとも思えないので、あなたがこちらに指摘事項を書き込まれる方が、多くの読者にとって望ましいことだと思います。

    では、無駄だと思われる努力を存分に行ってください。
     

  • レベル1デス 2007-10-16 (火) 16:48:11
    ふぅ、ブランド力が無いってのは苦労するな。


    上の他世界の書き込みの全ては「私は〜だと思います。」で構成されている(本当におもしろいぐらいに全ての書き込みが)。

    全部で16個の「私は〜だと思います。」で構成されていて、そのうちの12個もに理由、根拠(reason why)がまったく書かれていないことはまあ置いておくとして(本当は駄目だが)、ここではこの16個の「私は〜だと思います」がいかに糞であるかをきちんと理由付けて述べていこうと思う。

    1.原田氏の主張が通っているとも、否定されているとも思っていません。
    通っていないと思っているのなら、他世界の2個前の書き込みの第1段落、特に>事実、原田氏の推測どおり、この議論の只中でさえ、その現象を垣間見ることができた。と他世界が言うことはおかしい。また、否定されていると思っていないのならば、上でさんざんぷりけつとマネが原田のどの部分が駄目なのかをはっきりと示しているので、ぜひともその部分に絞って、理由付けて反論してみてほしい。後術する8からも、2個前までの他世界は、原田の主張が通っていると思っていたことは明白である。

    2.トンビ呼ばわりされたマネ氏、当のご本人は問題視していないと思います。 
    俺はマネがそのことを問題視しているなどとは一言もいっていない。ことさらに強調してなど決して無い。他世界の恐るべき読解力の無さが示されてしまっている。

    3.私よりもマネ氏のことを、理解できていないと思われるあなた
    ここは理由をきちんと言ってくれ。他世界がなぜそう思うのかをまったく示し(せ)ていない。

    4.理解力のないものが「完璧にまとめられており」という表現で誤魔化そうとしているようにしか見えません。
    完璧にまとめられていると俺は言いきっているのだから、誤魔化そうとしていないのは明白。俺の駄目さを指摘したければ、マネの書き込みに1点だけでもいいから駄目な点を見つけて、指摘すればいい。

    5.全てを理解した上で『完璧』であると評しているとも思えません。
    4と同じ。まあ原理的なレベルで『完璧』であると評しているとも思えません。を俺が覆すことはできないけどな。

    6.不当(発言内容を吟味せず)に評価しているバカですという自己紹介ですよね?
    5と同じ。

    7.あなたは奥ゆかしい人だと思います。
    (・∀・)

    8.鷹と風見鶏はジョークで、私はマネ氏の能力を高く評価しています。
    うん、まさにそのジョークの内容と、他世界の1つ目の書き込みの>(もう少し推敲を重ねた方がいいんでないかな)より、マネ氏の能力を高く評価していなかったことが明確にわかる。

    9.マネ氏が何者であろうと、不当に高く評価するものは多いだろうな
    この理由は他世界は10であると言っているね。

    10.マネ氏の発言内容は楽に理解した気になれる特効薬。疑いもせずにその薬を打つのは気持ちいいことなのでしょう。
    8および10より、他世界は自分の都合でマネの能力の高低を無意識にコロコロと変えてしまっていることがうかがえる。

    11.空間支配能力を高く評価しています。
    空間支配能力が高いのはむしろ原田だ!その後の他世界の書き込みが一番最初の原田の主張と同じニュアンスを漂わせている。このことからも1がより信憑性を増す。

    12.上手いと思います。
    この理由として、理解力やその他もろもろがマネにあるからと言っている。その他もろもろがいったいどのようなものであるのかはしっかりと主張してもらいたいが、上手いと思いますというのには同意する。初めて意見があったなw

    13.今のところあなたはダメっぽい
    (・∀・)

    14.指摘も的外れである可能性が高いと思います。指摘だけは的確である可能性もゼロではないでしょう。
    ココ、重要。俺は、自分の主張をきちんと理由付けて他世界の主張方法の駄目さを示した。しかし、他世界はあろうことか面倒くさいという理由で、俺の主張の理由を見ることもしないで、指摘が的外れであるなどと堂々とのたまってしまっている。

    15.あなたの指摘事項を多くの読者が共有できているとも思えない
    あなたの指摘事項を多くの読者が共有できているとも思えないというあなたの思い込みこそ、多くの読者が共有できているとも思えないが、これはまあいい。

    16.あなたがこちらに指摘事項を書き込まれる方が、多くの読者にとって望ましいことだと思います。
    そのようにさせていただきました。


    終。


    他世界の発言の90%以上がゴミでしかなかったことと、俺のブランド力が無かったためにこんな大掃除をする羽目になるとは・・・・
    他世界がまずこれからやるべきことは、俺が張ったリンク先の議論の要点をよく理解し、その上で、今回の原田の主張が何だったのか(ギャグを除く)をよく整理し、そしてその主張のナンセンスさに気がつくことだ。



 

