■とつげき東北

 他人を見下したり馬鹿にする人に対して――仮に当人にその正当な権利がある場合でも――言われる。
 自分に自信があれば他人の低さを確認して「安心する」必要などないはずだ、ということのようだ。しかしこれは残念ながら、人を見下したり馬鹿にするという一つの面白い遊びを楽しむ余裕のない人間(あるいは心の狭い人間)が語り継ぐだけの神話にしかすぎない。

 もっとも大きな間違いは、他人への罵声が、必ず「自分のまともさ」を確認するために用いられるというセンスなき前提にある。漫才において「ボケ」がやらかす「馬鹿な行為」に「つっこみ」を入れることは、「つっこみ側の正当性」の証明を目指した行為だろうか? もちろん違う。ボケのボケさを指摘するとともに場に笑いをもたらすのが「つっこみ」の仕事である。
 こうした基本的なセンスについて認識していれば、ある種の対戦ゲーム中に、相手をお互いに辛らつに非難しあうような光景が、一種の無道徳的な遊戯(道徳という制度的なものの滑稽さを笑うための非-儀式的な自然な行為)として成立し得ることが理解できる。それに対して愚鈍な親は必ず次のように言う――「汚い言葉を使ってはいけません」などと。
 だが実際には、罵倒の言葉を「遊び」として使うことができない人間こそが、真に冷酷な意味で「他人を見下す」のである。

本当にできる人は自慢しない

  • '''' 2015-03-13 (金) 00:58:18
    最後の3行が美しい
     
  • 101 2017-01-25 (水) 14:25:06
    この名言を発した奴にその理由を問うと必ず「自信があったらこんなことはしない」と循環論法に陥るのが笑える。
     

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Last-modified: 2017-01-25 (水) 14:25:06 (266d)