とつげき東北

「新聞記者」と呼ばれる専門性の低い個人の文章が、査読されることなしに掲載されるシステムを持ちながら、本来以上の権威性を与えられた、正確性の低い情報源。

「スポーツ新聞」や「週刊誌」、あるいはテレビのバラエティ情報番組の提供する情報の大半が眉唾物であることは多くの人が認識しているのに、いわゆる一般の新聞やテレビニュースに対して、その情報の不正確性に似あわぬ不当な信頼感が寄せられているのを知らない者は多い。このことは、名言性が高い。
テレビでやっていた」「新聞に載っていた」というやつである。
 小崎哲哉氏(『REALTOKYO』『ART iT』発行人兼編集長)は、日本の大手新聞社の発行する新聞の質が、いわゆる先進諸外国の「クオリティ・ペーパー」と呼ばれるまっとうな「新聞」と比して圧倒的にスポーツ新聞的である事実を指摘した上で、次のように述べている。「アムロの出産や聖子の再婚に紙面を割くくらいだったら、アルジェリアや東ティモールやコソボで何が起こっているのか、きちんと報道してほしい」。

 新聞記事はどのように作られるか。筆者の知る一例を挙げよう。
 職場に「読売新聞社」だの「朝日新聞社」だのから電話が入る。
「○○省で推進している××について、△△と伺ったのですが、これについて教えてください」といった具合である。そこでたとえば次のようなやりとりをしたとしよう。

担当者「去年の2月に、●●計画が決定されました。●●計画には、『平成22年までに××を20%まで引き上げることを目標として、△△を整備していく』と書いておりますので、これに基づき、△△を推進しているところです。具体的には……」
記者「それは、たとえばその後3年くらいで40%程度までになるのですか?」
担当「いや、それはわかりません。あくまでも22年の20%がまずは目標で、これもかなり難しいものであると認識しています。その後3年で40%という数字は、〜〜といった事情も考えますと、現実的ではないのではないかと、1担当者としての感触を持っておりますが」

 すると次の日の新聞の一面にはこのように載る。
「政府、平成22年までに××を20%とすることを決定」
 単純な早とちりである。
 まず、去年の2月にとっくに決定されている計画が、まるで今決定されたかのような書きぶりになっている。情報収集不足である。そして、「東大を目標として勉強することを決定した」ことが、「東大に行くことを決定した」こととずいぶん異なるという事実について、新聞社は目をつぶるのだ。そのほうが売れるからである。

 その程度ならまだ良い。他にネタがない場合、次のような見出しをつけたりもする。
「××を40%に――政府が決定」
 否定的見解をしたにもかかわらず、記事の内容には、記者の独断に満ちた、誰も出していない数字が羅列され、しっかりと平成25年には××が40%になると国で決定されたと明記されている。そして、××が40%になればこうなるのではないか、といった実現不可能な記者の夢物語が、これまたどこから出たかもわからぬ具体的数字とともに「政府決定事実」として語られるのである。

 しかしこのようにすることで、新聞は注目を浴びて売り上げ部数を伸ばせるし、平成25年になった際に「政府はまた事業に失敗した、計画は失敗した、税金が無駄になった」という記事が書ける。
 国民に期待を与えて裏切らせることを繰り返し、「国」という「大きなモノ」への不満を煽り、失望と愚痴のネタを提供し続けることで、話題を呼び売り上げを伸ばすという手法は、マスコミのお家芸である。
 1つの「計画」の文書を作成するために数ヶ月かけて協議し、何百人何千人が関わらねばならない「正確性を重視した」行政文書と違い、たった1日の取材をもとに専門性の低い記者が作成し、わずかばかりの文章チェックで仕上がる「新聞記事」が、いかに疑わしいものかが理解できよう。

昨今の捏造報道について

 昨今、テレビ報道・番組等における捏造報道がいくつか話題になっている(2007年末)。もっとも最近の例では、テレビ朝日の放送において、「元マクドナルド店員の証言」として画面に映った証言者が、実際には番組関係者であり、マクドナルドの制服を着ていたといったことが問題視されている。しかし、このような極めて瑣末なことを「問題である」として報道してみせるのは、単なるポーズあるいはガス抜きにしか過ぎない。この程度の「捏造」は、これまでテレビ番組が繰り返し、日常的に行ってきたもののうち、もっとも軽度なものの一つだからである。
 テレビ等マスメディアにおける捏造はより根本的なものであり、マスメディアお得意の「分析」の言葉をあてがうならば、いわば世論誘導や隠蔽や捏造や利益優先主義や真実への不誠実における「組織の体質の問題」である(どんな場合にも適用できる、なんと便利な「分析」用語だろうか)。いまさらニュース報道の表層が少しばかり真実に近づいたところで、大差ない。逆に今回の件は、「(その程度の捏造が)大問題なのだ」と見せることによって、他のあらゆる深刻な大問題などあるはずがないのだ、というアピールと見抜かなければなるまい。事実、テレビや新聞は今でも朝鮮総連や統一教会、ある種の団体の行った悪しき所業についてまともに取り扱うことをする代わりに、それと比較すればごく瑣末な問題であるはずの公務員叩きや政治家叩き、ないし日常的に起きているどうでもよい殺人事件に関する報道等を繰り返しているではないか。過去にあるいは現在進行形で行ってきた・行っているあらゆる「嘘情報の報道」を何ら反省しないではないか。
 われわれは常に、「ここが問題点だった」といって何かが排除されるとき、それによって視界から消えようとする「より上位の何か」について意識的でなければならない。報道における表層的な問題が取りざたされる瞬間こそ、まさに深層に横たわるありとあらゆる問題がうやむやにされるのだから。