  • 原田 2007-10-16 (火) 18:31:28
    いい加減にしないか莫迦者が。そもそもそんなにこのサイトに詳しい常連がなぜ新しいハンドルネームで書き込むのだ。立場も素性も明かさぬ卑怯者が何をかいわんや。最初の俺のコメントを『マネを鷹だと思ってる奴は馬鹿』の一言でまとめるから変な話になる。それじゃひいては俺がマネを馬鹿にしたみたいではないか。そこを捉え違えるから感情論になる。俺は決してそんな個人批判を望んでいない。大衆の悪を討つために自ら真理に接近し、それを表現ないし体現したいのである。そのための議論は対論であって論争(debate)ではない。勝手に敵味方に分けて白黒つけるでない。そういう振る舞いこそが大衆的なのだ。つまらぬ人間が偉そうに何かをわかった気になってくれるな。俺もあなたも読んでる人もみんな心で泣いてるじゃないか。マネの最後のまとめはいいと思うし、そもそも対論(真理への言及)としては相違ないとお互い何度も言っている。互いがとうの昔に引き際を見極めていたのであるからあなたは黙ってなさい。俺は一番最初に『例えば』と書いているだろう。この凡庸な慣用句を用いる時の大衆心理の働きについて述べたのである。それはつまりこんな小学生でも知ってる紋切り型のありふれた慣用句を用いて誰かを評するという事自体がその原型だという話ではないか。もはや諺ですらない単なる言い回し、それを使う一般大衆の失語症的言語力が悪なのであって、その時の心理なんてどうせ『ことわざを使ってうまくまとめてみたぜぇ』程度のものではないか。己の言語力の欠如(弱者性)を直視していないではないか。マネの論点整理力くらいは認めるからこそ一般人には『能ある鷹』ではなく『風見鶏』くらいに言ってもらいたいのである。その意味で『トンビ』程度では俺も確かに満足はいっていなかった。あなたも俺を理解した気になって『スカウター』などと言っている内はぷりぷりの何とかと同レベルのナンセンスな論客である。そもそも名前だって変ではないか。ここは『FinalFantasy』なのか。こちらは本名まで出してやっているのである。『最後の幻想』を魅せているのはあなたではなく俺である。では真の『爪を隠す能ある鷹』は誰か。実力派俳優の加藤鷹氏である。彼は共演する女優の体を傷つけまいと常に深爪をしているそうである。この慣用句はこのケース以外に何ぴとたりとも用いるべきでないと考える。
     

 

  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-16 (火) 19:57:43
    名言掲示板のほうにあなわ氏のまとめがあるよ愛すべきメガネ達
     
  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-16 (火) 20:00:27
    >最初の原田は明らかに「当ウィキの一般的な読者の」大衆性を指摘してたよ。
    >レベル1デスの痛烈なツッコミを受けて「(自らの弱者性から目をそらすために)
    >過大評価をするのは大衆的である」という一般的な主張に後退した(最初の例示を放棄した)だけ

    ↓や他の場所にも書いて有るとおり↑に対しては同意なんだが、どことなく反論ニュアンスが伝わってくるのはおれがひぐらしないしうみねこやりすぎたから?

    >(1)自分の弱者性から目をそらすために、
    >(2)勝者を<不当に>高く見積もるのは名言(=大衆的)
    >(3)このような過大評価は名言の原型

    >だよ(当初はこの勝者がマネだったが、マネ=トンビには(「本当はおれだが」のためのフリのような存在だったので)こだわらない)。

    「一般的な当ウィキの読者は」はあろうとなかろうと問題ないというか、微妙な文の体裁とかその他諸事情によりカットした。「やだ!あったほうがいい!」というならまぁ追加してもよろしいですけど。
    それとも、原田がマネ=トンビを下げた理由はレベル1デスのツッコミを受けたからなのかギャグだから撤回する気満々だったのか、というおちゃめなところに気をもんでるのか。

    反論ニュアンスがないなら問題なし。
     

  • レベル1デス 2007-10-16 (火) 23:29:16
    ふぅ、なんて精神力を浪費するゲームなんだ。大昔、FinalFantasy5のオメガをレベル1キャラ1人で倒したのを思い出すぜ。1回やり始めたらやめられないけど、終わった後は2度とやりたくないと思ったもんだ。そういった事情があって、俺のレベル1デスという名前は、本名でこそないけれど、俺の全存在をかけたHNであることは原田にはわかってもらいたい。

    さてと、原田の最初のほうの主張をいくつかピックアップした。
    1.俺に言わせればこれは『能ある鷹が爪を隠していた』のではなく、他の連中が『トンビに油揚げをさらわれる』と形容した方が適確である。
    2.俺が言いたいのは『鷹を褒めるならいい、しかしトンビは褒めるな』ということだ。
    3. 別に個人批判ではないので悪しからず。
    4. 今回俺が言ったのは『不当に相手を低く評価する事』もさることながら『不当に相手を高く評価する事』もまた極めて大衆的だということのみ

    まず、3、4が原田の真意であったとしても(俺もそうであると思ったが(後付けとは言わんでくれ))、1と2の書き込みより、どうあがいても「マネは馬鹿だし、マネを鷹だと思ってるやつも馬鹿」っていうニュアンスに解釈され得ることは間違いない。あれが原田以外の名前の書き込みだったらこのウィキは燃え上がっていたかもしれない。で、ここからが重要。これを言われた後、4が、大衆的な後付けであるのか、投稿者の真意であるのかってのは、俺たちはいったいどのように見分ければいいんだ?(第1の質問。)
    普段ここで大衆って言われているような人たちも、「いや、あれはこういう意味だったんだよ。」みたいな後付けよくやるじゃん?
    そしてこの段階でこれには触れなかったのは、俺には4が原田の真意であると思ったからであり、だからこそ一番最初のあの質問をしたわけだ。
    相手がトンビなのか鷹なのかを具体的にどのように見極めればいいんでしょうか?(第2の質問)
    このウィキに常駐しているような人なら原田が底知れぬ得体の知れないパワーを持っていることは全員が知っている。が、しかし、時折というか、今回に限っては、原田なのか大衆なのか区別がつかないということが多々あったことで、「スカウターぶっこわれてたんかな」と思ったわけだ。

