とつげき東北

 ある目的を達成するための道を選択する際に「判断力」が必要であるとしよう。
 AさんとBさん、どちらと結婚すれば自分が幸せになるかを、ある時点で「判断」した結果、Aさんを選ぶべきだと判断したとしよう。
 ところが、その後、Aさんはいいかげんで、借金が死ぬほどあり、実はやさしくないということがわかったとしよう。
 以前と同じ判断力が備わっているのであれば、あらためてそこで「判断」をし直すことが正しい。状況や環境、前提の変化に合わせて、常に新しい判断を下し、補正していくのが合理的な判断である。

 ところが、これを放棄して「もう決めたから」と道を突き進む手合いがいる。
 麻雀においても同じで、その場その場で判断すべきなのに、「一度上がると決めたから」「一度決めたことを曲げたくない」というような、男らしい、野蛮で無知なやり方をする連中がいる。

 彼らの判断が結果的に誤っていることだけが滑稽なのではない。彼らが、「もう決めた」ことを貫き通すことに何か美学めいたものを感じているそのセンスもまた、この上なく滑稽である。
 彼らは「もう決めた」ものは貫く方が格好良いと、「もう決めて」しまっているのかもしれない。
 だが、その愚昧な判断の全体を見直せないことが彼らの知的汚点に他ならない。

※ただし、「判断力」が必然的に「低下」する要因がある場合もある。
老年になればもうろくするだろうし、ある程度の年齢になれば保守的な考えが頭をよぎり始める。変な団体に半分監禁されたような状態で時間がたてば、頭が濛々としてくるかもしれない。
こうした必然的な「低下」による影響を防ぐ目的で使用する場合、戦略的に行為を「決定」しておくことが、必ずしも無意味とは言えないこともある。

  • ここまで読んだよ 2009-10-17 (土) 18:15:19
    凸の、凸自身の美的センスを貫くことを「もう決めた」わけですね
    よくわかる論破
     

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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:18 (2886d)