日本の「報道」のモラル

 アメリカの「サブプライムローン問題」は、経済的な問題としてクローズアップされた。しかし日本の報道はほとんど、この問題がアメリカによるグローバルな市場主義の結果生じた、富裕層による貧困層への世界規模の搾取の問題の一端でしかない事実を伝えていない。民営化と「効率化」と「自己責任という魔法の言葉」の帰結としてもたらされた公的医療保険制度(これまた貧困層向けのメディケア等)の壊滅と、貧困児=肥満児の圧倒的増加ともつながる深刻な現象であることを報じていない。日本の報道において、サブプライムローン問題とは、低所得者向けの住宅ローンの元金回収が焦げ付いてしまったことから生じた「単なる世界的な株安」でしかなかったのだ。
 何の大儀もなく戦争を始めるアメリカ。軍をも「民営化」することによって、拷問、略奪、その他恐るべき事柄を「外注」してしまうアメリカ。第三国で大々的に薬物の人体実験を繰り返すアメリカ(もちろんこれも「民営化」された「外資系企業」が行っていることであって、「アメリカ政府」のせいでは「ない」)。

 日本の大手メディアはこの種の事情をほとんど取り上げない。「国境なき記者団」が2006年度に発表した「世界168か国における報道の自由度ランキング」において、日本はイスラエル並の51位だった。
 後になってから「申し訳ございませんでした」で済むような、虚偽の報道や捏造の報道といったものは、実は比較的瑣末な問題である。それよりも、世界で何が起きているのかを正確に伝えることを意図的に避けるということ、すなわち特定の問題だけは報道しないことによる、潜在的な「事実の歪曲」の方が圧倒的に恐ろしい問題だ。
 元マクドナルド店員が偽者だった? そんなことはまったくどうでもよい。その程度のことが、ああこれは「報道として重大」な過失であった、今後は改善してゆくのだ、と臆面なく世間に発表されてしまい、世間がそれを見て安堵するという事態にこそ、恐るべき報道の嘘が潜んでいる。

  • 黄緑坊主 2007-02-24 (土) 17:21:42
    新聞としては「大きなモノ」には素晴らしい業績をあげてもらうと困るわけですか。

    阪神大震災の報道で「神戸」を強調しすぎた結果救援物資が西宮と芦屋を素通りしていった。「ちょ、待てよ!」
    報道のおかげで全国から支援してくれるようになったのはありがたいけど、
    無神経な取材や、テレビの時間の都合を押し付けてボランティア活動の
    タイムテーブルを狂わせるような態度は若いながらに気に入らなかったなぁ。
     

  • M 2007-02-24 (土) 19:49:57
    2chで言っていたとかだと信憑性低いのにね。
    情報の正確性と信憑性が比例していないIT革命。

 

  • えー 2007-02-25 (日) 12:17:56
    給湯器具はリンナイがトップシェアなのに
    松下、ノウリツ、パロマと比べて死亡者が一番少ない。
    一番の優良企業が何故あんなに叩かれたんだろう。
     
  • '''' 2007-02-25 (日) 12:45:35
    だからメディアリテラシーが重要なんですか。
     
  • '''' 2007-02-25 (日) 14:31:15
    その新聞社にクレームを出すこと
    事実ではないことを世間にアピールすることはできないんですか?
     
  • とつげき東北 2007-02-25 (日) 18:10:22
    >その新聞社にクレームを出すこと
    >事実ではないことを世間にアピールすることはできないんですか?

    あまりにも日常茶飯事なので、ほとんど全ての記事にクレームをつけなければならず無駄である。
    また、個別にクレームをつけたところで無意味
    最善の結果が、目立たぬところに「○○日の記事に一部誤りがありました。謹んでお詫びします」と書かれるのみ。
    マスコミのずさんな情報管理の体質は変化しないだろう。

    それより「政府としての正式な見解」として否定する必要がまず生じる。
    新聞記事になる可能性がある場合、関係者は深夜や明け方まで残って、国務大臣が答弁するための資料を作らねばならない。
    たった一言「そのような事実はない」という答弁案を作るために、膨大なコストがかかっている。こうした虚偽の報道がなくなり、またせめて国会議員が国会質問事項の通告時間を守りさえすれば、「小さな政府」も割とすんなりできるのかもしれん(笑) もっとも、国民の世論を反映する新聞に「嘘を書くな」と求めたり、国民の代表である国会議員に「時間を守れ」などと求めることは無理難題だが。できるわけがないからね。

