とつげき東北

 ドラマ等で、援助交際に走ろうとする生徒や、ケンカに明け暮れる「不良」に対してこの言葉を投げかける。
 その種の行為は「本当の君」の望む真意ではなく、それは自分を粗末に扱っているということであり、そして君は自分を大事にする義務と価値があるのだ、という「論理」を背景に持ったこの言葉から、不良たちはその先生(または親)の愛情にふれ、考えを改めるというわけである。

 ケンカは止めるが危険なプロボクサーへの夢なら応援するといった動きを見ると、ようするに一番大事なのは「制度への順応」としての「成長」ということのようだ。それは残念ながら「自分を大事にする」ことと何ら一致しない。

 高校時代、ふとしたいさかいからつかみ合い程度の軽いケンカに至った同級生2人に対して、体育教師がこの言葉をフライング気味に発してしまったときに、その場を支配した安っぽい空虚な印象は、忘れがたいものがある。その体育教師こそ、もっと自分を大事にすべきだったのだ。


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:57 (2703d)