    補足
    原田が上で指摘している、>最初の俺のコメントを『マネを鷹だと思ってる奴は馬鹿』の一言でまとめるから変な話になる。
    という文の『マネを鷹だと思ってる奴は馬鹿』という文脈はもちろん、『不当に相手を低く評価する事』もさることながら『不当に相手を高く評価する事』もまた極めて大衆的。という原田の4の主張を略したものだが、原田は俺の真意を読み取ってはくれなかった。誠実なはずのあの原田が・・・・
     

  • 原田 2007-10-17 (水) 00:46:48
    はっきり申して全然違う。逃げる訳でも何でもなく、言いたい事は山ほどあるが、ぷりぷりの何とかやあなたみたいな卑怯者が口を挟まなければこんな事態にはなっていなかった事だけは明々白々である。俺もマネもお互い言いたい事が少々あっても口をつぐむくらいの節度はある。俺はあなたみたいな人間と詰将棋をするくらいなら消える。そもそもここ数ヶ月の書き込みはとつげき東北氏への俺なりの『鶴の恩返し』であって、俺はここの大衆性にはとっくの昔に嫌気がさしてる。俺の崇高な理念や高邁な思想はあなたには理解出来ない。立つ鳥跡を濁さず。
     
  • 剛史 2007-10-17 (水) 02:35:37
    原田さんにはフォロワーが存在しません。追随が出来ないからです。

    原田さんの事を「踊り子」だと評する方々は幾人かいらっしゃいます。では踊り子と評すその相対、すなわちそれを評する方々は一体何者なのでしょうか。ぷりぷりさんが言うように戦士なのでしょうか。ならば戦士たちは原田さんという一流の踊り子を見て心を和ましていたのでしょうか。そうならば何故、稀有なはずの踊り子を戦場に引き込み、どつき倒したのでしょうか。そうでないならば何をもって、踊り子などと呼んでいたのでしょうか。

    決して触れる事無い距離で、和んでりゃ良かったんだ。

    とつげき東北さんは彼の演舞を見たく、原田さんはマネさんと舞踏してみたかった。しかし、踊り子が踊りの中での闘争のポーズをとった途端、粋がっちゃったと勘違い、これ幸いにと興味本位で戦場に引き込んだバカが招いた結果がこれ。

    あぁ、私は原田さんという最高の踊り子を見つつ、不細工な裸踊りをしてみたかった。追いつくことなど決して出来ないフォロワーに成ってみたかった。

    >俺はここの大衆性にはとっくの昔に嫌気がさしてる。俺の崇高な理念や高邁な思想はあなたには理解出来ない。立つ鳥跡を濁さず。

    いじめられっ子が復讐する最良の手立ては自殺することでしょう。それを踏まえた上で、上記をこのwikiの連中が吐いたならば、鼻で哂うしか出来ません。が、原田さんが言うならば、鼻を劈き涙を誘う。

    このwikiにおけるイグノーベル賞を彼に、しかしそっとノーベル賞を添えていたのはとつげき東北さんとマネさんとその他権威や権利を持たぬ私の様なフリークだけだった事があまりにも悔やまれる。

    裸踊りしか出来ぬ原田信者より。

 

  • Another World 2007-10-17 (水) 08:11:59
    挑発的な書き込みをしたので、何かしらの反応はあると予想していましたが、少々予想外の流れになってますね。

    2007−10−16 (火) 16:48:11 のレベル1デス氏の書き込み(リンク先の議論を読み取るのも同じ)については、物量攻撃であると判断したので、まともに向き合う気はありませんが、記しておいた方が良いと思われる事を記しておきます。

    ぷりけつ氏は、不当に過大評価するケースが原型と言えるか否かを問題にしていました。マネ氏は、原田氏の主張に概ね同意しているが、「自らの弱者性を直視しようとしない」という批判材料は、メインウェポンとして利用すべきではないと指摘していました。まあ、論拠を潰すという意図もあったようですが。
    このように見えていたことと、鷹やトンビ、ウィキの一般読者について、さほど触れられていないことから、軽視あるいは無視していると判断しました(マネ氏は、最終的に繋げる意図もあったかもしれませんが、やはり、そこにさほど興味はないでしょう)。そのように判断していたので、レベル1デス氏が「マネはトンビである。そしてマネを鷹だと思っているやつは馬鹿」と記したのは、この部分こそが氏にとって、最も強調したい(気にしていた)部分であり、論じたい部分なのだろうと読み取りました。そのように読み取ったため氏は、マネ氏が鷹やトンビの部分を否定するために書き込んでいると誤読されていると考え、私よりもマネ氏の意図を理解できていないと判断し、私よりマネ氏のことを理解できていないと思われる。と記した次第です。

    このように一つの判断結果にも、n階層の理由と判断結果がついて回り、それらを事あるごとに記す必要などないと思いますし、私は適当に出来ていると思っています。もっとも常に適当であるなどとは思っていないので、理由の説明を求められれば、その時の気分によって応じますが、今のところレベル1デス氏が列挙されたもの全てに理由を添える気はありません。面倒だからです。私が作業を放棄したのは、反論できないためであると捉えていただいても一向に構いません。

    思うところがあったので、挑発的な書き込みを控えることにしました。先に挑発的な書き込みをしたのは私なので、私を挑発・罵倒する行為や、印象攻撃は続けていただいて構いません。
     

  • レベル1デス 2007-10-17 (水) 10:17:08
    言霊を宿らせまくった挙句に「あなたには理解できない」で終わる糞ゲー性は既に上で指摘されているからいい。

    そして、さっきの俺の書き込みが、既にぷりけつによって指摘されていたものをなぞっただけのもので、それに対して、既に原田が原田式の答えを用意していたことを俺が見落としていたという重大な過失は認め、謝罪するとともに、そのうえで、俺にまだ幾許かの可能性が残されていると原田が思うならば、以下の質問に答えていただきたい。

    >各個人の『真剣』という意味、『究極的』という意味、それらが無限の意味宇宙の中にあるのであってみればこそ、現在意味論・記号論の世界が混沌を極めているのもうなづける。
    ここまではいい。だからこそ原田は踊り狂っているのだろう。

    >思想論議に話を戻すと、恐らく彼は『じゃあ結局どうすればいいんだ』とぼやくだろう。

    そりゃあぼやくさ。で、これに対する原田の回答は、
    >そこで圧倒的なまでの、そう、まさにマリオのような凄絶(super)な『経験』が必要となってくる。
    である。この言葉にどれほどの言霊が宿っているのかは俺には知る由も無いが、これがまったく理解できない。思想議論などネタボケ選手権にならざるをえないということであろうか?