    で、ようするに政府の見解として「その記事はデタラメですね」と言うわけだが、もう既に「新聞に載った」ということで世間はそれを信じているし、訂正記事など出ない場合がほとんどだ。
    訂正記事を出すのは新聞社にとってメリットにならないし、真面目にやれば新聞が訂正記事で埋め尽くされてしまう。

    新聞記事の誤りに抗議するというのは、いわば、2chの1つ1つの嘘やデタラメに抗議するようなものだ。国の職員は、そういう事実を知っているから、騒がない。
    「嘘ばかりの情報源に対して、『それは嘘だ』とわざわざ1つ1つ訴えるか?」

    1つの「嘘メール」で国会が沸いて、政治家が失脚した騒動があったでしょう。国会議員等の情報源は新聞報道などが主なので、嘘であれデタラメであれ、「新聞に載った」という事実が大事なのだ。
    それをネタに野党が与党を攻撃し、与党のダメさを国民にアピールする。そんなことの繰り返しが「政治」だ。
    国民はいちいち情報の正確性にこだわらないので(「あるある」が「嘘だった」といまさら気づいて大騒ぎするレベル)、元ネタは嘘でもなんでもかまわない。

    新聞やマスコミにとって、「国」は強くて安全なサンドバックである。
    特定の民間企業などについての報道なら、虚偽の事実を報道したらすぐに民事訴訟、といったことになるのでやっかいだが、「国」はそのようなことをしないのが慣例である。
    したがって、安全に叩けるし、叩けば叩くほど大衆が喜ぶし(自分の不遇を「国の制度が悪いから」「国の方針がダメだから」という大きな物語に巻き込んで安心できる)、それによって新たな世論を作り出して新聞記事のネタにできる。

    「内閣府のタウンミーティングやらせ問題」程度の瑣末な出来事で国会まで巻き込んで「大問題」に仕立て上げているのを見れば良い。子供じゃないんだから、そういった席で、一定の質問や回答を事前に準備しておくなど当たり前のことだろう。そんなことより、施策について議論とかしようぜ。
    「これでは何のためのタウンミーティングだったのか」といった報道を見て、「やらせ質問を仕込んでいたなんて、許せないワッ!」とか騒ぐ主婦、死ぬべきであろう。マスコミがどれだけ悪質なやらせを行っていて、どれだけそれに踊らされているか。
    先日どこかの地方公共団体が、新聞記事に出てきた「県民」だか「市民」だかのコメントについて、実際にはその県・市に戸籍がない人物だったため、やらせ報道だと新聞社を訴えていたが、費用対効果を度外視してよくぞ一矢報いたなと思う。
    政府が、主として「嘘・おおげさ・まぎらわしい」情報で成り立っているマスコミに対して「嘘でしょそれ」と言うのは、ものすごくコストがかかることであり、またリターンのないことなのだ。
     

  • aj 2007-02-27 (火) 04:24:10
    ふと思ったんだけど、新聞の投書欄なんてのは名言の宝庫だよなぁw

    名言とは「コード」である、っていうのはどうだろう。
    逆にギャグとかお笑いはディスコード。

    メディアリテラシーが大事かどうかは、まあそれはそう(大事)なんだけど、
    騙されないように云々というよりは、そういうコードに落とし込む事によって快感や感動を覚える人が圧倒的多数なのね…って絶望するのが我々のあるべき姿なのではないかとw
     

  • M 2007-02-27 (火) 19:09:51
    いや、新聞の投稿欄を見て爆笑するのが、我々のあるべき姿だろう。

    解釈主義者は一切の事物が解釈によって成り立っている事を知っているのだから、絶望とは無縁だ。
    大量消費社会によって作り出され続けるを得ない『感動』は、我々にとって【ギャグ】でしかないのだw
     

  • マネ 2007-02-27 (火) 20:23:33
    >そういうコードに落とし込む事によって快感や感動を覚える人が圧倒的多数なのね

    「感情」自体が本来そういうものなんだし、今さら絶望するようなことでもないだろう。コードに落とし込まなければコミュニケーションは不可能だし、そもそも感情を感じる「主体」はそのようなコミュニケーションの中で発生するのだから。

    ただ、「新聞」などは特定のコードを再生産することで強化する。強化されたコードはその権力を不気味に上昇させ、「他の何か」を静かに殺す。

    「いたわるような仕方で殺す手」に対する意識、コミュニケーションの道具である言語に備わっている暴力性に対する意識こそが「知的」たる条件だろう。

    われわれに必要なのは、粗暴な言語化によって霧消してしまうような微妙な差異――規定の文脈と実情との「ずれ」、現実からの「浮き」、「違和感」、「齟齬」、ディスコードによってのみ示されうるような何か――を、ふと視界にとらえることができる繊細さだ。
     

  • 2007-07-29 (日) 13:37:35
    ネットと低俗番組のせいで新聞いらなくなったな(笑)

 

  • age 2007-09-18 (火) 04:05:30
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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:04 (2861d)