101 (項目投稿に、一部とつげき東北が加筆修正)

 自分の気に入らない論理展開に対するイメージ低下の言葉。

 知的な議論ができる者の中には、習慣的な知的作業の繰り返しによって適切な論理展開を遊びの感覚で扱えてしまうレベルに達した者も確かにいることだろう。しかし、大衆の発する掲題の言葉にはそうした者に対する称賛のニュアンスはない。彼らは「遊び」という言葉に幼稚・不真面目のイメージを持たせ、タイミングを見て「それは──でしかない」と言っておきさえすれば、相手の論理展開が拙く無意味であるような印象を相手または聴衆に与え、相手が狼狽するものと信じているのだ。
 他方で、仮に相手が言葉遊びであると認めた場合を考えてみよう。その相手が高い知的センスの持ち主であるならば、掲題語の発話者の無様さ・水準の低さを一層際立たせるだけだし、逆に知的センスを持たない者であれば、無意味なガラクタの投げ合いが変わらず続くというだけで、発話者の勝利に一切効果を発揮しない。結局のところ、掲題の言葉は発話者の思惑通りには全く働かないのである。

 嫌いな論理に対して言葉遊び言葉遊びとしきりに嘲弄する大衆自身が、その言葉遊びとやらを扱うらしい相手にすら勝てていないどころか、普段から「全体は部分の総和ではない」「差別ではなく区別」「ないよりはあったほうがいい」等といった名言を臆面もなく振り回す。果たして真に言葉遊びだと嘲弄されるべきなのはどちらなのか、彼らはもっと自覚的にならなければならない。

  • ここまで読んだよ 2017-05-05 (金) 17:01:17
    自覚という意味ではそうだね。
    ごはん炊き忘れが不憫で仕方がない。あと、こまいぬも。
     

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Last-modified: 2017-05-05 (金) 17:01:17 (171d)