    今のところ、俺は原田の主張には糞ゲー性を強く感じ取っている。
    が、しかし、ここの部分を多少なりとも理解できたならば、見方はまた変わってくるだろうとも思っている。

    先ほども言ったが、もし、面倒でなければ、馬鹿には何を言っても無駄という今回俺が抱かせることになった思いをこらえてくれたならば、ここの部分の深い解説をぜひお願いしたい。

 

  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-17 (水) 12:06:35
    >剛史

    ■原田の崇高な理念と高邁な思想の確認 

    原田の2007−10−17 (水) 00:46:48 の書き込みは、
    氏も言ったような「バカが招いた結果」、「こんな事態」といったような原田的視点−あくまで役割としての視点−で不都合であることをまるで全体にとって不都合であるかのように扱い、
    とつの鶴の一声による「マネ」とのキャラ的な立ち位置としての同格性しか示せていない(論理性におけるそれは示せていない)にもかかわらずまるで自分とマネが「同等」かのように振る舞い、
    (もうちょっというと、おれの意見=マネの意見(上記(1)旧(2)新(2)(3)において)にもかかわらず、マネ意見≒原田意見、おれ意見≠原田意見としてマネの権威性にすがって攻撃し)
    議論を放棄した上で引退という香ばしさ溢れる言動で揺さぶりかけ、
    しかしながら、華麗な踊り子を「空気を読んで(読まないで)」といって戦場に連れ出した無粋なおれやレベル1デスを持ち前の誠意でもって「卑怯者」と最大級の賞賛を送ることを忘れず、
    さらに、原田が素でやらかしたらしきミス(もちろん本当はわざとだが)を踊り消し、信者どもにそれを「美しい踊りの一部」とか「ネタ」として処理させて「見なかったことに」させることで原田への「過大評価」というボケを誘発するための「フリ」を残すこともする、
    という原田特有の超絶高等ギャグである。明らかに。

    言葉にせずとも「真意」を汲み取る誠実な原田は、胸の内でおれが「踊り子としての原田を評価している」からこそ絡みついたという事情を汲み取った。
    そして、その無粋さについては水に流して普段とは異質なステージを築いたことへの感謝の念を忘れない寛大さと忠義を持っている。
    つまり、おれが戦場に連れ込んだと思っていたのは完全に錯覚であり、原田の「素らしきミスを踊り消す」という新しい踊りのための「特設ステージ」を作ったにすぎないということ。


    さすが原田である。
    この卑しいおしりごときが、いや、むしろ理解自体が到底及ぶべくもない唯一無二の存在である。

    ■さて、前置きが長くなったが本題。

    真の原田信者ならば以上の事柄は当然共有できているとおもうが、以下及びその他の記述事項に疑問がある。

    >ならば戦士たちは原田さんという一流の踊り子を見て心を和ましていたのでしょうか。
    >そうならば何故、稀有なはずの踊り子を戦場に引き込み、どつき倒したのでしょうか。
    >そうでないならば何をもって、踊り子などと呼んでいたのでしょうか。
    >決して触れる事無い距離で、和んでりゃ良かったんだ。

    原田の真意(特別なステージを築いたことに対するおれへの感謝の意)とおれの真意を解せずに、上記のように「変なところにつれこむな」等と摩訶不思議アドベンチャーなことをおっしゃる自称信者のあなたに、以下に記す質問に答えて頂きたい。

    踊り子である原田が戦士的に振る舞う(そして少々振る舞って舞って頂いた)姿をとつおよびマネは期待していなかったし、みたいとも思っていなかったのだろうか。

    YESかNOの二者択一で答えよカス。
     

  • とつげき東北 2007-10-18 (木) 00:19:50
    原田氏がいなくなる程度でしんみりするな。
    今まで褒めるどころか軽蔑さえしていたくせに、この段階に来て妙に持ち上げたりするのもやめろ。
    そういう人は「とつやマネが」原田氏を正面から相手にしたからこそ、ようやく遅ればせながら原田氏のよさに薄く気づいただけなのであって、原田氏を追悼する権利を持たない。失って初めて気づくな、ハゲが。
    われわれが大いに語ってきた「大衆」の鬱陶しい脆弱性そのものだろうが。
    そここそが、原田氏によって「(このウィキの)大衆性」として指摘されている部分の一つだろうが。
    あまり仲のよくなかったクラスメイトの転校ごときに、何をいまさら涙しているのか。ショックのあまり、君たちのそれほど華麗とも言いがたいスーパーマリオの楽しさを忘れたか。立つ鳥に陵辱されて、みっともないと思わないのか。
    原田氏の消失など無視して続けろ。それがこのウィキのやり方だろが。
     
  • レベル1デス 2007-10-18 (木) 11:21:40
    >とつげき東北

    原田は、通常のサッカーとは、いや、「サッカー」とは〜〜であると次のように述べている。>『―菠箋(prescription)を参考に△靴しそれにすら囚われるべからず』これは葛藤であり、脱却の突破口を見出すための地図が『経験

