とつげき東北

 議論において、論者の「必死さ」をアピールして、印象を落とすための用語。

 だが実は、「大人げない」ことによって質が落ちる議論とは、もともとの水準が低い場合が多い。
 確かに、知識や専門分野を持たない者同士が寄り集まった凡俗な議論の場においては、誰のどの主張も取るに足りないため、人々が発言すればするほど愚昧さが露呈するもので、一向に新たな知が生まれないにもかかわらず言い争いが続いており、「大人げない」という「攻撃」が結果的に正しいこともある。
 しかしここに知的な人間が加わると様子は一変する。知的な者が「本気」になって議論流れを構成し、必要充分な論理によって相手を追い詰めるさまは、知的エンターテイメントになるだけでなく、多くの読者の「勉強」にもなる。もはや「必死」だの「大人げない」だのといった言葉は力を失うのである。

 社会学者の宮台真司氏はきわめて精緻な分析を行う優れた論客であるが、氏は議論の際にしばしば「頭が悪すぎるんですよ」といった言葉を繰り返す。また偉大な小説家たる筒井康隆氏も、読者からの「先日もお手紙した者です。覚えていらっしゃいますか?」といった自己中心的な手紙を受けて「お前など覚えているものか。死ね」と述べている。
 いずれも、言ってみれば「大人げない」。だが、氏らのその種の行為は、大衆が大衆の尺度で判定する「必死」とはまるで異なる何物かに他ならず、その種の単純で辛辣な言葉が観衆・読者の笑いを誘うのである。「くそまじめな」道徳馬鹿がそれらの「不謹慎な」言葉にいらだつさまを見たり想像したりするのも、また楽しい体験である。

 このように、数多くの「観客」「読者」を意識した発言を行うということは、知的たるための最低限の条件であり、もちろんそのために「大人げない」態度を演じることも、時には必要なのである。
 知的な者が猛然と論敵を攻撃するのを見てすぐに「必死だ」「大人げない」などと捉えるのは、ダウンタウン松本のボケに「なんでやねん!」とつっこむ浜田を見て「浜田、必死だな」「低俗な番組」などと考えるのと同様、実にセンスのない行為である。
 40歳の哲学者に批判された24歳の思想家が「大人げない」などと言うだろうか。議論において知的たるためには――相手の水準が低いことがわかる場合を除いて――、俗人の言うところの「大人」になってはならない。

(議論テク)大衆論法:態度批判
雄弁は銀、沈黙は金

  • (*^ー゚)b グッジョブ!! -- マネ 2006-08-25 (金) 10:30:54
  • 友達に大人げないと言われた時に、とっさに「子供のうちから大人になる必要なんかない。大人になれば嫌でも大人になるのだから」と言った。大人になっても大人になる必要はないんですね。 -- 必死… 2006-12-24 (日) 16:33:46
  • M 2007-03-25 (日) 21:57:22
    地震で死に掛けたその日に軽々とランダムage♪
     
  • 2008-09-27 (土) 20:53:44
    子供の頃から大人げなかったんだな。
    大人になっても変わらず。友達の指摘は正しかったと証明されたな。
     
  • 高原 2008-09-30 (火) 11:50:33
    子供げないというのも叩かれる対象となりうる
     

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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:15 (2706d)