とつげき東北

 本来、国家等の権力側が担うべき役割(社会的公平性の担保、犯罪被害の縮小、自然災害等への対策等)も含めて、すべて個人の責任に還元することで、特定個人を過剰に攻撃するための文句であると共に、資本家が格差をより拡大させるための言い訳ともなる語。

 掲題語は、第87、88、89代内閣総理大臣であった小泉純一郎氏が多用したことにより、一躍脚光を浴びることとなった。氏は、米国流の「小さな政府」を目指し、社会福祉等を削って個人の負担に転化した。また、郵政事業も民営化した。結果、当然に社会の格差は拡大し、国家公務員の人手不足がますます増加する事態を招いた。

 あまりにも掲題語が頻繁に使用されることになったため、日常的な空間や会社内でも「それは―だ」と言いさえすれば、本来会社側が守らなければならない就業規則等(過剰なサービス残業等)についても、平然と「本人の能力の問題」にでき、あたかもそれが正当であるかのような錯覚を多数の人々に与える状況を迎えた。

 今でも掲題語を用いる者は多いが、本当に当該問題が自己責任なのか、それとも制度等の不備なのかについて、必ず問い直す必要がある。例えば、原発事故で避難せざるを得なかった福島県民は、本当に「原発の周辺300km以内に住んでいたのだから、自己責任」だったのだろうか――もちろんそんなことは誰にも言えまい。掲題語を考慮なく無責任に使用した結果、社会や他者から批判されるのは、使用者の自己責任に他ならない。

  • ここまで読んだよ 2017-03-19 (日) 21:35:23
    −の使用例:

    >――もちろんそんなことは誰にも言えまい。
    そう?
    海辺に住んでいる人が津波で流されたのは、そこに住むことを選択した自己責任だと思うので、原発についても自己責任が全くないなんて言えないな。
    自己責任の例としては、「原発反対派を当選させなかった」など。
    ・・・さすがに生まれたばかりの子供には自己責任はないだろうけど・・・・

    >本当に当該問題が自己責任なのか、それとも制度等の不備なのかについて、必ず問い直す必要がある。
    もちろん、その自己責任よりはるかに大きい事故責任が当該人以外にあるから当該人の自己責任が無視できるほど(相対的に)小さくなっていることは認めるけどね。
    そうだねぇ、比でいうなら、東電社員(特に当時の幹部)と原発推進を唱えた国家公務員と国会議員は致死量の線量未満になるよう時間を調整しつつ、炉の上からひもでつりさげられた状態で炉の中の燃料を素手で拾うことが自己責任の取り方だろう
     


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Last-modified: 2017-03-19 (日) 21:35:23 (218d)