    今回、原田はいつものように少林寺サッカーをたんたんとこなしていたわけで、だが、同時に通常のサッカーにおけるハンドを犯してもいた。少林寺サッカーは確かに観客から見たらおもしろい。いや相手チームや審判からみてもおもしろいだろう。そして審判が、「さっきのは通常のルールにおいてはファールだよ。」>「本ウィキ的なやり方で」マネと議論したら、やはりマネが「勝つ」と予想している。と、判定を下した後で、俺が「さっきのファールだ!ファールだ!」と喚きちらしたことの醜さは上で認め、とりあえず謝っている。

    だが、「俺は通常の(特にレベルの低い)サッカーなどはとっくに飽きている。少林寺サッカー以外は糞だ(新しいことをやれ)!」と、通常のサッカーにおいて、仮にも、反則を犯してしまう原田が少林寺サッカーを強要してくる様子に俺が違和感を覚えるのは、俺が通常のサッカーのルール(視点)に拘りすぎているからだろうか(そうであるならばその基準は?)?もしくは、上で原田が解説している「サッカー」の意味を俺が理解していないからだろうか(本当にわからん、誰かわかる人っているの?)?

    最後に、原田の「少林寺サッカー辞めます」は亀田大穀級の反則行為だ!PDの俺はそんなん言われたらただ謝ることしか出来ないじゃないか(´д`)実際、観客から苦情の手紙が10000通くらい来たしな。


     

  • Another World 2007-10-18 (木) 12:16:20
    本体にはスーマリが差し込まれていた。
    差し込まれたスーマリを電源を切らずにひっこ抜き、テニスを差し込む者がいた。
    差し込まれたテニスを電源を切らずに引っこ抜き、またスーマリを差し込む者がいた。
    すると変なスーマリが起動した。これは面白い。

    この事から我々が学び取らなければいけないことは、本体やカセットを壊さない程度に無茶すると、長くいろいろ楽しめるということである。
     

  • 名無し 2007-10-18 (木) 20:05:58
    やっぱりただ文を長く書けるだけの大衆ばかりだったな。
     
  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-19 (金) 00:12:15
    おれのために年金を払ってくれる後世のために残しておくか。
    一応、名言板のNo.1040〜No.1054あたりにあなわ、マネ、とつ、おしりさんのまとめ的なものがありますので参考にどうぞ。
    あとこないだ子犬がうまれました。
     
  • とつげき東北 2007-10-19 (金) 00:46:24
    >Another
    Another氏はほれ、掲示板で「要約」をしていたでしょ。
    文章ないし思想を「要約できる」という前提自体が、ちょっと原田氏のあり方と違うんだよ。

    コトバにした時点で、あらゆる過剰さが失われるのであって、コトバを尽くしコトバで遊ぶことによって言語の限界というものが垣間見える、と少なくとも信じているのが原田氏。
    このウィキは間逆で、単純化して簡単にして、そこでの論点を争う。

    原田氏の動きを「不思議な踊り」と名づける人もいるが、必ずしもそうじゃない。それは一つのアプローチの仕方。不思議でも何でもないだろ。
    スーマリでたとえるのも飽きてきたが、最高得点とか最短クリアを目指すか、それともスーマリにおけるマリオの動きの機微を解釈しまくるかの違いだな。
    いずれか片方の立場からのみでは、スーマリの全て理解できないかもしれない。最高得点や最短クリアを目指すのは普通の人にとって困難だから、普通の人はしばしば「プレイ自体が楽しい」と自分に言い聞かせて奇妙なプレイをする。時々穴に落ちてそのダサさを隠すためにあとづけで笑いに持っていったりもする。

    原田氏は早くから、かなりうまくスーマリの別様の楽しみ方を提供していた。
    だから何度か私が強調したのが、「原田氏は、このウィキのあり方と、一般的な名言の世界のあり方の間に入った」旨だったのだ。最高得点を目指すのでもなく、最高得点を取れないからと投げ出すこともなく、ずっとドカンの前でしゃがんだり、スターが1ブロックの隙間に入り込んでモゾモゾ動く様子を提示したりしてみせてた。面白かっただろ。本ウィキの定義における「大衆」の逆を行ってたろ。だからといって原田氏に最速クリアをやらせるのは無粋、そういう観点では「マネが勝つ」と私は予想した。逆にマネが認めたとおり、原田氏のような華麗な無駄なマリオの動きはマネにも困難だろうし。

    それくらいはもちろんマネやけつおもわかっていたし、だからあるいはあえて「こっちの世界に引っ張ってみよう」とやってみたのでしょ。結果は残念だったし、このような事態の展開をこのウィキにとって「明日につながる」ものと考えるような浅はかな真似をしたくはないが、原田氏がマネにからんだ(それはある意味で私へのからみをも意味するのだが)ことは楽しかったし、マネが微妙に揺れたのもおもろかった。
     

  • とつげき東北 2007-10-19 (金) 01:04:03
    付け加える。
    それに対して「マネさん、さすが」「原田氏、立派だった」という白黒つけるやり方、またもっと言えば、私がわざわざそこを大衆に対して「要約して解説」してしまうという、このウィキ(及び私の運営方法の)の言いようもない俗さ。
    それが原田氏にとっての「うんざり」を生み出している。
     
  • 剛史 2007-10-19 (金) 01:55:26
    >ぷりっぷりのおしりさん

    俺はカスじゃねぇよクソ袋。同郷のくせに。いや、失礼。さすがは中堅ぷりっぷりのおしりさんですね。ネタニマジレスカコワルイにマジレス(後でネタにするには当人が恥ずかしすぎるレベル)した私にマジレス(後でいくらでも当人がネタにできる《あなたの言う外野ではない場所で、もっと言うなら【名言掲示板】で》)、痛烈ながらも懇切な説明、非常によく分かりました。二者択一で答えます。イェン。

