とつげき東北

 新聞テレビニュース等の大衆向けメディアが、とある組織等で発生した何らかの悪事の「原因」であるとして取り上げる、退屈な「分析」用語。

 悪事が発生した場合に、「これは体質の問題だ」と言って分析が済むのであればことは簡単である。いじめが起きるのは学校の体質の問題だし、不祥事が起きるのは役人の体質の問題である。大括りで「体質の問題」と言ってしまうのは、世の中の出来事すべてを「神の思し召し」という語で「説明」してしまうのと似ている。確かにその指摘に間違いはない。雨が降るのも晴れるのも神の思し召しであると説明すれば、それはなるほど神の不在証明をしない限りは間違ってはいない。だが、明日の神の思し召しがどうなるかは、神様の機嫌を伺う儀式をする代わりに、気象学的観測に頼って判断するのが適切だろう。
 体質の問題である、と言ったときの「体質」が具体的にどういった体質なのかを詳細に記述し、その体質を改善するための具体的方策が考察されてから、初めて「体質の問題」という指摘に意味が生ずる。ある組織に隠蔽体質や責任逃れの体質があるなら、それは構造的な問題なのである。隠蔽等を行うことが組織の利点につながること、隠蔽等をあばくためのシステムが完備されていないこと、つまり隠蔽等があばかれてしまうリスクが少ないこと、等である。では他ならぬマスメディアに捏造体質や隠蔽体質があることについてはどう考えるか。「第三者機関を設置してそれらを暴くべきだ」という途方もない指摘をして終わってよいのだろうか。もちろんそうではない。そのような機関を作って金を投入するメリットなどどこにも存在しないし、そのような機関の業務に携わる人々が「買収」され(なおこれは、直接的で衝動的な買収ではない――スポンサー等が存在することによって、そうした存在に対して自らを「律する」という行為に付随する間接的な「買収」であるからこそ構造化され、まさに体質的な問題となるのだ)、結果として捏造体質等がよりいっそう堅固になるというリスクの方がはるかに高い。
 だがどうやら、一般的な視聴者は「体質の問題」という語に納得し、当該組織をとにかく「悪である」と認識してお祭り騒ぎをしているくらいが知的水準的にもちょうど良いようであり、資本主義的な帰結としてこうした報道こそが求められている現状がある。マスメディアの体質を少し考えてみれば、この風潮は、あらゆる点で極めてメディア側にとって好都合なことである。

新聞

  • 2008-01-24 (木) 13:09:48
    ○○○店でゴキブリ揚げた→MIXIで告白→2ちゃんねらーに見つかる→通報の嵐→メディアで報道→○○○店体質の改善を図ります→告白した奴見つかって終了
     

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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:14 (2797d)