■とつげき東北

 議論等において、基づく根拠を見出せない人が(つまり多くの人が)、最強の根拠として振りかざす下らない理想のこと。

 人々は他人の「常識のなさ」について、日ごろから驚き続けなければ気がすまないようだ。一昔前は、会社の面接に、茶色がかった色の髪で行くことは非常識とされた。今でも、ネット上で知り合った人と忘年会をすることを常識的でないと思う人は数多くいるだろう。

 しかし、常識を大上段にかまえた語りや、常識のなさをことさらに指摘する話法が、知的であったためしは――筆者の経験上――ない。
 これには理由が考えられる。常識というものは、ある社会のある共同体のある時期に、たまたまその内部で共有されるだけのものにすぎず、しかも明文化されたり規定されないが故に、充分にその中において最適化されない程度のものである、というのがそれだ。洗練される構造がなく、また、それ自体に何か合理性や根拠が見出せるようなものではないのだ。逆に合理性や根拠が明確に存在するなら、法律等の規則にすることができよう(罰則規定がない形に整備するなら問題はないはずである)。

「日本全体の常識」を想定してみよ。そのような漠然としたものを夢想することに意味があるかどうかはともかく、もしできたとしても、その常識とやらが成員一人一人の環境にぴたりとフィットするとは思えない。例えば近所の人と明るく挨拶すべきだというのは今の世の中には馴染まないし、手書きの手紙にはやはり手書きで返すべきだという(今となっては)古い常識を、大事に抱えている老人もいよう。平均的な日本人がフランスの文化について持っている常識は現地人から見ればおよそ奇形と言う他ないものだろうし、東北大学のとある文学部教授は、卒業論文を手書きで書くことを強要していた。

 規定や法律にしてしまうと息苦しいか、またはそこまで一般的に賛同を得られはしないが、共同体が平均的にはうまく動くよう、ゆるやかに行動を制限する方法として「常識」というものが見出されてゆく。
 それだから、常識の全てが無駄で無根拠で無益、なのではない。
 だが、相手が常識的でないとされる行為をするや否や、驚きあきれて「常識がない」などと勝ち誇ることは避けたい。本質的に、常識に頼らざるを得ないということは、とりもなおさずそれ以外の、効率的で根拠のある有益な何らかの規定や思考に基づかないということを意味してしまうからである。特に、相手が当該行為を「常識的でない」と理解した上で選んでいる場合には。

 話は変わるが、初歩的な歴史や漢字をわからない者を「一般常識がない」などと形容することがしばしばあるが、初歩的な数学や科学がわからないことはそう形容されない。常識、常識と小うるさい人には「sin x+cos x=1」という問題でも解かせて、大上段から「常識がない」と言ってみたいところだが、ともあれ、「これは常識」として人々が決め付けたがるものは、えてして非常に偏っている。彼らは、彼らがよく馴染んでいて、彼らが快適に感じ、彼らがかろうじて理解できるものだけを「常識」と見なし続けなければならないのである。いい歳をした大人が、中学受験の算数をしばしば解けない、ということをもって、彼らを「小学生レベルの知識さえ持たない、非常識な人だ」とみなすことは、どうやら控ておいてあげたほうが良いようである。

健全な市民常識
偏っている
必要以上

  • Another World 2007-06-23 (土) 13:51:37
    集団にとって都合の良いもの。

    集団や集団をとりまく環境に変化があれば、流動的に集団にとって都合の良いものへと変化しつづける。これ常識。
     

  • 六分儀 2007-06-23 (土) 15:04:26
       / ̄ ̄\
     /   _ノ  \
     |    ( ●)(●)
    . |     (__人__)  sin x+cos x=1なら
      |     ` ⌒´ノ   x=2nπor(1+4n)π/2だろ、常識的に考えて…
    .  |         }
    .  ヽ        }
       ヽ     ノ        \
       /    く  \        \
       |     \   \         \
        |    |ヽ、二⌒)、          \
     
  • 六分儀 2007-06-23 (土) 15:05:43
    ちょっとずれたな・・・(冷静に)
     
  • とつげき東北 2007-06-23 (土) 16:48:35
    やっぱり絶対「常識」認定されないな。ずれも考慮すると。
     
  • 原田 2007-07-02 (月) 13:58:30
    まず必要なのは常識ではなく良識である。常識は『常(つね)』と書くが真善美を追い求める事を忘れた現代人に『この世の常』を語る資格などない。そこで良識と言っておけばこの世の常がわからなくともその時と場所に応じて『良い』判断を下すべし、とすることが出来るのである。もちろんその『良い』の基準は依然として曖昧だが、それはわざと作った糊代であるとし、差し詰め慣習を参考に自分で考えろと言っておけばいいだろう。
     
  • '''' 2007-07-02 (月) 22:50:16
    「ずれを考慮しなくても常識認定されない」じゃないかしら
     

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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:41:02 (2667d)