    私はこのwikiをお気に入りに登録して、はや半年が経つのですが、実際に書き込めたのは「やらずに後悔するよりはやって後悔する方が良い」「オナニー」「何も悪いことしてないのに」「器が小さい」「決めつけ」。そしてこのトピック。最初から原田さんを賛美し続けています。少なくとも私はとつげき東北さんが仰るように、「誉めるどころか軽蔑」など一切してません。ただ、わたしはあなた(ぷりっぷりのおしり)のおっしゃる外野のうえに、上っ面だけなぞっただけの、ど腐れ大衆真っ只中なのは今後あなたに論破されるまでもなく、実感しています。それが証左に、原田さんは俺みたいな犬畜生に一切の返信など最後まで致しませんでした。私はそこが悔しいのです。私には追悼する権利がない。その通りだ。私は自称信者の犬畜生であることは重々承知なのです。

    そして吐露した。上記コメントを私が書いた時、私はカオチャーさんの様にボッコボコにされた上、つるし上げられるのが怖くてmixi内でのこのwikiのコミュを脱退した。ダサさも弱さもバカ臭も全開である。ということで、これからも私は一心不乱に裸で腹踊りを勤しむことにします。

    以上、よろしくお願いいたします。

    追申 最終的にはオフ会に参加したいです。
     

  • ぷりっぷりのおしり 2007-10-19 (金) 08:40:36
    >マネ
    あ。みなかったことにしておく。
     
  • ロン 2007-10-24 (水) 00:11:43
    能のある鷹達は爪を隠すことなくギロンして
    皆どこかへ飛んでいってしまった
     
  • 2007-10-25 (木) 00:56:54
    大切な鷹が一部欠けて 遺された大衆は盛大に弔うだろう 
    名言と愚行が奏でる旋律で 原田は高く穏やかに運ばれていく
     
  • えこ 2007-11-23 (金) 07:24:25
    原田さんの「やばがる」話、おもしろかったです。かなり。
    確かにそういうこともありますね。
    でも、小泉劇場もそうだったとは・・・

    ところで、私のまわりにもいるんですが、あまり綺麗じゃない人のことを、やたらと「綺麗」と持ち上げる女の人っていますよね?
    同じ「やばがる」でも「敗者が勝者を讃える」のではなく、いわば「敗者が敗者を讃える」みたいな。
    あれはやっぱり「あの人は綺麗」→「あの人と同程度の私も綺麗」なんですかね?
    「はぁ?何言ってるの」と思いますが。
     

  • '''' 2007-11-24 (土) 13:42:13
    褒め褒めコミュニケーションなんて呼ばれてるみたいです、はてな界隈では。
    女性の標準的コミュニケーション法であって「やばがる」とは意味合いが異なるようです。

    「はぁ?何言ってるの」という顔をしたら負けです。
    当然文脈にも依りますが、ここではその発話者を軽く褒めるだけにするのが無難な対応と思われます。「たしかにあの人綺麗だよね」という同意はまず求められていません。発話者の女性としての自尊心を満たすことが出来る返答だけが求められているのです。
     

  • えこ 2007-11-29 (木) 13:46:28
    ■しずちゃんかわいい

    この言葉を発する女性たちは、何も

    「しずちゃんかわいい」→「しずちゃんよりかわいい私はすごくかわいい」

    と言いたいわけではないので注意しよう。
    このような発話は、本来「かわいい」と評価されるべき正当な権利を有する者から、
    不当にその権利をはく奪することを目的としている。

    「しずちゃんかわいい!(かわいいのはしずちゃんであって上戸彩ではない)」
    「かわいい!(もちろん沢尻エリカでもない)」
    「かわいい!(ましてやえこなどでは断じてない)」
    「かわいい!(少なくとも私はそう見ているし、したがって、世間一般に「かわいい」と評価されているような女性たちに対する嫉妬や劣等感などとは無縁である)」

    といったところ。

    間接的に本来高く評価されるべき者に、不当な低評価を与えているのである。
    道徳は、他者を低く評価することは、どのような人物に対してであれ、禁ずるが、高く評価することは批判しない。
    そのため、なんとかして美女を貶めたい、平均的な容姿しか持たない女性たちは、このような方法をとるのである。
    隠れた名言(名言的発話)であるといえよう。
     

  • 2008-01-24 (木) 13:22:23
    「い」がハンターハンター好きって事だけはわかったよ
     
  • ・・ 2008-06-24 (火) 23:05:58
     自分は原田が不当な評価を受けている様にしか思えないので、
    何か言っておく。

     原田
    >これは敗者が勝者を讃え『無能な自分』から『狡猾な相手』に視点をずらすことで、
    己の涙目を見せまいとする防衛機制に由来した大衆的慣用句の原型(prototype,archetype)なのである。
    >簡単に言うとすぐに『やばがる』ことである。『あいつの化学の偏差値はやばい』とか『コアラの握力はマジでやばい』など。
    前者は自分が負けてるだけ、後者は騒ぎたいだけではないのか。
    そこに誠実に学問に取り組み、誠実にコアラと対峙する自分がいるのか。
    >(今一度、意図を伝えることを試みよう)過大評価も過小評価も大衆的である。
    誠実であるべき(ありのままうけとめる姿勢が必要。歪めてはいけない。)

