とつげき東北

「優しさ」とか「賢さ」という言辞をもって他人を安易に評価するのは、冗談半分にしておいたほうが良い。
 誰とも対立せず、少々の無理な相談でも聞いてくれる人が「優しさ」の値が高いのだろうか。それとも、周囲には冷たいが彼女を大切にする人が「優しい」のだろうか。あるいは、人間には冷たいが動物愛護の精神に富んだ人が? 家族を貧しくしてでも地球のために寄付する人が? 家族を守る人が?

 なるほど、それらのどれもが「優しさ」と関係する気質だが、「優しい」行為を取り上げれば多様であり、とても「優しさ」という1つのスカラー値に表せるようなものとは思えない。
 大真面目に「優しさ」を1つの数字に直すという無謀な試みは、ちょうど、恣意的な配点で恣意的に出題される恣意的な「テストの結果」の組み合わせが、「賢さ=総合得点」を繊細に写し取っているのだと信じることと等しい。あるいはそれでは原理的でないからと、「IQ」などといった奇妙な別の「総合得点」を持ち出すのと等しい。

 ところで、筆者は両親と極めて仲が悪い。
 彼らは常々筆者に対して「もっとやさしさを持ちなさい」と主張していた。ところが筆者は友人・恋人との関係や職場においては、昔から「穏やかでやさしい人」と見なされてきた。つまり、何のことはない、子に疎まれた両親が、子に冷たく振舞われていたというだけなのである。
 この例を見ても、「一般的に計測できる優しさ」などというものが、特定の関係性においてしか意味をなさないことが理解できよう。
「あの人はやさしくない」と人を貶す前に、自分が「嫌われ者」でないか考えたい。


コメントは以下の作業を終えてからお願い致します。





重要:ボタンを押すか、手動で「OK!」と入力してからでないと反映されません。
一度入力すればクッキーによって保存され、入力の手間は省けます。


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:19 (2882d)