とつげき東北

 道徳的な意味において「悪い」ことをすると、自分に跳ね返ってくるという「事実」は、決して原理ではない。そのような形式があるとすれば、それは作られたシステムである。法に触れれば罰を受けるのは、法権力が罰則を設け、刑罰の執行を実施しているからに過ぎない。
 その種の制度が完備されているとはいいがたい家庭的教育あるいは日常的友達関係等においては、この言葉を「真実」たらしめるために、悪意を持たなければならない。放置しておいても「悪いことが跳ね返って」いかないのだから、「悪いこと」をした人に向かって自らの手で跳ね返す他ないからだ。
 たとえば親は、恣意的に子に不幸を作り出して「跳ね返す」かもしれない(小遣いを減らす等)し、または、本来は何の因果関係もないはずの子供の身に起きた不幸を、まるで子供の悪行によってもたらされたものであるかのように振舞うかもしれない。
 そこまでして「跳ね返ってくる」と教えることに、意義があるのだろうか。

 一方で、この種の教えの弊害はいたるところに現れる。
「悪いことをすると―」と真剣に信じている人は、世の中に数多くいる「悪いことをしていながら何ら不幸にならない人(美しいために友達の彼氏を奪うことに成功した女性等)」を見ては苛立ち、平等ではないと感じ、偏狭な行動をとってしまうことがしばしばある。そもそもの教えが間違っているために、彼らの信じる世の中の摂理と、現実の世の中の動向との間に著しい乖離が生じ、病的なまでに敏感に「世の中の矛盾」とやらに悩まされることもある(これは現代人の大多数が罹っている、「道徳病」である)。

 より問題であるのは、「善悪」の問題が結局は個人や集団にとっての恣意的な事柄にしか過ぎないという点である。自分にとって不都合な相手を「悪」と認識してしまいがちな人間は、「悪」に対する報復(跳ね返るべき何か)を自らの手で作り出し、憎悪とともに相手にぶつけようとする。
 この種の人間的=非人間的な思考を持つ者たちは、相手を独善的な見地から断罪しておきながら、恐ろしく冷酷に「お前の今までしてきた行動が、跳ね返ってきたのだ」などとつぶやくのである。彼らは、相手に生じた不幸が、決して原理に基づいて生じたのではなくて、単に彼らの憎悪・嫉妬・虐待嗜好等のみによって生じたのだという事実を、認識しない。

  • 2008-03-05 (水) 04:30:56
    犯罪しててもバレなきゃおkなんだよバーカなパンピーwwwwww
    良心の呵責はむしろ俺の糧となるだけwwwww
     
  • 六7 2008-03-05 (水) 05:16:14
    良心の呵責が糧になるなんてすっげー悪者っぽくて素敵。
    とつが神ならあ?は悪魔ですな。
    かっこよい。

 

  • pawn 2017-04-02 (日) 23:07:41
    「神様が見ているぞ」と同様にどこかメタ的な発言に感じるのは私だけだろうか。
    どちらも上位の存在によって世界は秩序立てられているという認識が伺える。
    小学生でもわかるように説明すると、マンガで「残りページが少ない」「作者に存在忘れられて最近出番なかった」とマンガ中のキャラクターが発言するようなものだといえばいいだろうか。

    『神様』をこの世界の外から監視している全知全能の存在だと仮定するならば、本来その上位の存在を認知できる材料をもっていないのにも関わらず『神様』がいることを"なぜか"知っている発言者は生物学、応用科学等多岐にわたる研究対象になる貴重なサンプルであるので危害を加えたり貶して自殺する可能性上げる行為は科学発展への背徳行為と見なされても仕方がない。

    つまり私が「(メタ発言は)寒いぞ」と言い返してこの発言の意図を理解してくれるような友人に恵まれないのは因果応報というものだろう。
     


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Last-modified: 2017-04-02 (日) 23:07:41 (204d)