     要するに相手(or自分)が結果に対する原因(勝因/敗因)を棚上げせず(理解不能のまま放り投げず)、主観に依らず分析できるか否か、
    そして、その分析結果を基礎にして予測能力を持つ(学問的)構造を形成できる(する気があるか)どうか、を大衆か否かの基準(原型)にするべき、という主張だろう。

     マネ
    >ところで、「みじめな自分」から目をそらすために誰かを高く評価するのは別に大衆的ではないよ。
    それを言うなら、自分のある能力に誇りを持つことすら「自分の別の能力の低さから目をそらすため」であり、「大衆的慣用句の原型」とか言えてしまう。
    自らの低さを覆い隠そうとして誰か(何か)を「不当に低く見積もること」こそがあの悪臭の源であり、「大衆的慣用句の原型」であると言うべき。
    まぁ普通に考えて、自分が負けたときに相手を褒める行為にすら大衆の匂いを感じ取るのはやりすぎだってw

     相手(or自分)が結果に対する原因(勝因/敗因)を棚上げしたか否かにかかわらず、主観を押し付けてきた時のみ大衆とする、という基準と思われる(悪意あり、という条件付?)。
    ちなみに原田の基準は分析能力/構造形成能力であるため、
    「自分の能力に誇りを持つ」=「大衆的慣用句の原型」
    とは言えない。
    つまり、自分の能力を分析する(使用法をパターン化する)ことで、
    誇りを持っている(自信を深めている)者もいるため、反論になっていない。
    しかし、分析能力はあるが、構造形成能力が見られない人間も「大衆」に分類されてしまうため、原田の基準に抵抗があるように見える。
    (米;個人的には原田基準は「大衆(蔑称)」ではなく、「一般人」かどうかの基準にした方がしっくりくる。
    その上で、分析能力が高い人間は「秀才」に、構造形成能力も備えている者は「天才」に分類した方が良い気がする。
    なぜなら、この定義であれば、「秀才」も「天才」の仕事を理解し、評価できるから。
    また、マネの主張している

    >注意すべきは「自らの弱者性を直視しようとしない」という批判の濫用について。濫用することを認めてしまえばクソゲーになってしまう。誰にでも使えて強力すぎるから。
    だから俺は、この強力すぎる批判をメインにすべきでないと指摘している。
    そういった態度をこの議論以前からとり続けてきている。

    という反論も的外れとして扱える。
    つまり、自分の主張は「批判を濫用」するためにあるのではなく、分析/構造形成するためにある、と。
    恐らく、ニュアンス的には原田も同様の主張をしたかったと推測される)
     また、原田はマネの分析能力は前提として評価している(但し、構造形成能力は疑問である)様なので、
    「トンビ(空は飛べるが鷹ではない)」と表現しているようだが、
    反論する者は、「分析能力」=「このwikiでのトンビ」と原田が主張している、に摩り替えて批判している。
    (原田自身は構造形成能力に主眼をおいていたと思われるが、
    そのことが裏目に出て他者に「マネが大した事無い」と印象付けてしまった様だ)
    マネ自身も構造形成能力については

    >確かに俺は当たり前のことしか言ってないね。目新しいことを言って自分から議論を巻き起こし、
    華麗に舞うようなことはしたことがない。
    かつてMが「風見鶏」と俺を評したが、言いえて妙だろう。

    といって、認めているため、原田の主張は筋が通っている。
    また、当議論においてマネが全く原田の主張を理解(分析)できていない事から、

    >マネはトンビではない風見鶏である。風見鶏は飛べない。

    飛ぶこと(分析)すらできない、という意味で「風見鶏」に格下げしたようだ。

     私個人は「自分の感性(分析)を信じる」ということを最優先の前提とし、
    その前提が無ければ(道具が信じられなければ)、構造を組み立てることはできないと信じているので、原田基準にシンパシィを感じます。
    換言すると、構造形成自体が信頼性の高い物を道具として、
    信頼性の低い物を高い物に変化させること(例として、公理と定理)であるため、
    そのような動的な変化を自分の力で起こす意志(己を鷹と称する根拠)が原田からは感じられる、ということです。

     補足;自分が定義した「天才」の意味は、「一般人」が日常的に用いる「天才」の意味とは異なる、ということに触れておく。
    私の主張は、「一般人」は「天才」を認識できない、だが、
    これは「一般人」が分析/構造形成自体に疎いため、
    歴史の教科書・IQテスト・その他信頼できる人/グループの認める「天才」をそのまま基準(前提)として採用する(天才が作り上げた構造体の内容は無視する)しかない、という事情に基づく。
    最後に、この「一般人」、「秀才」、「天才」という分類は
    相手・自分を無闇に批判(or賞賛)する為にあるのではなく、
    分析/構造形成を明確に意識するためにある、と断っておく。
     

  • はいはい 2008-07-26 (土) 03:46:12
    原田氏は俺も好きだ。もう居ないけど。
     
  • はいはい 2008-09-18 (木) 04:05:04
    つーか原田氏だけを愛していた。
     
  • 2008-09-27 (土) 19:52:17
    お前の二連コメントなど聞きたくは無い。
     
  • 本田宗一郎曰く 2008-10-07 (火) 00:19:59
    能ある鷹は、爪を出せ。
     
  • 2009-08-15 (土) 03:20:01
    めんどくさいので嫌ですと鷹は言いました。
     
  • リス 2011-03-19 (土) 11:27:53
    >>マネ
    >※見落としている人向けに一言。
    >自らの弱者性から目をそらすために<正当な>低評価を行う場合に、大衆性がどう変化するかも観察しておこう。派遣社員やフリーターを見下したがるショボリーマンは相当に醜いのではないかな?

