101? 項目投稿

 不出来な意見を感動的な言葉に仕立て上げるための大衆お得意の表現。

 ある物事について言いたいことがあるが、自分が本来言うべき立場ではないという場合にこれを前置きすることにより、そんな自分でも立場を越えた理解ができるのだという表面的で陳腐な同情を表明し、また一方で、その立場ではないがゆえに誤りであったとしても指摘される筋合いはないという空気を演出する。なぜか。彼らから吐き出される言葉のほとんど全ては、正しいが極めて当たり前であるか、誤りであるかのどちらかであり、知的または創造的とは到底言い難いことを自覚しているからだ。そのため、そのような虫のいい要求が通用しないことは彼らにとって困った事態なのである。
 この表現が溢れる背景には、名言的・大衆迎合的な映像・文章作品の存在がある。大衆に対しては美しく響くが実際には別に何ら新しい発見をもたらさない使い古された表現、「強い心(信じる心)は悪い物事を打ち破る」系の極めて能天気な善悪観、そして「俺はスーパーマンじゃないが」「私はあなたの家族じゃないけど」といった用法によって吐かれる掲題の名言。それらがぎっしり詰まった道徳的な作品の数々を、大衆は「うんうんその通りだ」と無批判に受け入れ、自分もそんなことが言える人間になりたいと思い始める。そして、ある時自分が何かを言わずにいられなくなった場面が到来するや否や言うのである。「確かに俺は専門家じゃないが」「俺は全てを理解したわけじゃないが」などと。
 言葉が立場を越えた力を持つとすれば、それは正しく有益な言葉であるときだ。しかし、掲題の言葉を吐く者たちはそれを認識せず、かわりにドラマチックな表現にすれば同等の力を持たせられるという誤解を持っている。そんなものが果たしてどれだけ信用に足るというのか。分不相応に過ぎるのである。

(議論テク)大衆論法:思想的ヒキコモリ


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Last-modified: 2017-07-22 (土) 20:17:37 (93d)