とつげき東北

 どこからを「自分で選んだ道」と称するべきかについては議論されないまま、責任の所在を「道」の選択者に与えるために用いる。他人に対して用いる場合は、いわゆる「責任の押し付け」となり、自分に対して用いる場合は、自らを鼓舞するための、いにしえの儀式のような様相を見せる。
 
 数学の試験中にある問題に取り組んでいる際、最初に構想した解法が、誤っているか、または正解を導くのに冗長な計算を要することに気づいたとしよう。ここで、別のより優れた解法に切り替えるべきだろうか。それとも、「自分で選んだ道」である最初の解法で進むべきだろうか。先生や親は、「自分で選んだ道なんだから、最初の解法で解きなさい」と指導すべきだろうか。
 もちろん違う。そしてこの事実は、誰もが知っているはずだ。
 適切な判断とは、過去にした判断に固執することではない。もしも過去より現在の方がより多くの・精確な情報を持っていて、より正しい判断が可能であるなら、選択を柔軟に変化させるべきなのは「当たり前」である。

 この語は、合理的根拠が何もないにもかかわらず、感動的なイメージで包み隠すことによって、当事者を盲目的にある方向へ向かわせるために悪用されると同時に、「わかるときがくる」等の対義語を併用することによって当事者を自分の都合の良い方向に誘導できるという点で、典型的な名言性をはらんでいる。


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:55 (2705d)