    自らの弱者性から目をそらすために<正当な>低評価を行うことが愚考だとは思いません。
    偏差値40の人が偏差値30の人に対して<正当な>低評価を行うことは愚考ではないと思います。
    したがって、ショボリーマンが派遣社員やフリーターに対して<正当な>低評価を行うことは、愚考ではありません。

    それとも自らの弱者性から目をそらすためであれば、<正当な>低評価を行っていても愚考と言えるのでしょうか。

    ※しかしながら、マネ氏は本ウィキの多くの発言者の中で、突出した無謬率を誇っているらしいので、私が誤読しているのか上記行為が愚考である可能性も高いと思っています。
     

  • 777777 2011-03-19 (土) 15:58:21
    >自らの弱者性から目をそらすために<正当な>低評価を行うことが愚考だとは思いません。

     何故?
     100歩譲って愚行には当たらないとしても、「知的な行為」とは到底言えないと思うが・・・。

     上の文章ではそれ(名言愚行に相当しない理由)について一切触れていない。
    「偏差値40〜」の文章は本件事例へのあてはめであり、
    「したがって〜」の文章は本件事例の結論であり、
    「それとも〜」の文章は新たな問題提起である。

     是非、この点について氏の説明をお伺いしたい。
     

  • リス 2011-03-20 (日) 08:50:34
    >777777 
    名言的なものとは、その正しさや妥当性が、そうでないものに対して劣っている、ないし優れていることが合理的に推測できないにもかかわらず、何らかの事情によってそれと意識されることなく繰り返される言葉や行動等
    である。

    <正当な>低評価を行うことは、正しさや妥当性が合理的に推測された状態で行われている行為であると思う。
    したがって名言的なもの(=愚考)ではない。


    777777氏は、何故「100歩譲って愚行には当たらない」と評価したのか説明をしていただきたい。
     

  • '''' 2011-03-20 (日) 09:54:39
    >リス

    多分、「評価」自体の正当性と「自らの弱者性から目を逸らすために他者に低い評価をする行為」の名言性とがごっちゃになっている。
    「自らの弱者性」、リス氏の例では「偏差値が40である」ことだが、これを消去するためのこのwiki的に「知的」な手段は、「偏差値を70にする」とかだろう。一方で、「偏差値が30であるバカもいる」と指摘することで相対的な自らの地位向上を図る手段は「凡庸」(強度への意思の薄弱、が該当すると思われる)であり「大衆的」であろう。これは「偏差値が30である人間」の「偏差値が30」であることが正しいとしてもいうことができる。
    「偏差値を70にする」より「相対的な地位向上を図る」方が簡単であり労力的には優れた手段であるかもしれないが、それゆえにこそこの手段の採用者は「醜い」といわれるのではないか。
    「愚行に当たらない」可能性があるのは、「偏差値」という評価基準自体が評価基準として有効に機能しない場合もあろうから(サッカーに打ち込んでいて国語のテストに興味がない、など)。その場合は「偏差値30であるバカ」の指摘程度で終わらせても「愚行」とまでは言い切れまい。ただ、「知的な行為」には当たらないと思われる。
     

  • ここまで読んだよ 2011-03-20 (日) 17:37:30
    偏差値70をどの項目において語っているのか?

    偏差値70を学力の面から言うなら、元ボクサー具志堅は遥かに及ばない
    だが、偏差値70(仮)をボクシングの面から言うなら、凸はおろかIQ200の人間ですら具志堅には遠く及ばない。せいぜいガッツ石松が競り合えるかどうかだ

    クイズ番組(≒IQ)ではバカのレッテルを貼られやすい具志堅だが、果たして「偏差値30(仮)であるバカ」と簡単に片付けてよいか?ガッツ石松はどうか?

    何を以っての偏差値?
    リスもそれに対峙した42と狐もそのことには全く触れていない
    >100歩譲って愚行には当たらない
    ><正当な>低評価を行うことは、正しさや妥当性が合理的に推測された状態で行われている行為
    >ごっちゃになっている
    (笑

    ヒトシンカは掲題の説明で
    >爪を隠さない能ある鷹に対する小鳥の反発心がこのことわざを生み出したのだ。
    とちゃんと語っているのに、それすらも見落とすとはねぇ
    いくらこのスレの存在するこのページが「理論武装至上主義」であっても、見捨てていい項目といけない項目くらいは把握しようや
    理論武装偏差値70(仮)の凸には遠く及ばない理論武装的偏差値30〜50程度(仮)の俺らでも(笑
     

  • リス 2011-03-20 (日) 17:38:40
    >'''' 
    ご指摘いただき、ありがとうございます。

    「偏差値が40である」ことに対して、
    1.「偏差値を70にする」こと
    2.「偏差値が30であるバカもいる」と指摘すること
    を比べると、2の行為を行う人は「非知的」な行為だと思います。

    そして、「非知的」な行為は愚考であると評価できるということを、認識していませんでした。(名言的なものの定義しか考慮してなかったです。)
     

  • 67 2015-02-28 (土) 11:59:02
    名言ウィキ掲示板が見られないのが残念だなあ。
    しんみりするわ。
     
  • うまい 2015-02-28 (土) 13:23:36
    現状の放置プレイは、それはそれで面白さのひとつ・・。
    掲示板の過去ログは、凸がどこかにアーカイブしてないのかな。
    # 公開されても読むのは凸研究家だけ? 貴重な資料ではあるだろう・・。
     
  • '''' 2015-03-13 (金) 03:29:40
    いやー原田面白い。
    本当に読ませる文章書くな。羨ましい。
     
  • '''' 2015-03-13 (金) 20:22:13
    いやー原田面白い。
    本当に読ませる文章書くな。羨ましい。
     

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Last-modified: 2015-03-13 (金) 20:22:13 (1341d)